庇護希望者への庇護のあり方を考えるデータベース

 


庇護希望者に対する日本の在外公館のずさんな実態
 〜シェンヤン総領事館と駐チェコ大使館の事件から〜


 
 
○●○「主権侵害」ばかりが焦点化 ○●○

 肝心なことがごまかされようとしている。
 北朝鮮出身の一家5名が、中国での数年間の逃亡生活の後、政治亡命をもとめてシェンヤンの日本総領事館に逃げ込んだ。女性と子ども三人は総領事館の敷地内にいったん入ることに成功したものの、その場で中国の武装警察に引きずり出され拘束された。二人の男性はビザ申請待合室に逃げ込み、そこで10分間待機していたが、その後武装警官が待合室にまで入り込んで二人を拘束、結局全員が中国当局によって身柄を拘束されたのである。
 日本政府の抗議に対して、中国側は総領事館への武装警官の侵入と5名の拘束について総領事館側の了解があったと反論、副領事が二人の男性の拘束に同意を与え、さらに感謝までしたと述べ、日中両国は事実関係について真っ向から対立している。
 事件の状況をとらえたビデオが世界中のテレビ番組で放映されているが、それを見ると、日本側の副領事たちは、女性3人が取り押さえられたところで門まで出てきて、わざわざ警官たちの帽子を拾い集めて渡している。侵入に抗議したり、拘束された人たちが誰なのか、拘束が適当なのかということについて中国側と論争している様子はうかがえない。総領事館への逃げ込みに一時は成功した男性二人が拘束されたのはその後だ。総領事館がこの二人の身柄を守ろうと思えば、簡単に守れたはずであるのに、総領事館は中国武装警官のさらなる侵入を許し、簡単に二人を拘束させてしまった。
 外務省はこれが大きな国際問題に発展するに及んで、あわてて幹部を派遣し調査に当たらせた上、総領事館は5名の拘束に同意を与えていなかったとする報告を出した。外務省の調査報告は真実なのか。ここに一つの発言がある。9日、自民党に事件の説明に行った竹内行夫外務次官が「(シェンヤンの総領事館には)ふだんから物乞いが来ていた」と弁明したというのである(10日、共同通信)。ふだんから「物乞い」が来ていたから、どうだというのか。総領事館が今回もそうだと思い、武装警官のなすがままに任せたということなのか。
 この弁明から推測できるのは、日本の在外公館が、亡命者も「物乞い」も「身元不明者」ということで一緒くたにして、ふだんから中国側の武装警官に排除にあたらせていたということである。北朝鮮の亡命者の救出活動に当たるNGOがマスコミと連動してこの事件を記録化し、世界に発信していなかったら、この亡命希望者たちは誰にも気づかれることなく中国官憲に拘束され、北朝鮮に送り返されていたことだろう。

○●○問題は日本の亡命者・難民政策と外務官僚の弛緩しきった頭脳にある○●○

この問題は「中国が日本の主権を侵した」という問題として喧伝され、不況で風船のように膨らんだ日本の陳腐なナショナリズム培養の肥やしになっている。しかし、この問題の根っこにあるのはそれではなく、むしろ、特権階級たる在外公館職員の、現地社会に対する差別的なまなざしの問題である。彼らは普段から中国の武装警官に頼んで、総領事館にやってくる「物乞い」を追っ払ってもらっていた。それが5月8日にはたまたま、政治的抑圧と貧困と飢餓の中から脱出し、中国各地をさまよったあげく、ぎりぎりのところで亡命の道を選んだ北朝鮮の住民だった。かかわりあいになりたくない、せいぜい「身元不明者」として中国の武装警官に対応させればよい。中国の現場の武装警官の「主権侵害」を招いたのは、そうした認識だ。
 5月13日の東京新聞朝刊で報道された、在外公館における亡命者の取り扱い方針が、それを裏書きしている。この記事によると、日本のどの在外公館も、亡命希望者を含め身元不明者はいっさい「敷地に入れない」方針をとっているというのである。5月15日、新聞各紙はさらにショッキングな報道を行った。事件の数時間前に阿南惟茂・中国大使が「不審者を敷地内に入れるな」と指示していたというのである。
 もし、これらの北朝鮮亡命者が総領事館の入り口で職員を呼びだし「亡命したい」との趣旨を告げたとしたらどうだっただろう。この方針通りにやるなら、敷地内には立ち入らせず、中国の武装警官に身柄を引き渡すことになる。彼らは拘束され、北朝鮮に送り返されるが、「主権侵害」の問題は一切生じない。外務省は一生懸命、この問題を「主権侵害」の方向に誘導しようとしているが、問題の本質はそこにはない。問題は、在外公館への亡命希望者を庇護するという方針を掲げてこなかった日本の亡命者・難民政策と、突発的な事件に際して、何が最も優先されるべき事柄なのかを判断することのできない官僚の弛緩しきった頭脳にこそあるのだ。
 「差別的なまなざし」:これを立証する事実はもう一つある。外務省は中国側の指摘を認め、副領事が中国官憲の前で、北朝鮮出身者5人のうちの一人から英文の手紙を受け取っていたことを明らかにした。外務省はその中で、副領事はその手紙が「理解不能だったので返した」と述べている。韓国のNGOが、この5名が持っていた英文の手紙を公開しているが、その内容は意味不明であるどころか、庇護を希望していること、米国に行きたいことがはっきりと明記されている。手紙の内容が理解不能だったのではない。「副領事さま」におかれては、所詮「不審者」の書いたものであるこの手紙を理解しようと努力を傾ける必要はなかったということなのだ。

○●○駐チェコ日本大使館の無責任回答○●○

 日本の難民政策のずさんさは、ヨーロッパでも暴露されている。
 チェコ共和国では、ロマ人に対する民族差別や迫害が著しく増えている。その中でロマの人々は難民として他国に出国することを考え、チェコとビザ免除協定を結んでいる日本を一つの候補に選んだ。国営チェコ通信が、プラハの日本大使館に対しロマ人の難民としての受け入れが可能かどうかをインタビューした。日本大使館職員は「日本は絶対難民を受け入れない。数年間投獄されるかも知れない。高い航空運賃は無駄になり、渡航した人は失望するだろう」と述べた。
 たしかに、事実はその通りである。しかしこの回答は、日本が難民条約の加盟国であるというもう一つの事実を全く無視している。結果としてこのメッセージは、迫害を恐れるロマの人々に「日本はコワい国、行かない方がよい」を威嚇する効果しか持たないものとなっている。
 大使館として面倒を避けるためには、たしかにベストの回答かも知れない。しかし、この答えで放置されるのは、日本が国家として、「難民条約」に対していかに責任をとっていくかということである。難民条約に加入している国家が「我が国は難民を受け入れない」ではすまされない。在外公館の役割は、自国政府の政策を他人事のように説明することではない。在外公館は政府機関を構成しているのであり、自国政府の政策の矛盾に具体的にこたえる義務があるはずである。

○●○亡命・難民政策を改め、抜本的な解決を ○●○

 シェンヤンとプラハの二つの在外公館で生じた問題は、日本の亡命・難民政策の欠落点を、これ以上ない形でむき出しにした。
 出入国管理・難民認定法は、在外公館での亡命希望者の庇護のあり方について何ら規定をしていない。難民認定は日本に上陸した段階で初めて行われるものとなっており、これが在外公館における亡命希望者の庇護の方針化を阻んでいる。明らかな法の不備である。
 日本の入管行政はこれまで、裁量次第でどうとでもできる入管法のもとで、とくに難民に関して、徹底した鎖国政策を敷いてきた。しかし、それでもなにがしかの規定は存在した。在外公館の亡命者の問題は、それとは質が異なる。どこにも、何ら規定のない全くの法の不備が国家政策に穴を作り、「主権侵害」という事態を引き起こしたのである。
 入管・難民法は難民に関する膨大な規定をすべて「第61条の2」にぶちこむという普通では考えられない泥縄式で日本の難民政策を規定してきた。しかし、もう限界だ。法律にはっきりとした穴がある以上、難民・亡命者に対する立法的・行政的施策は根底から見直されるべきである。それが、難民条約の精神に基づく、人道的な方向性にのっとった形で行われるべきことは、言うまでもない。

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