PC処世術 - メモリ編

メモリ容量の変遷 - その1

 パソコンの主記憶、すなわちメインメモリ容量もまたPCの性能をあらわす一指標である。一昔前(十数年前)はメインメモリが 640KB というのが標準であり、それ以上積んでいると随分な贅沢に感じたものだ。それが2004年現在ではどうだろうか? 256MBや512MB搭載というのは当たり前になっているし、ギガバイト級のメモリを搭載する事だって珍しいことではない。言うまでもないことだが、メモリ容量は単調増加の道を歩んできた。
 そして値段も格段に安くなった。かつてメモリの値段が 1MBあたり1万円を切ったときにも、「メモリも安くなったものだ」としみじみ感じたものだが、今では1GBあたり1万円を待つ段階にある。なんとも、容量の感覚は当時から千倍近くインフレしているようだ。

 さて、過去を回想して現代に驚くだけでは本サイトの存在価値はない。そこで過去の回想から「買い損しないためのメモリ容量の選定」を考えるために、メモリ搭載量の変遷をグラフ化してみたのが図1である。
 縦軸は対数表記(デシベル, [db])となっている。メモリ搭載量も、ある時期に急に伸びたり、あるいは停滞したりということではなく、対数でみると直線的に淡々と容量増加の道を歩んできたことが分かる。そしてその増加の割合は 3.8db/yearであり、年に1.5倍ほどの容量増加を果たしてきたことになる。この値は HDDの5.1db, CPUの4.3db と比較すると小さく、どうやらPCの性能向上の歩みの中でメモリーの容量増加というのは比較的緩慢なようだ。
 この事実が意味するところは、メモリ容量の限界を感じる前にHDDやCPU能力に限界を感じる可能性が高いということだ。つまりPC購入時に適切なメモリを搭載しておけば、CPUやHDDの限界によってPCが「そろそろ買い替え感」を醸すまで使用しつづけられるのである。マザーボードやパソコン選択の際には、「最大搭載メモリ容量」や「DIMMスロットの数」などを気にする向きもあるが、実際にはこれらが埋め尽くされるより前にパソコンやマザーボードが寿命を向かえる可能性が高いのである。

 「いいや、そんな筈はない。これまでにも散々メモリ増設を経験してきた。」と感じられる方もいるだろう。実は筆者もメモリ増設は何度となく体験してきた。そこから学んだことは,世間のPCの搭載メモリ容量は淡々と増加するが、要求されるメモリ容量は不連続に増加する、ということである。このため、やたらとメモリ増設をしたくなる時期と、メモリ増設に価値を見出せずに過ごす時期とが交互にやってくるのである。
 具体例を示そう。筆者が導入した Win3.1〜Win95時代のPCは Pentium 133MHz, メモリ16MB であり、そのときに導入したマザーボードのメモリの最大容量は 384MB であった。最大容量という点だけを見ると、現在でも十分通用する容量である。これを導入した当初は物理メモリー枯渇との戦いの日々であった。増設を繰り返し、実に7年をかけて192MBまでは増設したが、フル実装したくなる前にCPUやHDDはおろかマザーボードも既に命数が尽きて最前線を退いた。80MBを超える頃まではメモリを増設したい一心であったが、80MBを超えた頃から増設意欲はあまり湧かなくなった。192MBまでになったのは周囲で廃棄されるPCからありがたくもメモリーをもらったというだけにすぎない。

 このように、メモリはリニアに増設したくなるものではなく、ある時期無性に増設したくなるもののようだ。この原因はメモリを管理するOSのリリースと密接な関係があると筆者は観測している。
 続く…(29. Mar, 2004)

メモリ容量の変遷 - その2

 メモリ増設の欲求がやってくるタイミングは必ずしもリニアではなく、OSのリリースと密接な関係があると書いた。CPUなどの買い替え欲求も実はリニアではないのかもしれないが、メモリに関してはその度合いが激しいように感じる。
 図1には各時代のOSが要求するメモリ容量のラインを描いてある。このラインは、「あるOSをまともに使用するために要求される容量」のラインである。筆者の感覚に基づくラインではあるが、大外れではないだろう。
 例えば、16bitの DOS時代に要求されたメモリ容量は(PC-9801では)640KB であった。この当時、これより少ないメインメモリ容量では動かせるソフトが極端に制限され、まともに使うことができなかった。その一方で、これ以上のメモリを搭載したマシン(パソコンの話である)は確かに存在したが、利用方法がなく、メインメモリとしては無意味であったために拡張メモリはRAMディスクなどとして利用された。
 もう少し時代が進んでCPUのアドレスバスも24bitに拡張され、拡張メモリがアプリケーションから要求された時代があった。図1のグラフ中では「DOS Ext.」と書かれたラインだ。EMS/XMSといった拡張メモリの方式が一般的になり、OSによるサポートも受けた時期である。この時代に要求された容量は2MB(or 2.6MB)程度であったと思う。もちろん、これを大きく超える容量のメモリも搭載可能ではあったが、アプリケーションの実行に使える容量は限られており、残りはやはりディスキャッシュやRAM DISKに振られた。要求されるメモリの容量は、アプリケーションソフトの箱などに書かれていたりした。
 このように、16 bit時代は要求されるメモリ容量は比較的明快であった。OSやアプリケーションが要求するメモリまで拡張を行いさえすればよく、それ以上のメモリはあれば良いがなくても良い状態である。したがって、当時はメモリに対して、「ある一定量までは増設しなければならなかったが、それ以上は特に増設意欲が湧かない」という感覚を漠然と抱いていた。

 問題は16bitから32bitへの転換期にあった。図1には32bit 時代の代表として Windows95の要求メモリのラインを図示してある。Windows 3.0/3.1 の時代からメモリ容量増設への欲求は高まっていたが、その欲求を爆発させたのは標準OSとして君臨した Win95である。
 Windows95 の要求メモリ容量は、筆者の感覚では24MBと見積もっている。この容量は、OSを動かすのに必要な値であり、具体的には窓を開くだけで激しくスワップするような状況を回避できる容量である。マシンの搭載メモリがこの容量を割り込むようであれば、それはマシンの搭載メモリ容量が寿命に達して命数が尽きた状態である、と筆者は判断している。
 この観点で言うと、筆者が1995年に導入した 16MBメモリ搭載マシンは、買った時から命数が尽きていた。メモリ欠乏に悩み、買ったばかりのPCを延命するために増設への欲求が爆発したのは当然の結果であったと言える。そして実際の使用に際してはアプリケーションが使用するメモリもあるので、OSの要求ラインの2〜3倍程度の容量までは増設欲求があったようだ。3倍というのは確固たる根拠はないが、OS規模のアプリを二つくらい起動できる程度の容量である。Win95ではこの値が 72MBであり、筆者のPCでは16+32+32MB=80MB であった。この値を超えると、(筆者の場合)ぱったりとメモリ増設欲求は湧かなくなったのである。

 メモリ増設の欲求に関しては、OSのリリース時期から次のアーキテクチャがやってくるまでの間を大別して3期に分けて考えられるように思う。第一期はOSの要求メモリを下回ってメモリ欠乏に悩む貧困飢餓期である。この時期はメモリ増設ネタがパソコン雑誌の主な話題となり、上級者から初心者に「CPU速度よりメモリ積め」という類のアドバイスが聞かれる時期でもある。第二期は要求ラインの3倍に至るまでの高度成長期である。この時点ではパソコンのメモリ容量はクリティカルな問題ではなくなり、人々の興味もCPU速度や内蔵ドライブ類、あるいはグラフィックアクセラレータなどに向かう時期である。そして最終期は飽食期である。この時期にはメモリの増設が何の意味を持つかについて適切な説明をするのが難しくなり、増設してもパフォーマンスの向上を認識しづらい時期である。そしてこの時期には雑誌などでメモリに関して「xx bitの壁」などと称して次世代アーキテクチャなどが語られる時期でもある。

 さて 32bit時代のOSは Windows 2000, XP と進化を続け、その過程でバンドルされるブラウザや重たいガラ(シェル)などにより、要求されるメモリ容量も大きなものになってきた。しかし、筆者の見立てではOSの要求メモリは重たいガラやバンドルソフトを以ってしても半導体メモリの進歩には追いついていない。(追いつかなくていいのだけど)
 図1には、Win2k のラインを図示してあるが、これがリリースされた時点で巷のPCの搭載メモリは既に貧困期を脱していた。(関係ないが、そういえばこの時期に半導体不況があったりITバブルが崩壊したりした。)つまり、新OSはメモリ喰いと言われながらも、メモリ増設欲求の爆発を引き出す要因にはなっていないのである。
 図示していないが、Win XPも同様である。要求メモリはWin2kの1.5倍(96MB)程度であろうか(実はXPではメモリ貧困を体験していないので、実際の値が良く分からない)。そうだとすれば、巷のPCの標準搭載メモリは要求メモリの3倍を超えて既に飽食期に入りつつあると考えられる。現在のメモリ要求値は、32bitアーキテクチャが要求できるメモリの限界付近を指しているのだろう。どうやらメモリ容量の増設欲求は xx bit時代の歩みとリンクしているようだ。

 32bitメモリ飽食期の次に来るのは 次世代64bitア−キテクチャ大戦に伴うメモリ貧困飢餓の時代と予想される。しかしこちらに書いたように次の時代の到来はまだしばらく先の話である。2004年現在に購入するPCは、激しいメモリ増設の欲求に曝されることなく あと4年程度は続くであろう32bit時代を駆け抜けることができてしまいそうだ。xx bit時代黄金期(メモリ増設最終期)におけるPCの導入は、次世代が始まるまでメモリ容量に関しては安泰な、オトクな選択ということになるかもしれない。
 現段階でメモリに関して将来に備えても、メモリ容量よりも先にCPUやHDDの命数が尽きるだろうし、何より32bit時代がちょうど終焉を迎える。32bit は既に先が見えたアーキテクチャではあるのだが、それ故に激動期までの束の間の安泰期にさしかかっており、案外PCの購入は時代の終わりかけがおいしいのかもしれない。(31, Mar, 2004)

メモリの転送速度

 現在のコンピュータにおいて、その主記憶(メインメモリ)には現在処理中のデータは勿論,コード(プログラム)もメモリ上に置かれることになるので、殆どあらゆる処理はメモリを介することになる。したがって、メインメモリの容量はパソコンに実行出来ることを制約するのに対し、メモリの転送速度は実行速度を律する重要なファクターである。
 そしてメモリの転送速度もまた、PCの進歩に伴って向上の歴史を辿ってきたわけだが、CPUの著しい速度向上に対して必ずしもメモリの速度が1対1でついてきたわけではないようだ。そんなことは筆者がここで言うまでもないことであり、「メモリの速度がボトルネックである」といったことはかなり昔から雑誌記事などでも語られてきたところである。

 そこで、メモリの転送速度がどのような進歩の歴史を辿ってきたかを(額面で)表したのが図2である。図2の縦軸は、例によって対数で示してあり,また基準となる 0dbは 1988 年時点の 20MB/s においた。
 1980年代後半当時、パソコンのCPUは10MHz程度であったが、メモリへのアクセスはノーウェイトが可能だった。つまり、CPUとメモリの速度はバランスしていた。この時代のCPUは、メモリアクセスするにしても,インデックスにレジスタと命令キュー内の即値の演算が用いられていようものならアドレス計算だけでも数クロックを要してしまう有様であったから、メモリはCPUに対して十分高速なデバイスであったとも言える。
 この関係は、CPUのクロックが20MHz程度の頃迄続いたが、倍クロックで動く486が主役になり始めた1993年頃から崩れ始める。 数KB〜数十KB程度のメモリキャッシュがCPUに内蔵されるようになったのも、486からである。そして、時のメディアが「メモリの速度がCPUの進歩の速度に追いついていない」ということを叫ぶようになったのもこの頃である。
 そしてこの台詞はそこから10年以上経過した現在においても言われつづけていることでもあり、確かにそれは正しい。しかし、図2を見てみよう。転送速度は額面(すなわちピーク値)でも、その成長速度は 2.8db/yearであり、CPUの成長速度 4.27db/year には遠く及ばない。つまり、メモリの速度がCPUの速度に追いついたことなどないのである。そして、そんなことはメディアに言われるまでもなくこれからもメモリの速度がCPUに追いつく見通しなどないのである。例えば、図2の2003年のDDR333 と 2004年DDR400デュアルとでは額面の転送速度は倍以上違うのであるが、対数のグラフ上で見るとその差は大きいとは言えず、その程度ではCPU速度に追いつくには至らないのだ。
 このような「メモリ速度が追いつかない論」は、しばしば高速メモリの必要性を説くために用いられるようではあるが、必ずしも推奨高速メモリが本命とは限らないので注意が必要である。そこで、ここではメモリの転送速度とその選択について、過去を振り返りつつ現状認識をした上で、その要点について記してみたい。

 メモリの速度はCPUの進化速度と比較すると随分緩慢である。HDDの進歩の速度と同程度か、やや速いといった程度である。しかしながら、HDDと大きく異なる点は、購入時における選択肢の幅は結構広いということである。例えば、現在でも PC133 SDRAMは一般に新品で流通しているし、そういうフォームファクタのマザーボードもまた流通している。2004年現在の最新メモリが DDR400(PC3200)であるとすると、PC133を下限として計算される最新メモリの賞味期限は4年程度ということになる。
 このようにメモリは確実に実行速度のボトルネックであって、その性能はPCの性能を決定付ける要素でありながらその選択肢は意外にも広いので,パソコンの購入時には迷いがちである。しかも、「次世代メモリ」を謳うメモリが次世代で潰えたり、高価格なままフェードアウトしてしまったり、あるいは名前は似ていても違う規格になっていたりということもある。DirectRDRAM などは好例だろうし、DDRにしたってDDR200(PC1600)などは次世代を迎えて更に高速なものが流通したという具合である。

 パソコン小市民はその購入時にこのような難しい選択を迫られているわけであるが、果たしてどのようにメモリを選択したら泣きを見ないですむのだろうか? 筆者の独断ではあるが、基本はメモリ規格に将来を期待しないことと、あまり高価格なものは選択しないことではないだろうか。
 そもそも購入すべきメモリの規格は、CPUとマザーボードを選択した時点で殆ど決まってしまうものである。逆に使用するメモリの規格はマザーボード選択のキーファクターであるわけだが、実際には流行しているメモリ規格はそんなに幅広くはないはずだ。将来はどうせ更に高速なメモリが跋扈することは明白なのであり、現行規格がそのまま長く続くということはない。流行しているものを素直に選んでおくと言うことが肝要だろう。そして流行しているものはべらぼうに高価格ということはないのである。流行から既に遅れ気味のメモリはやがて高速メモリよりも高価格になる運命にあるし、最先端高速高価格メモリは安くなる過程で規格が変わる運命にあったりして将来を約束してはくれない。
 メディアでは、とかく新しいものやCPUベンダに指導されたものについては、棒グラフによってその優位性が示されたりするものだが、そうしたときには図2において倍近い差があるDDR333とDDR400デュアルの差を見てみると、目が覚めるかもしれない。棒グラフにしたら倍近い長さの差があって対数グラフ上ではこの程度である。ましてや棒グラフの零点がゼロでなかったら論外である。
 メモリの購入に際しては、将来を見通して大投資を行うという考えは通用しにくい。ある程度の割り切りが必要なのである。

 ただ、メモリの増設期や時代のフェーズによってとるべきストラテジが異なるということは認知しておいたほうがよい。時代の試行フェーズはメモリの貧困飢餓期に重なることが多く、メモリに対する投資は嵩みがちである上に、その後もしばらく増設の欲求に襲われがちである。このような局面では、“欲しいときが買い時”理論は必ずしも通用しないため、世の中の動向に敏感でないとハマることがある。32bit 試行フェーズ半ば, 日本でDOS/Vブームが巻き起こった頃には70〜90ns程度の72pin FPM SIMMなどが大勢を占めたが、その後割高なメモリ増設を余儀なくされた向きもあったようだ。
 革命・躍進フェーズはメモリにとって高度成長期であり、この頃のメモリは比較的後世にまで残る規格が多い。しかし、メモリの増設欲求はしばらく続く時代でもあるので、やはり高価格なものに手を出すとハマることがある。高価なものは流行らないまま値段も据え置きであることも珍しくないし、そもそも入手困難になることもあるので注意が必要だ。増設時に割高感を感じないためには、最初の購入時にも著しく割高でないことが肝要である。
 終焉フェーズはメモリにとって飽食期にあたるから、あまり増設の欲求は沸いてこない。その上、CPU のアーキテクチャの変化が目前に迫っており、そもそもこの時期のメモリに将来を期待するのは無意味である。十分なメモリの容量を高くない値段で購入し、その時代を最後まで満喫すればよい。この時期は、既に流行が一本調子になっているのでメモリの選択にはそれほど悩むことはないが、次世代の規格がお目見えしているのでこれに惑わされないことが大切だろう。いくら次世代だと言われても、高価であるようなら考えものだ。

 メモリはPCの速度の決め手の一つではあるが,残念ながら、基本的にメモリはアップグレード時に再利用が難しい類のデバイスであり、CPUやマザーボードと一蓮托生と考える必要がありそうだ。そして賞味期限である4年の中で増設していくという戦略がよさそうに思う。その中にあって、流行りもしない高価なメモリに大投資を行って焦げ付かせることは避けたいものだ。
 最後に付け加えておくと、近頃はメモリの高速化に伴ってマザーボードとの相性問題が顕在化しているようである。メモリの不良はPCにとってクリティカルな影響を与えるものであり、システムの安定性に直結する。メモリチップもそうだが、基盤の設計の出来の良し悪しと, マザーボード側のトレランスが肝のようである。あたら安い粗悪品に投じ、不良債権を築かないことを祈りたい。(31. May, 2004)

メモリ“二枚挿し”のジンクス

 最近は、転送速度を稼ぐためにデュアルチャネルメモリとやらが流行しているらしい。デュアルチャネルメモリは、本来64bitバスのメモリモジュールを2枚セットで使用し、128bit幅でデータをやり取りすることで転送速度を稼ごうと言うものだ。このような“二枚挿し”による転送速度向上と言うのは、今に始まったことではない。筆者とこの二枚挿しメモリとの邂逅は、去りし20世紀の時代に2回ほどある。やはり二度あることは三度あるのか、それが21世紀においてもやってきたようだ。
 図3は、メモリを同時に挿す枚数の履歴を示すグラフである。まず、時代が16bit時代であった198x年代、メモリモジュールの主流は16bit幅の30pin SIMMであった。PC-ATに始まり、比較的長期にわたって30pin SIMM は主流であった。やがて32bit のデータバス幅を持つ 386DXの時代になると、メモリは最初の「二枚挿し」時代を迎える。当時は未だ386SX とかいうCPUがあり、内部32bit外部(バス幅)16bitなどというCPUが混在していた時代である。386SX/DX は処理能力に大差ないCPUであったが、メモリ二枚挿しの効果は Win3.0 のようにプロテクトモードで動作するソフトで顕著に表れたりしたようだ。
 しかしながら程なくして386後継の486が出現し、時代が32bit試行フェーズの後半を迎える頃、メモリは32bitのバス幅を持つ 72pin SIMM に一本化されてゆく。程なくして486全盛の時代には、30pinSIMMは完全に主役の座から去るのである(メモリ・インターリーブなどのために4枚挿しというのもあったようだが)。二枚挿しというのはメモリを増設することを考えても、マザーボード上のスロット占有面積の面でも、あるいは経済的にも不利であったのかもしれない。

 こうして始まった72pin SIMM の時代だが、 32bitの革命フェーズを跨いだ時期であり、1枚挿しで済む時代は長くは続かなかった。データバスが64bitの Pentiumが登場したためである。このため、折角ピンが増えて1枚づつ増設できるようになったメモリモジュールであったが、再び2枚挿しの時代を迎えるのである。
 72pin二枚挿しの時代には、FP-DRAMからEDO-DRAMへのシフトなどもあってメモリ規格がめまぐるしく変わる時代が始まったわけだが、これは CPU にクロックダブラの類が付くようになってCPU速度からの乖離に起因する「メモリ速度が追いつかない」苦悩の始まりでもあった。
 革命フェーズ到来のためにタダでさえ短い72pin SIMMの時代だが、2枚挿しの時代はそれに輪をかけて短かった。72pin SIMM時代の二枚挿し時代は筆者の個人的な感覚では比較的長く続いたように思っていたが、実は躍進フェーズを迎えた頃にDIMMが登場しており、それほど長くはなかったようである。168pin DIMMの登場により,やはり72pin SIMMはその使命を終えることになる。30pin SIMMの時と同様に、2枚挿しが登場すると一枚で済ますための見えない力がはたらいていたようにも思える。

 さて、DIMM の時代は 2004年現在まで続いている。その始まりは、EDO-DRAM の DIMM版であったように記憶している。程なくして SDRAM がやってきてPC100→PC133へと変化してゆき、Athlonの登場に伴って現在まで続く DDR メモリへと時代が移る。DIMM はこれまでの SIMM と異なって、PC何某という多くの規格を通過している上に、バス幅が増えるわけでもなく(SDR→DDRという流れはあったが)ピン数が増加してきた。しかしその過程で1枚挿しというカタチを維持しており、その時代は結構長く続いたようである。
 その DIMM も始めに述べたように,遂に二枚挿しの流行が目に付くようになってきた。今度は三度目の正直で永らく続く時代を築けるのか、それともやはり二度あることは三度あって一枚ものメモリに遷移するのか、興味のあるところである。現在は更にピン数の増した DDR2 が最新メモリとしてお目見えしつつあるが、やはりデュアルチャネルのためには二枚挿しが必要なようである。勿論、DDR2によって高速メモリの安定度が増すことは歓迎したいところだが、筆者としては近いうちに一枚モノへの遷移が起こるのではないか,と疑いたくなってしまう。

 このようにメモリは容量・転送速度は、共に「挿す枚数やスロットの物理的形状」といった著しい規格の変化を伴って向上していくものである。したがって、導入に当たって「将来を見越す」ことはあまり意味を持たないように思う。前稿にも書いたが、やはり高価格なものも極めて短期間に陳腐化するか、あるいは全く流行らないため、先を見越さないほうが良いようである。CPUやHDDと比較しても、メモリ規格の変化サイクルは短いのだ。
二枚挿し時代が短いというのは、あくまでもジンクスである。筆者にも未来はよく分からない。

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