新井将敬の本「エロチックな政治」
第2章 死にたがる男たち
「男がすべてをやり直すのは、戦争か恋愛(エロス)によってでしかない。」というポール・ニザンの言葉を前章で紹介した。戦争は嫌、だけど恋愛ならまかせてくれ、という人が多いだろうが、結局どちらも、男に同じことを要求するのだ。
それは、「自己犠牲」ということである。そして自己犠牲の究極に「死」があることを考えれば、戦争と恋愛という一見唐突なものが、実は男にとって「死」で結ばれていることがわかるのである。
猪口邦子上智大学教授は、「戦争と平和」という労作で吉野作造賞を受けた、大変美しい方だが、以前、私と話している時に、やはり東京大学教授の夫である猪口孝さんのことに触れて、「どうして男は死にたがるのでしょうね」とポツリといわれたことがある。
ぼくが、恋愛を知ったのは、東大紛争も終わり、就職先も決まって、学生時代に何か大きな落とし物をしてきたような気分におちいっていた秋だった。妻は当時十八歳のJALのスチュワーデスでたまたま学園祭に来たところ(運悪く)ぼくに出会ったわけである。その日から、彼女の眼はぼくの眼となり、彼女の口はぼくの口となった。恋愛を説明する程、難しいことはない。それは、「出会えばわかる」のである。
春になって彼女と離れて、私は広畑(兵庫県)の製鉄所に勤めることになった。百メートル以上もある、溶鉱炉の前で、出銑という何千度にも熱く溶けた鉄を放出させる作業だった。鉄は冷やすと固まってしまうので、出銑は朝番、昼番、徹夜番と繰り返しつつ行わねばならなかった。深夜の溶鉱炉は、ところどころでレンガ壁と鉄の覆いを突き破って青い一酸化炭素の炎を吹き出し、ぼくは酸素ボンベを背負って炉の螺旋階段をぐるぐると登りつつ点検するといった仕事も行っていた。百メートルを越す頂上に登ると溶鉱炉はユラユラとゆれて前に姫路の繁華街の灯、振りむけば、瀬戸内海の暗いヤミが広がっていた。
自分の人生を、どちらの側が象徴し暗示しているのか、ぼくは時々孤独な賭を行った。眼を閉じて、ユラユラとゆれる狭い頂上で十数歩ゆっくりと回転し、目を開いた方向が自分の未来だった。
そういう日々が果てしなくすぎていうように見えた。ぼくは、彼女に「君のもとにもどる」と、短い手紙を書いた。そして自分の小指を切った血潮で署名した。
彼女からは「待ちます、いつまでも」と返事が来て、和紙の混じった便箋の最後に、赤茶けた血の署名があった。私は東大紛争と経済学部への転部のためにすでに二年間を浪費しており、三年の遅れとなると、国家公務員にチャレンジする以外に就職のあてはなかった。その日から、ぼくは再び、勉強を開始し、結局、翌年大蔵省に入ることになった。
一体、彼女と出会うまで、ぼくは何を探し求めていたのだろうか。それは、自分がそのために死ねる一人の女(ひと)であった。「私は何者か」という問いかけは、そのために死ねるものが見つからなければ永遠に答えは出なかったのである。ソクラテスは哲学とは死の準備といい、モンテーニュは「エセー」の中で、哲学することは死すべき理由を知ること、という一章をもうけている。
生の意味を問うことは、死の意味を問うことであったことを、私は恋愛によって知ったのである。 恋愛は精神的であると同時に肉体的なものである。セックスは単なる生物的衝動ではなくて、観念的で形而学的な行為であることは「頭でやる」として、みんなが理解していることである。
このことを、ジョルジュ・バタイユは、『エロティシズム』の中で「エロティシズムとは、死に至る生の称揚だ」と定義している。何故ならば「死」は私たちを脅かす究極の「観念」であるからだ。「私たちが生きている時は、死んではいない。死んだ時は生きていない。だから、死を恐れるな」と説いた哲学者であったが、「死」はかならず私たちすべてに訪れると了解されている唯一の「観念」である。それは現実的に体験できない以上、他の「観念」によって昇華されねば、生の称揚はありえないことになる。
それが、恋愛の役割なのである。
恋愛は生の称揚、支配、暴力、そして死、というサイクルを描くではないか。
そう考えれば、恋愛が政治(クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長であるといっている)のサイクルと全く類似していることに気づくだろう。恋愛は密室における政治であり、政治は公の場における恋愛である。
密室で恋愛によって 昇華できない「死」の観念が大きく飛びはばたいて、政治を覆い、自己の死と世界の死を一体化する究極の恋愛に向かってつきすすむことは、私たちがヒトラーによって見せつけられた、あまりにも悲劇的で壮大な政治的恋愛であったのだ。
第2章の打ち込みが遅れてすみませんでした。何しろ、政治も(^-^)忙しいもんで・・・2、3リンク張らせていただきました。有り難うございました。わが家の愛犬ネロ(ラブラドールレトリバー)を公開します。実はもう一匹ベラというミニチュアダックスフントがおります。なかなかランキング200位にはいらないですねえ。あたりまえか!どなたかカウンターをつけていただけないかなあ。
まだお読みでない方はどうぞ
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