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![]() 「共同店」または「共同売店」と呼ばれる商店は、現在沖縄本島の農山村地域と、離島の一部に存在します。字(集落)ごとを単位に、字の全住民の出資によって運営されている商店で、いわば生協のようなものです。共同売店が村落唯一の商店であるところも少なくありません。
共同売店は村落共同体の強固な地域を中心に拡がっていきました。戦前の村ごとの産業組合による統合解散、戦争による消滅といった紆余曲折経て戦後の配給制度終了後ふたたび各地で復活しました。しかし、商業の発達、都市化などにともなう共同体の弱体化などにより、その後無くなってしまったものも多数あります。 運営方式には字の直接経営によるものと、個人請負によるものの2タイプがあり、直接経営は、集落から数人の理事を選出して経営、集落の住民から選ばれた従業員が交代で勤務するというスタイルをとります。共同体の関係が薄くなるにつれ、個人請負による依託運営へと変化し、さらには単なる個人商店になる場合も多かったといいます。
八重山では西表大富集落、石垣島北部、波照間に共同売店があります。そのうち西表、石垣は戦後の開拓集落に設立されたもので、開拓民の中心となっていた、沖縄本島の大宜味村出身者が、大宜味の共同売店の方式に倣って開設したものです。
南集落の共同売店の例をみますと、1956年、一人あたり500B円(日本円換算で1500円)の出資で設立され、生活必需品の購買活動のほか、砕石機や、2tトラックの購入といった設備投資もなされています。売店の利益は資本金に繰り入れられたり、配当金として集落民に配られると云います。ちなみに南集落では当初6万円だった資本金は1973年には250万円となり、また1974年には一人あたり25000円の配当金が配られたそうです。 波照間の共同売店は集落によって若干仕組みが違うようですが、基本的には集落ごとに、2〜3名の主婦が月2〜3回の交代勤務制で、店番をやっているようです。物価が石垣より少し高くなっているのは、石垣島内の卸し店からの仕入れの際、運送の船賃を共同売店側が負担するためだそうです。
営業時間はけっこう朝早くから夜遅く(9時頃)までやっているようですが、午後には昼休みで閉まってしまう売店もあります。売店の前にはたいていベンチとテーブルがあって、ちょっとひと休みできるようになっています。夕方に訪れると、子供達がたむろしていたり、おばあが買い物していたりと、売店の前はちょっとしたにぎわいをみせています。
共同売店を利用する時は、このように、このお店が営利目的の商店ではなく島民の日常生活の大事な拠点となっていることを頭の中にとどめつつ、控えめな買い物をしたいものです。
参考文献:
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HONDA,So 1998,99 | 御感想はこちらへ |