12月30日
沖縄地方は30日より下り坂の天候となった。「ニューはてるま」3便で入島する。
製糖工場は29日にキビの搬入が終り、30日には年内の操業を停止。4日まで短い休みとなる。
5日からは4月上旬にキビの刈入れが終わるまで24時間休日無しでの操業が続くこととなる。
31日には各売店に、30日製造の黒糖が並んだ。
ニシハマはいつも通りの様子で、旅人の姿も普通に見受けられた。
シャワー室の前にはペットボトルで作られた花瓶に沢山の花が生けられてあり、
浜を訪れた際に摘んで来た花を添えて祈っていく旅人も多かった。
あずまやの柱には「若い命が亡くなりました。花の水を取り替えてあげて下さい。
一人では寂しいですから。」と書かれたガムテープがひっそりと貼られていた。
12月31日
31日は低気圧の接近で大荒れの天気。フィリピン付近には史上最遅の台風が発生した。
夜明け前から午前中にかけ雨。北東風が吹き荒れ空がうねって音を立てている。肌寒い。
ニューはてるまは1便が到着したものの、すぐには折り返しできず、12時過ぎに折り返し。
2、3便は欠航となった。安栄観光も1,2便が欠航。3便のみが動いた。
年越しを島で過ごす人と物資で満杯、防波堤に白波が砕け散る中、20分遅れで港に着いた。
夜より天気は回復し雲が切れ始め、夜明け前には晴天となった。
1月1日
元旦の初日の出は7時26分。高那崎の最南端の碑付近には多くの人が集まった。
水平線には雲がかかっていたものの、晴れとなり、日の出を拝むことが出来た。
午前中は晴れ、午後には雲がやや多くなった。
公民館ではインターネット中継による竹富町長の挨拶と新年会があったようだ。
さすがの共同売店も元旦は休業。
日帰りツアーが盛況なようで、定期便を持たない八重山観光フェリーの高速船が入港し、
小型バスが島内を回っていた。大半は年配客。みなと売店はこれらに対応するため元旦より
営業。繁盛していたようだ。
沖縄では正月行事は旧正月に行う地域も多いが、現在の波照間では、旧正月の時期がキビ刈りの
繁忙期にあたるため、新正月に済ませてしまうそうだ。
1月2日
前部落、名石部落の会館前ではゲートボール大会が開かれていた。
また、前部落会館では小中学生の書初め大会も開かれていた。
午後になると雲がほとんどなくなり、快晴となった。気温も25度まで上昇した。
日差しは熱く、Tシャツに短パンで十分大丈夫。
ニシハマでは泳ぐ人の姿もかなり見られた。
日没は18時10分。雲ひとつ無い海に沈む夕日を見ることができた。
日没後は涼しく、上着が必要。空には天の川が広がる。
1月3日
3日は午後1時半より集落センターで成人式。男性8名、女性8名の新成人のほとんどは
この日のために島に戻ってきた。中には旭川から駆けつけた人もいた。該当者で欠席したのは
2名程度という。人数は例年になく多いそうだ。着付けと髪のセット担当者は石垣からの出張。
会場の中に入れるのは身内の人だけのようだが、外からも窓越しに多くの島人が見物していた。
式辞に加え、一人一人の挨拶。冒頭は島言葉。メモを頼りにたどたどしくしゃべる新成人を皆が
暖かく見守る。
2時半より5時前まで引き続いて余興の部。
「かぎやで風」の踊りに続き、波照間中学校全生徒による「波照間島節」
男子が三線、女子が踊りを担当。
この後も踊りが続く。ムシャーマでも演じられるものもあり。
後半は獅子舞に続き、公民館役員による仮装「おゆうぎ会」
たましろ主人の唄にあわせ仮装した役員がひとりづつ踊り、爆笑を巻き起こす。
最後は新成人が舞台に上がり六調節にあわせカチャーシー。
ラストは八重山での行事で定番の「弥勒節」皆で手をつなぎ、輪になってゆっくりと廻る。
この日の夜は成人がいる家庭へのあいさつ回りがあったようだ。
1月4日
4日早朝には南十字星が4つの星すべてを見ることができた。
(それまでは南の空には雲がかかっており見られなかった)
昼前より天気が崩れ始め、強い北東風が吹く。典型的な冬の天気。
3便で島を出る。波高4mの中、波を乗り越えながら石垣へ。
かなり揺れたものの定刻についた。
石垣は4日が成人式で、雨の中あちこちに着物姿が見られた。
5日にはニューはてるまが全便欠航となったようだ。
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