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旅のアルバム
 イタリア 


建築、芸術の宝庫とも言われるイタリア。その世界遺産の数々には圧倒され
てしまいます。 そこには紀元前から続くイタリアの栄枯盛衰の歴史が刻まれて
いるのです。 とても数日では見ることのできないイタリアですが、それぞれに異
なる歴史、文化をもつ町をいくつか訪ねてみました。 芸術とファッションの都ミラ
ノ、水の都ヴェネツィア、ルネッサンス都市フィレンツェ、永遠の都ローマの魅力
はいうまでもありませんが、ヴェローナ、ラヴェンナ、シエナ、アッシジなども小さい
けれど心に残る町でした。 最後の日にはバチカンでローマ法王のラテン語によ
る説教と讃美歌をお聞きすることができ、イタリアの旅を締めくくる素晴らしい想
い出となりました。                                      

見たい町の名の上をクリックして下さい。

ミラノ  6 フィレンツェ
ヴェローナ  7 シエナ
ベネチア  8 アッシジ
ラヴェンナ  9 バチカン市国
ピサ 10 ローマ
ミラノ
  ミラノ  大聖堂(ドゥオーモ)   

ミラノの中心に立つイタリア最大のゴシック建築で、14世紀に着工され、500年以上も後の19世紀初ナポレオンの時代に完成しました。外壁はピンクがかった白大理石で、135本の尖塔と2245体の彫刻で飾られています。
屋上へは、エレベーターか階段で登ることができます。教会の屋根に登ったのは生まれて初めてでしたが、大理石の尖塔や彫刻をまのあたりに見ることができました。
 ミラノ  ドゥオーモ内部

内部はとても広く、ほの暗く荘厳な雰囲気に満ちていて、壁面を飾るステンドグラスの美しさには感動! 



   ミラノ  ドゥオーモのステンドグラス
               ミラノ 
   ガッレリア ヴィットリオ エマヌエーレU


高いガラス張りの円天井が美しいアーケードで、1878年に完成。レストラン、カフェ、書店、ブティックが軒を並べています。天井付近の絵画、舗道のモザイク模様もみごとです。
ドゥオーモからスカラ広場へと通じています。
 
      ミラノ  ガッレリアの舗道     

ガッレリア(アーケード)の中央にある雄牛のモザイクの中心にかかとをおいてターンすると、良いことがありますよ。
ヴェローナ   
          ヴェローナの町

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台となった町として有名です。北イタリアの要衝として、ゲーテの「イタリア紀行」にも登場します。またモーツァルトが13歳の頃、この町にあるバッハゆかりの聖トーマス教会でオルガンを演奏し喝采を浴びたといわれています。
      ヴェローナ  ジュリエッタの家

バルコニーのあるこの家はジュリエットのモデルとなった皇帝派のカプレーティ家(キャピュレット家)の娘ジュリエッタの家といわれいます。中世のイタリア半島を2つに分けて対立した皇帝派と教皇派、これがシェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」の生まれるきっかけとなったとされています。
       ヴェローナ  シニョーリ広場

広場の左側には初期ルネッサンス様式の美しい回廊とヴェローナの名門スカラ家の館があります。右側にはラジョーネ宮殿(現市庁舎)があり、広場の中央には14世紀ヴェローナに長く滞在したダンテの像が立っています。

       ヴェローナ  アレーナ     

1世紀末に造られた古代ローマ最大規模の円形劇場(2万人以上収容)で、ほぼ完全な形で現存しています。今でも毎年夏には野外オペラや世界的に有名なミュージシャンのコンサート等が開かれています。日本では考えられないことですね。
                        
    
 
ベネチア  
           ベネチア  
サンタ・ルチア駅付近のヴァポレット乗場

ベネチアでの最も便利な移動手段にはヴァポレットとよばれる水上バスがあります。その他には、モーターボートの水上タクシー、観光用のゴンドラ、大運河の橋のないところでは渡し船(トランゲット)が使われます。
          ベネチアの町

大運河より鐘楼、ドゥカーレ宮殿が見えます。
   ベネチア  ためいき橋(Ponte dei Sospiri)

16世紀半ば、ドゥカーレ宮殿に隣接して新牢獄が作られました。宮殿で有罪判決を受けたものが牢獄に移される時に渡る橋なので、「ためいき橋」と云われています。(左・宮殿、右・牢獄) カサノヴァもここを渡りましたが、脱獄した話は有名です。
       ベネチア  ドゥカーレ宮殿

ベネチア共和国の最高権力者であった総督の居城で、国会・行政・裁判の場所としても使われました。9世紀に創建され、14〜15世紀に改築されました。ベネチアン・ゴシック様式を代表する建物で、白とピンクの大理石で作られた菱形模様が美しい宮殿です。
   ベネチアのシンボル  サン・マルコ寺院

828年にエジプトのアレキサンドリアから運んできた聖マルコの遺体を祀る為、9世紀に建てられました。
サン・マルコはキリストの福音書の著者の一人で、この町の守護聖人とされ、翼を持つライオンがベネチア共和国の紋章となりました。火災にあい、11世紀から17世紀にかけて改修され、西洋と東洋がミックスされたロマネスク・ビザンチン様式となります。
       ベネチア  サン・マルコ寺院

正面にある5つのアーチのモザイク画にはサン・マルコの遺体をエジプトから運び出す一連の伝説が描かれています。
         ベネチア  大鐘楼

サン・マルコ寺院の入口前、サン・マルコ広場にそびえる96.8mの鐘楼。9世紀に着工、16世紀に完成しましたが、1902年に崩壊し1912年に再建されました。エレベーターで上まで昇れます。
      ベネチア  ゴンドラに乗って

柳川の川下りを思い出しましたが、こちらの船頭さん(ゴンドリエ)の方が歌を歌ったり、陽気で楽しいです。狭い運河でもよくぶつからないで漕げるものだと感心しました。ゆっくりとベネチアの町を堪能しました。
       ベネチア  リアルト橋

大運河にまたがる3つの橋のうちで最大の橋。
1264年に木造で建設されましたが、1444年に群集の重みで落ち、1592年に大理石製の橋に架け替えられました。この地区には一番最初に人々が住み始めたと言われています。
ラヴェンナ (5世紀初頭、西ローマ帝国の首都)
         モザイクの町  ラヴェンナ

ラヴェンナでは、シチリアのパレルモ、トルコのイスタンブールと並んで最高のモザイク芸術を見ることが出来ます。、このモザイク芸術は西ローマ帝国の首都として栄えた黄金時代に誕生したもので、ビザンチン文化を今に残す町として知られています。
     ラヴェンナ  サン・ヴィターレ教会

6世紀前半に建てられた八角形の教会。レンガだけの素朴な外観に対し、内部はモザイクで驚くほど豪華な装飾がなされ、金色に輝いています。
     ラヴェンナ  サン・ヴィターレ教会

教会内部のモザイク画の中でも、「ユスティニアヌス帝とその廷臣たち」と「テオドーラ皇后と女官たち」はビザンチン様式の傑作と言われています。前面には旧約聖書の場面を描いたモザイクがあります。
       トスカーナ地方の田園風景

ラヴェンナからベネチアに向かって行くと絵画的な田園風景が続きます。笠松が一列にお行儀よく並んでいる景色には、思わず「カワイイ!」と叫んでしまいそう。
ピサ
           ピサの斜塔

ドゥオモ横に建つ鐘楼で、完成した1350年以降、地盤沈下の為僅かずつ傾き続け、今に至っています。高さは約55mで、現在は修復され、人数限定で歩いて上まで昇ることができます。(階段が斜めなので船酔いする方にはおすすめしません。)16世紀末、斜塔でガリレオが落下の実験をしたという話は有名です。近くで見るとかなり傾いています。(左がドゥオモ)
        ピサ  ドゥオモ(大聖堂)

1063年パレルモ沖海戦(ピサの艦隊がサラセン軍に勝利)を記念して建てられました。ロマネスク様式にイスラム様式、ビザンチン様式などをミックスした壮大な建築で、ピサ・ロマネスク様式といわれています。地中海を制覇し、遥か東方まで勢力を伸ばした、12,3世紀のピサの繁栄をそのまま物語るものと言えるでしょう。
       ピサ  ドゥオモ内部

天井から下がっているシャンデリアは、ガリレオがその揺れるのを見て、振り子の法則を発見するきっかけになったとされていますが、定かではありません。
         ピサ  洗礼堂

ロマネスク様式とゴシック様式が融合した優美な洗礼堂で、中でもドゥオモに面した方の入口(ピサーノ派の彫刻)と、堂内の八角形の説教壇(1260年ニコラ・ピサーノ作ゴシック彫刻)は一見の価値があります。
フィレンツェ
       フィレンツェ  ジョットの鐘楼

ドゥオモの横に建つこの大鐘楼は、ジョットとその弟子A.ピサーノの設計によるもので、1334年に着工し、ジョットの死後の14世紀末に完成しました。ジョットはフレスコ画だけでなく、建築にも類まれな才能を示しました。ダンテも称賛したといわれるこの優美な鐘楼は、横に建つ重量感のあるドゥオモ、洗礼堂とうまく調和しています。高さは84m、414段の階段を歩いて上ることができます。
      フィレンツェ  ドゥオモ(大聖堂)

正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母)教会という優美な名称で、名前の通り花の都フィレンツェのシンボルです。白と緑とピンクの大理石で装飾され、大輪の花のような大クーポラ(円蓋)は天才建築家ブルネレスキの傑作で、均整のとれた美しいゴシック建築です。14世紀半ばに完成しました。
      フィレンツェ  ドゥオモ天井

高さ91mのクーポラの天井には「最後の審判」(ヴァザーリ等の作)が描かれています。
       フィレンツェ  ドゥオモ内部

内部は角柱で3廊に仕切られていて、装飾は少なく、外観の華麗さとは対照的ですが、壁面にはウッチェッロらの絵画の傑作が並んでいます。
    フィレンツェ  洗礼堂 「天国の扉」

ドゥオモの前に建つ八角形の洗礼堂には南、北、東側にブロンズのレリーフ装飾の扉がありますが、中でも東側の扉(ドゥオモ側)は、後にミケランジェロが「天国の扉」と呼んで称賛した美しい扉です。(ギベルティ作)
現在見られるのはレプリカです。
ウフィツィ美術館(ウフィツィとはオフィスのことでメディチ家の役所として使われていました)ではボッティチェッリの「春」、「ヴィーナスの誕生」、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、「フローラ」(なんとこれは上野の美術館で見ました)、ジョットの「玉座の聖母子」など、イタリアルネッサンスの最高傑作が多数所蔵されていますが、残念ながら撮影禁止でした。
この後、フィレンチェ最古の橋ヴェッキオ橋(ヴェッキオとは古いという意味)を渡り、ピッティ宮殿へ。
          フィレンツェの街

お店の果物の並べ方がセンス良くて可愛いですね。
思わずシャッターをパチリ。
         フィレンツェ  ドルチェ

ドルチェとはイタリア語でお菓子の意。そういえは音楽用語でドルチェとはやさしく、甘くという意味でしたね。お菓子は心まで甘く、やさしくしてくれるものだからでしょうか。お菓子屋さんの素敵なショウウィンドウになんとポケモンを発見。(左上) 日本のアニメの進出はすごい! 左下はイタリアで有名な(特にシエナで)パンフォルテというナッツとドライフルーツの濃厚なお菓子です。
  フィレンツェ  サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅のすぐ南に建つ、14世紀半ばに完成したドメニコ派の教会。ゴシック様式を踏襲しながらもフィレンツェ独自のスタイルを確立しています。夜のライトアップも美しいですね。
  
シエナ (トスカーナ地方の中世の街)
           シエナの街

シエナは金融業や商業を中心に繁栄し、12世紀に自治都市として独立しました。皇帝派の都市シエナは教皇派の都市フィレンツェのライバルともいえます。最盛期13、4世紀にゴシック建築の聖堂や市庁舎などが建てられました。今も中世の街並を残す、落ち着いたセピア色の街です。この街の名が「シエナ色」という色の名前になったといわれています。
 
         シエナ  ドゥオモ

ロマネスク・ゴシック建築の傑作で、大変豪華な聖堂です。ドゥオモの建築と装飾にはニコラ・ピサーノ、その息子ジョヴァンニ・ピサロ、弟子のA.ディ・カンビオをはじめ、ミケランジェロ、ドナッテロ、ベルニーニなどの優れた芸術家たちが多数参加しています。特にファザード(聖堂の正面)の美しさは格別で、下部はジョヴァンニ・ピサーノの彫刻で飾られています。(現在の扉周囲の彫刻はレプリカで、実物は隣接するドゥオモ美術館に収められています。)
         シエナ  ドゥオモ内部

内部は黒と白の大理石を交互に積み重ねた縞模様の柱や壁面がとても印象的です。特に注目すべきは、旧約聖書の場面を描いた素晴らしい象嵌の床面装飾です。(床までが芸術作品でどこを歩いたらよいのかと思うほどでした。)
           シエナのお菓子

右上の包装されて立てかけてあるのがシエナ名物のお菓子「パンフォルテ」です。ナッツ、ドライフルーツ、アーモンドの粉末、砂糖をたっぷり使った濃厚な味です。(カットしたものがその左) その左に並んでいる白いクッキーがシエナのもう一つの銘菓「リッチャレッリ」です。地元のガイドさんは「リッチャレッリ」の方が軽くて美味しいとすすめてくれました。街の中にはこれらの銘菓を作っているお店がいくつかあり、甘い香りに誘われます。
     シエナ  カンポ広場とマンジャの塔

イタリア一美しいと言われる扇型の広場で、その付け根にプッブリコ宮殿(市庁舎)があります。宮殿の横に建つマンジャの塔が優美な印象を与えています。
このカンポ広場では毎年7月2日と8月16日に、地区対抗のパリオといわれる中世から続く騎馬競争が開かれ、色とりどりの旗と歓声で包まれます。シエナが中世に戻る2日間です。
アッシジ   
 アッシジ サン・フランチェスコ聖堂からの眺め

12世紀に聖フランチェスコの生まれた町として有名で、巡礼に訪れる人々は今も絶えません。町は城壁で囲まれ、敷石の細い坂道が続いています。その穏やかで静かな町のたたずまいは、訪れる人に安らぎを与えてくれます。クリスチャンでない私も、心が清められるようでした。
    アッシジ  サン・フランチェスコ聖堂

聖フランチェスコの死の2年後(1228年)、聖人をまつる為に建設が始められました。下堂がロマネスク・ゴシック様式、上堂がゴシック様式で、地下に聖人の墓があります。下堂にはシエナ派の「夕日のマリア」、上堂には「鳥への説教」や聖人のスティグマで有名なジョットの「聖フランチェスコの生涯」等の名作があります。
  アッシジ  サン・フランチェスコ聖堂の中庭

下堂から上堂に上がっていく途中に回廊のある中庭が見えます。暗い下堂とは対照的に上堂は光に満ちた明るい教会です。勿論、カメラ、ビデオ撮影は禁止、ガイドやお喋りも禁止です。神聖な気持ちでお参りしましょう。
バチカン市国
      バチカン  サン・ピエトロ寺院

ネロ帝の時代に聖ペテロが逆さ十字に架けられたという殉教の地に建てられた、世界最大の規模の荘厳なるカトリック教会の総本山です。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が324年に着工し、、16世紀に法王ユリウス2世の命により、ミケランジェロ等の手で再建されています。
   バチカン  ヴァチカン宮殿のローマ法王

日曜日正午には寺院前のサン・ピエトロ広場でローマ法王による盛大なミサがあり、皆に祝福をお与え下さいました。感動的な時間でした。(宮殿右から2番目の窓より法王が手を振っていらっしゃいます。)
  バチカン  サン・ピエトロ寺院のクーポラ

ミケランジェロのデザインによるみごとなクーポラ(丸屋根)で、バチカンのシンボルともいえるものです。上まで登ることができます。

ベルニーニ作「聖ペテロの司教座」

中央奥に見えるベルニーニ作「ブロンズの天蓋」
この下に聖ペテロの墓があります。
   バチカン  サン・ピエトロ寺院内
      キリストの死を悼む聖母像「ピエタ像」

ミケランジェロが25歳の時(1499年)の傑作で、この作品によって彼は天才として世の注目を集めることになります。マリア様の表情が優しく美しい素晴らしいピエタ像でした。6歳で母を亡くしたミケランジェロの作品と思うと、感慨深いです。
    バチカン博物館 ラファエロの間
               「アテネの学堂」


サン・ピエトロ寺院の横に隣接するバチカン博物館(宮殿)では歴代の法王が収集した、巨匠たちの最高傑作を鑑賞することができます。
こちらはラファエロの傑作「アテネの学堂」です。
バチカン博物館の最大の見所システィーナ礼拝堂ではミケランジェロの最高傑作「最後の審判」「アダムの創造」等の天井画を見ることができますが、神聖な場所ですので残念ながら撮影は禁止です。数々の巨匠たちの傑作の中でもミケランジェロの力強い絵の迫力には圧倒されます。
ローマ
        ローマ  フォロ・ロマーノ

フォロとは「フォーラム」の語源で、ここは古代ローマ時代に市民の集会、裁判、商業活動などに使われた公共広場で、ローマの発展と共に繁栄していきました。夥しい遺跡の数々を見ることができます。(入場無料)
         ローマ  コロッセオ

紀元前に建設が始まり、紀元80年頃完成しました。当時アレーナで行われていたのは剣闘士と猛獣、剣闘士同士の血なまぐさい殺し合いでした。(ラッセル・クロウの「グラディエーター」のシーンを思い出しますね。)現在は床部分がないので、地下の猛獣の檻の後などを見ることができます。キリスト教公認後、これらの見世物は下火になり、6世紀半ばには廃止されました。
        ローマ  スペイン階段

映画「ローマの休日」でオードリーがアイスクリームを食べながら降りていたシーンで有名な、スペイン広場にあるスペイン階段です。階段の真下にはベルニーニ作の「舟の噴水」があり、正面にはローマで一番の高級ショッピングストリート「コンドッティ通り」があります。この近くでインターネットカフェを見つけて、私のページに書き込みをしてみました。(日本語は使えないけれど、書き込み大成功でした。)
      ローマ  パンテオン 

パンテオンとは「よろずの神の神殿」という意味で、オリンポスの神々に捧げられました。最も完全な姿で残存するローマ時代の建物です。紀元前27年に着工し、130年ハドリアヌス帝によって完成されました。
ドーム中央には採光用の天窓があり、周囲の壁にはラファエロやエマヌエレ2世の墓があります。1900年以上の年月がたち、今もなお大切に使われています。 
       ローマ  ナヴォーナ広場

ナヴォーナ広場はドミティアヌス帝が86年に造った競技場の跡で、「四大河の噴水」など3つの噴水があり、地元の人々にも人気のローマを代表する広場です。

     

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