床屋横町

床屋横町



塀ぎわにならべた壜詰めの砂がぎしぎしと鳴る
日が落ちた
虫という虫がいっせいに目覚める
急激な生理が始まるのだ
穴から出て脱皮し分泌し発光し
地表は這い出た虫で埋まっていく
床屋の鏡の前のカミソリも刃を開きうずうずしている
細かく震動している
虫たちはうっすらと冷たい汗をかき
腐った葉を群がって食む
湿った闇が来たのだ
溜めた力を一気に出そうとする虫たちは
もぞもぞと夜気を吸う
その様子を床屋のだんだら棒の後ろから
唾を飲んでじっとのぞいている男がいる
裸になりクリームを躯に塗って
なななななな仲間に はははははは入りたいのだが……
男はせめて虫の名を黒い紙に書き記す
二つの網膜に針金虫が同時にゐの字に曲がる
そのとき床屋の鏡の前のカミソリが浮いてすーっと動き
ドアの下の隙間から抜け出て飛び上がる
カミソリは上空で深呼吸する
手袋に似た虫は翻転してふたたび手袋の形に戻り
陰茎形の尺取虫が前進する
カミソリは男に刃を向け
背後から襲う
蛍光は虫の頭や尻に灯り
躯から毒液を滲出させる虫もいる
かれはすばやく身をかわし首筋を少し切っただけでよけることができた
脂汗がのど元に滲みでる
甲虫のさなぎ 大みみず 手袋虫 陰茎形尺取虫 蛍光蛭……
黒い紙に黒い字で書いていく
文字は記された直後にかさぶたになって紙から剥がれ落ちていく
剥げても剥げても男はさらに書く
くらい真剣な面差しである
カミソリは虫たちの上空を旋回し
速度を増してふたたび襲いかかる
湿潤な夜の料理
虫たちはドクドクと動悸を打って粘る口を動かす
カミソリが男の顔の直前まで来たとき
躯全体が堅い棒状になって闇に浮かんだ
手放しかけた黒い紙はよく見ると蝶番で掌にとめられている
きわに砂を詰めた壜の並ぶ塀にはへのへのもへじや割り丸にひげのマークが
つたなくいちめんに描いてある
カミソリは男の耳をすっぱりと剃り落とした
カミソリはそのまままっすぐに電信柱にずぶりと食い込んだ
男は徐々に柔らかくなっていく
黒い紙は蝶番でカタンと男の掌に戻り
下を向いてまた虫の名を記し始めた
トサカ様の赤い虫がガラス片にこびりついている
地面に落ちた耳は細かく揺れ動きじゅくじゅく熱くなっている
たくさんのミミズが一塊になって交尾している
耳はいっときもやもや蒸気を出すと舞い上がった
路地には虫たちの発散するくさい二酸化炭素が充満している
耳は床屋のガラス戸に付着しだんだら棒に付着し電信柱に付着し
ビクターの犬に付着し割り丸にひげマークに付着し
ふーっと虫たちのほうへ飛んだ
くねくねくねくねぬめぬめぬめぬめ
耳は地面に付着して蠕動する
男は急いで黒い紙に記す
「僕の耳」
字はすぐ乾いてかさぶたになりぼろぼろ落ちる
剥げても剥げても
男は記す
「僕の耳」と


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