沖縄紀行へ | 波照間島あれこれへ |
沖縄について
その1 足を踏み入れるまで
なぜ沖縄に惹かれるのかということを考えて行くと、もちろんその豊かな自然、文化、出会う人々の魅力、などなどあるのだが、結局は沖縄のことを考え、沖縄を旅することで、今自分のいる日本や、あるいはその中の自分というものを見つめることになるからなのだろうと思っている。 沖縄との最初の出会いは小学校6年生(1983)の時に読んで感銘を受けた灰谷健次郎の 「太陽の子」であろう。神戸で暮らす沖縄出身者の話であり、主人公ふうちゃんのおとうさんの出身が波照間島であった。ただそのときは戦争の悲惨さや沖縄出身者への差別といったものに目が向いていたように思える。 もっと自覚的な出会いは高校1年生(1987)のときだ。細野晴臣らが参加している ということで図書館で借りてきいた喜納昌吉&チャンプルーズの1st.LP。針を落とし、1曲目の「ハイサイおじさん」のイントロが鳴り響いた瞬間、衝撃を受けた。それは今までにまったく聴いたことのない音楽であり、にもかかわらずそれは心を奥深くから突き動かすものであった。 しかしその当時は沖縄の音楽や文化に関する情報はあまりに少なく、図書館にあった数少ない沖縄の音源を聴き漁る事になる。その中には嘉手刈林昌のレコードも含まれていた。
1990年になると、ワールドミュージックブームが起きるなか、いわゆる 「ウチナーポップ」的な沖縄関連の音源が本土でもリリースされはじめる。5月にりんけんバンドのデビューCD発売記念で池袋西武百貨店屋上で行われたライブは初めての沖縄文化生体験だった。7月には喜納昌吉も7年ぶりの新譜を出し、沖縄音楽の影響を受けた上々台風もこの年メジャーデビュー。 ただ、基本的には興味の中心は音楽にあったといえる。洋楽の方でルーツミュージックを掘り下げていく過程で、沖縄音楽に関しても、ポップな味付けをしたものよりも、よりシンプルでblues的とも言える民謡に興味が移って行った。91年11月、東京で見た嘉手刈林昌のライブはひとつの転換点だったかもしれない。 なぜか実際に沖縄に行こうという気はあまり起こらなかった。漠然と沖縄という土地を思い描いてはいたが、書物やCD、ライブなどで満足していたのかもしれない。レゲエを聴いていても必ずしもジャマイカに行きたくなるわけではないのと同じことだったのだろう。沖縄の存在の大きさが、躊躇させたのかもしれない。また、今から思うと笑い話だが、飛行機が怖く、それも阻害原因になっていたのは確かだ。 そして、93年に入り、「琉球の風」が放映されるなど沖縄ブームが大々的となるころには、自分の中の沖縄熱は一段落していた。「ウチナーポップ」のグループが次々と出す新作CDにもあまり面白さは感じられなかった。 では、一体どのようなきっかけで実際に沖縄に足を運ぶこととなったのか、実は正確なところは覚えていない。94年の夏頃に「沖縄離島情報」を書店で見かけ、普通の観光ガイドではわからない具体的な交通や宿泊の情報がわかったのがひとつのきっかけだったとは言える。 実際に初めて行ったのは95年の春休み、大学5年目に突入する時だった。せっかく留年したのだからと、意を決して飛行機に乗り、沖縄に向ったのだと思う。ただ当時の手帳をみると、切符と宿の手配をしたのは出発のわずか5日前であり、いったいどういう心境で沖縄行きを決心したのか、やはりわからない。 那覇に泊りコザ、嘉手納、北谷などを廻った後、フェリーで八重山へ。西表、竹富、石垣、波照間をまわった。1週間ちょっとの旅であったが、とても印象深い旅となった。初めて見る沖縄の風景、自然、街、人々、全てが新鮮であった。日本国内は随分と旅してきたが、どの土地に行っても最早、変りはなかった。日本中至るところまで均質化が進んでいた。しかし沖縄は明らかに違っていた。 また、そういったこと以上に、人との出会いが印象的な旅であった。偶然が人の縁を呼び、繋げる旅。日本国内の旅でこのようなことが起こるのは沖縄だけではないだろうか。このときに出会った人達には、沖縄での旅のスタイルを教わったといえる。 95年夏、今度は3週間ほどかけて沖縄、八重山を訪れた。この旅でははじめて波照間の民宿「たましろ」に泊り、旧盆の「ムシャーマ」を見ることができた。軽い気持ちで見に行ったのだが、島の人達の生き生きした姿、自分達の文化への誇り、優しいおじい、おばあ、元気で人懐こい子供達、自然と共に生きる姿。そして最南端の島を訪れる個性的な旅人達。そういったものにすっかりとらわれてしまい、今に至る。このとき石垣の民宿で三線を弾かせてもらい、東京に戻った後購入することになる。 現代の社会、特に都市に暮らしていると、自然や環境といったものと、文化、生活、経済、政治、宗教といった人間の営みは切り離され、あたかも別個の物として存在しているかのように見える。しかし、島ではそれらは渾然一体となり、切り離して考えることはできず、全ては必然性のもとに、お互いに複雑に、有機的に結びついていることが実感できる。そういったことは島に行って初めて、感覚として理解できたことで、東京でCDや本に触れているだけではわからなかっただろう。
(「たましろ通信」10号(2000.1.1発行 右田健・西村志乃編集 特集:沖縄・波照間に行ったきっかけ)へ寄稿した文を修正したものです。)
|
沖縄紀行へ | 波照間島あれこれへ |