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「GREEN GREEN」 〜後編〜



温室の窓からは午後の明るい光が降り注いでいた。
そして部屋の奥からは、ほのかにコーヒーの香りが漂ってくる。
清麿は毛布にくるまりながらぼんやりと足元に目線を落としていた。

「寒くない? 大丈夫?」

つくしは熱いコーヒーを入れたマグカップを清麿の視線の先に差し出した。
鼻先にふんわりと良い香りが湧き上がる。
清麿は顔を上げると柔らかく笑って大丈夫と言い、両手でマグカップを受け取るとそっと口まで運んだ。

「清麿……ありがと」

そのつくしの言葉に清麿ははっと目を上げた。

「あなたがあそこで飛び込んでくれなかったら……たぶんあたしじゃあの子助けられなかったわ。 人工呼吸のやり方だって覚束ないし。あなた凄いわね。的確な処置だったって、救急車の人感心してたわよ」

清麿に池から救い上げられた子供は、かなり水を飲んでおり呼吸も止まっていたのだが、 清麿はてきぱきと水を吐かせ、人工呼吸を施し、子供を蘇生させてしまったのだ。

「やり方は本で読んで知ってたから……」

と言うとふいっと顔を背けてしまった。しかしその耳元は赤く染まっている。
そっか、照れてるんだ。
普通本を読んだだけじゃあんなに的確に処置できないよね。やっぱこの子ただものじゃないわ。

「でも……オレ、自分でも驚いた。つくしには行かせられないって思った瞬間、自然に体が動いたんだ。 助けられて本当によかった……」

そう言うと顔を上げてつくしに向かって微笑んだ。
今まで見たことのない最高の笑顔だった。
その笑顔につくしは、「行かせられないって……どうせあたしは頼りないですよ」というぼやきを思わず飲み込んでしまった。




「そうなのだ! 清麿はそういうものなのだ!」

つくしの前の子供が意を得たりと声を上げた。
仁王立ちし、胸を張り、自分のことのように誇らしげだ。

「うん、そうだね」
つくしもにっこりと返事をする。

「しかし……」
が、すぐに暗い表情になる子供に不安を覚える。

「他人を助けようとする清麿は大好きなのだが、時には自分の身を顧みないことがあるのだ。いつか取り返しのつかないことになるのではないかと……」

不思議な力を持つ優しい子供。あなたも清麿と同じだね。
自分のことを顧みず人を助ける……。
何か大変なものを背負っているみたいだけど、君たち2人ならきっと乗り越えられる。
何故だかそんな気がするよ。
金色の頭にそっと手を載せて軽くたたいてやったら、子供は顔を上げて太陽のように笑った。

「でも大丈夫。清麿は私が守って見せるのだ!」
「ああ、頼んだよ……ガッシュ」




それからの清麿は相変わらず来たり来なかったりを繰り返していたが、以前のような反抗的態度は影を潜め、よく笑ってくれるようになった。

学校よりここの方が居心地が良くなってしまうのも問題が……とも思ったが、自分勝手にいいことにしてその件に関してはフタをした。
まさか清麿の待遇改善を要求して学校に怒鳴り込むわけにもいかないし、自分にできるのは清麿に居場所と美味しい果物を提供することぐらいだったから。

だんだん清麿の姿を見る日が少し減ってきたような気がして、少し寂しいながらも喜んでいた矢先、あの事件は起こった。





 * * *




その日は朝から伸びすぎた植物を切る作業をしていた。
脚立の一番上に腰を下ろし、慣れない植木バサミと格闘しつつ、木の枝や葉を 落としていたら、木々の間を走り抜ける黒い頭が目の隅をよぎった。

「あれは……」

見慣れたあの髪型は清麿。あんな風に急ぐ姿は見た事がない。どうしたんだろう。
気になりつつも一瞬作業に戻ろうとしたが、どうしても気になったつくしは植木バサミを放り出し、いつもの場所に飛んで行った。

タコノキの後ろ、柔らかい芝生が生えている一角。
そこに清麿はいた。
しかし、いつものように座り込んで本を広げているのではなく、両手と両膝を芝生につき頭を落とすその姿。
その脇には学生カバンが無造作に放り出されていた。
よく見ると清麿のその両肩はかすかに震えており、小さく嗚咽が漏れていた。

「清麿……どうしたのよ?」
「……つくし……!」

振り向いた清麿の顔は涙に濡れ、目は少し赤くなっていた。
明らかにしまったというその表情に、何も考えずについいつもの所に来てしまったのだということが知れた。
つくしもまずかったかと内心慌てたが、いまさら後へは引けないし、こんな清麿を放っておくわけにもいかなかった。
とりあえず何気ないふりを装い、清麿の横に黙って腰を下ろした。

清麿はそんなつくしの様子をしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと向き直り、つくしに並んで腰を下ろした。
しばしの沈黙。
つくしは清麿から話をしだすのを根気よく待った。
隣でうつむく清麿の表情は分からなかったが、逃げようとしたりする雰囲気は無かった。

「……何でだよ……」

うつむいたままぼそっとつぶやく清麿。

「何で……オレに話しかけたからって……あいつが無視されなきゃならねぇんだよ……」

つくしはゆっくりと頭をめぐらし、清麿を見下ろした。

「あいつは……関係ねぇじゃん。
あいつにいじめられる理由なんてこれっぽっちもねぇんだから……」

子供というのは人生の経験不足から、しばしば非常に残酷になることがある。
清麿を排斥しようとする力が強ければ強いほど、清麿に手を差し伸べようとする思いやりに対しての風当たりも強くなる。
多分清麿はその思いやりの手を反発しながらも嬉しく思っていたのだろう。
しかしそのために、集団からの拒絶の力がそちらに向かった……。

この子にとっては、さぞかし辛いできごとだったに違いない。
居場所から排斥される辛さを心底知り尽くしている清麿に、自分が原因で友達まで同じ目にあうなんて耐え切れなかっただろう。
こんなに優しい子なのになんで……とやりきれない思いが湧き上がる。

つくしは片手を伸ばし、清麿の肩を取ってぐっと抱きしめ、反対の手で髪をくしゃっとかき混ぜた。
清麿は一瞬体を固くしたが、すぐに力を抜いてつくしに身をゆだねた。
そしてつくしの手の中で、清麿は声を殺して泣いたのだった。




その日から清麿はふっつりと植物園に来なくなった。
きっと学校に行くことも止めたに違いないとつくしは思っていた。
時々いつもの場所をのぞきに行くが、当然そこには誰もいなかった。

「つくし、失恋でもしたの?」

仕事中も知らずため息をつくことが多くなり、同僚からはそんな指摘を受けた。
失恋かあ。そうね。あたし多分、あの子のこと好きだったんだな。
もちろん恋愛という意味じゃないけど。
好きな子には元気でいてほしい、いつも笑っていてほしいって思うもんね。

今となっては何もできない自分。
くやしかった。
もどかしかった。
もう果物も食べさせてあげられないと思うと、無性に寂しかった。

「はああああ……」

またため息が出ちゃった。ため息をつく度に幸せが逃げていくって言うけど、本当なのかな……?





 * * *




「つくし殿、清麿を守ってくれてありがとうなのだ」
「結局あたしはなんにもできなかったけどね」
「そんなことないのだ。清麿はつくし殿のことが大好きだし、とても大事に思っているのだ」

つくしは頭にかぁっと血が上るのを感じていた。
そんなにストレートに言われちゃ照れるよ、ガッシュ。

「ガッシュ、全部あんたのおかげよ。清麿があんなに元気になったのは」
「あれは清麿の力なのだ。清麿は強い者だからのう。いつも私は助けられてばかりなのだ」

助け……助けられ……か。

本当にあなたたちは最高のパートナー同士。
見ていてうらやましくなるくらいだよ。
でも、ガッシュはいつかあの緑の子供のように消えてしまうのだろう。
その時……清麿はどうするのだろうか。

またあの時のように一人で声を殺して泣くのだろうか。
しかし……きっと泣いたその後には、前を向いて歩き出すのだろう。
この子供にもらった力を糧に。
この子供と同じように真っ直ぐ前を見つめて。
あたしはいつもただ見ているだけだ。
それしかできない。

ガッシュも清麿もここに来ることがなくなったら、一番寂しいのは自分かもしれないと、 元気よく温室を出て行くガッシュを見送りながらつくしはそう思った。




−終−

(2007/4/8)


あとがき



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