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「GREEN GREEN」 〜前編〜



初夏の日差しがガラス越しにやわらかく差し込んでくる。
事務所の窓辺に並べられた植物の鉢の上にも、暖かい日差しがたっぷりと注がれている。
そんな風景を眺めながら、食後のコーヒーを飲む。とても幸せな時間だ。
今日の仕事は午前中にほぼ終えてしまった。さて、午後は何をしようか。

マンゴーのところに行って実の出来具合を確かめてくるか。植物園入り口の花壇の花を
そろそろ植え替えてやるか。そういえば、温室奥の小道に枝が張り出していたから
あれを切っておかなきゃ。お客さんが怪我したらたいへんだものね。
考えてみると、まだまだ仕事はたくさんあった。ふう。のんびりしてる暇はないわね。
さっさと仕事に取り掛かるか……。

木山つくしはモチノキ町にある町立植物園の管理人を務めている。
小さい頃から植物が大好きで、絶対に植物に関係ある仕事をしようと心に誓って大きくなったのだ。
念願かなって植物園に就職が決まったときは、文字通り飛び上がって喜んだものだった。
植物に接する毎日。どの植物もちゃんと世話をすればちゃんと応えてくれるのがうれしい。
みんな、あたしの大切な友達だ。

カップの底に残ったコーヒーを一気に飲み干すと、午後の作業にとりかかるべく勢い良く
立ち上がった。
その瞬間、正面入り口から入ってくる人影が目に入った。
白いシャツに紺色のネクタイとスラックス。
特徴のあるネクタイ止めは、あれは近所の中学校の制服。
今日は平日だったよね。今の時間はまだ授業中なはず。
中学生がなんでこんなところにいるんだろう……?







「……って思ったのが、今思えば最初の出会いだったのよね」

つくしはそう言いながらやわらかい芝生に目を落とし、その表面をそっとなでた。
その正面に律儀に正座をして座っているのは、一人の金の髪の子供。
大きな瞳が印象的なその子供はガッシュ・ベルと言った。つくしの小さな友達である。

「この場所は清麿の指定席だったのよ。いつのまにか同じ場所を見つけてるなんてさすがね、ガッシュ」

この場所とは、植物園の中央温室の片隅で、タコノキが密集している一角。
外から見ると分からないが、タコノキの裏側にはふかふかの芝生が生えている部分があって、くつろぐには最適な場所なのであった。
つくしの秘密のリラックスエリアであったその場所を、時々一人の少年が占めていることに気が付くのに、時間はそうかからなかった。

その少年は、大抵平日の昼前に現れ、いつもこの芝生に座り込んで静かに本を読んでいた。
そして夕方になるといつの間にか姿を消すのであった。

「彼が誰なのか、すごーく気になったんだけど、なんか近寄りがたいものを感じてね……。なかなか声をかけられなかったの」

そう言いながらふと目の前のガッシュを見ると、不安そうな表情と、真剣そのものの瞳が目に入った。

「その頃の清麿のことを話して欲しいのだ……」

清麿の指定席であったこの場所で、大の字になって眠っていたガッシュに昔の清麿のことをちょっと洩らしたら、 もっと詳しく教えて欲しいと真剣な目で頼まれてしまったつくしであった。







「つくし姉さん、こんばんは」

謎の少年が植物園にしばしば姿を現すようになった頃のある日の晩、仕事を終えて家に戻ったつくしが、自宅の門を開けようとした時、背後から知った声が響いた。

「あ、恵美ちゃん、こんばんは。部活帰り?」

声の主はつくしの隣の家に住む中学三年生の女の子。
バスケット部の主将をつとめる活発な女の子だ。

「ええ。もうすぐ夏の総体でしょ。三年生はそれで部活も終わりだから、つい気合はいっちゃって」
「そっか。それが終われば受験勉強ね。大変だけどがんばってね」
「あーん、やだなー。私って頭動かすよりも体動かすほうが得意なんだけどなー」
と言いつつも、あっけらかんと笑った。

……中学三年生か。あ。そうだ。恵美ちゃんならあの子のこと知ってるかもしれない。
ふと思いついたつくしは植物園にやってくる少年のことを聞いてみた。

「うーん、誰だろう? ……あ。もしかして一年生の高嶺君かもしれない」
「高嶺君?」
「高嶺清麿。IQ190の天才少年君」
「IQ190!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

「うん。入ってきたときにはすごい話題になったわよー。あれが噂の天才少年だって。
私もわざわざ顔見に行ったくらいだし。でも、すぐに頭がいいのを鼻にかけた いやーなヤツで、クラスでもいじめられてるって噂が流れてきたの。 私は直接話したことないから、なんともいえないけど。クラスでそんなんだから 植物園でさぼってるんじゃない?」

なるほどね。いじめか。ちょっと見た限りでは嫌なヤツって感じはしなかったけどな。
でもおかげで彼の正体が分かったわ。
もう気になって気になってしょうがなかったのよね。
よおし。今度声をかけてみるか・・・。







「これあたしの自信作。食べてみて?」

植物園の一角で、丹精こめて育てた完熟マンゴーを盛った皿をつくしはぐいっと差し出した。
皿を突き出されたほうの少年は、かなり本に集中していたらしく、文字通り飛び上がって驚いた。
何が起こったか一瞬理解できなかったようで、そのままの姿勢で固まってしまった。
その姿があまりにもおかしかったので、つくしはつい吹き出してしまった。

「あっははは……。そんなに驚かないでよ! あたしはただ、これを食べてみてって言っただけなのに」

少年はつくしの顔と皿の上のマンゴーをかわるがわる見つめた後、ようやく状況を悟ったらしく直後、真っ赤になってしまった。
あれ。可愛いんだこの子。やっぱりイヤな感じはしないや。

「あ、あんた、誰だよ」

少年が初めて口をきいた。
お。意外と大人っぽい声してるんだ。

「あたしは木山つくし。この植物園の管理人よ。このマンゴーは、あたしが丹精込めて作ったの。 植物ってさ、すごーく正直で、こちらが一生懸命世話をしてあげると、ちゃーんとそれに応えて 美味しい実をつけてくれるの。ウソじゃないわよ。さ、どうぞ」

にっこり笑ってもう一度皿を少年の方に突き出してみたが。
あ〜。警戒してる。警戒してる〜。
すごい疑惑の眼つきでつくしを見つめる少年。
つくしは思わず野生動物に餌付けをしているような気持ちになってしまったのであった。



「ん……うまい。これ本当にあんたが作ったのか……いや、作ったんですか」

つくしがすすめるままにマンゴーを口に運んだ少年の感想だった。

「あんたじゃないわ。木山つくしよ。もちろんあたしが作ったの。すごいでしょ?」
「……うん。すごいな」

なんだかとても素直に感動しているようだった。
つくしはそんな少年の態度が嬉しくなって、もう少し突っ込んでみてもいいような気持ちになった。

「君の名前は?」

少年はちょっとためらったが、すぐにつくしの問いに答えてくれた。

「……清麿……」

しかし、そういった瞬間にふっと深くうつむいてしまった。
つくしはちょっとあせった。その少年の姿が消え入りそうなたよりない雰囲気だったからだ。
つくしは思わず言ってしまった。

「き、清麿君って言うんだ。清麿って呼んでいい?あたしのこともつくしでいいからさ!」

うわ。初対面でこれだけ歳の差あって、呼び捨てOKですかぁ?って自分自身にツッコミ入れつつも、 まあいいやと思っている自分にも気がついていた。

「つくし……?」

口の中でぼそっとつぶやいた後、思いっきり変な顔をされてしまった……。




それからも清麿は植物園に現れたり現れなかったりを繰り返していた。
ここに来ない日はきちんと学校に行っているのだろうか?
子供を見守るべき立場の大人としては、変なところをうろつかれるよりは 植物園で本を読んでいてくれるほうが安心なんだけどな。

清麿自身はあまり他人にかまわれたくないようなので、できるだけ放置するようにしていた。
そう、そうするようにはしていたのだが、つくしの性分か、清麿のその態度のせいかは分からないが、 なぜか構いたくなってしまうのである。
きょうも美味しく実ったパイナップルを手に、つくしは嬉々として餌付けに向かうのであった。

しかし、そうやってちょこちょこと現れるつくしに、うざったそうな呆れたような目を向け、 持ってきた食べ物をしぶしぶつまむのが清麿の常だが、そんなときはまだいい。
時々、死んだようなうつろな目をしているときがある。
そんな時は、清麿の心の傷の深さを見たような気がして、つくしも一緒になって落ち込んでしまうのだった。





 * * *




その日植物園には、朝から近所のモチノキ幼稚園の子供たちが見学に来ており、年長組の合計12名が、 園内で子供特有の騒がしい騒音を立てていた。

そういえば清麿も今日は早々に来ていた気がする。
あんまりうるさいと本が読めないって帰っちゃうかな……と心配になり、いつものコーナーに 様子を見に行ったが、いつもの場所にいつものように陣取った清麿は、騒音をものともせず本に没頭していた。
この子の集中力は大したものだわと感心しつつ、つくしは安心して自分の仕事に戻った。



モチノキ幼稚園の園児たちは先生方に連れられて、思い思いに植物園内を見学していたが、 突然にその事件は起こった。

中央温室に派手な水音と共に、子供の悲鳴と泣き声が響き渡ったのだ。

場所は温室の中ほどにある熱帯の水生植物のコーナーあたり。
つくしがまさかと思いつつ慌てて駆けつけてみると、水生植物を育てている池のほとりで園児2,3人が泣き叫んでいる。
池の上には園児の黄色い帽子がひとつ……。

「さとしくんが……お池に……!」
「お花とろうとして、おちちゃったの!」
「しずんじゃった!!」

口々に訴える園児の言葉を聞いて、つくしは青くなった。
この池は確か深さ3mぐらいはあったはず。
あたしがそこまで潜って子供を引き上げることができるんだろうか?

自信は全然無かった。
しかしそんなことを言ってる場合じゃないことも分かっていた。
一瞬躊躇したが、すぐに心を決めて羽織っていた白衣をばっと脱ぎ捨てた。

その時、

「オレが行く。」

ふっと肩に手が置かれたと思ったら、次の瞬間清麿が池に飛び込んでいた。



(2007/4/2)


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