羊通信 2002.7.2〜12.31

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羊通信ドーナツ版

TYO & SKYDOMO羊通信羊通信パラパラ版ネタちょー(ネタ募集中)


■チャーハン・ギョウザ・・・   2002/12/31


チャーハン・ギョウザである。
大晦日の夕飯時に家に居られないオヤジどもや東京に出てきてしまったアンちゃんがケッコウお店にいるのである。
見よ、この資本主義の現況を活写したかのよーなシーンを。つーか現実だなあ、と。
件の吉野屋をその資本主義のエートスとともに切り取った某有名コピペそのままのよーな世界がここにもあるワケ。

これで夏までに消費税上げ決定なんだから終わりは近いつーコトですね。
その前に何も生産しないで、しかも産業の根幹である中小企業と消費者をクイモノにしてる銀行さんなんかに
終わってもらいますけど。銀行業参入は自由化されるからね。
つぶせ自己チュウー銀行、活かせマーケットな金融業っと。



■ガーネット・クロウを買った・・・   2002/12/28


『スパークル』を購入。
ファーストも買うんだあ。



■「クリスマスの約束」かあ・・・   2002/12/25


つーことで小田和正さんの名曲ライブを拝見。
オフコース時代から繊細さが変わりませんね。
コンサートが終わった後で、失敗だあ、とか、年取ったあ、とか、外部からはわかんないだろー、とか。
グチがスゴイ。オヤジの達者なヘコみ方が笑えたけど、たぶん本人は本気で落ち込んでるでしょー。

とにかく、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』から『さよなら』を創れる才能は大したもんで。
ま、そーゆー分析をしてみせるキーボードマガジンもスゴイけどね。あれには批評や分析のコワさや魅力を
感じさせられました。

で、小田さんの繊細さは歌詞にも楽曲にもいっぱいです。
はじめて聴いた曲は『Yes−No』でしたん。
まーね『さよなら』もそーなんだけど。
まっ先に感じたのは、すげーツライ青春してんじゃんコイツー、とゆー親近感?だったりします。
それもツラ〜イ経験を何度もしてんなあ、この経験値はハンパじゃネーゼエエエってな。
てな風で、あの歌詞を書かせる感性つーか体験つーかなんつーか....ね。
それから楽曲と演奏なんですが、アドリブが無いとこがプロデュースの完成度を示してますね。
イーグルスもホテル〜ではアドリブをやってないし、あのビートルズだってそーです。
アドリブも可能なソロパートで計算されたメロディアスなフレーズをかましていくのは
それだけで作曲そのものやアレンジそのものと同等の能力が必要だしい。
オーディエンスをとことん意識してないとデキナイ作業なワケで、
自分本位な人には絶対に無理なんですね、こーゆーことは。
そこがアートとの違い。
資本主義の商品を生み出す能力は、総合的で、人間的で、世界的なもんです。
少なくともソコを目指したものでないとダメなんだから。

つーことで、偶然観たけどよかったなっと。

そーいえば学生の頃、オフコースはキリスト教を信じてる子たちに人気とゆー話しを聞いて、
納得したりしましたん。なんつーか、それがオフコースの雰囲気を伝えるエピソードにはなる気がしますう。
ボクには関係ないでしゅけど。



■HITOEかあ・・・   2002/12/22


新曲『I Got You』だっけ。

ウ〜ン、チャートの20位に登場とかあ?

HITOEちゃんです、ヒトエちゅあん。

「HITOEのガキ声を活かせるプロデュース」つーのはされてないみたいな気が。
1度だけ、ちょっと聴いただけなんで、わかんないけどさあ。
この路線でねえ、いいんだけどお、声か、ダンスか、どっかに突破口がないとなあ。

ブクブク、ぶつぶつ、ブツブツ、オダブツとかなんとか....カニの泡状態な羊でしたん。



■明日から増えるです・・・   2002/12/22


明日からしばらくの間、毎日1分くらいづつ陽射しが増えるです。
やっほー

感覚が鋭い人なら2、3日で気がつくです。
人間だって自然だからン。

(ま、自然を野蛮だとか野卑だとか否定するのはエセな宗教者やキチなモダニストぐらいでしょ。)



■誰でもライターに....耐える 2・・・   2002/12/21


■誰でもライターに....バレる 3
■誰でもライターに....耐える 2
■誰でもライターに....成れる 1



●本の売り上げは自販機以下

 本の売り上げがタバコの自販機以下になりさらに減少しつつある現在、その原因にはメディアの多様化とともに編集能力
の低下が考えられる。出版に関して企画から実務作業までシロウトとプロの差が無いのを認めてしまっている出版社もある
ほどだが。

 そして無能な編集だからこそライターの表現がそのまま表出してしまい、誰にも読まれない状況が生まれつつある。ライ
ターの未熟さがそのまま露呈してしまっているのだ。結局、無能な編集者によってただの多弁者がライターと誤認されてメ
ディアに載っているというコトだろう。別の言い方をすればプロの表現者という存在の消失かもしれない。


●プロの厳しさとメリット

 ライターがプロの表現者であるという時点では、そのプロ振りを編集者が厳しくチェックすることになる。ビートルズの
面々にプロデューサーがアドリブを禁じ、ソロパートのフレーズまで決めていたように、編集者は文章の内容はもちろん文
体からテニオハまで決めてしまう。それがプロの仕事だからだ。そこには2つの効果がある。1つは著作の価値を一定以上
に維持できることで、これは売れ行きにも関係してくる。2つめはライターの能力の向上だ。

 ビートルズが全く自由気ままに演奏していたならば、多くのオーディエンスに受ける大ヒットは無かっただろう。表現者
の自分本位な表現など受容する人間は多くない。コミュニケーションのニュアンスを考慮すればなおさら。コミュニケー
ションには相手があり、相手のことを配慮していない表現が受容されることは無い。

 ライターは「第一の真剣な読者」である編集者から激しいチェックを受ける。カンタンにいえば編集からの規制と抑圧だ。
このストレスがライターの表現力を飛躍的に向上させる。ガチガチに規制され自由に書けない中で、自分の文体を壊し、激
しく自己抑制して、全く違う表現や変幻自在な表現力を身につけてしまうシロウトが3ヶ月でプロのライターになれるの
は、この規制と抑圧の過程においてのことだ。ここでは技巧的な進歩だけではなく精神的にも肉体的にもストレスへの強靭
な抵抗力がつく。これが中堅どころとしてのライターの必須条件でもある。編集からの規制と抑制がライターの能力を大き
く向上させるのだ。
 プロだから当然だが、編集者が厳しい注文をつけるのは最初だけであることも多い。それ以後はライターは自省しながら
オーダーに対応していかなければならない。手とり足とり指導していくヒマはプロの世界にはない。そもそも自省はおろか
自己抑制できないレベルの人間は何事にもプロではなく、ライターとしても可能性もない。育てるより新たなライターを探
す方がカンタンでもあるのも事実だろう。


●いずれにせよ読者がジャッジする

 現在はプロとして厳しい通過儀礼を経験しなくてもライターになれるし表現することが可能だ。それどころか実績が無く
ともライターだと自称するのは自由だし、気軽に作品?とやらを公表もできる。これがインターネットの大きなメリットだ
ろう。読者を理解していないアタマのカタイ編集者や出版社がだしたつまらない本より、デジタルテクノロジーが可能にし
たシロウトの新鮮で身近な内容の表現物の方がウケるのは当然だ。

 だが読者のスタンスが大きく変化したわけではないし、享受者が表現をジャッジすることには変わりがない。それどころ
か誰でもが表現できるからこそ溢れかえってしまっている表現物のオーバーフローの中で、表現物はよりいっそう厳しく
ジャッジされている。巨大な掲示版でDQNな表現が誰にも相手をされないように、多くの表現もただ露出しているだけに
過ぎないという事実がある。

 カンタンに言えば自己チューな表現など誰も読まないということだ。最も人間味の溢れるものだと自負しているかもしれ
ない文芸関係のサイトのヒットの低さがそれを物語っている。トレンドとして考えれば、マトモな表現ほど普遍化するハズ
であり、マテリアルには逆も真であるからだ。少なくとも相対的には普遍化する表現の方がマトモなのだ。

 誰もがライターになれるからこそ、誰もその程度の表現は読みもしないという状況があるワケだ。プロの特権的な地位は
テクノロジーによって崩されつつあるが、プロがプロであることの過程は誰にもフォローできていないものとして希少価値
を獲得しつつあるのも確かなのだ。



■形式論理を見破るVKテスト....1・・・   2002/12/20
■(形式論理を見破るVKテスト....2)

★VKテストだよん

相手の感情を刺激して、その反応を観ることで相手の属性をチェックするVK
テストとゆーのがあります。たとえば、ココのWEBの仕掛けがそーなんです
が。ワラワラ

ホンモノのVKテストでは相手の属性を見破るのに20〜30問の質問事項が
ありますが、ココでは一発です。ま、今までの実績つーか結果としてそーなん
だから、そーなんでしょー。カンタン

これは一般的に使うのもカンタンなんで、みんなバンバン使ってみましょー。
ただし日常的にコレを使って最期に死刑になってしまった人もいます。世界史
で教わるほど有名な人ですが、ま、VKテストには覚悟も必要かもしれないね、
とゆーことですね。

一般的に日常的に使えるのも確かだし、相手をチェックするのにこんなに有効
なテストはありませんから、とにかくオススメしますが。あくまで自己責任で
ねとゆーことで。けけけ


★キレるところがポイント

フツーたいていの人は何かでキレます。誰だってキレることがあります。ま、
だからこそ人間なんで。で、だからこそ人間をチェックするのもカンタンなん
ですね。ドコでキレるかがポイントなんで、そこをチェックするわけです。こ
れで死刑になった人がいるのは歴史的な事実ですが、キレちゃった相手に殺さ
れちゃったとゆーVKテストの専門調査官のホールディングさんなんかもカワ
イソーですよね。ガハハハ


★形式論理を見破る

VKテストのよーなテストの対象となる基本的なものは80年代後半から90年代
前半までニフティサーブなどでも使われていました。これはサビシイおたくの
相手をしてくれる人工無能とゆーヤツなんですが、これをカラカッて遊んだ人
もいるでしょー。カラカッたつもりで自分がキレちゃった人なんかもいて一部
でウケてましたね。人工無能くんは入力データをある文法にもとづいて応答す
るだけの形式論理のシステム。この鏡像界認識どころか形式論理にモロに反映
された自己の言辞によりキレるワケで、コマッタちゃんにワラッタちゃんなワ
ケです。きゃはは

またインテリジェンスが立派な商品として認知され、バブルで盛り上がった時
代の最先端の場所だったベイエリアのイベントで都はるみさんなんかも登場し
ちゃった『吉本隆明25時』とかでもこの人工無能くんたちは大きなテーマに
なってましたね。

当然形式論理の対話しかできない人工無能くんですが、これを見破ることがで
きるどうか? 見破ることができない人もいるワケで、そーゆー人は機械以下
かもねなんて思ったりして、機械以下の人間がたくさんいたら大変だなあとか
考えて心配しちゃったりしました。まあ今考えると何が心配なんだか、てな感
じもしますが。



■階級とゆーオブジェクト・・・   2002/12/17


誤配の応答可能性を楽しみつつ....
つーことで時々どきどきするよーなメールをもらいますが、
その一部を勝手に紹介なんでHNも無しよ、っと。
たぶんネットで若人なインテリさんかな、っと。
なかなかスルドイ指摘と示唆にとんだ全文の中からホンの一部をご披露な感じ、でね。
「どうでもいいですけど」とゆー結語がステキなんですねコレが。



   ともかく,東は,遅れてきた「ニューアカ」であって,
   「団塊ジュニア」から大いに嫌われていると断言できます。
   どうでもいいですけど。  
 
   ただ,現在は,
   「世代」より「階級」が「文化」を規定している時代だとおもいますので,
   まあ別にどうでもいいとは思いますが。  
   おもしろかったです。

   中沢新一はダメだと思いますけど---。



東さんが団塊ジュニアから大いに嫌われているとのことで、
これはもー東さんがそれだけ価値があるとゆー証明ですね。
仲間内や同世代でつるんでるよーなヤツは必要ないからです。
嫌われる東さんや大塚さんてサイコー、でしょ。

「世代」より「階級」が「文化」を規定しているってスゴイ指摘ですねん。
マルクスそのまんまなんでなんとなく感激ってゆーか。
マルクス読まなくなって、環界への分析がマットウだとこーゆー認識になるワケです。
マテリアルな認識って、いいよね、っと。
しかしなあ世代で文化を語ってるヤツってホントにつまらないんだよね。
宮台さんだってオヤジ批判をやるときに自分がオヤジになることを想定つーか
覚悟しつつやってるワケだから。つまり冗長性を持たせつつも自己言及してるワケでさ。
ナニゴトも自己言及がポイントなの。

中沢さんがダメでもいいんだよ。もちろん宮台さんみたいに中沢さんのスルドサに気がついてる人もいるけど。
そもそも偽書であることの効果を研究してるワケでさ。ニューアカ風にいうとテキストとして読むっつーことで。
もちろんもっとカンタンにいうと、
詩人は石とも話すっつーこと。
ただの石ころからでさえ何かを読みとる感性こそが大切なんだもん。
それがマテリアルへの、つまり物自体へのアプローチつーことですよ。
マッハはダテじゃないんだよーん。
ま、ダメなヤツからさえ何かを読みとれるってカッコイイよね。
そーゆーこと。
最近松浦亜弥より藤本美貴の方が気になったりするの。
カンケーないか。



   もちろんプログラムはオブジェクトの論理そのものであり、無機的自然そのもののコトだ。
   リアルとは、それを、それそのものにおいて感得するコトにほかならない。



ウーム、この言葉にレスポンスしたアンタは、もー、なんつーか、だよ。
じゃーねえ。



■アドリブ・ルート抜き・・・   2002/12/15


アドリブを永遠に続ける方法があります。
それはルートを回避し続けること。

オワリ



だからルートが見つからないと終わりません。
つまり、どこまでも続く自分探しウザイ



練習をすると、練習の範囲内でしか表出できません。
んで、日野皓正さんは練習しないの。
すると、意外なところから自分がみつかるんだね。
自分にとっても新鮮な自己表現流体感覚



表出しようとする時に、キビシク抑制します。
わずかな表出に込められた表現。
正直でタイトな自己表現はオーディエンスを魅了します。
口数も音数も少ないヤツ、マイルス。

グレート



■マキハラ「春よ、来い」か・・・   2002/12/12


朝っぱらから東京ローカルのMXTVで「春よ、来い」である。
朝には似合ってるわな...。
ああ、日本ね、日本。日本的つーか。
この曲の批評をみてみたいもんだ...と思っていたら
男の声なのである。マキハラかよ、マキハラ。なんかこの曲が声がいちばんいいな
とか思いながらアサダを想像する。
アサダが「春よ、来い」の批評でもしねーかな、と。



  都市をターゲットにして展開されてきたオシャレが
  バブル崩壊と前後しながら浮き足立ったユーミンは
  『春よ、来い』でアクロバットみたいに見事に着地しました。
  着物や染物に囲まれたセイシュンを過ごしたユーミンには
  当然かもしれないけどね。
               (宇多田ヒカルは小室のファン?・・・   99/8/24)より



印象批評ならチカダが、見事な解析ならタケダが、音楽理論ならアノ人が...
と思いながらニューアカ系に見事な音楽批評が無いコトに気がつく。
つーかサブカル論議の音楽論が貧弱なのが気になるつーかどーでもいいけど。
ああ、コヌマのはいいけどね。スルドイし。もっと認識論的切断すりゃ面白いのに、と。

輸入学問屋もアドルノが優れているとか思ってるレベルじゃチカダの足元にもおよぶわけがないしい。
アドルノはな、アメリカへのコンプレックスを勘案しないと評価はできないんだよ。
いちばん自由なジャズをいちばん嫌ったアドルノの視点は、キチに近いほど歪んでるの。
つーかちょっとキチかも。器が小さいからね。ボードリヤールがゆーよーに、ビビッタ
ヤツが知識で武装するとゆータイプかも。
ビビリのために知識を得て自己防衛するヤツって、キチっぽいのが多いからさ。
アサダが遊べといったのは正当に正しいんだけどな。
だからこそビビッタコトには沈黙してるアサダってちょっと可愛いか。
アズマの沈黙やシカトもけっこういいもんね。
最近そー思うんだもん。
沈黙は最大の表出でもあるしさ。
ベラベラしてるのはウザイもん。



■ひきこもりとかあ−2・・・   2002/12/5


そーいえばまたまたみかけた斉藤環さんのひきこもり関係の番組での発言がOKな感じ。


   否定性も含めてひきこもり者への全面肯定が大切...


てな発言でした。
ひきこもり者が持っている社会を拒否したり自分の可能性を否定したりする意識も含めて全面肯定してあげよう、
てなことでしょね。
自己認識として病気ではないし、その観念の動き=心的現象に異常性が全く無いひきこもりですが、
シリアスな自己認識のために行動が抑制され、自己の領域以外へのアクセスとアクションにストップがかかっている
ワケです。ここが適応過剰のお調子者やみてみて症候群のイカレちゃんたちとの違いですね。もちろんデンパや宗教者とはぜんぜん違うし。

ひきこもりを治療とゆーか更生とゆーか、羊的には単にその領域を広げさせるだけに過ぎないんですが、
そーするために何が必要かと、小一時間ほど考えるほども無く0.数秒で応答したくなっちゃうこの頃ですが、と。

それは第3者の関与ですよね、と。指摘したとおりに第三項排除の力を起動させるためのキッカケですよね、と。
そーなんです、第3者はひっきーを起動させるためにプラグインする外部そのものなんですね。
もちろんひっきーはそのプラグを自分で引っこ抜きます。まる。

で、引っこ抜かれる役割をアプリオに設定されている存在こそ父性なんだが。
まーオトーさんごくろーさんと。

エヴァと黙示録とラカンと、なんでもいいけどノンジャンル無期限タイトルマッチを遊べないインテリジェンスは
アーケードゲームよりダサいのはいうまでもなくだ。
もちろん宗教や瘉しなんて、それ以下だからさあ。



■誰でもライターに....成れる 1・・・   2002/12/1


■誰でもライターに....バレる 3
■誰でもライターに....耐える 2
■誰でもライターに....成れる 1



●誰でもライターになれる

 雑誌づくりで毎号60人くらいのスタッフを動かしていたときの実感では、ライターには誰でもなれるというのが結論。
もっと具体的にいうとシロウトが3ヶ月でライターになるし、6ヶ月で中堅どころのプロになれる。これが職業ライターの
世界だし実態。ライターに必要なのは低収入とストレスに耐えられる丈夫さであって能力でもなんでもない。この点から
考えるとライターに若い世代が多い理由が分かるもの。

 大きくわけてライターには2種類ある。雑誌やメディアを支えるライター=記者と文芸などの表現者としてのライター。
さらにバブル時代には高度資本主義のシンボル的存在としてコピーライターがクローズアップされたし、作家でありながら
コピーライターに注目された村上春樹のような人も登場した。
 文章のスタイルや文体から考えるとライターを新聞タイプと雑誌タイプに分けることもできる。事実を伝えることを目的
にし、表記した文体によるイメージを与えないようにするのが前者。後者はメディアによって千差万別で、事実が無視され
ている場合もあるのは常識となってしまっている。


●出身はサマザマ

 現場の実感では畑違いの出身者の方が面白いライターが目立つ。
 編集者志望だがライターをやらされたという経験をはじめ、デザインの専門学校出身でデザイナーのアシスタントとして
プロダクションに就職し、そこがライター不足だったためにライターになった人間など異業種や異色の経歴の持ち主も多い。
知り合いの範囲内でもコンピュータ・プログラマーやゲームデザイナーで有名なプロのライター以上の資質の人が数名いる。
逆に最初から一定以上の文章力があるライターで面白い人が少ないのも事実だ。イラストレーターやカメラマンがライター
以上のいいテキストを書くことも多い。


●編集とライター

 プロダクションでは人材不足から編集者とライターの2役をこなす編集ライターも少なくない。業界紙関係などの多くが
そうだ。このように仕事上は近い存在にみえる編集とライターのようだが、実は全く違う。
 ライターが生産するのは具体的な文と内容であり、マテリアルな商品として確認できるものだ。編集者が生産するものは
複数の表現を組み合わせた関係そのものであり、マテリアルに確認することはムズカシイし、読者ごとに全く違う評価をさ
れる可能性が高い。編集者が生産しているのは享受者の認知の対象そのものとなる観念性であってマテリアルそのものでは
ないのだ。その意味で編集者の仕事はディレクションそのものであり、個々の表現そのものではない。もちろんこのことは
達者なプロにとっては常識だ。


●最初のただ一人のマジな読者

 編集者にはもう一つ重要なスタンスがある。現実的にそして究極的にもこちらのスタンスこそ重大な意味を持っているだ
ろう。それは編集者こそ第一の、しかも真剣な読者だということ。記者だろうが作家だろうがその原稿がメディアに載ると
きに、その責任を第一に問われるのは編集者だ。単行本であっても売れるかどうかをはじめその全責任が最初にかかってく
るのは編集者だ。当然のコトだが編集者は職務上の全責任を負っている。ましてや書き放しのライターや自己表現のことし
か考えていない表現者とも違う。
 好きか嫌いか気に入るかどうかだけで判断できるお気軽な読者と自分の表現したいことだけを書こうとするライターの間
に立って、全く異なる両者のコードに共通性を持ち込もうとするのが編集者なのだ。
 DTP化でこの編集者の存在が必須ではなくなり、インターネットでは出版社さえ必要ではなくなった。とても便利でい
いことだが編集者の役割を担う存在は何か?という疑問は追究されるべきだ。少なくとも編集者に代わって「第一の真剣な
読者」という役割を担うとすればそれは批評家ではないか?と。



■『海馬』ちゃんの示すもの・・・   2002/11/26


象徴界認識つーか指示決定による認識能力が劣る場合どーするっかってゆーと、
想像界認識つーか、想像力つまり構成同一性を駆使してクリアしていくんだね。

話題の本『海馬』。この本の話し手の人は「九九」ができませーん。
あの日本の義務教育が世界に誇る必殺の暗算ツールである「九九」ができないんですね。
「9×9=81」とゆー便利なアレができないワケです。
でもこの人って東大だしい、大脳の研究者として注目の人だしい、と。

正確には「九九」の暗算が暗記できなかったとゆーことで。
つまりい、誰もが九九を暗記してることによって簡単にクリアできる計算ができないワケです。

彼の脳には指示表出としての九九がありません。考えなくても照合すれば済んじゃう
とゆー計算のマジックである九九ができないワケです。
計算の象徴的認識である九九がアタマに無いワケ。
でも、計算はできるワケ。
つまり計算の象徴的手段が無くても計算ができるとは?
ここがすんごいポイントだね。
指示表出がないのに認識はできるとゆーのは、
想像力を駆使して認識してるとゆーことです。

象徴界認識が機能してなくてもOKつーことです。
アタマがいいコトっつーのはこーゆーことなんだけど。
サブカルやオタクは視覚認識で象徴界の代替してるとゆー指摘が
ホントに示してるものは、ソートーヒサンな状態かもね。
問題なのは想像力の欠落や統合認識が出来ない分だけ
指示決定や象徴界認識に偏ってるケース。
脳の機序でいえば前頭葉が作動しない認識。
この手のモノホンバカが増えてるんだもんなあ、と。

ちなみにこの本の著者は九九を暗記できなかったけど、
九九の法則を見つけて計算をコナシタとゆーのが、
なんかもー、サイコーです。最高、ぐーっど。

つまりリンゴや鳥の糞や寿命がきた人工衛星など落下物を
それぞれ記録として記憶するか、それともそこに引力の法則を
見い出せるかの違いなんですね。
ちなみに著者は九九が3パターンであることを発見したそーです。

まあ、いちいち有名人の本でも読んで、その用語を覚えることを
知的だと思ってる人と、ちょっとした日頃のデキゴトから抽象して
法則性を見い出す人との違いですね。

構成同一性を見い出せるかどーか、つーこと。
これがほんとの想像力だね。



■ひきこもりとかあ・・・   2002/11/23


19日NHKに斉藤環さんが出ているのを発見。
テーマはひきこもりで、7年間ひきこもっていた兄を弟が撮影したアレである。
で、それほど注目すべき点はなかったけど、人間関係の原則を指摘した斉藤環さんは、
まあさすがとゆーか、でした。

弟さんは兄を配慮しながらアプローチしたという当り前の指摘がステキ、つーかね。
23日にも「ひきこもりには第3者の関与が必要」と指摘してたなあ。
....さすが、です。

この第3者の関与は、あの「第三項」の意味があるよ、たぶん。
ルネ・ジラールだの今村某だの想像する必要はあーりましぇんが。わはは



■テロテクとか・・・   2002/11/19


超音速で接近してくるモノがあると、
それを探知して防護壁が立ち上がるとゆー装置をTVで紹介してました。

まあGPSを駆使して911テロをヤッちまったヤツがいたり、
ライフルで狙撃されても銃弾より速く立ち上がる防護壁があったりと、
どれもこれもテクノロジーとマテリアルがスベテってゆーことですね。

矛盾の故事のごとくモロに矛盾ですが、
だからこそモロにリアルだーね、マテリアルな現実って。



■生きてるとか・・・   2002/11/13


あの音響研究所の分析によれば、
あのビンラデインの声はホンモノだと、ホンモノつーことは、生きてるっつーこと、でしょ。
グロズヌイの包囲網を地雷で片足を失いながらも突破したバサエフも生きてるらしいし。

なんか、スゲーんですけど、なんか当然な感じもします。
単一の正義なんかありえないし、正義が単一だとゆーことそのものがオカシイからね。
マテリアルとテクノロジーはどこまでもカウンターインテリジェンスとして機能するんだもん、もん。



■白い山?・・・   2002/11/12


闇を切り裂けえ〜〜〜〜〜〜と、ご機嫌に、
しかし淡々と奥田民男を口づさみながら歩いてるんだね、渋谷を後にして。



空港のロビーには同級生がたくさん集まっていて、混雑。
もちろん同級生だけじゃないけど、他人も同級生もたいして変わらないところがミソ。
まあ、顔を見て同級生じゃんと思い出すかどうかその程度の差なんですね、と。
ロビーの照明は高いところにあるせいか、ちょっと暗めです。
この暗さって丸ノ内の駅とか地下道につうじるものがあるよなあ、などと
いつものことを思いながら、プラプラと行きます。どこへ?だったかなあ....。


渋谷で白い山を見っけ!
とりあえずあそこへ行ってみようと、ポケットに手をつっこんで歩きます。
「渋谷に白い山?」
なんか謎めいたセリフだなと自分で思いながら、
ブレードランナーがソバを食べるとゆーより、
アキバでオタクが台湾ラーメン食ってるみたいな街で、
設置しなくても使える盗聴器を外国のエージェントに2台売ったオヤジの話を
思い出しながら、秋葉原って情報部員が多いよね、などと思いつつ、思い出したのは
中国関係の情報筋との会話を盗聴されたときのコトだったりします、ハイ。


で、南禅寺だかローマの水道だか風のアーチ型のレンガの構造物をくぐって抜ける
路地の先はどうも結界らしい。何の結界だかわからないけどこーゆー内宇宙に鎮座して
るやつって弱っちいんだよなあ、とか思いながら歩くと....。
ありました、白い山が。なんだか陽射しが黄昏ちゃってるなかで白い山はゴールドにも
見えたりして、夕焼けまで遊び回った原っぱや川原を思い出しつつ歩んで山の前へ。
鏡餅をたくさん積み重ねたみたいな白い山は、よく見るとリネン室の雰囲気で、とても
日本じゃない光景な気がする。しかも山になってるモノは本当のリネンだった。
なんだこりゃと思ってると、誰かがリネンをひとつ積み上げてて、その人の宗教関係者
みたいな趣で納得。
この山のように積み上げられた白いリネンは人間がまとってたものなんだ。まとってた人間が亡くなると、
そのリネンの衣を四角くたたんでここに積み上げてるわけだ。
つまり死者の標しなんだけど、それに宗教的な意味合いでも与えてワザワザこうやって
結界の中で山と積み上げてるらしい。そんな風に意味を与えることそのものがまるで敗北の徴じゃん、
とか思いながらそのまま外へ向かって歩いた。

夕焼けみたいな赤みを帯びた光景から抜けると目の前はちょっと暗い水銀灯の
ストリート。ああ、アキバだったけかココ? まいいや、と闇を切り裂き〜と口ずさみ
つつ歩いていくボクの日常はまったくデイリーな感じで、ジ、エンド。



この夢を見たのは5月だったかな。
新聞のスクラップを止めてから時々夢を見るようになったんで、
なんとなく楽しみな休みタイム。
えー先週は後藤理紗ちゃんをナンパする夢だったです、ハイ。



■『AKIRA』だあ・・・   2002/11/10


つーことでCATVで偶然観たのが『AKIRA』。
やっぱシュゴイなあ、あきらあ。
画像をめぐるドットな話しはともかく、
あの時点でこの作品とゆーことを差し引いても、スゴイ。
サウンドはリメイクなんだかかんだか知らんけど、
あの芸能山城組の音へのこだわりは当時からよかったし。
既知ではあったけど、人間が自然音を可聴周波数を超えて聴いているという
新聞記事で読んだ芸能山城組の指摘は新鮮だった記憶があるもんね。

アニメでもムービーでもいいけど、
本気で『AKIRA』をリメイクする人とか現れないかな。

ところで一方、発作的に思い出しちゃうのが、この美しさはハリウッドでは創れないとか
宣伝コピーされてた『Avalon』。
内容的に面白かったのはコンピュータのインターフェイスにマウスやアイコンが全く無いコト。
次々とテキストがフロート&フォーカスして、主人公はそれを読みながら
キャラクター入力していくカッコヨサと、そもそもハンドドライビングしてる
手応えこそがインターフェイスの本質的な価値だからね。
マウスでクリックとゆーロートルなドライブ感とは無縁な世界だからこそ
いいんだよこの映画はさ。
でえ、『Matrix』で全人類の個体データが無数にフローしてるシーンで、
その情報の記述が縦書き日本語を裏写しにした代物なのは笑えたけど、古本屋で買ったような平凡パンチが出てくる名作『Alien』も
面白かったね、などと書いてみましたあ。



■吉本隆明さ〜ん・・・   2002/11/5


ウツロなまなざしのお爺さんが新聞に出ていたのである。



■絶妙東大コンビ・・・   2002/11/3


大塚英志さんをコケにするとサブカル界ではウケがいい....といわれるほどの大塚さん
ですが、その大塚さんを高く評価している数少ない論者の一人が東浩紀さんです。

サブカル論者が大塚さんを嫌う?理由は恐らくコンプレックスでしょ。
大塚さんのスゴイところはそのコンプレックスの対象となることを自らみんなに
勧めてるとこですね。まるでF・コッポラです。日本でとゆーかサブカル関係で
唯一の西洋的理性=父性を体現し得る稀有な人なワケです。

残念なのは大塚さんの著作の多くが書店にはないコト。なんでも軒並み出版社や
編集者とケンカしてるかららしいんですが....。


大塚さん自身が編集者でもあるのでガキな編集者やリーマン出版社は大塚さんの
マシンガントークに圧倒されちゃうんでしょー。でも大塚さんのスゴイところは
マシンガントークそのものじゃなくて、その一発一発が適格に相手を突いてるトコ。

タブー扱いされそーなデキゴトをスバリと指摘し徒党や安易な仲間づくりもしない
大塚さんの存在は今こそ注目。


東浩紀×大塚英志が責任編集する『新現実』への評価が面白い。
大塚さんが東さんにケンカを売ってるとゆー評価なんかも目立つし。
もともとオタクやサブカル論議のウチワでは評判が悪いらしい大塚さん。
だからこそサブカル論議に大塚さんが必要なんだとゆーことの意味を知ってる
数少ない存在である東さん。このままケンカを続けてね、とゆーことで
ココで言いたいことは終わっちゃったりするもの。わーん


  (新現実P52)

    大塚
	
    ぼくはこれからあなたの言論を監視していくよ。
    ぼくはねちっこいから。





■デフレもバブルも統制3法からだけど・・・   2002/10/30



▲デフレとは何か

デフレが顕在化したのはバブル崩壊からです。
まあ、デフレが顕在化したのはバブル崩壊からだとしても、
デフレそのものがあったのはもっと以前からだし、
デフレ志向そのものは東京オリンピックの年からなんですね。

その根本には銀行を頂点とするヒエラルカルな構造があります。
その構造がつくられたのは戦前で、つくったのは企画院。
つくった人は1917年にモスクワ大学を卒業した日本人です。Mさんだったかな。

ここまで孝察するとファシズムを成立させた統制3法が現在の日本のベースにあることが明白です。

そして戦後日本をいちはやく共産主義陣営に対抗させるためにとられた
傾斜生産方式とそれを支える世界銀行からの厖大な資本投下。

所得の倍増がさらに加速度原則的に膨らんだのが土地バブル。
土地バブルを担保して金融バブルへ。
政府と自民党が土地関連融資への総量規制を緩和しようとした時に反対した東京のスタンスは
現在の経済的混乱に対するカウンターであり先取りだったんですね。
東京の在り方は日本の矛盾を先取りしてるし、日本の犠牲にもなっています。
東京の価値は、誰でもその歴史的な本源的蓄積をデータベースとして駆使できるコト。その巨大な積分の化け物であり
超デフレ空間である東京は世界のサンクチャリとしてさらなる集中と集積が図られるべきかもしれません。
首都機能移転要求は歴史的ルサンチマンでしかないでしょう。



▲統制3法

大企業は大きな都市にあります。従業員はその都市で暮らさなければいけません。
そこで地方出身者が都市で暮らせるようにつくられたのが借地借家人保護法です。
安い給料でも暮らせるように借地代借家代を安くし、長期間都市に住み続けられる
ように借主の権利が保護されています。
そして安い給料でも食料が買えるように食糧管理法もつくられました。

これによって東北の農村などから働き手である青年が都市へ移住させられ、大企業の
ために働かされるようになりました。
これへの大きな反発が、「東北の農村が飢えている」状況に憤慨して決起した
226のクーデター事件です。天皇の米を作っている農村の働き手が都市の大企業へ
奉仕することを余儀なくされているという反乱派の認識は説得力があります。これは
農本主義=天皇制ファシズムと資本主義ファシズムの衝突でもあったわけです。
同時期に市民階級の立場から資本主義ファシズムに戦いを挑んでいたのが左翼と共産主義です。


大正ロマンとか大正デモクラシーというのは、人々が経済的に自立し、個人が独立した
生活を営むことができる結果としての文化でした。株主である旦那衆の亮受した文化ですね。
最初の共産党の秘密会議が表向きは株主会として開催されたのはカモフラージュにしても説得力があります。

政治的にも地方の自治権が強く、財政的にも独立してました。それを都市の大企業を中心とした
中央主権的資本主義にシフトさせたのが銀行法です。

会社の株を持っていても利益が少ないように規制し、個人の株所有を抑制しました。
そして会社そのものの資金も株式という直接金融ではなく銀行から融資をうける
間接金融に誘導しました。会社が銀行の融資で経営されるようになれば、銀行を通じて
会社をコントロールすることができるからです。銀行は大蔵省に一元的に支配される
わけで、ここに統制経済の根本的なシステムが完成します。大蔵省をバックボーンとする
金融独占資本体制が成立したわけですね。

いまだに政府が銀行だけを大事にするスタンスは変わってません。太平洋戦争の敗北があっても、
これらの銀行法をはじめとする統制3法は最近まで不変でした。行革や構造改革が叫ばれても、
この統制経済的なスタンスとシステムには何の変化もありません。
それどころか有事立法や情報関連法でさらに統制の準備的な手段は
強化されそうです。

安いサラリーでもフリーターでもそれなりに生きて行けるのはいろいろなリーズナブルな物価のおかげ。
それをデフレだと批判し不安を煽りたてる巨大な荒らしこそ現代の権力の最終的な姿です。



■北チョーセン・・・   2002/10/23


北朝鮮による拉致問題で連日TVがウルサイんですが、
まったく日木流奈ちゃん並みの問題なんで困ったチャンです。ハイ
韓国では政府が認定した拉致の被害者が486人だそーなんで、
ソウルのTVは486倍ウルサイのかなと考えたりする羊はバカなんでしょーか。
政府が認定してない拉致被害者や行方不明者は2万6千人なんで26000倍かあ、
とか思ったりしてえ。ま、ヘンな計算だけどお。

で拉致被害者の娘さんキム・ヘギョン(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002oct/03/hegyon.html)ちゃんが
8chにインタビューされてるのを観ました。利発そうな15才の子ですね。このインタビューは8chが申し込んで
北朝鮮側が無条件でOKしたもんです。
したがって質問事項は自由で、この子を選んだのも8chの意志であり責任です。
北朝鮮側の関与は通訳を同席させたこと。

ところがこの番組を観た日本側の反応がヘンです。
「北朝鮮に言わせられている」というものが多かったですね。
「質問の内容がむごい」というのも目立ちました。(http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/oct/o20021028_120.htm)

フーン。


で、インテリのバカさが爆発しちゃいます。

 「北朝鮮の子供たちは労働党の青年組織に入っているので、
  どの子供にインタビューしてもああいう応え方をする。
  だからあの子が特別に利発なわけではない。こういう労働党に
    利するだけのインタビューをすることそのものが間違いだ」

だって。ぎゃははは、これほどのバカは見たことないね。今見てるけど。

日本は小泉内閣支持率が70%なのでインタビューしても70%の人は小泉を利する
答えしかしないのでインタビューするのは間違いだ、てな感じだったりして。

取材とか聞き取り調査とかゆーもんは、解答者のTPOを勘案して分析するのが当り前。
分析にどんなバイアスやコンバートをかますかが能力ってゆーもんだけどな。
暗闇にいる人に「何か見えますか」と尋ねて「よく見えません」と答えられたらどーするか、
てな問題だろ。どーして見えないのか?とか考えてみないのかね。そして見えるように
何らかの対策を用意しないのかね? 北朝鮮の少年少女にインタビューすれば
北朝鮮の少年少女なりの答えが戻ってくるのは当り前のことに過ぎないワケだろー。


メガトン級の単バカ独裁な北朝鮮ですが、
だからといって当初の約束を破ってイイワケじゃないでしょ。
相手が悪であっても、相手との約束そのものは保障されないと、
何の手がかりも無くなっちゃいます。
悪を相手にただ一つのコミュニケーションのプロトコルを無効にするのは
何も生まないワケで、「誰か止めてくれると思った」とゆーバカでいじけた気持ちを
国家の潔さとした破廉恥な非国民である松岡全権の国際連盟脱退みたいなもんでしゅ。くすくす

バカな荒らしがいても、インターネットそのものは保障されなきゃイケないんだヨン....
とゆーのと同じなんだからさ。よーよー
意気地が無い分だけ国家とかゆー大袈裟なものを振り回さないと何も自己発現できない
ガキどもはよーく聞いとけよ、おらおら
悪と取り引きができる....これがオ・ト・ナだからな。



■TKかあ・・・   2002/10/18


TKはよくアーティストとゆー言葉を使ってたよなあ。
芸能人とかマスメディアは内幕暴露からプライベートなものを
さらすとゆー方向へ行っちゃって、それをハッキリと批判もしてたしい。
芸能人とアーティストは違うんだってゆー言い分は理解できたんだけど。
椎名へきるちゃんがアートを主張するよーにね。

内幕暴露とかプライベートなものをさらす方向ってゆーのは
自己確定しやすいものを表出していくとゆーことで、ある意味で安易な私小説だからね。
個人的な表出に見えてもそれが普遍的な問題を示している村上春樹のよーな優れた表現者はいるし
普遍性を語っているよーに見えてホントは局私的な感覚小説でしかない三島由紀夫みたいな人もいるしね。


で、5億円の披露宴である。
確認できる彼女としては5人目である。
globeのKEIKOねーさんである。

なんでもいいんだけどさ、なんか、TKじゃないみたいな気が...


TKが売れたのもTKが旬を過ぎたのも、
テクノロジーとマテリアルへのアプローチの盛衰に平衡したものだからだね。
正確にはテクノロジーとマテリアルに対する大衆の認識の受容性と最適化に
先駆けてアプローチしてきたのがTKだからさ。
この大衆の認識の受容性と最適化の感覚のまま批評に転じた人として
近田春夫さんがいるけど。テクニカルなフレームから批評できないと
言説はあれ以上の普遍性を持ち得ないからなあ。

んで、今後のTKはどこにターゲットを絞って何をフォーカスするのかいな?



■エントロピー&自己生成システムと他者・・・   2002/10/18


マテリアルな世界と生命としての身体との違いは
エントロピーの違いです....てな表現は一時期流行ったもんですね。
もちろん正しいのでマル。


マテリアルな世界は物理的にはエントロピー開放系。
いわゆる熱力学第二法則の世界で、
あらゆる分子運動=熱は拡散し平均化するという大きなトレンドにある
というものですね。これが宇宙のビッグバン以来続いてるワケです。


それに対して生命体は逆の運動をするエントロピー閉鎖系です。
つまり分子運動を活発化させ、その運動エネルギーを熱や活動として
取り出し、それ自身のシステムの維持のために利用します。
より正確にはエントロピー閉鎖系になろうとする運動そのものが生命といえる
ワケです。


人間でいえば体温を作る細胞内のATP反応のエネルギー変換効率は
70%であり、どんなエネルギー発生装置よりも高効率のシステムになっています。
原子力発電の倍以上の効率なんですね。まあ映画『マトリックス』で人間から
エネルギーを取り出しているのは正解なワケです。


体重60kgの人が1日で消費するATPのエネルギー源の重量がほぼ60kg。
まるでE=mc2そのまんまみたいな感じですが。最高のリサイクルシステムである
身体は活動とエネルギー生産で消失した分を呼吸と食事で摂取します。
身体は活性と安定性のバランスしたシステムとして窒素≦アミノ酸≦タンパク質≦肉を
メインにその代謝をコントロールするためにミネラルとビタミンを駆使する自己触媒・
自己生成システムなワケです。


結局物質のレベルでも身体は自己言及システムなんですが、
非物質現象である心的現象でももちろん同じ。

自分のコトを考える存在としての人間は自分のコトを考えている自分のコトを
考えられるとゆーポストモダンな存在でもあります。

じゃ他者についてはどー考えるのか?とゆーと、
他者は考えるコトができないものとして考えるんですね。

なんか本当の人間の認識システムって狂ったように正直な気がします。
自己の認識の自己言及できない部分を他者として借定する....

ここにある種の美しいほどの倫理志向が現れてきます。
つーか、それを美しいとするコトこそが本質かも。

まあ本質的じゃないもんなんていらないしい。



■ハイランドな熱帯テラス・・・   2002/10/12


以前は「キッカイくんの家」にあった作業場は
現在はチンケなモノリスつーかノッペラぼうな建物にあります。
夏から作業場のテラスには木造構築物を建設。
6、7名の職人さんがどやどやと作業の数日間があって、
出来上がったのがハイランドの砦みたいな空間。
まあ剣を振り回すハイランダーのかわりにバオバオの樹が数日でふくらんだり、
ヘゴが1日で数十cmの葉を出したり、トックリみたいな樹がクニャクニャと
伸びてたりします。どんどんデカクなるコウモリランもあるし。ハイランドつーか
トロピカルランド風で、イエメン怪獣が葉陰に潜んでる可能性もあり、折れたパピルスが
その証明だったりと。

夏は野宿?ができそうな空間ですが、屋根が無いのがやっぱり残念天然無念で、
虫とコウモリを眺めながら夜明けを待つのが楽しい風情。
しかし冬は寒いだろうなあと夜空を見あげると自衛隊のヘリがワンサカ飛んでたり
するんで、まったく湾岸戦争スタートの日に横田基地上空にUFOがいくつも飛んでる
のを通行人数十人と一緒に見てしまった知人の話を思いだしたりしながら、
あれもこんな日だったかなとか、新聞にも掲載された記事なんか思い出して、
まあ世界はこんなもんよと悟りを新たにしたりする今日この頃です。ガウッ
自前の屋根の工事がいまだに終わらないんでコマッタもんでしゅが。



■小鳥の鳴き声は8音素・・・   2002/10/5


小鳥の鳴き声が8つの音素からできてる....てな新聞の記事を読んで納得。
整数倍の音域間でオクターブを分周してるんだろーなと考えながら、
マテリアルなリソースにあわせて自らの構造や活動を合理的に最適化しちゃう
生命システムに感動。
マテリアルに対応できないってダメだね。
ま、人間だけがその観念ゆえにマテリアルに対応できなくなってきたとゆー
狂気の道はこの先どーなることやら。


現代思想でも何でもその大前提はすべての人が狂っていくという予測と
しかしその程度は軽いという笑えるような分析。
問題は他人に迷惑をかけちゃいけないよというサイテー限度のルールが
守られるかどーかとゆーもの。今や自分の自己発現のために患者や弱者を利用する
瘉し系やニューエイジがバッコスルありさま。まあ心理カウンセラーなんかも
そっち系が多いのをスバリ指摘しちゃう斉藤環ちゃんなんかの活躍には期待できますが。

それにしても音楽関係の人でオクターブや12音階という論理からマテリアルへの対応を
考えた人が少なすぎるのが気なるところ。視聴覚芸術はケッコーですが多くの当事者は
感性とか芸術性とか振り回すだけの自己チュウボーヤとジョーチャン。サバン症候群や
芸術家が天才だとゆーキワものの俗説はお笑いモノ。イメージの意識化のために睡眠と
覚醒が分化し進化した人間存在において言語の発生は決定的でしたが、その言語の原型は
鳴き声やさえずり。原初の形態においてこそマテリアルな最適化がなされてる生命って
凄いです。それに比べて宗教だの戦争だのを生み出した人間て何なのかねえ?



■株価サイテーとか・・・   2002/10/3


本日は日経平均がサイテーとかあ。バブル以前の最低値を割ったんだっけかな。
ここんところの株価崩壊がはじまってから1000円の大台を突破して
順調に伸びてる銘柄もあるんで、まー、なんですか、ユダヤ人チックに
大金持ちになるチャンスですね。ぎゃははは
件の銘柄は3倍になったしい。
リアルなポストモダンフイールドでのバトルとコンフリクトは全身全霊もんでしゅね。
ホントに人間の分水嶺なんだもんな。



■理念・論理・リアル・・・   2002/10/1


ドーナツでも何でもいいんだけど丸いものや円形のものがあるとします。
リアルなマテリアルな事実としてね。

で、それがちゃんと丸いか?とかまんまるな円か?などと問題になったとします。
どれだけマルイか?ということですね。

この問題提起の根拠や判断の基準となるのは理念としての<円>です。
プラトンでいえばイデーですね。理念としての<円>=真円です。
文学的にいえば「完璧な円」です。もちろん村上春樹風にいえば「そんなものは存在しない」
です。ただそれだけのことなんですね。問題はそれが存在すると思っている人がいることです。
<真円>がマテリアルに存在すると主張する人がいること。妄想ですね。
つまり宗教と狂気です。それが問題。


人間は何でも理解できるし、どんな対象にもアプローチできるし、だから支配できる
と思い込んできました。そのための方法として科学が発達してきたし、検証なしの
妄想としては宗教が生まれてきました。

科学はマテリアルを論理に反映させた認識です。そのためそこにはマテリアルと論理のギャップ
という問題もでてきます。たとえば円を論理で表現した円周率の<割り切れなさ>は
そのギャップそのもの。3.14159....はどこまでいっても割り切れません。
しかし円周率が割り切れなくても現実には何の問題もありません。円周率が<割り切れない>ことは
現実に何の影響もあたえないし、実際には現実に関係さえありません。
<割り切れない>という認識は<論理>のなかだけにある問題で、現実の<円>や<丸>
<○>には影響も関係もないんですね。
円周率の<割り切れなさ>そのものが示しているのは<論理>の限界です。

常識的に考えてそれは自明なことですが、非常識な自明性を失った考えでは問題が
逆になります。つまり「<割り切れない><現実>の方がオカシイ」という認識です。
そこでは認識の根拠となる<真円>の方が正しく、割り切れない<現実>の<円>は
間違っているというワケです。この発想からはすべての現実が間違っていてオカシイこと
になります。これが狂気であり宗教です自明性を失った統合失調症の世界観なワケです。
ところがナゼか、この狂った世界観はフリーハンドになっています。宗教は自由だし、
自明性を失った人は他人に危害を与えても罪になりません。どーしてなのかね?
と、ラジカルでシリアスな疑問はつきないんですが、とりあえず他人に迷惑をかけない
よーにというサイテーのルールが守られてないのが?だったりします。
政治から精神活動まで、メチャクチャだもんね、今って。

以上は「認識の問題」であり、「方法の問題」ですが、よく考えてみるとほとんど全てに関係してくる「現実の問題」でもあり、
ゾッとする問題でもありますね。



■『UH3+』購入・・・   2002/9/30


本日、宇多田ヒカルのサードシングルクリップアルバム『UH3+』を買う。
で、スタッフのIDカードが入ってましタン。
これ、何枚かに1枚の割で入っているプレミアもん。
ヒッキーがメガホンでガナってるジャケ写はロシアアバンギャルド風のデジャブ有。

オーディエンスが試された『traveling』。
ムーグのコンパネでコードをパッチしてるシーンなんて、
なんつーかムーグ→フェアチャイルド→インテルなんつー歴史を考えるまでもなく
感慨深いものがありましたん。しかし、あのムーグはどこにあったんだあ?
ヒッキーのお宝とか?

『SAKURAドロップス』は聴いても観てもコミアゲテクルもんがあるんで、
なんつーかもののけ姫を思い出したりワームやアフリカ大地溝帯の夢見そうだったり。
まあ御先祖様が生まれたトコだし、そのとき以来の血液型だし、いいかなっと。

たしかにキリヤさんのプロデュースは手応えがあるんでマルですね、マル。



■3本角の怪獣・・・   2002/9/25


角の先に子どもを乗せたトリケラトプス....な写真を新聞に見つけて感動?
もちろん本物の恐竜じゃないけど写真はホンモノなんですね。
ジャングルの恐竜てな感じのカメレオンで、それも3本角のあるやつ。
恐竜の現代版とゆーとイグアナやコモドオオトカゲが代表的ですが、
ホントはこのカメレオンな気がします。

写真の主はジャクソンカメレオンの親子とか。

アフリカ産ですがハワイやオーストラリアに移殖して野生化してるらしく、
日本に最初に輸入されたのもたぶんこのジャクソンでしょー。
三越の屋上で3本角のノロマなやつを見た思い出がありますが、
そいつもこのジャクソンみたい。

飼育すると、誰が主人だか見分けたり、エサをねだったり、
ビビッた時にわざとあくびをして見せたり、犬猫並みに知能?が
高い面があるかも....とゆーカメレオンは爬虫類中では最も進化した存在かも。
なんつーウワサのあるカメレオンですが、
個体の値段が高く、ランニングコストもかかるし、いろいろとやっかいとゆー
ペット界有数のムズカシ動物だとか。

そんなカメレオンも日本の乱獲で激減のもよう。
輸出禁止のカメレオンを人形に見せかけて帽子に乗せ、
飛行機に搭乗しようとしたらぺロっと舌を伸ばしたので、
逮捕されちゃった日本人女性がいるとゆー
何ヶ月か前の新聞の海外記事が気になったりします。
みんなの歌でもカメレオンの歌をやってたとか、さ。
見損なったので残念。

ちなみにカメレオンの色の変化は保護色ではなくて逆。
ジャングルの中で数十メートル離れた同種の仲間に
気分やコンディションを伝えるためのもの。
色でコミュニケーションをとってるビジュアリストらしいです。
スゴイなあ、なんか。



■ひきこもりが?・・・   2002/9/15


もーよく憶えてないんだけど。
この間、新聞のコラムで
斉藤のたまきちゃんが取り上げられてて、
がぜん注目ネ!!みたいだったよーな気がしますう。
こりゃアルツ並みでスイマセンですが。

書いてる人は有名?な精神科医さんとか心理学者さんだったと思います。

んで、内容は....

 以前、斉藤さんはひきこもりの治療は必要だと言っていた。
 それが今は、治療はムズカシイ....となった。
 この斉藤さんの認識の変化に注目!!

だったよーな気がします。

んで、その認識はさらにどお変化するのかなっと。

まー羊書っではとーくに結論をだしちゃってんで、
なんなんですが。



■経済1%のゆくえ・・・   2002/9/7


▲大企業の純利益率と経済成長


大企業の純利益率は1%以下になってます。
どうしようもないムダが多いからなんですね。
ところで、大企業の純利益率が1%以下とゆーのは
拡大再生産の純粋な拡大部分が1%以下に過ぎないとゆーことです。
とゆーことは経済成長率は1%以下でOKとゆーことでもあります。

ここで労働者という概念は消費者という概念をバイアスにして1%を獲得しつつ
あるんですね。この状況をデフレだと批判するのは1%は企業のものだと考えている
イデオロギーに過ぎません。



▲経済成長がゼロだったら


経済成長率がゼロの場合、
消費者が働いて企業から給料をもらっているとすれば、
大企業が1%づつ利益をあげれば、消費者は1%づつ給料が減るゆーことです。
これが絶対窮乏化論ですね。
この1%を本来は労働者が得られるハズの価値だとするのが労働価値説です。
剰余価値論ね。
この1%に関するある種の価値を時間的な価値論にしか組み込めないのが
経済学やもろもろの諸説のダメさですね。そーゆー見方しかできないマルクス解釈ならば
それもモロにダメです。だーめ。
空間的な価値に変換して考えると何でもないことなんですがあ。
もちろんラジカルに、だけどね。



▲1%はどこへ行くか


すると1%の価値をどーやって分配するのかが問題になります。
つまり1%を企業の収入にするか労働者の収入にするか。
これが再分配権の問題で、この権利をめぐって闘争するが階級闘争です。
ワカッタカヨー

現在起こっている問題はすべてこの1%の移行の問題に過ぎません。



■感覚システムの示すもの・・・   2002/8/27


感覚にはそれぞれシステムがあります。

たとえば聴覚ならば可聴周波数が20Hz〜20000Hzくらいで、
音量、音圧の可聴範囲も決まっています。
感覚には感受するのに必要な最低刺激量=クロナクシーがあり、
また正常に感受できる最大刺激量があります。
それを超えると感覚システムが機能しなくなったり
感覚器官そのものが破壊されたりします。

このように感覚には正常に機能するための一定の条件があり、
それを逸脱した場合に異常が生じます。

異常というのは感覚能力の範囲で処理できない、
つまり感覚が自己決定・自己処理できない状態です。
そして感覚は各感覚がそれぞれ単独で機能しているわけではなく、
その情報処理は常に統合されつつコントロールされています。

感覚単独での受容能力には、それぞれ感覚ごとの一定の条件がありますが、
それを情報として処理する段階では統合的なコントロールを受け、また意識や
観念からも影響やコントロールを受けています。
異なる感覚どうしで相互に影響しあう共通感覚という作用もあります。

能力を超えた刺激に対しては正常な認知ができません。
しかし、これは刺激量だけに左右される問題ではありません。
刺激量が正常値の範囲内でも、感覚そのもののキャパシティーに余裕がなければ
刺激はカンタンにオーバーフローしてしまいます。

これはすべての認識においてそうです。刺激あるいは情報を受容し、認知し、
判断するどの段階においても認識サイドにキャパシティーがなければ
正常な認識はできません。
刺激量が感覚器の受容の範囲内でも、それを統合しコントロールしている観念や
意識の方に余裕がなければ正常な認識ができませんどこかがオーバーフローしている認識....それが総合的には統合失調症でしょー。



■名前の示すもの・・・   2002/8/17


よく東京太郎とか大阪花子とかしょーもない名前がダミーで使われますね。
封建制以前では支配階級以外には公的な名前がありませんが、そのような
名前が無かった時代でも呼び名は誰にでもありました。
そういった呼び名なんかもダミーの名前と同じで、ある特徴がありました。
それは名前が場所を示していることです。
この場所や地域を示す名前というのが一般的だったということは何を示しているのか?
と考えると面白いものがあります。


清水の次郎長とか森の石松とか、佐原の新皇とか、足利尊氏とか
地域名がベースになっている名前はたくさんあります。
つまり主体の関係性の空間的な原点を示している名前が多いワケです。

それとは全く違ったタイプの名前もあります。
力持ちの男とか、神と話す女とか、大きな弓の男とか
その人の特徴を名前で示したネーミングですね。
これは主体の展開しうる機能を表しているともいえます。


つまり名前のつけ方には歴史的・世界史的にみて二つあるわけです。

主体の存在を空間的(静態的な特徴=位置関係)に意味するもの。
主体の存在を時間的(動態的な特徴=機能性・可能性)に示すもの。

マテリアルな根拠や可能性としてはセロトニンやドーパミン受容体の遺伝子、
それから宗教発生の根拠やその可能性との関連があるでしょー。



■3行でキチ&デムパ・・・   2002/8/13


昔、初めて読んだ心理学の本に
「文章を読むと書き手の精神病がわかる」
と書いてあってスゴク感動したことがあった。
具体例として「三島由紀夫の小説は3行で分裂症だとわかる」
と医学者の説明があった。


以前、初めてパソコン通信を始めたときに
「ヘリコプターに監視されてる」人や、
「被告人不明のまま裁判」しようとしてる人や、
毎日ベラベラ文章を書いていてしまいに「誰もレスしてくれない」と
消えていった人....などを見つけて、
リアルに人間の病を知って感動したことがあった。



今、インターネットでは誰でも自由自在にプレゼンできていいなあ、


と思うとともに、パンピーを装ってるライトなキチやデムパ見抜く能力がないとね、
などと強く感じたりする。
誰でも表現できるとともに、回をかさねる毎にビミョーに露呈する
異常な徴候をチェックするのはゲーム以上の楽しさでしょー。
そーゆーサイトを集めたHPもどっかにあったし。W
はたまた既に実害もあり、結構緊急かも、などと思うこともあるしい。WW



■精密描写能力?・・・   2002/8/11


サバン症候群・直観像資質

ロンドンの風景をチョットながめてみて、あとでその景色を精密描写してみせる画家が
います。音楽を一度聴いただけで憶えてしまい7000曲も弾けるピアニストがいます。

視覚や聴覚の能力が異常なほど高いワケですね。
視覚に関しては直観像資質といわれるよーなタイプでしょー。
こーゆー視覚や聴覚やある一定の能力(何年前の何月何日は何曜日だったか?など)が
とてつもなく高い人たちをサバン症候群などと呼びます。
問題は、日常的な、一般的な生活能力には著しく欠けていることです。
キッチンのどこにスプーンがあるかというようなフツーのことへの対応能力がなく、
当たり前のコト、常識的なコトがダメなんですね。自明性の欠如です。
統合された認識や総合的な判断力に欠けているワケです。
いわゆる統合失調症=精神分裂病と類似であるか同じものです。


統合失調症・精神分裂病

サバン症候群は脳の欠陥を補うために非欠陥部分が異常に発達したもののよーですが。
脳の発達に関しては、水頭症のために紙のよーなペラペラの脳となり、しかも、
とても高いIQの人などもいます。
統合失調症の場合は聴視覚が発達してくる5、6ヵ月の胎児の段階での母体とのイレギュラーな関係が要因。
それが聴視覚の幻覚と対幻想の妄想化=関係妄想を生成します。
不安定な母子関係による混乱した物語が認識の混濁を生み、それが発達途中の聴視覚感覚の異化結合をも生じさせます。

ただし視聴覚の異常な発達やサバン症候群というものは想像力には関係なくクリエイティブでもありません。
犬の嗅覚や野鳥の視覚が発達しているように特定の感覚や機能が優れている?だけです。
人間が他の動物と違うのは想像力があることと自己言及できることですが、

統合失調症のように総合的な認識や、他者の立場にたつという想像力が著しく欠けている場合があります。
自己言及できない極端な例としては自己の感覚知覚さえ痲痺してしまう感覚鈍麻といった状態もあります。

統合失調症が現存在分析の大きな手がかりとなるのは、基本的な意識が受動性として発現、自覚されているトコですね。
妄想の基本的なスタンスが受け身であることは象徴的です。それは常に被害者意識として自覚されますが、
本質的にこれは逆で、受動性として発現するから被害者意識になるんですよね。



■グランド・ゼロだあ?・・・   2002/8/6


グランド・ゼロ?

グランド・ゼロとゆーのは爆心点のこと。
具体的には広島・長崎の原爆投下時に、原子爆弾が爆発した地点のこと。
その経度、緯度、高度のコトだ。

それがどーしてNY9.11テロの現場がグランド・ゼロと命名されたのか?
ヘンなのお、と思いつつ、世界の一極支配を完成したかのよーに見えるアメリカ
とゆーものを考えてみる。『1984年』よりヒドイ状況だったりするかも。

まあ、支配権が成立するのは被支配者の幻想に拠るところが大きい....とゆー
当り前の卓見なんかを思い浮かべつつ、
アメリカにテロへの反撃の資格などないと喝破するチョムスキーの本なんかを
思い出したりする。まあどのレベルでも日本の論者はアメリカの一極支配を批判できる
能力はないからナンナンだけど....さあ。

まあ、認識力がないヤツほどアメリカの世界支配を認めちゃうのはどこでも同じ。
想像力を駆使した思考ができないヤツほど父性的に屹立した観念に支配されちゃうワケ。
大きいことや強いことや有名なことに依存するタワケなわけさ。
バカほど「有名」に弱いでしょ?
内なる父性を変更できない....自己言及し自己改革することができないヤツほど
<アメリカ>や<有名>や<大きい>や<強い>ことに弱いワケね。
それこそモダン最悪の具体例。

で....NY9.11テロの現場がグランド・ゼロと呼ばれることへの違和感を
解消してくれるのは、逆転の発想なんですが、これがまた真理かもしれませしぇ〜ん。

つまり、NY9.11テロの現場が広島・長崎と同様のグランド・ゼロではなくて、
広島・長崎のデキゴトそのものがNY9.11テロと同様の事件だった....と。

ポストモダンだなあ、と。W
で、テロから何が分かるか? と。


■ウナギ・・・   2002/7/26


ウナギを9匹買った。



■流奈タンとゆー問題・・・   2002/7/21


まるで<ひとりいっこく堂>みたいな流奈ママが問題なワケでも、
糸切れマリオネットな流奈タンが?なワケでも、ないんですね、コレが。

日木流奈タンのホントーにしてラジカルな問題は<否定されない>というあの思想、
あの哲学、つーか、あの主張そのものの反自然性にあります。



出産からはじまって、人間の成長、つまり人間が人間になっていく過程すべてで
成長そのものの要因になっているのが自己否定です。


2人の人間がいれば生成・成立するのが対幻想。
性別や年齢の差はまったく関係ありません。
とにかく2人が出会えれば対幻想が生じます。

ま、いくらマルクス・エンゲルス全集由来の言葉であっても<幻想>なんつータームは
文学っぽくてダメ、ウザイわけ。

<対幻想>をカンタンにいえば<関係性>ですね、関係性。
2者間の関係だったり、主体と客体の関係だったり。
対幻想がほとんどの場合<性>として取り扱われてきたために、
タームとしての可能性も展開の無限性も発揮できていません。
フロイトの<エロス>への狭量な理解と同じでしゅ。
対幻想とそれによって自縛され、ファシズムさえ生成していく過程を
カンタンにクールに描いてみせたのは宮台真司の社会学論文くらいのもの。


で、流奈タンとママがNHKのTVで見せつけてくれたのが
この対幻想=関係性の究極の姿です。
相手に対する全面肯定と全面依存の世界です。

アナタにワタシのスベテをマカセルわ、アウッ、てなやつです。


自分一人では生きることができない幼児が、すべてを母親にゆだねているその関係は
対幻想=関係性の最たるものです。生の原点そのものなんですね。
そして同時にすべての認識の初源でもあります。心身すべてのね。
そして、この初源のレベルでさえ、認識の原初的な分節化つーか
相反する2つの志向性を見い出すことができます。ま、エロスとタナトスなんつー
フロイトっぽいアカデミンなタームや文学的なダサイ有害な表現はやめて、
ここでは<イナイイナイ=バア>としましょー。


そして流奈タンがもはや幼児ではなくても、母をはじめとする周囲に対して全面的に
依存しなければ生きていけない状況であるのはだれが見ても明らか。

全面依存している2者関係に対して、自立した個人を前提とした価値判断を適用するのは
間違い。
流奈タンを判断するのに、イヤ、流奈タンとママの関係をジャッジするのに
大人の価値判断は通用しません。

これは倫理の問題であって成文法(共同体意識の疏外態)で成り立っている自立した
個人による共同体の物語ではありません。
つまり法治国家の、それも国営?放送で扱われるべき内容じゃありません。
日木流奈タンの哲学が通用するのは対幻想の世界だけです。

自立した個人の権利を前提とした立場から流奈&ママを批判するならば、
せいぜい成立するのはサギ程度のもの。
そしてサギに引っかかる程度の人間は、これまたその程度、なんですね。


流奈タンと流奈ママとが体現している問題の可能性は、
そんな一般的な問題ではありません。
対幻想に包含される親子関係、人間関係をはじめとし、
それらの関係性に無自覚なためにこそ自縛されうるさまざまな問題の端緒を示しています。
それは、その無自覚さ自己言及の不可能性から生じるあらゆるトラブルとファシズムまで
生成する要因そのものとしてさえ孝察の対象となるモノゴトまで、さまざまなんですね、
ホントは。まあどっちにしろ自己言及できない輩はダメなんだけどさあ。



■『1984年』のスルドサ・・・   2002/7/20


全世界が3つのファシズム国家に分かれて対立している姿を描いて衝撃的だったのが、
G・オーウエルの『1984年』。なんつたって、その設定された年月はもっとオドロキ
でした、よね。1984年だもんな....。

キレイな英語だという評価をはじめいろいろと評判となった『1984年』ですが、
ボクがインスパイアされたのは「言葉」と「指」について、でしたん。

「言葉」についてというのは、「言葉狩り」のことで
ファシズム国家が市民の思考能力を奪うために使用単語を規制していくというものです。
「言葉」を制限されれば「思考」が制限されることを明確に示しつつ、「言葉狩り」を行なっていく様子が不気味でした。



マスコミやメディアをはじめ、前頭葉の小さい分だけ欲望デブな小市民が必死こいて「言葉狩り」やってる日本では
チビクロサンボ落語もできなくって、触れることさえできないような問題。
それをメインに扱っているのが『1984年』のスゴイところでもあります。
もともと主催者のレベルが低いのに、さらには差別的表現というレッテル貼りをして発言規制してる、
インターネットの可能性を奪いつつ自己露出ばかりしてるバカな掲示版みたいなもんで。本質的な論議などできないで
サブカルネタを並べて喜んでるだけのありがちなサロンでは触れることさえできない問題です。



「指」についてはダイレクトでラジカルな認識の問題です。
言語や認識の専門書?を読むまで理解しにくかったことですが、
ある時バッチリわかりました。



5本の指があるフツーの手を見せて「何本に見える?」とゆー査問が繰り返されるというシーンがあります。
査問される方はたまりかねて「6本」とか言ってみるんですが、
「いや、5本だ」と注意されます。そして「何本に見える?」と質問を繰り返されるんですね。

指が5本あるのはマテリアルな事実なんですが、認識の仕方によっては指が6本になる....というような内容です。
これは指示決定としての事実認定が変更可能であるコトを示しています。
マテリアルな事実とは違う指示決定....。象徴界の機能不全....。
このような客観世界の事実とは違う認識を持つコト....つまり狂気ですね。妄想でーす。
つまりキチガイです。
ま、これに関係性をプラスしたのがデムパ、ですが。W


『1984年』は「言葉狩り」によってカンタンに思考を制限することができ、事実とは違う世界認識(=狂気、妄想)に導く
コトでさえムズカシくないことを示しています。洗脳や宗教的世界観の植えつけ、ですね。
もちろん日本のサブカル論議レベルでは、このことに触れることさえできていないよーなのが残念つーかウレシカッタりもします。
ボケが多いとラクちんつーか....。



■サイババのマテリアル・・・   2002/7/8


ヒョイと空中から取りだした時計が「SEIKO」だったりして笑わせてくれるのがサイババ。
パパイヤ鈴木みたいなシルエットだけでも笑わせてくれるサイババですが、キモイ声で歌なんか歌っちゃうところが
ボーイソプラノ少年好みらしいとこもあって、マイケル・ジャクソン並みのHなウワサまで世界レベルの有名人ぽい
なあなどと感心する人がいるかもしれないスキャンダルがこれまた笑えます。
ダメなのはそれがカミングアウトできないトコ。

なんだ、サイババって、やっぱ、フーコー以下なんだあ。

つーかポストモダン以下なのね、とゆーことで終わっちゃう程度のサイババですが、
たったひとつだけ役に立ってます。



それは空間からモノを出現させるマジックなんですが、
それがマジックだろーが、マジックじゃなかろーが、
マテリアルをコントロールできるんだぞ、とゆーコトをプレゼンしたいワケで、
マテリアルのそのものが最重要ポイントなワケです。
宗教者自らがモノゴトの根本がマテリアルであること、
それが宗教のラジカルそのものであること、、、、を示しているワケね。


もちろんサイババ批判も全く同じ。
「空中から物を出すなんてウソじゃん!」という批判そのものが
いかにマテリアルというものがうごかし難い普遍的な真理そのものであるかを
表してます。

すべてはマテリアルなワケですね。
マルクス、マンセー、かな。

だってマルクスはマテリアルを自由自在に左右できる方法として
<労働>の価値を発見したワケだからね。

マテリアルに働きかけること、
それが<労働>なワケだあな、と。



■ユーミンとTK・・・   2002/7/2


ユーミンについてのコメントは沢山あっても、その背景に関する分析は多くないです。
あるとすればノスタルジックな感想だったり、ちょっとスルドクてもノスタルジーに言及する批評だったり、そんなもんですね。
そこからノスタルジーそのものやデジャヴそのものとかへ話しが発展すればオモシロイんだけど。

ユーミンが売れたり非ユーミンが売れたりする理由や背景については、たぶん深い意味があるんですが、ダイレクトに言及したものはありません。

かつて坂本龍一がユーミンのことを「神経質過ぎる」てなことを言っていたのは唯一のマトモな発言かもしれません。




高度成長とともにあったユーミンは、そのまま日本の社会の変遷を現してます。
必ず30万枚売れるとゆー計量的な側面だけでも、これほど社会や文化や大衆のバロメーターに成り得るサンプルはありません。
しかも、ユーミンの数多いアルバムの売上げベスト10の多くは100万枚を超えています。

そして、もう一人、デジタルなテクノロジーに優れていたTKが、
まさしく、あるテクノロジーの盛衰を表した2次元グラフのように人気をアップダウンしたのも典型的なサンプルですね。
TKはユーミンが自ら認めた、彼女の人気を奪った唯一の存在です。



30代前半以下のオーディエンスには新鮮?なピチピチと楽しいのがモー娘。

そのモー娘も30代後半以上の世代には定番のフレーズとリズムのパッチワークです。聴いたとたんに
自分の聴覚の経験値から自己確定できちゃう音楽なんですね。

先端テクノロジーの上に指示決定としての世界視線を構築しようとした(する)TKとの際立った違いです。