● LDP・スクラッチ
♪ 羊通信


●『ブレードランナー』ではデッカード自身がレプリカントではないか? ということを示唆してその後の展開への話題と期待を作りあげている。97年3月発売の『メイキング・オブ・ブレードランナー』(ソニーマガジンズ・3800円)ではその詳細な検証が行なわれている。フィルムは世界に6ヴァージョンもあるものの『最終版』がDVDで登場した。

●しかしテキスト作品である『ブレードランナー2』では、デッカードがレプリカントであるかどうかといった問題ではなく、それぞれのレプリカントとその原形である人間、オリジナルとコピーといった峻別し難い2項の関係をアイデンティティの問題として捉えている。ロイ・バティの原形である人間バティの登場や、さらには『ブレードランナー』で査問中にレプリカントに銃撃され犠牲となったブレードランナーのホールデン(この詳細は撮影されたがカットされていた)の人口心臓を取り付けての復活だ。人工臓器によるホールデンの復活は微妙な事件である。“自然”としては死亡したホールデンを人工臓器によって復活させたのは、人間よりもレプリカントへの近似値であると考えることが可能だ。人間にとっても、レプリカントにとっても、人工臓器による生命にとっても、アイデンティティとは何なのか? 生きる、とはどういうことなのか?

●デッカードが愛したレプリカントのレイチェルと、レイチェルに成りすますことで誰かに愛されたいと願望したサラ。この手の込んだ恋愛劇でもある物語と、ジョージ・オウエルの『1984年』以来目立つ設定…主題たる事件や出来事の背景にちらつく、しかし明らかにはされない大きな謎、たとえば『Xファイル』でも同じだが、“政府”や“国家”といった共同性の権力装置の不気味な存在。

●そろそろ、この“共同性の権力装置の不気味な存在”をダイレクトにターゲットにした作品が登場してもいいのではないか、とも思う。人間史としての物語ではエヴァンゲリオンでもナウシカでもこの共同性の存在を示唆してはいるのだが。



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