お絵描きソフトの楽しみ その2(1997.6.18)

お絵描きソフトの楽しみ その2(1997.6.18)



 今日はあまり蒸し暑くなかった。生活のなかの「マンネリ」は、誰にでもあると思うが日常の時間の流れに任せていると、物事がついつい不鮮明になってくる。ふと目を覚まさせてくれるのは何か。なんとなく気分のフェイズが変わったというようなことではなく、生活の時間の切れ目がズンと向こうから攻めてくるようなときである。余裕を持て余して惰弱な時間を過ごしているな、と気が付かされる。
 吉本隆明の『背景の記憶』(宝島社)の読書に関する短いエッセイのなかに「思い出の本」というのがあって、漱石の『硝子戸の中』という本について触れられている。簡単にいうと漱石の「暗い立派さ」がわかったという。
《また角力好きの漱石は、力士が四つに組んだまま土俵の上でじっと動かないでいるときがあるが、けっして休息しているのではない。やがて汗がふたりの力士の身体から吹き出してくるのがわかる。静かなようにみえても渾身の力でわたりあっているのだ。人間の生活の生涯もこういうものではないか。はたからみると波立たない静かな一生のようにみえても、じつは渾身の力を出して生きているのだという感想を述べた個所がある。こういう漱石の感受性が「暗い立派さ」だといえる。》
 たしかに平凡な日常のなかで、感情の一線を越えないような規制をする場面が生涯のなかに多々あるだろう。小さな波を甘受しているときに、実は大きな波にも耐えているような、そんなときがあるのだと思う。つまり「マンネリ」も束の間のことが多いわけで、実はそのときこそ幸せな瞬間かもしれないのだ。
 そんなことを考えながら、スケッチブックをデジタルカメラで写したものを画面上のアルバムで見ているうちに、皺になった紙の下にいるナマズを描いたものが、「マンネリ」の主題に合っているように思われた。紙の下には実はナマズが控えている。誰の生活の板子一枚下にもナマズが隠れているのだ。もとよりナマズは幼いころからとても好きな魚だ。旅の途中の大津絵師が描いた、鯰の大津絵も一枚もっている。


|
清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(Perl事始め その1(1997.7.2))| 次頁(植物、動物 その2【時計草】(1997.6.9))|
ホームページへ