漂着するものたち(1999.6.15)

漂着するものたち(1999.6.15)



 大瀬崎は伊豆半島の西側のくびれが尖ったところである。北西角といってもいいかもしれない。この岬には、20代のころまで毎年のように行っていた。この岬の先端部300メートルぐらい続くレキ州に神池という淡水の池がある(直径100メートルぐらい)。この岬が包む入江で、よく素もぐりをして、メゴチなどを突いて遊んだ。一度4メートルぐらい水深のあるところを泳いでいたら、遠くにカツオノエボシというクラゲが見えた。カツオノエボシはこの静かな入江にいつしか漂い込み、揺られていた。その長いひも状の触手や栄養体は海底までに達していた。
 柳田國男がこの岬について書いていないかと思っていたところ、読んだ範囲では一箇所婚姻関係の習俗のことでこの大瀬について書いている。何度も行ったせいで、静かな入江といえばすぐにこの大瀬崎を思い出す。
 先の日曜に鎌倉の由比ケ浜に立ち寄った。海水浴にはまだ早いが、ウインドサーフィンのビニール傘みたいなのが、遠く海面を横切る。波打ち際を見つめて歩くのは興趣がつきない。というより、いいストレス解消になる。そのうち疲れて煙草を吸いながら、浜で横になった。浜で拾ったものを並べてみる。妻はもっぱらきれいな貝殻だが、僕は変なものを拾ってきた。デジタルカメラの被写体として心が向くものである。上からホンダワラ、イカの屍骸、ハコフグの屍骸である。ハコフグはプラモデルのように硬い甲でほんとうに箱のようになっている。たぶんこれで提灯を作れると思いながらシャッターを切った。
 鎌倉の駅を降りるとすぐに海のにおいに気づく。小山に上り、寺を訪ねて、海に出て、住宅街を縫って江ノ電の駅に着く。なんだか巡りめぐってまたきたな、という感じがする。生活のあいだのところどころ、友達などとの行楽にはちょうどいい距離だからだけど、葛の広い葉が陽射しに当たっているところなど、よく見た景色だがなんとなく懐かしい。


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