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このころ、なぜかわたしにガンジーというあだ名がつく。 午後、死体があがったという浜(あくまでもドクちゃんの話)に行くことに。
いろんな場所で、それぞれに生きていたのにここでこうして笑いあってるのって、不思議だ。
浜に向かう途中の二人の会話。
死体があがったという浜で逆立ちをしたり、石を投げたり、寝転んだり、写真を撮ったりした。遠くの空で風が鳴っている。360度の幸せ。小学生にあがる前くらいにこんなふうに、たくさんたくさん、日が暮れるまで遊んだことを思い出す。木登りしたり、れんげ畑で一生懸命花輪つくったり。空き地に本気で「地下秘密基地」を作ろうとして深い穴を掘ったこととか、砂場に草で林や、板切れで町や、水を流して川や山を、一日かけて近所の友だちと作ったことを思い出した。
記憶は宝物だ。たとえば、私が寝たきり老人になったとしても、ふと、この浜辺の風景を思い出しては幸せな気持ちになれるだろう。もちろんそれだけではないけど、幸せな記憶のために旅をしたり、人に会ったりする部分がある。その時はそう思わなくても。 帰り道で「ロビンソン」を合唱。歩く速度にちょうどいい歌。もちろんテルオーは歌わない。 |
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