第45

11月号


シネマ ファシスト 第45回 11月号
『メゾン・ド・ヒミコ』


 物語の舞台をメゾン・ド・ヒミコというゲイ専門の養老院にしたことで話が弾む。1つの死と1つの別れと2つの出会いが描かれている。しかしすべて一筋縄ではゆかない。

 1つの死、主人公の女性と母を捨てたゲイの父の死である。1つの別れ、父親がゲイとも知らされず息子家族の元へと引き取られてゆく父。2つの出会い、主人公女性が休日にゲイの養老院で働くことになり、そこにいるゲイの白い服の男(オダギリジョー)。金のために入った会社でその会社を経営する所帯持ちの黒い服の男(西島秀俊)。白と別れて黒へそして白へと戻ってゆく主人公。書いてしまえばこれだけのことであるが、それぞれの登場人物の置かれているシチュエーションと、柴咲コウを出色とする俳優の表情、衣裳、小物、家、部屋が私をうきうきさせる。主人公は徹頭徹尾無表情を通して、我が身の理不尽を呪っている。死に行く彼女の父は、きらびやかで最期の残光そのものである。白は、残光とともに自分の性癖にけりをつけたがっている。黒は、自分自身の立場が意思とはかかわりなく、先行する様に戸惑っている。

 養老院という一見隔絶され、内部攪乱と崩壊を待つばかりの空間にも、残光と入れ替るかのように、白への中学生の参入という、さらなる白にとっての戸惑いも用意され、次の残光と成り得る人々にも、大学生のありきたりの肉体が、陽を落とさせまいとエネルギーを流入する。

 水のないプール、プールに泳ぐために水が張られることはない。流しソーメンの会場となり、霊送りのトウロオ流しの会場となり、主人公と養老院の住人との交流の場となる。
本来が失われた登場人物たちの生き方が、同類である私の気持ちをワクワクさせる。主人公がダンスホールでスチュワーデスの衣裳で踊る。それはこの映画の登場人物だけでなく、見る者すべての生活様式である。

 ラストの落書きが召還して主人公は落ち着き所の白へと戻り、ようやく本来が始まるかのような印象を残す。

 この映画もほとんどが女性。おばさんはいたが、男性は私が最高齢、となりの30男は眠っていた。あ〜あ。


●市井義久の近況● その45 2005年11月

 10月15日(土)に公開された『不滅の男 エンケン対日本武道館』を宣伝していた。その映画を宣伝するために真っ先にしたことは、遠藤賢司が活躍した時代の歌を再び聞くことであった。遠藤賢司はもちろん、斉藤哲夫「68」、ザ・タイガース「シングルベストコレクション」、井上陽水「プラチナ・ベスト」3枚のCDを買った。

 1969年から1973年までの大学4年間、18才で東京へ出てきて1年間の予備校を経て、吉祥寺に4年間住んだ。レコードは持ってはいてもプレーヤーもステレオも無かったので、レコードを持って高円寺に住む高校時代の友人のアパート(3帖)や、大泉学園に住む大学の友人の家へ、聞きに行っていた。その時代の私にとっての代表的な歌手が、その4人である。あれから35年ぶりに聞いた。その間、カラオケ屋では連綿と歌ってはいたが、実際CDで聞いたのは35年ぶりである。

  何の違和感もない。彼ら4人の歌が変わらないのはもちろんであるが、私自身もあれから35年も生きてきたのに、あの頃とまったく同じ感傷である。高円寺のアパートは無い。友人には今や孫もいる。大泉学園の友人には大学卒業以来1度も会ったことがない。この4人の歌を聞いている私は、年齢と肉体は変わってしまったが、それを聞く耳は何の変化も無い。目はライナーノーツを読むのすらつらくなってきた。しかし歌は、私が35年間ただひたすらカラオケ屋で歌ってきたような歌だと思う。(友人ははっきりと異なると明言したが)懐かしいのではなく、リアルに私の今の感傷を喚起する。今の心をたかぶらせる。

 私は15才で初めてホルストの「或星」というレコードを買った。しかしプレーヤーもステレオもラジカセもCDコンポも買ったことがない。(結婚していた5年間、妻はケンウッドのステレオを持っていた。)聞くこともできないまま大学時代はアングラフォークのURCレコード、グループサウンズ、陽水、ユーミンを買っていた。それ以来実に35年ぶりにCDを買った。それに合わせて、CDラジカセも買った。1万円もしない。斉藤哲夫、タイガース、井上陽水、遠藤賢司、初めて聞いた時とまったく同じ印象である。人間の感性は、年齢や環境や立場で変わるものではない。斉藤哲夫のお経のような呪文のような歌をかつて友人たちと共に歌ったが、また1人で歌い出している。歌詞は聞く人の解釈だが何の違和感も無い。人々は名前のように性別のように変わらない。斉藤哲夫の「68」というアルバムは1968年、私が18才。

 斉藤哲夫は何をしているのだろう。タイガースは沢田研二になった。陽水は依然陽水であり、遠藤賢司は依然エンケンである。そして私も依然私である。

 10月15日(土)『不滅の男 エンケン対日本武道館』初日、正確には16日午前0時。私の事務所で、遠藤賢司が1人壁に向って、3時からのラジオ番組の生出演に備えて、ギターのチューニングをしている。低い声で唄い出した。彼の他に聞いているのは4人。外はどしゃ降り、4人はその低い声にじっと聞き入っていた。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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