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    島7日目

    浜辺の幸せ

    9・16(火)

    このころ、なぜかわたしにガンジーというあだ名がつく。

    午後、死体があがったという浜(あくまでもドクちゃんの話)に行くことに。
    ミサちゃん、ドクちゃん、テルオー(偏屈テルオー、でも憎めないスネオ似の大学生)、ノリちゃん、私の5人で向かう。まったくの子供になってアスファルトを島ぞうりで両手をブンブンふって歩いた。途中、草笛をドクちゃんから習い、みんなでピーピーさせながら歩いた。
     ハイビスカスが咲いていて、髪に差した。「花ひとつで気分が違うからさ〜」と言うドクちゃん。ぱーっと南国気分。簡単なものだ。
    こんなちょっとの積み重ねが人生を楽しく美しくするのだとしみじみ思う。

     いろんな場所で、それぞれに生きていたのにここでこうして笑いあってるのって、不思議だ。
     しかし、偏屈テルオーを光のほうに呼ぼうとするドクちゃんの大らかさには感心する。「でも、それがテルオ、ざっつ、テルオーだからさ〜」って。

    浜に向かう途中の二人の会話。
    「じゃあさ〜、テルオーの彼女が熊とかに襲われたらどうする?」(なんでそんな話に、しかもなんで熊なのかよく覚えてないけど、このやりとりは面白かったので覚えてる。)
    「そりゃ、逃げるよ」とテルオー
    「彼女を置いて? 愛する人を守らないの?」とドクちゃん。
    「だって人間なんていざとなったら自分がいちばん大切じゃん」
    「そんなの男失格だなぁ」
    「…そんときになんないとわかんないよ…」
    「テルオーなんか熊に食われちゃえ〜わうわう」

    死体があがったという浜で逆立ちをしたり、石を投げたり、寝転んだり、写真を撮ったりした。遠くの空で風が鳴っている。360度の幸せ。小学生にあがる前くらいにこんなふうに、たくさんたくさん、日が暮れるまで遊んだことを思い出す。木登りしたり、れんげ畑で一生懸命花輪つくったり。空き地に本気で「地下秘密基地」を作ろうとして深い穴を掘ったこととか、砂場に草で林や、板切れで町や、水を流して川や山を、一日かけて近所の友だちと作ったことを思い出した。
     なつかしくて、忘れていて、でもいつも心の奥に隠れてた気持ち。

     記憶は宝物だ。たとえば、私が寝たきり老人になったとしても、ふと、この浜辺の風景を思い出しては幸せな気持ちになれるだろう。もちろんそれだけではないけど、幸せな記憶のために旅をしたり、人に会ったりする部分がある。その時はそう思わなくても。

    帰り道で「ロビンソン」を合唱。歩く速度にちょうどいい歌。もちろんテルオーは歌わない。

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