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月齢13.9の夜(前編)



「高嶺君、一緒に帰ろう!」

 水野鈴芽の元気な声が清麿の背後から降ってきた。
清麿はちょうど学校の玄関を出ようとしていたところだった。
学生カバンを肩に軽く担いだ格好の清麿はそのまま振り向りむき
「ん。ああ。」と短く無愛想に答えた。

 鈴芽は嬉しそうに階段の残りを駆け下りるとあわてて靴を履き替えようとしてつまづきかける。
振り向いたままの清麿は、そんな鈴芽の姿に内心苦笑しながら顔は無愛想なまま
それを見つめていた。
鈴芽は靴を履き替え終わると清麿の元へパタパタと駆け寄ってきた。

 鈴芽の身長はちょうど清麿の肩の辺り。
斜め下から清麿の顔を見上げる鈴芽の表情は本当に嬉しそうだ。
"水野っていつもめちゃめちゃ嬉そうな顔してオレを見るよな…。こっちが気恥ずかしくなっちまう…。"

 そんな訳でわざと無愛想な顔を保っていたのだが、鈴芽の次の一言でその作戦はあっさり失敗に
終わった。

「もうすぐ夏休みね!夏休みになったら、また皆でプールに行こうよ!」
「お。おお!そうだな。また行こうぜ!」

 去年の夏休み。友達と遊んだ夏休み。前日はろくに寝ていなかったので、プールの時にはへろへろ
だったが、それでも無茶苦茶楽しかった…。


「じゃあわたし、みんなに声かけてみるね!」
誘う友達を指折り数え始めた鈴芽から
ふと目を上げると、遠くに見覚えのある金の髪、
緑の服の小さな人影が目に入った。

「ガッシュ…?」

 その声につられて鈴芽も清麿の目線の先を追う。
「ほんとだ。あ…曲がっちゃった。あっちは裏山に向かう道だわ。
 これから裏山に遊びに行くつもりかしら?」

「まったく…。夕飯までには帰れって
言ってあるのに。
…悪い、水野。ちょっと連れ戻しに行ってくる。」
「うん。プール、ガッシュくんも誘っておいてね。
じゃ、気をつけて。」
「ああ。あいつも喜ぶよ。じゃ。」

 元気良く右手を振る鈴芽に背を向けて清麿は
ガッシュが消えた方向に向かって走り出した。

+ + + + +

「今から裏山に何の用だ? まさか…魔物か…?」

ちょっと嫌な予感がした。

 本はいつもの通りこの学生カバンの中に入っている。大丈夫。
何かあっても本があって、ガッシュがいれば戦うことができる。
清麿は小脇に抱えた学生カバンをぎゅっと握りなおした。

 裏山への曲がり角を曲がったところでガッシュの姿を探した。
すると山の裾野の木立の中に、あの特徴のある緑の服が垣間見えた。

「ガッシュー!」
 この距離なら声が届くかもしれないと思い声を上げたが、聞こえなかったのか、ガッシュの姿は木立の向こうへ消えた。

 いくら日が長くなってきているとはいえ、もういっている間に日が暮れてくるはずだ。早く見つけないと
探せなくなる…。
 清麿はガッシュの消えた方に向かって走り出した。

+ + + + +

 モチノキ町は都会に近いが自然を豊かに残す静かな町で、小さいながらも何でも揃っているなかなかコンパクトな造りの町である。
 海あり、山あり、遊園地、動物園、植物園もあるし、商店街や駅前に行けばデパートもあって買い物にも事欠かない。ベットタウンとしては快適な町だろう。

 学校の裏手にある山は、子供達の格好の遊び場である。

 それほど広くはない割には高さがあり、木が大きいので昼間でも中に 入ると薄暗いほどだ。
大きな洞窟や切り立った崖もあり危険なので、 子供達は親から遊びに行ってはいけないと
耳にタコができるほど聞かされていたが、 そんなのはおかまいなしに遊びに来ているのが実情だ。
まだ大した事故が起きていないのがせめてもの幸いである。

 もちろん清麿も、小学校の時はさんざんこの裏山で遊んだクチなのでこの山のことは
知り尽くしている。山頂へ向かうけもの道や中腹にあるちょっとした広場、崖へと続く小道、
秘密基地だった洞窟…。

 昼間であれば目をつぶっていても歩き回れるくらいの勢いだが、日が暮れて暗くなってしまうと
話は別だ。
 昼間でも薄暗いのだ。夜になると自分の手さえも見えなくなるくらいの真の闇となる。
例え月が明るい夜でも、木の下まではそれは届かない。
危険の多い場所だけに、早くガッシュを捕まえないと…。あせりを感じる清麿であった。

「ガッシュ!ガーッシュ!…一体どこまで行くつもりだ?」
 追いかけて姿が見えるたびに声を上げるが、ガッシュは振り向きもせず姿を消してしまう。

 …何か変だ。

 この距離で聞こえていないはずはない。ましてやあいつの鼻の能力。
オレが追ってきていることに気づかない訳がない。

 普段なら、オレが近くに行けば来なくてもいいのにすぐ駆け寄ってくるあいつが、こんな行動をとるのは
腑に落ちない…。

 清麿は足を止めた。あのガッシュは気になるが、なにやら危険な感じがする。
学生カバンを抱えなおすと、近くにあった太目の木の陰にそっと寄り添うように身を潜めた。

 その時、
「フン。意外と早く気が付いたなぁ」
 男の低い声が頭上から降ってきた。
清麿の背後の斜面。その上に人の気配。
「ここまでおびき出せたんだ。十分じゃないか?」
 甲高い子供の声。
同時にがさがさと木を揺らす音。その音に続き、清麿の目の前に何かが投げ出された。
それは金色の髪と緑の布のかたまり。

"やられた!"

 体中から冷や汗が一気に噴き出した。本はここにあるのに、ガッシュはいない。
そして日が暮れそうな時にこんな山の中…。

 一瞬にして状況を悟った清麿の行動は早かった。

 地面を蹴って木の陰から踊り出ると、すぐ目の前の茂みに飛び込んだ。
茂みの中は急な下り斜面になっており、清麿は体を出来るだけ小さくしながらそこを一気に滑り落ちた。背後では派手に爆発音が響いていた。

 間一髪だった。

 さきほど清麿がいた場所は真っ黒にこげ、白い煙が立ち昇っていた。
「ちっ。はずしたか」と男の声。
「何してる。追うぞ。」

 既に日は大きく傾き、辺りは薄闇が迫っていた。

+ + + + +

"戦えない今は、とにかく逃げ切るだけだ…。"

 滑り落ちた斜面の先には、細いけもの道があった。
やった。オレのカンは鈍ってなかった。記憶に間違えが無ければ、この道はふもとへの近道に
続いているはずだ。

 かばんを左手にしっかり抱え、清麿は全力で走った。

 制服はすでに泥で汚れ、剥き出しの腕にはさっき茂みを抜けた時に木の枝に傷つけられ、
無数の赤いすじが走っていた。
まったく…。オレはバカか?こんな手にあっさり引っかかるなんて…。
だが、ガッシュがいないところを狙ってくるなんて…くそぉ。

「ガルドム!」
背後で声がしたとたん、清麿のすぐ後ろで爆発が起きた。その爆風に押されてよろめく。

"もう追いついたのか?"
安心していたわけではないが、少し引き離したと思っていたのだ。
予想以上の速さで追ってきている。清麿は木立の間をできるだけ右へ左へと縫うように走った。
とにかく直撃だけは避けなければ…。

「くそぉ…。ちょこまかと逃げやがって。木がじゃまで術が撃てん!」
 男の声。息がかなり上がっている。
「フフ。頭脳派だって聞いていたけど、意外に速いじゃないか。まあ、こうじゃなきゃ面白くないさ…。」
 ゲームでも楽しんでいるような口ぶりだ。
「逃げられたらどーするんだよ。」
「落ち着けよ。この先は確か…」
「あ。そうか。意外と間抜けなやつなのかもな…フフフ…。」

+ + + + +

"ここを抜ければあとはふもとまでの下り一直線だ…"

 勝手知ったる山の中。子供の頃の記憶は自宅方面への一番近い道を描き出していた。
この道を一気に下れば自宅はそれほど遠くない。それであきらめてくれればそれで良し、それでも追って
くるようであればなんとかガッシュと合流して反撃に出るしかない。
この場は…この場はなんとか逃げ切らねば…。

 この時、清麿の視界が唐突に開けた。

 かなり急ではあるが、ふもとまでの一直線の道。そんな情景を思い浮かべていたのだが、
現実はそれを見事に裏切っていた。

「道が…無い!?」

 道があったはずの場所はきれいに削がれたように切り立った崖と化していた。
何故…何故…。もしや…!

 おととしの秋、大型台風が直撃した時、裏山が崩れたという噂を耳にしたことがある。
あの頃は世の中で何が起きようと、自分にとっては何の意味も持たないことだった…。
まさか。ここが崩れていたなんて。

「さあ。おとなしく本をよこすんだ!」
男の声に清麿ははっと振り向いた。姿は見えないがかなり近くまで来ている。

 かばんをしっかり胸に抱え込み、左右に視線を走らせる。なんとか逃げ場所を…。
崖を飛び降りるか…? いやだめだ。完全に切り立っていて途中引っかかる場所もないし、この高さでは
命の保証も無い。なんとか木を利用して…と考えた瞬間、呪文と共に清麿の目の前に巨大な光が
広がった。

「ディオガ・ガルドム!」
強烈な光を放つそれは、急速に迫ってくる。

"でかい! だめだ…避けきれない…! 本だけは…!"
反射的にかばんを深く抱え込み、光に背を向けようとしたその時、叫び声が耳に飛び込んできた。

「清麿ーっ! 呪文を!」

"ガッシュの声?"
その声と共に清麿の目の前に小さな人影が踊り出た。清麿の目は光に反射してキラキラ輝く金色の髪を
捉えた。ガッシュ!ガッシュ!

「ラシルドォ!」

 ガッシュの目の前に金色の壁が一気にそそり立った。
直後、巨大な光はそれに激突した。一瞬拮抗したが、ラシルドは何とか持ちこたえ、光を跳ね返した。

「やった!」
 大きな爆発音と共に爆風が清麿たちに吹きつけた。地響きが起こり、よろけたその瞬間、
清麿の体がふっと宙に浮いた。

「あっ・・・・」
急速に吸い込まれていくような感覚。
だが、目の前のモノは妙にゆっくり動いているように見える。

清麿の声に振り向くガッシュ。

足元から崩れていく地面。

爆発した場所から立ち上る白い煙。

スローモーション。

しかしガッシュが声を上げた瞬間、全ての時間が一気に動き出した。

「清麿ーーーーっ!」
清麿の意識はその体と共に、急速に落下していった…。

(2004年8月発行 Step by Step 掲載)


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