僕の部屋(1996.6.19)
僕の部屋(1996.6.19)
まったくろくに旅行にも行かず、生きている空間が少ない僕としては、この狭い部屋が一日の約半分の世界である。世界地図を開いて机上旅行というほど、最近は夢想家でもないので、せいぜい作り付けの本棚に溜まった本をときどきひもとくぐらいが生産的なことで、煙草の灰ですぐに汚れる机の上も週に一度ぐらいしか拭かない。
北東の本棚にはパソコン関係の本、北西には詩や評論の本、とくに2組の宮沢賢治全集とその研究書、集めている吉本隆明の本が多い。北東の本棚には辞書類や地図、文庫本がぎっしり詰まっている。うちにいちばんたくさんあると思われる種類の本――詩集は、廊下の扉のある本棚にこれまたぎっしりと詰まっている。そのなかに特に大きい本のカール・バルト著作集14巻、親鸞の教行心証、雑誌「ガロ」のアンソロジー『木造モルタルの王国』、ソシュールの『一般言語学講義』、時枝誠記『国語学原論』が目立つ。
このまま、本の話を書いてもいいと思うのだが、それはまた別に書くことにして、これからこのパソコンからインターネット上に発信するのだから、もうすこし周辺の様子を書いておく。
東側には若井さんの沖縄土産のミルクブッシュ、それから12歳ごろから育ててきたサボテンの枯れたのをくりぬいて、その上に居間のドラセナの一枝を挿し木したのを植えてある。あとはハートカズラ、サボテンの寄せ植え、パキラ。北向きにこのパソコン机は置いてある。
この窓からは東に水道塔が見える。近いので天気が悪くても霞むことはまずないが、マンションの屋上にある水道塔を見ていろいろ考えることが多い。北側の窓は鉄線の入った曇りガラスで、ふだんはまったく開けない。しかし、ここからまっすぐ50メートルほどのマンションの一室に女子大生が住んでいることは確かなことだ。あとそのマンションには有名なエッセイストも住んでいるか、その人の事務所があるのも確かだ。
このことと文脈はまったく別だが、机の引き出しには双眼鏡が入っている。東の雲の様子やビルの谷間、マンションの通路などをたまに見ることがある。
ここで唯一緊張した時間すごすのは仕事を抱えているときだけだ。クーラーは仕事のときだけしかかけない。
いま机の上にあるのは岩波文庫版『北村透谷選集』、読み終わったばかりのラングストン・ヒューズ詩集『ふりむくんじゃないよ』。
もうじき夏至だ。ここから気ままになにか書き始めるのも一興だと、この連続コラムを始めたい。
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