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Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited について

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited に関する発言です。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

[1762] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Oct 23 23:54:35 2006

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) 読了。 あまりに面白く素晴らしい内容だったので、公開読書メモ。

post-punk 期の1978年に設立されたロンドン (London, UK) の独立系レーベル Rough Trade の、レーベルに先立つ1976年の Rough Trade Shops のオープンから現在 (2006年) までの30年の歩みを辿る本です。 ほぼレターサイズの大きさで約200ページのペーパーバック、 写真やジャケット、当時のパンフレットや葉書のカラー図版が豊富に (図版数190) に使用され、 それだけを見ていても、十分に感慨に浸ることができる本になっています。

しかし、この本の魅力はそのテキストです。 The Wire 誌の Editor-at-Large (総合監修者) の Rob Young が、 丁寧な取材と資料収集に基づいて Rough Trade の歴史を描いていきます。 いや、Rough Trade の影響力もあって、 特に1991年の倒産までは UK post-punk indies 史とも言えるような内容だと思います。 そして、その明晰な文章で分析的に語っていく文章が、 Young の歴史観、Rough Trade 観のブレの無さもあって、読んでいて引き込まれました (The Wire 誌のスタイルといえば、そうですが)。

Young は責任編集ではなく、実際に執筆しています。 音楽ライター、ミュージシャンや Rough Trade 関係者の思い入れを集めた 30周年記念寄書き、エッセー集のような本では全くありません。 そのようなコラム・ページや冗長な対談・座談会の類もありません (インタビューは設立者 Geoff Travis へのもののみ)。 一応、ディスコグラフィや関わったアーティストの紹介も載っていますが、 それは章末・巻末の参考資料程度、 レコードガイド的なレコードジャケットと短いレコード紹介を並べたような 本でもありません。

この本の章立ては、以下の通りです。 (ちなみに、各章の副題の多くは、曲やアルバムのタイトルから採られていますね。)

Introduction: Little Red Record Co.
1976-1977: Trying A Thing
1978: Silent Command
1979: Messthetics
1980-1982: Credit In The Straight World
1983-1986: Money Changes Everything
1987-1991: On Fire
1992-2000: There Are String
2001-: I Am A Bird Now
Q&A: Geoff Travis & Jeannette Lee
Artists A-Z
Rough Trade Discography
Credits

Young は Rough Trade の "creative peak" を1978-1982と捉えており、 そこの記述は詳しく3章を割いています。 1976-1977 はレーベルを始める前、レコードショップを開いた頃の話です。 1983-1986 は The Smiths と契約して「次の舞台」に移った時期の話、 1987-1991 は The Smiths との契約を終えから倒産するまでの話、 1992-2000 は倒産後のショップや出版会社と分割されてから One Little Indian のに買収されほとんど活動を止めてしまった頃のレーベルの話、 2001- は Sanctuary の資本下で再び活動を活発化させてからのレーベルの話、 となっています。

Rough Trade については1982年頃から1994年頃まではほぼリアルタイムで それもかなり思入れを持ってフォローしていました (詳しくは、長大ですが 音楽趣味事始をどうぞ。 特にこのあたり)。 もちろん、自分の音楽趣味に最も大きな影響を与えたレーベルですが、 音楽スタイル的な趣味嗜好というより、Rough Trade を通して 独立系 (インディ) というレーベルというのあり方やその意義や問題点などを意識する ようになったというのが、自分にとって大きかったと思っています。 それだけに、特に、The Smiths との契約によるレーベルの変質や、 倒産へ至るまでのドタバタの話は、 「やっぱりそうだったのか」「じつはそういうことだったのか」 と思うところがたくさんあって、読んでいて実に感慨深かったです。 (具体的には、これから少しずつ書いていこうかと思っています。)

ちなみに、この本は、美術・デザイン・建築書の出版社 Black Dog Publishing による 音楽レーベル歴史本 Labels Unlimited シリーズの第二弾。 ちなみに、第一弾は Rob Young, Warp: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN 978-1-904772-32-3, 2006, paperback) ということで、1989年にシェフィールド (Sheffield, UK) で設立された独立系レーベル Warp。 もちろん、Rough Trade: Labels Unlimited と同様の内容で、お薦めです。 読書メモは時間が取れたら書きます……。

Labels Unlimited シリーズで Warp、Rough Trade の次に取り上げるレーベルは何でしょう? Crammed Discs あたりが面白いような気もしますが……。 jazz/improv なレーベルを取り上げて欲しい気もします。 Warp、Rough Trade というレーベルのチョイスといい、 丁寧な取材と豊富な資料に基づく歴史書的な内容といい、次が楽しみなシリーズです。

しかし、Warp: Labels UnlimitedRough Trade: Labels Unlimited という労作を たけつづけに上梓する Rob Young の仕事の質・早さにはつくづく頭が下がります……。

[1768] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Mon Oct 30 23:32:31 2006

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の話の続き。 最初の章 "1976-1977: Trying A Thing" は、 レコード・ショップ Rough Trade のオープンからレーベルを始める直前までの話です。 まずは、この章までに書かれていたエピソードのうち特に興味を惹いたものを、 読書メモ。 この頃の話はほとんど知らなかったので、 とても興味深く読めました。

創設者の Geoff Travis はイスラエル (Israel) のキブツ (kibbutz; 社会主義的な共同体) で何年か過ごした後、 ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジ (Churchill college, Univ. of Cambridge) で 哲学と英文学を学んでいたそうです。 で、1974年にケンブリッジを卒業後 (Young は "come down from Cambridge" と卒業したかどうか曖昧に表現しているのですが、 Rip It Up And Start Again (2005) の中で Simon Reynolds は Travis のことを "Cambridge graduate" と言っています)、 カナダのトロントへ渡り、 シカゴを経てヒッチハイクでたどり着いたサンフランシスコで400枚のLPを買って、 それを元手に始めたのがレコードショップ Rough Trade です。 Travis は1952年生まれでショップをオープンしたときは24歳、 1960年代の学生運動と関係ない世代です。 オープンの経緯の中にも学生運動と関係しそうなエピソードは出てきませんでした。 これはちょっと意外でした。

ちなみに、Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) については、 こちらに読書メモがあります

話は最初に店を開いた場所の土地柄から始まります。 まず洒落た雰囲気もないロンドン北西郊外の Dollis Hill に店舗物件を借りたそうですが、 Polydor の代理人に「通りすがりの客はいるのか?」と忠告され、 西ロンドンの Notting Hill Gate や Portbello Market の近く 202 Kengington Park Road に店をオープンしたそうです。 西インド諸島出身者の多いエリアで、家賃が安かったという話も出てきます。 この土地柄について、この章の冒頭で1頁ほど使って述べているのですが、 土地勘が無いせいもあっていまいち頭に入ってきません……。

Rough Trade の名前の由来は、S&M 三文小説のタイトルからとか、 カナダのロック・グループの名前からとか、Travis もいろいろ言っているそうで、 この本でも由来は特定されていませんでした。 "rough trade" には売春のスラングでもあり、 非道徳的で反体制的な活動というか、未精製品の取り引き、 という意味を担っていると Young は言っています。

Rough Trade の初期の経営理念は Travis のキブツでの経験が大きく反映されていたそうです。 Travis は理想主義的なマルクス主義者で、 従来のビジネス慣行のオルタナティヴとしての共同体の力を キブツでの体験を通して強く信じるようになった、と。 当時 Travis のルームメイトでもあった音楽ジャーナリスト Vivien Goldman (⇒ Wikipedia) も 「キブツってユートピアでしょ。彼は Ladbroke Grove (引用者注:Travis が部屋をシェアしていた場所) のゲットーに ユートピアを作ろうとしていたの」と言っています。

Rough Trade は明らかに左翼的と思っていましたが、 その理念のルーツがキブツだとは今まで気付きませんでした。 Simon Raynolds, Rip It Up And Start Again の 第6章 "Autonomy In The UK" の辺りを読み返してみたのですが、 やはりキブツの話は出てきませんでした。しかし、それに先だって書かれた "Independents Day" (2001) には、 「ユダヤ人として育ち、キブツで直の体験をした。 そこでは、ユートピア思想とプラグマティズムが交じりあっていた」 という Travis の言葉が引かれていたことに気付きました。 これも読んだはずなんだけどなぁ……。うーむ。 その筋では有名な話なのでしょう。 「ゲットーにユートピア」と言う Goldman の言葉も、 いかにもユダヤ系の左翼という感じで、興味深いですが。

初期の Rough Trade の客層は、 ハードコアな punks でも1970年代初頭の Prog rock を主に聴く白人学生でもなく、 1960年代以降のボヘミアンとコンシャスな punks の間だったと。 これについては、まあ、そうだろうなぁ、と。 Rough Trade と punk の関係について、Goldman は 「Rough Trade は punk より前にあった。 Rough Trade とそのイデオロギー、その革命的なビジネス・モデルは、 punk の誕生と展開に大きな役割を担っていたと、私は信じている」 と言っています。 当事者の思いも入っていると思うのでいくらか割引く必要もあると思いますが、 Rough Trade のショップのオープンのタイミングからして、 punk を受けてオープンしたわけではないというのは確かでしょう。

ショップを開いた翌年1977年には、配給会社としても機能するようになり、 Third World (reggae のグループ) の元マネージャの Richard Scott が Rough Trade Distribution のヘッドに就いたとのこと。 レーベルを始めるのは、さらにこの翌年となります。

さて、Introduction の副題 "Little Red Record Co." は、 Demon & Naomi (ex-Galaxie 500) の曲 (More Sad Hit (Shimmy Disc, 1993) 所収) から採られたものです。 ヒット曲 Prince, "Little Red Corvette" (1983) のモジリのようなタイトルですが、 「小さな赤いレコード会社」というのは (特に最初期の) Rough Trade をとても良く言い表しているように思います。 ま、Rough Trade に限らず、ヨーロッパの独立系レーベル/ショップって、 インテリ左翼の運営している "Little Red Record Co." な場合が多いように思います。 単に、自分のフォローしている範囲が偏っているだけだったりして……。 第1章の副題 "Trying A Thing" は、何から採られているのか判りませんでした。 判る方がいらっしゃったら、教えて下さい。

うー、まだ第1章までしか書いていないのに……。 このペースで読書メモを書いていたら、大変なことになりそうです。 うーむ。どうしよう……。

[1773] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sun Nov 5 22:04:59 2006

こんにちは、久保田さん。 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) に関する へのコメントありがとうございました。 とても参考になります。

Matching Mole, Little Red Record (Columbia, 1972) のことは全く頭にありませんでした。 ジャケット (⇒ Amazon.co.uk) からして、 確かに、毛沢東語録 "Little Red Book" ですね。 第1章の副題というか、Demon & Naomi (ex-Galaxie 500) が Rough Trade について歌った歌のタイトル "Little Red Record Co." も その内容からして、 "Little Red Record" を承けていると考えるのがもっとものように思います。

[1779] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Nov 9 1:14:46 2006

少し間が空きましたが、 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) のの続き。 第2章 "1978: Silent Command" は、レーベルを始めた最初の1年の話です。 この章に書かれていたエピソードのうち特に興味を惹いたものを、読書メモ。

1977年には配給会社として自主製作するミュージシャンや独立系レーベルに対する 物流と財務のサポートを行っていたため、レーベルを始めるには "curatorial" な次元をこれに加えるだけだった、と Young は書いています。

Rough Trade のレーベルとミュージシャンの関係としてよく知られていたこととして、 "50-50 deal"、つまり、売上から諸経費 (製造、配給、プロモーションの費用) を 差し引いた利益をレーベルとアーティストで折半する、ということがあります。 当時、メジャーの場合でアーティストの取分は12パーセント、 独立系レーベルの場合は取分がほとんど無い場合が多かったようで、 この "50-50 deal" が画期的であったと書かれています。 しかし、どういう経緯で "50-50" が決まったのかは、記述はありませんでした。 Rough Trade の最初の5年間は、マーケティング部門が制作を急かすことなく、 アーティストが自分のペースで成長することを信頼していた、とも書かれています。 初期に Rough Trade のアーティストとなった Cabaret Voltaire の Stephen Mallinder は、 こういった取引はとても非形式的な形で行われ、信頼が大きな部分を占めていたと、言っています。 初期の Rough Trade の運営は共同体的だったと。

最初の1年に Rough Trade がリリースしたアーティストの特徴として、 Young は「最初の4タイトルのシングルはロンドン (London) のアーティストによるものではなく、 The Sex Pistols や The Clash と比べ、既成のロックの語法に依存していなかった」 と指摘しています。 ちなみに、1枚目の Metal Urbain はパリ (Paris, France)、 2枚目の Augustus Pablo はジャマイカ (Jamaica) と、 イギリスのミュージシャンですらなく、 3枚目の Cabaret Voltaire はシェフィールド (Sheffield)、 4枚目の Stiff Little Fingers は北アイルランドのベルファスト (Belfast, Northern Ireland) です。 5枚目の The Monochrome Set はロンドンのグループですが、 「郊外から出てきた音であり、インナーシティの punk の叫び声とは違った」 と Young は指摘しています。

Rough Trade のリリースする音が 最初から rock 的なイデオムの強い punk から一線を画していてたことは さすがに判っていましたが、ローカリティとの関わり、 特に「非ロンドン」という点については、この本の指摘で初めて気付かされました。

ちなみに、最初の1年 (1978年) にリリースされた12タイトルのシングルについては、 本文とは別に、ジャケット写真入りで3ページを使って 1枚ずつ紹介しています。

ところで、第2章の副題 "Silent Command" は、 Cabaret Voltaire の初期のシングルの曲 (Silent Command, Rough Trade, RT035, 1980, 7″) から採られたものですね。現在は、 The Living Legend (Mute, CABS6CD, 1990, CD) で聴くことができます。 guitar のカッティングも reggae っぽい dubwize な音処理の曲です。

[1792] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Dec 6 0:53:04 2006

1ヶ月ほど間が空きましたが、 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) のの続き。 第3章 "1979: Messthetics" は、レーベルの制作が軌道に乗った1979年の話です。 この章に書かれていたエピソードのうち特に興味を惹いたものを、読書メモ。 Rough Trade: Labels Unlimited に関する最初の発言も消えてしまいましたし、 今までのRough Trade: Labels Unlimited 読書メモアーカイヴにまとめて載せておきました。

Rough Trade は在庫、文書、デモテープ、メールオーダーの注文など 未処理のものを多く抱えていたそうですが、その理由として 「従業員がいつもミーティングしているから」という噂が立つほど、 いつも議論していたというエピソードで、この章は始まります。

このエピソードにはウケでしまいましたよ。 しかし、事務的なことをそっちのけで議論に興じてしまうというのは、 Rough Trade に限らず、 ヨーロッパの独立系レーベル (たいてい、インテリ左翼が運営してたりする) に 非常にありがちな気がするんですが……。 それとも単に、自分が直接コンタクト取ったりしている範囲が 偏っているだけなのかなぁ……。うーむ。

この章に書かれていることの多くは、 Thames Television の The South Bank Show という芸術文化番組のシリーズの一つとして 1979年に制作された Rough Trade についての30分のドキュメンタリー番組に基づいて書かれています。 このドキュメンタリーのナレーターは音楽評論家の Simon Frith で、 内容は、Rough Trade shop の内幕や、 The Raincoats のシングル Fairytale In The Supermarket のレコーディングの様子、 Stiff Little Fingers、The Normal & Robert Rental、Essential Logic のライブ映像などだそうです。

うあああ。これは猛烈に観てみたいです (悶)。DVD化してくれないかなぁ……。

1979年の Rough Trade のエピソードで最も重要と思われるのは、 Geoff Travis と Mayo Thompson によるプロダクション・チーム によるプロデュースが始まったということです。 そして、これに関する話に、この章の多くを割いています。 ヒューストン (Houston, TX, USA) 出身で The Red Crayola や 13th Floor Elevators としての活動で知られる Mayo Thompson は、 1970年代後半、現代美術作家 Robert Rauschenberg のアシスタントとして ニューヨーク (New York, NY, USA) に移住します。 そこで、Terry Atkinson らが1968年にコベントリ (Coventory, UK) で結成し、 アメリカの Joseph Kosuth も参加した conceptual art の集団 Art & Language に関わるようになります。 Art & Language のアメリカ支部が流動的になり、 イギリスに拠点を移すも、こちらも分裂。 Thompson は音楽業界に戻り、 The Red Crayola, Wives In Orbit (Rader, 1978, 7″) をリリース。 Rough Trade へ行ったきっかけは、 Art & Language and The Red Crayola, Correcting Slogans (Music Language, 1976, LP) の在庫を買い上げてくれないかと期待してとのことだったようです。

当時、Thompson は The Monochrome Set にシングルのプロデュースの話をもちかけていた一方、 Travis はちょうど Stiff Little Fingers にプロデュースしてくれと頼まれていたけれども スタジオワークの経験が無かった、 ということが、このプロデュース・チームができたきっかけで、 The Monochrome Set のシングル He's Frank (Rough Trade, RT005, 1978, 7″) と、 Stiff Little Fingers の1stアルバムにして Rough Trade のアルバム第一弾 Inflammable Material (Rough Trade, ROUGH1, 1979, LP) が2人が最初に制作した作品のようです。

Geoff Travis と Mayo Thompson のチームは、Thompson 曰く "his ears and my know-how" (Travis の耳と Thompson のノウハウ) という役割分担だったようです。しかし、The Raincoats の Ana Da Silva は Fairytale In The Supermarket のセッションを振り返って曰く: 「彼らはプロデュースということを知らなかった ―― 少くとも Geoff は知らなかった。 エンジニアがいて、彼らはやってきて曰く「いい感じだね」と……」(引用者訳)。 というわけで、プロダクション・チームといっても、初めは拙いものだったようです。

1979年のもう一つ重要なエピソードは、 Kensington Park Road のショップから分かれて、 レーベルと配給Blenheim Cresent の3階建ての集合住宅 (townhouse) に移ったことです。 Blenheim Cresent ではレーベル、配給に加えさらに部門が増え組織が拡大します。 Anne Clarke が版権部門 Rough Trade Music 作り、 Shirley O'Laughlin がライブのブッキングやツアーのアレンジを担当するようになります。

Rough Trade の第一弾アルバム Stiff Little Fingers, Inflammable Material は すぐに大手レコード会社の契約競争の対象になったそうです。 リリース予定日には大手レコード会社からプロモ盤を貰いに人が殺到したとか。 Simon Frith はドキュメンタリー番組でそのエピソードを紹介しつつ こうコメントしているそうです: 「Rough Trade のインテリより Stiff Little Fingers の方が成功のジレンマに取り組む準備ができているように見える。 危険の一つは、Rough Trade が、レコード産業に単に奉仕する ―― 既存の企業が利益を得ることになる音楽的なリスクを取ることになるだろうということだ。 もっと大きな危険は、彼らの以前にあった他の小さなレーベル同様の道を歩む ―― 彼ら自身が既存の会社のようになることだ」(引用者訳)。

生じた問題は、既存の大手レコード会社との関係だけではありません。 Stiff Little Fingers, Inflammable Material の成功 (ナショナル・チャート18位) と 多くのシングルの売行きが好調にもかかわらず、 Rough Trade はヒット・レコードをプロモートする態勢になく、 急激な仕事の増加に慣れなかったそうです。 そして、Richard Scott 率いる配給部門と Travis、Thompson と Pete Welmsley の A & R 部門の間に 食い違いが生じ始めた、と、この章は締めくくられます。

僕がこういう問題を意識させられたのは 1983年頃の Aztec Camera の WEA 移籍あたりからなのですが (関連発言)、 最初期から直面していたのだなぁ、と、読んでいて感慨深かったです。

また、本文とは別に、"Rough Trade Class of 1979" と題して、 1979年の Rough Trade レーベルを代表する2つのグループ The Pop Group と Scritti Politti について、 章末で4ページずつを使って紹介しています。 といっても、The Pop Group の方の最後の1ページは、 The Pop Group についてではなく、実質、James Blood Ulmer の紹介になっています。

ちなみに、第3章の副題 "Messthetics" は、 Scritti Politti の初期の曲 (2nd Peel Session, Rough Trade, 1979, RT034) から採られています。 現在は、Scritti Politti, Early (Rough Trade, RTRADCD188, 2004, CD) で 聴くことができます。 Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) (関連発言) でも、Rough Trade 界隈の音楽シーンを描いた第11章のタイトル "Messthetics: The London Vanguard" に採られているくらいで、 post-punk のマニフェストというか、象徴的な意味合いもある曲です。 造語ですが、"Messthetics" というのは「混乱美学」といった意味でしょうか。

[1801] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Dec 14 23:54:12 2006

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) のの続き。 第4章 "1980-1982: Credit In The Straight World" は、 「Blenheim Crescent 効果」が効き出した ―― Rough Trade のレーベル色がはっきりした1980-1982年の話です。 この章に書かれていたエピソードのうち特に興味を惹いたものを、読書メモ。

Blenheim Crescent に集った集産主義者 (collectivists) たちによる Rough Trade の文化から、 彼らはすぐに "loony leftie" (イカレた左翼) のレーベルの類型的イメージ ―― どの国際的な被抑圧労働者団体が会社の利益からの慈善寄付を受け取るべきかと議論しながら玄米飯 (brown rice) をむしゃむしゃ食べているような ―― を獲得した。 そんな話の多くは疑いなく誇張されたり出処の疑わしかったりするものだったが、 Rough Trade の政治的公正 (political correct) の文化が彼らのプロダクトに直接的な影響を与えたという確かな事例もある ―― 例えば、1980年代半ばの話だが、様々な女性スタッフによるグループ名に対する反対のため、 Rough Trade Distribution は Steve Albini のグループ Rapeman による Two Nuns And A Pack Mule の取扱いを拒否している。

このように、この章は始まります (引用者訳)。 ここで、Rapeman 取扱い拒否というエピソードの選択も絶妙で、 Rough Trade の理念を良く表しているように思います。

ちなみに、Rough Trade の Rapeman 取扱い拒否の話は僕も1980年代後半に目にした覚えがあります。 上に挙げられてる例ほど極端じゃないですが、 確かに、僕も Rough Trade に "loony leftie" のレーベルの類型に近いイメージを持ってましたよ。 というか、第2章に出てくる噂「従業員がいつもミーティングしていて、 在庫、文書、デモテープ、メールオーダーの注文など未処理のものを多く抱えてる」 なんかも、いかにも "loony leftie" なレーベルの類型的イメージだし。

Young の本には出てきませんが、 BBC London による Rough Trade 30周年番組で、 創立者 Geoff Travis は Rough Trade のエートス (気風) を "pro-feminist, pro-humanitarian, and anti-authoritarian" (フェミニスト支持、人道主義者支持、そして権威主義者反対) と言い表してきている、と紹介しています。 そして、このようなエートス ―― そして共同体的な文化 ―― が この頃の Rough Trade がリリースした作品にどのように影響を与えたのか (もしくは与えなかったのか) が、この章の主要な話になっています。 特に "pro-feminist" なエートスに関わるものについては、 章末に "Girls At Our Best: Rough Trade's Feminine Faction" (最善の状態の女の子たち:Rough Trade の女性派閥) と題して、 別立で9ページに亙って書かれています。

この章で、最初に取り上げられているのは、 Mark E. Smith 率いるマンチェスター (Manchester) のグループ The Fall です。The Fall は1980年代前半に Grotesque (After The Gramm) (Rough Trade, ROUGH18, 1981, LP) や Perverted By Language (Rough Trade, ROUGH62, 1984, LP) といった初期の名作を Rough Trade に残しています。 しかし、The Fall の Mark E. Smiths は、 むしろ Rough Trade の文化が合わなかったミュージシャンとして取り上げられています。 彼はグループ・メンバーから「実にファシスト的」であると看做されることを期待していて、 Rough Trade のなんでもスタッフの議論にかける民主的なやり方を 「平凡で平均的な作品」 (a mediocre avarage) しか生まないやり方だと嫌っていたそうです。

Rough Trade の共同体的なミュージシャンの扱いについては、 Simon Reynolds, Rip It Up And Start Again: Post-Punk 1978-1984 (Faber & Faber, ISBN0-571-21569-6, 2005) (関連発言) の第6章 "Autonomy In The UK: Independent Labels and the DIY Movement" 中で、こんな形で触れています (p.106, 引用者訳)。

売場補助やディストリビューションの荷作りでミュージシャンたちに手を汚させることは、Rough Trade の哲学に合っているように見える。 知識階級に棚田で労働させたような毛沢東主義的な雰囲気もちょっとある。 確かに、Travis はミュージシャンたちをアーティストやスターというよりもむしろ文化生産労働者 (cultural worker) としてみなすことを好んだ。 協働と相互支援を取り込み いかに Rough Trade が「レコード・ビジネス」でも「アート」でもなく文化生産の場であったかを、Travis は語っていた。 ちょっと「玄米飯」なヒッピーのイメージを会社に与えていたのは、 このプラグマティックでちょっと野暮ったいヴィジョンだった。

Mark E. Smith が売場補助や荷作りをしたというわけでもなさそうですが、 Young の本に出てくる Smith の "f**kin'" を多用した言葉を読んでいると、 この Reynolds の言葉を使えば、集産主義的な「文化生産労働者」ではなく 「アーティスト」として扱われることを彼は望んでいたのではないか、と思ったりもします。 ちなみに、Rough Trade ではミュージシャンたちが店などで働いていたという話は、 Young の本でも第1章 "1976-1977: Trying A Thing" の中 (p.19) に出てきます。 働いていたミュージシャンの具体的な名前としては、The Raincoats の Ana Da Silva や、 Swell Maps の Godfrey 兄弟 (Nikki Sudden & Epic Soundtracks) が挙がっています。

それにしても、Reynolds の本にも Young の本にも 「玄米飯」 (brown rice) なイメージが出てくるところが可笑しいです。 当時、イギリスでは Rough Trade はそんなイメージで見られていたのだなぁ、と。 さすがに僕はそこまで思っていませんでしたよ。

Reynolds の本に言及したついでに、もう少し補足というか訂正。 第1章 "1976-1977: Trying A Thing" のの所で、 「Simon Raynolds, Rip It Up And Start Again の第6章 "Autonomy In The UK" の辺りを読み返してみたのですが、やはりキブツの話は出てきませんでした」 と書きましたが、見落としていました。p.104に出てきていました。 その他にも、Rough Trade の集産主義的な文化の背景について興味深い話が Reynolds の本で紹介されています (p.104, 引用者訳)。

この種の集産主義的な価値観は、1970年代半ばのラディカルな文化において非常に大きな部分を占めていた。 フランスの左翼新聞 Liberation も、ロンドンのトレンディ左翼/ヒッピー的ヒップスター向け情報誌 Time Out も、 組織階層や賃金格差の無い協同組合として運営されていた。 1970年代末には、イギリスには約300の協同組合があった。 その半分は自然食品の店で、残りはラディカルな書店から手工芸品の店まで様々だった。 ある意味では、 1960年代のカウンター・カルチャーの考えが最も広く種蒔かれ実現されていったのは、 1970年代の間だった。

Rough Trade の集産主義的な文化は、 Travis のキブツでの経験が反映されているだけではなく、 このような1970年代のイギリスの状況を背景に持つものだったようです。

あと、Reynolds の本は、Rough Trade における レーベルとミュージシャンの間の "50-50 deal" についても Travis の言葉を引きながら言及しています (pp.105--106, 以下引用は引用者訳)。 ここでは、Rough Trade とミュージシャンの間の取引の特徴として、 "50-50 deal" だけではなく、one-record-at-a-time (レコード毎)、 個人的な信頼関係に基づく取引、の3点が挙げられています。 また、Rough Trade だけではなく多くのレーベルがこのやり方に倣ったと、 Travis は言っています。 例えば、Factory レーベルと Joy Divison、Mute レーベルと Depeche Mode とか。 "50-50 deal" については、確かに、ロイヤリティの割合としては破格で 売れればそれだけミュージシャンにメリットが大きいですが、 前払いも無いので売れなければ大変、という欠点も Nikki Sudden の言葉を通して指摘されています。 一枚ごとの契約については、Travis の「複数枚契約はミュージシャンに負債を負わせることだ」という言葉を紹介しています。 また、非公式な個人的な信頼関係に基づくやりかたは、理念的な問題だけでなく、 メジャーの弁護士と契約に基づくやり方よりも小回りが利くという利点があったと。 Travis 曰く:「素晴らしいバンドを観たら、その晩のうちに「レコードを作ろう」と言うことができた。そして、4週間後にはレコードが出た。さっさとできるんだ。」

Simon Reynolds の本の関連箇所の話で大きく話が逸れてしまいましたし、 長くなったので、ここで一旦話を切ろうかと思います。 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited 第4章の話の続きは、また後程。

しかし、Simon Reynolds, Rip It Up もちゃんと読み直さなくちゃいけませんね。 アーティストでもスターでもなく文化生産労働者 (cultural worker)、 というのはいいなぁ、と、とても印象に残っていたのですが。あと「玄米飯」。 それ以外はほとんど頭に残っていなかったような……。いったい自分は何を読んでいたのかと。 やっぱり、各章ごとに簡単な読書メモくらい書いておいた方が良かったかなあ……。

[1817] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Jan 4 0:13:34 2007

半月ぶりに、 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の、というか、 第4章 "1980-1982: Credit In The Straight World" の 読書メモの続きを。

この頃契約していたグループのうち The Fall や Pere Ubu (アメリカ・オハイオ州クリーブランド (Cleveland, OH, USA) のグループ。 Mayo Thompson が一時的に参加していた関係で Rough Trade と契約) は、 契約以前から既にある程度の評価を獲得していたグループでした。 この状況により、プロモーションにより力を入れる必要が生じたといいます。 そして、新たに人が集まって来た人たちがプロモーション部門の 立ち上げを支えていたそうです。 例えば、元 Island US のPRだった Scott Piering、 Buzzcocks のマネージャで New Hormones レーベル主宰の Richard Boon、 Smash Hits 誌のジャーナリスト Simon Canna、 ロサンジェルス (Los Angeles, CA, USA) の punk ファンジン Slash の共同創刊者 Claude Bessy など。 また、The Raincoats のマネージャとして以前からいた Shirley O'Loughlin も PR の仕事もするようになったと。

この時期の象徴的なリリースの一つとして、この本は、 この頃の Rough Trade のプロダクションの要 Mayo Thompson のプロジェクト The Red Crayola with Art & Language, Kangaroo? (Rough Trade, ROUGH19, 1981, LP) を挙げています。 Rough Trade に集まったミュージシャンたちが 次第に交流を深めはじめた証として、というか。 実際、Essential Logic の Lora Logic と Ben Annesley、 Swell Maps の Epic Soundtracks、 Pere Ubu の Allen Ravenstine、 The Raincoats の Gina Birch、 そして Mayo Thompson というラインナップで、 当時の Rough Trade allstars とも言えるかもしれません。 しかし、ダメな作品とは思わないけど、 個々のグループより音楽的に面白いものになっていたかというと微妙だと思う……。

前回話した Rough Trade のエートスに関わる話ですが、 当時の Rough Trade は、Crass のような政治化した音楽や、 Throbbing Gristle のように間接的に政治的・社会的支配を批判する音楽の 「避難所」を提供していました。 しかし、この時期の Rough Trade の最も素晴らしく驚くべき発見物は、 そういった音楽とは非常に異った種類の 政治的ポップ (political pop) だった、と、この本は言っています。 そして、その代表作として、この本は、 Robert WyattNothing Can Stop Us (Rough Trade, ROUGH35, 1982, LP)、 特に、Elvis Costello 作で共演もしたシングル曲 "Shipbuilding" を Wyatt 自身の言葉を交えながら大きく取り上げています。 Wyatt と Rough Trade を橋渡ししたのは Brian Eno だった、とか。 当初 Costello が新たに立ち上げるレーベルからリリースする予定だったが、 Wyatt の主張で Rough Trade からのリリースになったそうです。 "Shipbuilding" のシングルについては、Wyatt 曰く 「皆興奮して、レコードの売り上げ以上の費用のかかったビデオまで作ってしまった。 そして、実際、このレコードが私の最も成功しなかったレコードだった」と。 僕が最も好きな Robert Wyatt のアルバムは Nothing Can Stop Us ですし、 Wyatt の歌う "Shipbuilding" も大好きだったので (関連発言)、 この「最も成功しなかった」というエピソードは大変意外でした。

また、Robert Wyatt は Rough Trade によって復活した ミュージシャンでもあったわけですが、 同時期に同様に復活したミュージシャンとして、 ex-Throbbing Gristle の Chris & Cosey も挙げています。

この章の最後は、この時期の最後にあった組織に関わる大きなトピック、 1982年の独立系配給ネットワーク The Cartel の結成の話です。 The Cartel 結成のきっかけは、 1982年に、最大手の独立系配給会社の一つ Pinnacle が 経営悪化し財産管理の対象になってしまい、 多くの小さなレーベルの在庫を差し押えられてしまった、ということでした。 The Cartel は Rough Trade ロンドン (London) を中心として、 Fast Forward エジンバラ (Edinburgh)、 Revolver のブリストル (Bristol)、 Red Rhino のヨーク (York) とレミントン・スパ (Leamington Spa)、 Backs のノーウィッチ (Norwich)、 Probe のリバプール (Liverpool) の6つに支店を持つネットワークでした。

そして、The Cartel の設立後、すぐに、 第3章 (読書メモ) で指摘されていた Rough Trade の配給部門 Richard Scott と、 A&R の Geoff Travis の間の食い違いが表面化したといいます。 Scott は卸売部門の組織改革を行い、 Rough Trade の組織をトラスト (Trust) にしました。 これにより、Travis は Rough Trade の完全な所有権を失いました。 そして、直に現れた Travis への影響は、 ナショナルチャートのレベルで売れるミュージシャンを探すことに注力 しなくてはならなくなったことでした。 そして、Travis が当てにしたのは Scritti Politti と Aztec Camera でしたが、 それも長くは続きませんでした。 そして、そこに現れたのが The Smiths、という所で、この章は終ります。

[1826] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Jan 11 23:31:13 2007

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の読書メモの続き。 第5章に行く前に、第4章末に "Girls At Our Best: Rough Trade's Feminine Faction" と題して9ページに亙って書かれた別立てのテキストについて。

「最善の状態の女の子たち:Rough Trade の女性派閥」というタイトルから判るよう、 1980年代初頭の Rough Trade に在籍した post-punk の女性グループもしくは男女混成グループについて書かれています。 メインで取り上げられているグループは The Raincoats ですが、 Delta 5, Essential Logic, The Slits, Liliput についても軽く触れられています。 (The Slits は Rough Trade というより、傘下の Y レーベルですが。)

歴史書ということもあると思いますが、 記述は、ポピュラー音楽の文脈におけるこれらのグループの意義というよりも、 当時のエピソードを中心としたものになっています。 特に、どうして、こういったグループが Rough Trade に集まったのか、 そのエピソードがとても興味深いです (p.94、引用者訳)。

その時代にしては異常なほど、Rough Trade Records は女性のミュージシャンや従業員を歓迎していた。 「Geoff と一緒に働くことは、本当に素晴らしいことだった。 どちらかといえば彼は女性たちを受容し敬意を払っていたから ―― そして、それは本当に価値があることだった」と The Raincoats のマネージャ Shirley O'Loughlin は言う。 「音楽業界でそれ以前に出会った誰よりも Geoff は誠実だと私は気付いていた」 と Lora Logic は証言する。 「それが、私のような人たちがあそこにたむろするのが好きだった理由の一つだった」 と Vivien Goldman は付け加える。 「Geoff は性差別主義野郎じゃなかったし、音楽業界ではそれは稀なことだった。 他のインデペンデント・レーベルの代表と違って、 部屋にやってくる女の子とは誰とでもセックスしようするなんてことはしなかった。 その代わりに、彼はコミュニティを作った。」
同時に、Rough Trade の女性ミュージシャンは皆攻撃的なフェミニストだったと 誇張するのはたやすい。 「Rough Trade が男性より女性のミュージシャンに共感していたとは思わない」 と Logic は言う。「身体的なアイデンティフィケーションとは関係なく、 好きな音楽と契約していたのだと思う。」

The Slits の Ari Up などは、むしろ、 「私たちはフェミニストじゃなかった。そこが重要」とまで言っています。 ちなみに、ここで挙げられているような post-punk な女性/男女混成グループの ポピュラー音楽の文脈における意義については、 Greil Marcus の一連のエッセーがお薦めです。 グリール・マーカス (三井 徹=訳)『ロックの「新しい波」』(晶文社, ISBN4-7949-5061-6, 1984) の 「ポストパンク・ラヴ・ソングをうたうデルタ・ファイヴ」、 「ダダとパンクとポストパンク 1」、「ダダとパンクとポストパンク 2」、 「ロンドンの暴動の重みを支えるオー・ペアズ」。 原文であれば Greil Marcus, Ranters & Crowd Pleasures (Anchor Books, ISBN0-385-41721-7, 1993)。 もしくは、翻訳はありませんが、Dan Graham, "New Wave Rock and the Feminine" (Rock My Religion, MIT Press, ISBN0-262-07147-9, 1993)。 簡にて要を得たまとめは、サイモン・フリス 『サウンドの力』 (晶文社, ISBN4-7949-6026-3, 1991; Simon Frith, Sound Effects, 1978/1983) の第10章「ロックとセクシュアリティ」から (p.286)。

つまるところパンクの性的な効果は聴衆よりも演奏者に対しての方が重要だった。 それまで排除されていた女性が音楽のコミュニティに参入し、サウンドやしきたりやイメージ、それに演奏のセクシュアリティとセクシュアリティの演奏(パフォーマンス)についての新しい問題を提起したからだ。この問題に答えられるかどうかまだ考えなくてはならないが、少なくともロックが性差別主義に反対する可能性は開かれた。

ちなみに、このコーナーのタイトルは、シングル Politics! (Rough Trade, RT055, 1980, 7″) を1枚、Rough Trade に残したグループ Girls At Our Best から採られています。 文中でこのグループには触れられていませんし、 一枚残したアルバム Pleasure (Happy Birthday, RULP1, 1981, LP) は Rough Trade からはリリースされていませんが……。 ちなみに、Pleasure は、Politics! 収録曲などのボーナストラック入りで CD化されています (Vinyl Japan, ASKCD47, 1994, CD)。

"Girls At Our Best: Rough Trade's Feminine Faction" の話は、 「ポストパンク・ラヴ・ソング」の話のもう一面、 というか、そういった歌を生んだ背景の話と言えるでしょう。 続く Rough Trade: Labels Unlimited 第5章 "1983-1986: Money Changes Everything" のメインの話題も、 Rough Trade で最もヒットしたアーティスト The Smiths と Everything But The Girl を第一弾アーティストとした Geoff Travis のもう一つのレーベル Blanco Y Negro、ですし。

[1842] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Feb 7 23:18:14 2007

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の読書メモの続き。 第5章 "1983-86 Money Changes Everything" について。

The Smiths の10枚目のシングル Bigmouth Strikes Again (Rough Trade, RTT192, 1986, 12″) のB面に収録された曲のタイトルから題が採られたこの章は、 1983年に Rough Trade が初めて長期契約をした マンチェスター (Manchester) の4人組 The Smiths と、 それに伴う Rough Trade の変化の話に充てられています。

第4章の最後に書かれていたように (関連発言)、 Geoff Travis はレーベルのオーナーではなくなり、 ラジオのプレイリストやチャートに載るようなミュージシャンを求めるようになります。 また、レコードショップ Rough Trade Shops や 版権会社 Rough Trade Music が非採算部門と見なされるようになり、 ショップの3人のスタッフ Pete Donne、Jude Crighton、Nigel House が、 1982年12月15日にショップを買い取って独立します。 The Smiths が Rough Trade と契約した1983年というのは、 そんな混乱の中でのことだったと。 Travis は The Smiths との契約のことを 「彼らは、我々にとって初めての長期契約だった。 そして、商業的なプロジェクトの仕事をするということへの我々にとって初めての真剣な取組だった」と言っています。

The Smiths の版権は、自前の版権会社 Rough Trade Music ではなく、 Warner Chappell へ版権を売った上でレーベルは手数料を受け取るという 形を採ったそうです。 これは、大きな額の一時払いをすることを避けるためだったとか。 ちなみに、Rough Trade は最初にアドヴァンスとして £ 4,000 を The Smiths に払っています。

音作りという面でも、The Smiths は従来の Rough Trade は違ったといいます。 1st アルバム The Smiths (Rough Trade, ROUGH61, 1984, LP) は、 当初、Troy Tate (ex-The Teardrop Exploses) 制作による lo-fi pop な仕上りだったのですが、 それを聴いた BBC sessions のプロデューサ John Porter の忠告を受け、 Porter によるくっりきり鋭いエッジのある音で制作し直しました。 これで、£ 60,000の損失を計上したそうです。

この post-punk 第一世代と異る「きれいで耳当たりの良い」Rough Trade の新しい世代は、 The Smiths の他に Aztec Camera、The Go-Betweens、Prefab Sprout、Microdisney、The Pastels などが挙げられています。 Rob Young はこの音楽性の変化を、第一世代の「切迫感と角々しさ」に対して 新しい世代の「明るくジャングリーな音と歌詞における個人的で気紛れなロマンチシズム」と対比しています。

The Smiths の立て続けのヒットにより、 配給部門は今まで無かったような量のオーダーの処理に追われることになりました。 Blenheim Cresent のオフィスでは持ち堪えられなくなり、 1984年には King's Cross 近くの Collier Street に移転することになります。 この移転は、Sandie Show, Hand In Glove (Rough Trade, RT130, 1984, 7″) のリリースのタイミングと重なったため、 売り上げのピーク時にレコードが梱包されて見付からなく出荷できず、 チャートは27位止まりになってしまった、ということがあったそうです。 このような配給やプロモーションの体制の不備が The Smiths の Rough Trade への不満の元となっていたようです。

ちなみに、このような Rough Trade の変化に嫌気がさして レーベルを去ったグループとして The Fall が挙げられています。 Rough Trade 初期の共同体的な文化が合わなかったグループとしても The Fall は挙げられていましたし (関連発言)、 The Fall にとって Rough Trade は居心地の良い場所では無かったのかもしれません。 (単に Mark E. Smith が毒舌なだけという気もしますが……。)

また、1983年はメジャー WEA 傘下に Blanco Y Negro が設立された年です。 1983年に WEA のUK音楽部門に長となった Rob Dickins が、 ある種のアンダーグラウンドの信頼性を求めて、 以前から面識のあった Geoff Travis にコンタクトを取ったということのようです。 1970年代末に Rough Trade が版権部門を立ち上げようと考えたとき 相談しようと Warner にいた Dickins へコンタクトを取ったことがあったそうです。 Travis は Dickins の音楽の好みが近いと感じていたとも。 ちなみに、Aztec Camera を WEA へ引き抜いたのも Dickins です。 Travis は Cherry Red レーベルの Ian McNay と Les Disques Du Crepuscule レーベルの Michel Duval に声をかけ、Blanco Y Negro が設立されます。 第一弾契約アーティストは Everything But The Girl で、 その契約に最も積極的に動いたのは WEA の Dickins だったそうです。

ちなみに、Perfect Sound Forever に載った Jason Gross, "Rough Trade - Trade 2: Geoff Travis interview" (November, 1996) で、 Scritti Politti が Virgin へ、Aztec Camera が WEA へ去ってしまったことが、 メジャーと一緒に仕事をすることを真剣に考えさせた一因と、Travis は言っています。 Blanco Y Negro を始めると知っていたなら Travis の元に留まったのに、と、 彼ら (Scritti Politti や Aztec Camera) は言ったとか。

しかし、Geoff Travis が Blanco Y Negro の仕事を始めたことは、 Rough Trade の本部に深刻な崩壊をもたらしたそうです。 かつての組織階層や賃金格差の無い共同組合的な組織は過去ものとなり、 Richard Powell が責任のヒエラルキーに伴う賃金体系を導入し、 その上、今や、Travis はかつての敵と契約した、と。

もちろん、The Smiths と Rough Trade のぎくしゃくした関係、 末期のメジャーとの契約のゴタゴタについても、それなりの行数を割いています。 これは The Smiths のバイオグラフィー本などでも知られていることではないかと思います。 あと、2ページを使って全シングルのジャケット写真がカラーで掲載されています。

この章に書かれた1983-1986年というのは、 ほぼ同時代的に Rough Trade レーベルや The Smiths のレコードを 追いかけていただけに、読んでいて感慨深かったです。 それも、意外だったというよりも、むしろ、やはりそうだったか、と。 ちなみに、当時、自分がこの Rough Trade 界隈の動きをどう見ていたのかについては、 音楽趣味事始に書いたわけですが (ここここのあたり)、 認識に大きなズレは無かったんだなぁと。 当時はろくに音楽雑誌も読まない少年でしたが、 こういうレーベルの変化はレコードを追いかけているだけでも感じられたもの だったのかもしれません。

読んでいて興味深かったのは、 Aztec Camera が WEA へ移籍し、The Smiths が Rough Trade に留まり、 Everything But The Girl が Blanco Y Negro と契約した経緯。 当時も The Smiths は Blanco Y Negro レーベルでいいじゃないか思ったりもしましたが、 ほとんど、ちょっとしたタイミングの問題だったのかなぁ、と。 そう、読んでいて意外な点といえば、Rough Trade と Blanco Y Negro は Travis 絡みということで協調的な関係にあったのかと思っていたのですが、 そうではなかったことでした。

[1865] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Thu Mar 15 0:09:52 2007

ロンドン (London, UK) の独立系レコードショップ Rough Trade Shops の news によると、 "Jeffrey Lewis History of Rough Trade" と題された動画が YouTube に投稿されています。 Jeffrey Lewis が、自作 cartoon のノートを掲げながら歌う "The History Of Rough Trade" です。 設立期から現在に至る Rough Trade レーベルの話をネタにしています。 1979-1982年のリリースのジャケットを描き込みグループの名前をいろいろ歌に織り込んでいるのに対して、 The Smiths が出てくるのも終り近く、その後潰れて、不死鳥のように甦った、と、 1980年代後半以降の扱いが薄いです。ま、それも妥当だと思いますが。 インストアライブの映像ですが、ひょっとしてロンドンの Rough Trade の店舗だったりするのかしらん? それとも Lewis 地元の NY のどこかかしらん?

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) (読書メモ) にも、Jeff Lewis 名義ですが2ページの cartoon "A Rough History Of Rough Trade Records" が、 "Introduction: Little Red Record Co." の章末に載っています。 cartoon は YouTube 映像 "Jeffrey Lewis History of Rough Trade" とは異ります。 ところで、Jeffrey Lewis の公式サイトの過去記事に 「かつて Rough Trade America によって大きな新聞サイズで印刷されプロモーションに使われていた Rough Trade Records の歴史についての4ページのコミックは 絶版コレクターズアイテムの状態に留めておくことになった」 と書かれています。これも見てみたいなぁ。 Labels Unlimited: Rough Trade に載っている cartoon は1ページが上下に分かれているのですが、 ひょっとして、この縮刷版だったりするのかしらん?

ちなみに、Jeffrey Lewis は NY の anti-folk/punk-folk の SSW にして cartoon 作家で、 Rough Trade レーベルと契約してます。 YouTube に他の映像もいくつか載っていますが、これを観て気付いたのですが、 cartoon を掲げめくりながら歌うというのが彼の一つの芸風のようです。 "Jeffrey Lewis rhymed illustrated History of Communism China" なんていうのもあります。 こういう芸風はCDで聴いているだけでは判らないですよね。面白いです。 ディスコグラフィ等には載っていませんが、 wikipedia によると、 他にも "The History Of The Fall" のような持ち歌があるようで、 こういう語り部的なレパートリーが多いのでしょうか。 cartoon 掲げめくり歌う芸風にも合っているように思います。

[1895] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Sat Apr 28 0:52:26 2007

暫く間が空きましたが、 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の読書メモの続きです。 第6章 "1987-91 On Fire" について。

第5章の話から3ヶ月近く経ってしまいました。 さすがに、自分にとって Rough Trade を面白く感じられていた時期の話も終り、 自分のモチベーションも落ちているかも……。 もはや、この話題を期待している読者もほとんどいないかもしれませんが……、 自分向けの読書メモということで。

Galaxie 500 のアルバム On Fire (Rough Trade, ROUGH146, 1989, LP) のタイトルから題が採られたこの章は、 The Smiths が去った後から1991年の倒産に至る時代の話です。

第5章は The Smiths の契約の終りと、Rough Trade が 「Virgin のように大きなレコード会社」となったという 当時のレーベルのヘッド Mayo Thompson の話から始まります。 また、PWLレーベルのリリースする Stock, Aitkin & Waterman プロデュースの曲が 全英チャートでヒットできるようになるほど、 独立系配給会社 The Cartel も市場に浸透したと。

それに続いて、1986年に NME (New Musical Express) 誌が付録に付けた カセット・コンピレーション C86 に触れています。 Rough Trade はこのコンピレーションのLP版 (Rough Trade, ROUGH100, 1986/1987, LP) をリリースします。 このコンピレーションに収録された多くのグループを 「インディの音楽を、活気の無い泣き言、ファンクの欠如、空虚なメインストリームに対する無能なオルタナティヴとして示した」と Rob Young は冷やかに記述しています。そして、 「The Pop Group、Cabaret Voltaire や Robert Wyatt の政治的関与や見識ある音楽趣味は 大きく取り残されてしまったかのようだった。 実際、1987年までに、Pere Ubu の David Thomas を除いて、 Rough Trade のオリジナルのアーティストは解散するか移籍してしまった」と。 「"indie" という言葉が、制作とリリースの環境を意味する代わりに、 ある種の音楽を旗振りするある特定の意味を帯びはじめた」と指摘し、 「活気付けるような新種の代わりに模倣者の波が押し寄せる、という post-Smiths のシーン問題点を C86 は明らかにした」と Rob Young は述べます。 当時はこういった表現にそれなりに文脈的必然があった、と、僕は思っていますが。 それについては、また別途。

こんな感じで、1980年代後半の Rough Trade のリリースについては否定的に感じる記述が多いのですが、 それでも、まだ広く折衷的で実験的なアーティストと契約をすることもあったと。 「Rough Trade は成熟してしまったけれども、 それでもまだ明らかに広いA&Rポリシーを持った断固として折衷的なレーベルだった。 hip hop のような新興の黒人音楽や1980年代末の大きなムーブメント Acid House を取り上げなかったけれども。」と。 しかし、Rough Trade Shops のコンピレーションでも Acid House がすっぽり抜け落ちている (関連発言) だけに、 この hip hop や Acid House から距離を置いた理由について特に記述が無かったのは残念でした。 どういう背景があるのか気になります。

この時期のアーティストとして章本文中で特に取り上げているのは The Sundays と Galaxie 500。 さらに章末で "Ten Wild Cards: A Walk On The Weirder Side Of Rough Trade's Lesser Known Mavericks And Eccentrics" と題し 4頁を使って以下の10のグループ/アーティストを紹介しています: AR Kane, Virginia Astley, Band Of Holy Joy, Ivor Cutler, Dip In The Pool, Daniel Figgis, Arthur Russell, Sudden Sway, Unknown Cases, Zounds。

しかし、こういったリリースしていたアーティストの話よりも興味深く読めたのは、 章のしめくくりの、Rough Trade 倒産の経緯の話です。 破滅が始まったのは1990年7月。 55から70ものレーベルを扱うようになった配給に対応するため Finsbury Park にある5階分のオフィスフロアを持つ 31,000平方フィート (3,000平米くらいか) の床面積を持つ倉庫へ移転したそうです。 さらに、大量の金銭、トランザクション、在庫の流れを管理するため、 75万ポンド (1億数千万円)の費用をかけてコンピュータシステムを導入したのだそうです。 他の配給会社は最適なシステムを構築するためコンサルタントを使っているにも関わらず、 結局誰かが特に試すこともなしにあるシステムを買うことを決めてしまったそうです。 で、結局、システムが稼働するまでに長い時間がかかってしまい、 その間、会社の与信管理システムが不在となって、 その結果、管理されていない不良債権が100万ポンド (2億円近く) にもなってしまった、 ということだそうです。 まるで『日経コンピュータ』誌の名物連載 「動かないコンピュータ」を読んでいるような……。 さらにそれに加えて、英国間接関税局の労働者のストライキがあって VAT が数ヵ月支払えないということがあったそうです。 その間の VAT の分を積み立てずに使ってしまったため、 いざ支払う段のなったときに支払えなくなってしまったという。 支援するレーベルもありましたが、配給していた主要なレーベルが引き上げ、 結局、1991年5月に Rough Trade グループは取引停止となります。

そんな中、 Rough Trade の版権部門を運営していた Cathi Gibson と Pete Walmsley は なんとか持っていた曲の権利を買い取ろうと試みるも、 結局 Complete Music に買い取られてしまいます。 そのことを知った Lee Ranaldo (Sonic Youth) は、 「許可無く自分の歌を売り払うなんて信じられない」と言ってきたそうです。 しかし、結局は、Complete Music は Rough Trade の名前は使えず、 Gibson と Walmsley は Rough Trade Publishing を設立します。 配給会社の The Cartel は消滅。 The Cartel を構成していた Fast Forward や Probe、 配給を受けていた多くのレーベルは離散します。 Rough Trade のライバルだった独立系配給会社 Pinnacle などが その受け皿になったわけですが、それらは Rough Trade と違い、 メジャーの PolyGram や BMG と大差無かったと、Young は書いています。

そんな Rough Trade 倒産のどたばたの話で、第6章は幕を閉じます。

[1919] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed May 16 1:00:39 2007

Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の読書メモ、 というか第6章 "1987-91 On Fire" ののフォローアップ。 NME C86 関連の話をもう少し。Rob Young の否定的な記述を少々緩和しようかと。 先日の PP 宴会の話のフォローアップという面もあったり。

まず、最初に自分の NME C86 界隈というか indie pop に対する評価というか 立ち位置を示しておこうかと思います。 といっても、これについては以前にも何回か書いていますが、 音楽趣味事始の2000/08/28以降の一連の発言NME C86 について書いていますのでそちらをどうぞ (当時は indie pop という言葉を知らなかったので guitar pop という言葉を使用しています)。

ちょうど、去年 (2006年) が NME C86 から20年にあたり、 2006/10/27,28にロンドン (London, UK) の ICA (Institute of Contemporary Arts) で記念イベント C86 - Still Doing It For Fun が開催されました。 また、イベントとほぼ同時に Saint Etienne の Bob Stanley による編纂で、 Various Artists, CD86: 48 Tracks From The Birth Of Indie Pop (Castle / Sancturary, CMEDD1420, 2006, 2CD) という関連するアンソロジーもリリースされました (⇒MySpace)。 NME C86 に収録されていた曲も一部収録されていますが、 NME C86 のCD化ではなく、別のアンソロジーと考えた方がよいでしょう。 NME C86 に収録されていた Ron Johnson レーベル (関連レビュー 1, 2) の5つアーティストで収録されたのは Big Flame のみ。 CD86 に収録されているのは1984-88年にリリースされたものに限定されていますが、 聴いていても、スタイルとしての indie pop も含めて編纂された Various Artists, Rough Trade Shops: Indiepop 1 (Mute, CDSTUMM239, 2004, 2CD) (関連発言) に近い雰囲気を持つコンピレーションになっています。 NME C86 をそのまま、もしくはボーナス曲/CD付きで 再発して欲しかったようにも思いましたが、版権が散逸しているのでしょうか。 あと、それとは別の話ですが、 Ron Johnson レーベルのアンソロジーを編纂・リリースして欲しいです……。

このイベントとアンソロジーのリリースに合わせて英 The Guardian 紙が Manic Street Preachers の Nicky Wire に当時を語ってもらうインタビュー記事 "The Birth Of Uncool" (2006/10/25) を掲載していました。当時 NME C86 界隈のシーンがどう見えていたのかの興味深い内容になっていると思います。 「当時ですら、C86のバンドになるということは、秘密結社の一員になったと感じることだった。 そのシーンはとてもスノッブ的でエリート的だった ―― 実際良い意味でとはいえ」とか。 この記事に出てくる NME C86 界隈の特徴をまとめると以下のようになるでしょうか。

一方、同じ頃、英 The Times 紙にも "Where were you in C86?" (2006/10/20) という記事 (おそらく CD86 を編纂した Bob Stanley 自身による) が載りました。 こちらは、Stanley による CD86 のライナーノーツと 内容的に重なるところが多い (そのまんま同じ文もある) のですが、 NME C86 の背景が述べられていて、興味深いです。 NME C86のルーツには、非常に無害化されたアーティストに占められ瀕死の状態となった1983年頃のイギリスの音楽シーンがあった、と。 また、The Times の記事はDIY主義に焦点を当て、その二面を述べています。 その一面とは、Nicky Wire の言葉を引いて「1980年代半ばは、みんな社会主義者だった」、つまり、 インデペンデントな "indie C86" の原型となるシーンは明確に反 Thatcher で反企業だった、ということです (ちなみに、このような Nicky Wire の発言は The Guardian の記事には出てきていません)。 その一方で、C86 は必要に迫られての DIY、つまり、 ほとんどのグループは仕事もなければ金もなく自分で全てをやる以外に選択肢が無かったとも指摘しています。 また、1987年には勢いが失われ、かつての punk のように メジャーにチャレンジできるムーブメントになってしまったとも書いています (ちょっと早く見切りすぎのようにも思いますが……)。

去年の20周年がらみの記事ではなく2004年の Rough Trade Shops: Indiepop 1 紹介記事ですが、 Michael Hann, "Fey City Rollers" (The Guardian, 2004/10/13) は、 NME C86 というか indiepop の左翼的 DIY とは少し違う2つの面に焦点を当てて書かれていて、興味深いです。 一つは明らかに地域的 (regional) なシーンだったという面で、 Sarah レーベルの Matt Haynes の言葉を引いて「それはとても非ロンドン的な事だった」と。 もう一面については、Talulah Gosh の女性歌手 Amelia Fretcher の言葉を引いて 「それは、とってもとっても女性にオープンだった」と指摘しています。 Sarah レーベルの Martin Whitehead も 「C86 以前は女性はバンドの華に過ぎなかったかもしれない。 しかし、C86 が変えてしまったと思う。 ギグのプロモーションをしたり、ファンジンを書いたり、レーベルを運営したりする女性もいるようになった」と言っています。

しかし、これらの記事で指摘されている 「左翼的 DIY」「地域的/非ロンドン」「女性にオープン」という点は、 まさに Rob Young が Rough Trade: Labels Unlimited で Rough Trade の特徴として触れていることと共通します (関連発言: 左翼非ロンドン女性)。 正直に言って、左翼的でプロフェミニストな面は Rough Trade より薄まっているようにも見えます。 それとの違いという点では、CD86 のライナーノーツの次のような記述が示唆的です。 「このこと (引用者注:性と関係ない/に興味を示さない音楽シーンであったこと) は、 グループ内に女の子がいることがいかなる条件も無しに受け入れられるようになった ことを説明することになるだろう。 3〜4年前だったら、The Raincoats、The Slits や Au Pairs のようなグループが 真面目に受け取られるためには、政治的な姿勢が必要だった。」 逆に言えば、Rough Trade が掲げたエートスが一般化・大衆化し特別なことではなくなったこと、 そのような独立系レーベルを始める敷居が低くなり広く行われるようになったことが NME C86 のような所に現れたのかなと。 そう考えると、NME C86 が明らかにしたと Rob Young が指摘するような 「活気付けるような新種の代わりに模倣者の波が押し寄せる、という post-Smiths のシーン問題点」 というのも、 独立系レーベルからのリリースというのが大衆化して、 そうすることに以前のような強烈な個性や表現欲求が必要とされなくなった結果として 見ることができるのかもしれません。

[1947] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Jun 22 0:59:46 2007

暫く間が空きましたが、 Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN978-1-904772-47-7, 2006, paperback) の読書メモの続きです。 第8章 "1992-2000 There Are Strings" と最終章 "2001- I Am A Bird Now"、 あと最終章末の Geoff Travis & Jeannette Lee インタビューについて。

第8章は、1991年の破綻後の動きを淡々と記しています。 1992年に小規模なレーベルとして活動再開、 1993年に One Little Indian レーベルに買収され Travis が雇われるという形となります。 しかし、One Little Indian の下で働くのがいやとなった Travis は、 1996年夏に Island 傘下に新たにレーベル Trade 2 を設立します。 しかし、それも2年しか続かず、 1999年には Trade 2 も One Little Indian 傘下の Rough Trade も活動停止状態に なってしまいました。

それほど活発に活動した時期ではありませんが、 この時期を代表するグループとして挙げられているのは、 John Coxon & Ashley Wales の Spring Heel Jack。 1993年、Everything But The Girl の "Missing" のミックスという Blanco Y Negro での仕事に John Coxon を使ったのがきっかけだったようです。 Spring Heel Jack は当時から好きで最近の improv 色濃い作品までフォローしてきていますが、 Ashely Wales が ex-Shockheaded Peters だったことはこの本で気付きました。

1999年に Travis は One Little Indian から Rough Trade の名前を使う権利を買い戻しますが、 Rough Trade という名を封印して、Tugboat というレーベルを始めます。 Rough Trade という名に対する封印を解くきっかけは、 2001年の Rough Trade Shops 25周年の一連のイベントだったそうです。 「多くの人たちにとって Rough Trade という名前がどのくらいの意味を持っているのか実感した。 そして、それを放っておくのは馬鹿げているように感じたんだ」と、Travis は言っています。

最終章第9章は、2001年の Rough Trade レーベル再興以降の話となります。 再興にあたって Sanctuary Group の資本を受け入れました。 この Sanctuary を、Rob Young は 「1980年代における Rough Trede の興隆をどこかしら思い出させるような 2000年代以降に成長した独立系の配給会社兼レーベル」と評価しています。 そして、その順調な再スタートを支えた2000年代を代表するグループとして、 The Strokes を挙げています。 最終章末のインタビューで出てくる話しですが、Sanctuary との関係は、 Sanctuary 側からアプローチがあったそうです。 アプローチしてきた相手のことをそのときまで聞いたいたことも無かったと、 Travis は言っています。

最終章の後半 pp.147--152 は、30年の総括というか、30年間の変化についてまとめています。 「2006年の Rough Trade は1978年に煽られるように登場したそれと非常に異ったものになっている —— 音楽的そして文化的なランドスケープがすっかり変わってしまったことを示している」と Young は言っています。 具体的な違いについては、Travis 曰く「独立であるということ、そして、市場の一部を占めることの意味が全く違ってしまっている。 post-punk は多くの聴衆を持っていた。17,000枚のシングルが売れるくらい。 Chelsea の "Right To Work" だって7,000枚は売れるかもしれない。 今出てきたら、同等のグループだって70枚売れるかだろう。 そう、それはまったく異った場なんだ。 しかし、我々は簡潔に考え、頭を混乱させ過ぎないようにこころがけている。 トレンドを分析して数字を計算するようなことはしないようにしている。 重要なのは、音楽において現在起きていることにちゃんと付いて行くことだ」と。

30年間の変遷については、イギリスの政治状況の変化と Rough Trade の変化を重ね合わせて見るような記述もしています。 例えば、1980年代の変化について、Young はこんなことを書いています。

Rough Trade を崩壊に導いた問題点は、 イギリスの政治制度内に広く見られた問題点を表すものだった。 経済状況の厳しい現実が、度重なる選挙敗北を通して、 左翼に地に足をついた活動をさせるようになった。 同様に、Rough Trade はそのマルクス主義的/ユートピア主義的な起源を譲歩し、 1980年代を通して次第にその規模拡大と折り合いを付けていった。 The Smiths がポピュラリティを獲得すると、国際的な市場にサービス提供すると同時に、 草の根的な音楽のアンダーグラウンドとの関係を維持する必要もあった。 ヒットを作り出すことへのシフトは、 このレーベルが元々反対した戦略とビジネス慣行に取り組むことを余儀なくさせた。

また、1980年代半ばのレイヴ・ムーブメントというか Acid House の頃についても、こんなことを書いています。

1980年代を通して Margaret Thatcher の保守党 (Conservatives) の政権掌握が長引くにつれて、 それはますます打ち破ることができないように感じられるようになった。 1987年の三期目の選挙勝利がもたらした幻滅は、 音楽の持つ政治的な力への信頼を凋落させ、 1980年代最大のアンダーグラウンド音楽ムーブメント Acid House を通して 抗議 (protest) を快楽主義 (hedonism) へと置き換えていった。 Rough Trade の真摯なポリティカル・コレクトネス (political correctness) は、 決定的に時代遅れに見えるようになり始めた。

この下りは post-The Smiths を描いた第6章で読んだような気がしていたのですが、 読書メモを書くにあたって読み直したときに出てこなかったので、 自分の思い込みだったかと思ってました。ここに書いてあったか〜。 Rough Trade レーベルのリリースだけでなく Rough Trade Shops も 1980年代後半の Acid House から距離を置いて indie pop に傾倒しています (関連発言)。 Rough Trade より薄まってるようにも見えるとはいえ、 NME C86 / indie pop の 左翼的でプロフェミニストな傾向 (関連発言) と併せ考えると、 Rough Trade 界隈が Acid House ではなく indie pop を扱ったというのも、 ポリティカル・コレクトネスの問題もあったのかもしれません。

これで、最終章も終り、最終章末には Geoff Travis & Jeannette Lee インタビューが載っています。 といっても、別立てのインタビューを掲載せずこの内容も各章に反映させれば良いのに、と 思ってしまいました。

インタビュー中で特に興味を引いたエピソードは、 1980年代後半、The Smiths が抜けた穴を埋めために Run-DMC や De La Soul、Prince といったアーティストと契約を試みたが失敗した、 と言っていることです。 もし成功していたら、Rough Trade だけではなく 1980年代後半の indie pop 界隈もかなり違ったものになったかもしれないし、 underground hip hop のありかたも変わっていたかもしれない、思ったりもしました。 また、そういう話を読むと、Acid House / indie pop の件も ポリティカル・コレクトネスというより単なる偶然のレベルの話なのかもしれません。

インタビューのページの後は、"A-Z" と題された資料的なページです。 Rough Trade からリリースのあるアーティストの簡単な紹介があり、 さらに、カタログ番号、アーティスト、タイトル、発売年からなる 簡単なディスコグラフィが載っています。

去年10月に書き始めてから約8ヶ月、 これで、やっと Rob Young, Rough Trade: Labels Unlimited の読書メモは完結です。(今後も、関連する話題があれば追記するかもしれませんが。) 予想以上に大変だったので、もう一冊の方、 Rob Young, Warp: Labels Unlimited (Black Dog Publishing, ISBN 978-1-904772-32-3, 2006, paperback) の読書メモ掲載は、たぶんやりません……。 ちなみに、この Labels Unlimited シリーズは、 続いて 4ADAce が予定されているようです (未出版)。

翻訳するほど大変ではありませんが、単に流し読みで済ませるより深い読みができましたし、 後々参照しやすいし、自分としては読書メモを書いて良かったと思ってます。 しかし、この半年余り反響がほとんど全く無かったのは、やっぱり少々残念でした。 (久保田さんの "Little Red Record" のコメントと、 松山 晋也 さんと直接会ったときに頂いたコメントだけか……。) 関連してこんな本・記事・情報があるよと教えてもらえるかもしれない、 と期待したところもあったのですが……。 というか、この本を話題にしている日本の blog 等って他に見当たらないし、 こういう話って日本の音楽ファンには興味持たれていないのだなぁ、 とつくづく実感した半年余りでもありました (タメイキ)。 ま、本や雑誌と違って売り上げ部数というか 読者数など気にしなくていいので気楽なものです。 一人でも興味を持ってくれる読者に届けば、それで充分、というか。

さて、これで、こっちはケリがついたので、 去年末からペンディングになっている ポストパンク・ラブ・ソングの話 でも再開しようかしらん。 って、こちらもほとんど反響無かったりする話題だったりしますが……。 というか、こっちはドン引きされてる気がする……。