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    波照間島あれこれ

    ニシ浜は「西の浜」ではない
        〜沖縄の方位名と「民俗方位」

    「民俗方位」と「自然方位」

    「自然方位」とは現在われわれが常用している、南極、北極の方向を南北とする自然科学的な方位のことを指します。
    一方で「民俗方位」とは、その地域の人たちが日常的に<北>、<南>と指す方向をいいます。(「民俗方位」を表すときは<>で囲むのが慣習となっています。)
    沖縄においても民俗方位は多用されます。道を尋ねたときに帰ってくる答えとして、右、左という表現のほか、東に何軒行った角を南に曲がる、といった表現がなされることがあります。

    この2つの指す方向はは必ずしも一致していません。つまり、民俗方位で<北>と言ったときに、それが磁石の指す北であるとは限らないのです。

    波照間をはじめ沖縄では、民俗方位は東西南北、自然方位は十二支で呼び習わされています。(例えば北極星=「にぬふぁぶし」(子の方向の星))
    十二支の方位図(方位図)

    そして、民俗方位は自然方位と約30度から45度、時計回りにずれています。大雑把に言えば、<南>は南西方向、<北>は北東方向となります。
    このずれの原因として推定されるのは、季節風の方向です。沖縄・宮古・八重山地方において夏は南西からの、冬は北東からの季節風が吹きます。この季節風は、後述しますが、それぞれ南風、北風の方言が呼び名となっています。つまり、南西からの風が南風、ということですから、南西が<南>ということになるわけです。(下図参照)

    この風向きは生活を大きく支配しています。例えば、家屋の方向は夏は風が入ってくるように、冬は寒くないようにということで季節風の方向に合わせ、正面が真南よりもやや西にずれて建てられています。波照間では比較的新しい集落である名石の家屋を除いて、ほぼ全ての家屋がこの原則に従っています。また、他の島とを結ぶ海路もこの季節風にあわせて運行されました。

    民俗方位は、波照間や宮古島など、風をさえぎる山のない、平坦な島において特にはっきりしていることからも、季節風が方位を決める原因となっていることがわかります。

    「ニシ」=北〜沖縄の方位名、風向名

    さて、ここで沖縄の方位の呼び方に注目してみます。沖縄では東西南北を指すときに日本とはまったく異なった呼び方をします。
    方位の名前
    東 西 南 北
    本島 アガリ イリ ヘー
    (フェー)
    ニシ
    宮古 アガル イル パイ ニシ
    八重山 アール イール ハイ ニシ
    与那国 アガリ イリ ハイ ニチ

    これらは厳密にいえば、民俗方位の呼び名です。かつてはそのままみなみ、きた、ひがし、にしと呼ばれていたといいます。
    沖縄の地名や人名にみられる「比嘉(ひが)」は、その名残で、南九州の「日向(ひゅうが)」と同じく=日に向いた方角を表しているといわれます。

    これらがいつから今の呼び名に移行したのか、はっきりしたことはわかっていません。
    このうち東西の呼び方は太陽の昇る方向と沈む方向に由来するものでしょう。地名でいえば、阿嘉礼(アガリー)、伊礼(イリー)といったものが、そのまま東、西を表しています。
    南北の呼び名についてはについては、もともと北風、南風の呼び名であった、「にし」「はえ」が方位の呼び名へと転用されたようです。
    ここで風の名前もみてみます。
    風の名前
    東風 西風 南風 北風
    本島(那覇) クシカジ イリカジ フェーカジ ニシカジ
    宮古(平良) アガズー イズー パイー ニスカジ
    八重山(石垣) アールアズ イールカズ ハイカズ ニスカズ
    波照間  アリカチ イリカチ ペーカチ ニシカチ
    与那国 アガイー イリー ハイー ニチカディ

    ここでいう、南風、北風は主に季節風のことであり、正確にいうなら、南西風と北東風ということになります。夏の盛りの季節風を真南風(まはえ)、冬の吹き初めの季節風を新北風(みーにし)ということからもわかるでしょう。

    なお、これらの風名は古い日本語がそのまま残っているものです。沖縄の言葉にはこの他にも、古文の授業で見かけるような単語が現役で使用されていたりします。

    地名で見ると、東風平(コチンダ)、南風原(ハエバル、フェーバル)といったものが見られます。東風を「こち」と言うのも古い日本語の呼び方であり、本島のクシカジのクシはコチが訛ったものでしょう。

    「ハイ」については、西南日本では現在でも南風を「ハイ」「ハエ」と呼ぶ地域が多いということです。薩摩隼人の「はやと」は、「ハエヒト=南人」の意であるという解釈もあるそうです。

    これらの呼び名の中で、北をニシと呼ぶことは注目されます。なぜそう呼ぶのかということについては、次のような推論もあります。
    「ニシ」は「イニシ」の語頭音イが脱落したもので、「イニシエ(昔)」と関連する言葉。時間を表す言葉が空間に転用されたもので、昔いた場所を示しており、古代日本においては西方から民族が移り住んだため西をニシと呼び、沖縄では、北方から民族が移り住んだため北をニシと呼ぶという。(金沢庄三郎説)

    この北=ニシは、日本との係りが深まる中で混乱を生んだと思われます。例えば沖縄本島の西原町(ニシバル)は、そもそも首里の北(北東)=ニシに位置することからそう呼ばれ、後から発音に「西」の字をあてたものと推定されています。
    そしてつぎにあげる波照間のニシ浜もそういった混乱のひとつでしょう。

    「ニシ浜」と「西の浜」

    ここで波照間の話に戻ります。
    波照間の北西に位置するビーチ「ニシ浜」は、島を訪れた人は必ず行くことになる美しいビーチですが、最近、島一週道路に「西の浜」という道路表示が出されたため、その呼び名が混乱しています。
    この「ニシ浜」は北を向いた浜ですから、「北浜」であるはずなのですが、確かに島の西の方に位置しているということもできるので、このような混乱が生まれたのだろうとおもわれます。

    ここで、民俗方位の視点をとりいれることで話がわかりやすくなります。波照間の民俗方位は先ほども述べた様に30度時計回りにずれていることが調査によりわかっているのですが、その際に高那崎(最南端の碑近辺)から毛崎(ニシハマ西方の、浜がとがって海に突き出ているところ)を結ぶラインが東西の軸となっています。この軸に対してニシハマは北側となっています。
    波照間の方位図
    一方ニシハマから毛崎をまわりこんだ浜は「ペ浜」、すなわち「南浜」と呼ばれているのですが、この浜は実際には真西を向いており、この民俗方位の軸を考えることではじめて、ニシハマにたいして軸を挟んで南側、という解釈によりその呼び名を理解することができます。

    なお、高那崎と毛崎を結んだ軸は、島の信仰を含めた世界観に大きな意味を持っているという分析もあります。
    毛崎近辺には島の創生神話の残る聖地「ミシュク」があり、一方で高那崎には、現在の信仰の基盤となっている伝説とは別の神話としてやはり創生神話が残されています。

    参考文献;

    金城朝永 1950 『北をニシと呼ぶ話』「金城朝永全集 上巻 言語・文学篇」所収1974 沖縄タイムス社
    鈴木正崇 1977 『波照間島の神話と儀礼』「民族学研究 42巻1号」所収 1977 日本民族学会
    沖縄タイムス社編 1983「沖縄大百科事典 上・中・下巻」沖縄タイムス社

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