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ミルク神とは 波照間では旧盆中日(旧暦7月14日)に「ムシャーマ」という盛大な祭が執り行われます。この時に島全体が3組に別れ、島の中央の公民館の広場に向けて、それぞれが「ミチジュネー(仮装行列)」で練り歩きます。 この行列の先頭、不思議な顔をした白い仮面を被り、黄色い服をまとってゆっくりと優雅な動きで行列を導いているのが「ミルク神」です。波照間の場合、「ミルク神」は女性であるとされ、付き人の子供達はミルクの子供であるといわれています。そして、行列に付かず離れずでつきまとい、ちょっかいを出したりしている道化役「ブーブザ」(右写真の右側)がミルクの旦那であるとされています。
この「ミルク神」は、波照間だけでなく八重山一帯の島々の祭でみることができます。しかし、波照間以外の島では大抵豊年祭の行列に出現します。波照間でもかつては豊年祭で出現していたのですが、、言い伝えによれば行列の旗頭をめぐって島中が大喧嘩となったため役人が豊年祭での仮装行列を禁止し、盆祭に移させたということです。
さて、このユーモラスなミルクの仮面ですが、台湾やベトナムでもこの仮面を見ることができます。これはどういうことなのか、ミルクのルーツをたどってみましょう。 ミロク信仰 「ミルク」は「ミロク」が沖縄方言に変化したものであり、すなわち「弥勒」のことです。弥勒は、釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救う来訪仏とされます。
一方、沖縄においては、もともと東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」という土地があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想がありました。この思想にミロク信仰がとりいれられ、ミロクは年に一度、東方の海上から五穀の種を積みミルク世をのせた神船に乗ってやってきて豊穣をもたらす来訪神「ミルク」であるという信仰が成立しました。 ミルクの仮面 沖縄で見られるミロクの仮面は布袋様の顔をしており、日本の仏像にみられる弥勒仏とは全くかけはなれた容姿をしています。これは、沖縄のミロクが、日本経由ではなく、布袋和尚を弥勒菩薩の化生と考える中国大陸南部のミロク信仰にルーツをもつためであると考えられています。
八重山で最初に仮面のミルク神が出現するようになったのは登野城の豊年祭だといわれています。伝承によれば、1791年、黒島の役人をしていた大浜用倫が公務で首里に向う海路で嵐に遭い、安南(ベトナム)に漂着しました。その際当地の豊年祭で祀られていたミルクに感激し、仮面と衣装を譲り受けたといいます。
ミルク神の伝播 ミルク神は急速に八重山に広まり、与那国島まで広まった後、今度は与那国から沖縄本島の南部沿岸に伝播しました。現在も知念村の2つの集落でミルクが出現するようです。八重山では現在すべての島でミルクみることができ、豊年祭、節祭、結願などで出現しますが、集落ごとにみていくと、中にはミルク神が出現しない集落もあります。 古見、宮良、新城、小浜の豊年祭では来訪神アカマタ・クロマタが出現します。これは秘密結社的な祭祀組織による秘祭であり、集落外の者に詳細を語ることは厳禁されており、現在でも厳しい制限のもとでの見学はできるものの、撮影、録音、メモ、スケッチといった行為は一切禁止され、いまだに祭の全貌はベールに包まれています。これらの地域でミルク神が出現しないのは、ミルク神が比較的新しい存在であり、また同じような来訪神の性格を持つため、とりいれられなかったものと考えられます。 また、鳩間の豊年祭ではあの仮面がなく、青い着物をまとい、クバの葉を頭から被ったミルクが出現します。かつては着物も着ない、裸のミルクだったといい他の地域のミルクと明らかに異質です。これもミルクの仮面の伝来以前の信仰を彷佛させます。 いっぽう宮古地方にはなぜかミルクの仮面は出現しません。伝承によればかつて宮古には女性のミルクがいて富をもたらしていたが、サーカ(=釈迦)と大げんかをし、勝負に負けて宮古を去り、支那の守護神になったということです。 「弥勒節」と「赤田首里殿内」 ミルクの仮面は琉球の首都首里にも伝えられています。仮面は赤田村首里殿内とよばれる女性神官の屋敷に祀られていて、旧暦7月16日には「弥勒御迎え(ミルクウンケエ)」と称する行事が行われます。ミルクを先頭にした行列が村内を練り歩き、豊穣、健康、繁栄を祈願するもので、八重山のミルク行列と同様であるといえます。
本州の「ミロク歌」 さて、八重山からはるか2000km離れた土地にもミロクにまつわる歌が残っています。茨城県の鹿島地方です。ここでの「ミロク歌」や「ミロク踊り」ではみろくの船が鹿島灘に到来すると歌われています。この「ミロク歌」は他にも本州大平洋岸に点在しており、柳田国男は八重山から黒潮の流れにのってつながる「海上の道」の根拠のひとつとしてとりあげています。現在、時代的な前後関係や日本における弥勒信仰との関係から考えるとそれらが直接八重山から伝わったことについては疑問視されていますが、黒潮の流れとミロク歌の伝播には何らかの関係があるようです。
以前沖縄好きの友達が台湾に行き、そこでミルクを見たといって写真を見せてくれました。そこでは近代的なビル街にミルクが出現していました。一方、ベトナムに行った知人もミルクの仮面を見たといっていました。波照間で見た神々しくもユーモラスなミルク神、これもまた沖縄からアジアにつながっていくリンクのひとつだったわけです。
参考文献: 宮田登著 1975「ミロク信仰の研究」新訂版 白水社
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