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    波照間島あれこれ

    共同売店
    冨嘉売店波照間に何泊か滞在する時、一番お世話になるのが、各集落にある共同売店でしょう。島にはスーパー、コンビニの類は当然ありません。日用品や食料を扱う商店は、基本的には5つの集落にひとつづつある共同売店だけとなっています。(2、3軒ほど、個人商店があるにはありますが。)私達旅行者も日中はジュース、夕方にはビール、そして幻の泡盛「泡波」を捜しまわって一日に何度も滞在している集落の共同売店を訪れることと思います。

    「共同店」または「共同売店」と呼ばれる商店は、現在沖縄本島の農山村地域と、離島の一部に存在します。字(集落)ごとを単位に、字の全住民の出資によって運営されている商店で、いわば生協のようなものです。共同売店が村落唯一の商店であるところも少なくありません。
    初めての共同売店は1906年、沖縄本島最北部の国頭村「奥」集落に設立されました。貧しい集落で複数の商店が競合すると共倒れしてしまい、集落の生活が成り立たなくなってしまう、という点が最大の設立理由だったようで、物品を共同購入して売店で販売するだけでなく、船を持ち、集落で取れた薪木を那覇方面に出荷したりもしていたようです。

    共同売店は村落共同体の強固な地域を中心に拡がっていきました。戦前の村ごとの産業組合による統合解散、戦争による消滅といった紆余曲折経て戦後の配給制度終了後ふたたび各地で復活しました。しかし、商業の発達、都市化などにともなう共同体の弱体化などにより、その後無くなってしまったものも多数あります。

    運営方式には字の直接経営によるものと、個人請負によるものの2タイプがあり、直接経営は、集落から数人の理事を選出して経営、集落の住民から選ばれた従業員が交代で勤務するというスタイルをとります。共同体の関係が薄くなるにつれ、個人請負による依託運営へと変化し、さらには単なる個人商店になる場合も多かったといいます。
    主な機能としては、経済的機能、福祉的機能、情報的機能があります。経済的機能は現在は購買活動のみの例が多いですが、かつては上の例にあげたような、農林産物の生産・加工・販売なども盛んに行われていました。福祉機能は共同バス運行、電話取次ぎ、冠婚葬祭費の援助といったものです。情報的機能としては集落内放送などのほか、何といっても集落民の情報交換の場として機能しているといえるでしょう。

    八重山では西表大富集落、石垣島北部、波照間に共同売店があります。そのうち西表、石垣は戦後の開拓集落に設立されたもので、開拓民の中心となっていた、沖縄本島の大宜味村出身者が、大宜味の共同売店の方式に倣って開設したものです。
    波照間の場合は戦後、1952年からもとより存在する5つの集落にひとつづつ、共同売店が設立されました。全部の集落に出そろったのは1962年だそうです。以外と遅い設立です。ただ、波照間島は他の八重山諸島から隔離されているせいもあって、共同体組織が強固であり、島賦役や神行事、ユイマール(農作業での労働交換)といった家でなく個人を単位とした共同体作業がいまでも続いています。そういった風土ですから、共同売店の導入は当然の流れとして行われたのではないでしょうか。 (追記:共同売店設立以前に、漁業組合経営による売店があったそうです。これが、カツオ漁の衰退により廃止され、それに代わるものとしての設立という側面があったようです。)

    南集落の共同売店の例をみますと、1956年、一人あたり500B円(日本円換算で1500円)の出資で設立され、生活必需品の購買活動のほか、砕石機や、2tトラックの購入といった設備投資もなされています。売店の利益は資本金に繰り入れられたり、配当金として集落民に配られると云います。ちなみに南集落では当初6万円だった資本金は1973年には250万円となり、また1974年には一人あたり25000円の配当金が配られたそうです。

    波照間の共同売店は集落によって若干仕組みが違うようですが、基本的には集落ごとに、2〜3名の主婦が月2〜3回の交代勤務制で、店番をやっているようです。物価が石垣より少し高くなっているのは、石垣島内の卸し店からの仕入れの際、運送の船賃を共同売店側が負担するためだそうです。 営業時間はけっこう朝早くから夜遅く(9時頃)までやっているようですが、午後には昼休みで閉まってしまう売店もあります。売店の前にはたいていベンチとテーブルがあって、ちょっとひと休みできるようになっています。夕方に訪れると、子供達がたむろしていたり、おばあが買い物していたりと、売店の前はちょっとしたにぎわいをみせています。
    レジの横には、さりげなく半年分の神行事のスケジュールが貼ってあったり、拡声器を通じて、いろいろな行事の案内放送が行われたりと、集落住民の生活の拠点のひとつとなっていることがうかがわれます。

    共同売店を利用する時は、このように、このお店が営利目的の商店ではなく島民の日常生活の大事な拠点となっていることを頭の中にとどめつつ、控えめな買い物をしたいものです。

    名石売店名石集落売店。
    公民館の脇にあり、観光客にもよく利用されている。
     

    前売店前集落売店
    「まるま売店」の名を持つ。
     

    南売店南集落売店
    ここと、冨嘉集落売店は、部落会館(集落の集会所)を併設している。
     

    北売店北集落売店
    「丸友売店」の名を持つ。一番古い共同売店か。
     

    参考文献:
    堂前亮平著「沖縄の都市空間」1997古今書院
    「南島文化研究所所報No.11」1980沖縄国際大学南島文化研究所
    「島嶼社会の変化と生活圏編成に関する研究 八重山群島の事例研究」1978

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