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PC処世術 - 雑感:ビデオカードを記事にできないワケ


 当サイト「PC処世術」ではCPU, メモリ, HDD, 各種ドライブ類など、パソコンを構成するパーツについて色々論じているが、敢えて取り扱っていないものがある。お気づきの方も多いと思うが、それはビデオカードだ。グラフィックボード、VGAカードなど様々な呼び方をされる画面出力装置は、PCの主要構成パーツであることに間違いない。そしてこのビデオカードもまた、CPUやHDDと並んで著しい進化を遂げてきたパーツの一つでもある。
 この重要なパーツをサイト内で取り上げてこなかったのは、筆者のビデオカードに対する知識・経験不足のためである。筆者も一頃はビデオカードの性能に熱い視線を注ぎ、ベンチマーク結果に一喜一憂したり,パソコン雑誌の棒グラフとにらめっこしたこともある。
 しかしながら筆者は、ある時からビデオカードに対する興味を失ってしまったのである。恐らくそれは、ビデオカードの性能の使い道がハイエンド3Dゲームに向けられたためだと思う。あまりゲームを嗜まない筆者にとって、ハイエンド・ビデオカードが必要なもののようには思えなくなってしまったというわけだ。(勿論、ゲームをされる方にとってビデオカードの性能は重大関心事だと思う。申し訳ないが、ビデオカードに関しては他に含蓄の深いサイトが多数あるので、そちらを参考にされたい。)

 ビデオカードの基本的な役目は,ビデオメモリ(VRAM)上に書かれたデータを画面に出力することであり、パソコンにとっては不可欠な機能だ。このため、ビデオ出力機能はかつての 8bitパソコンや多くの16bit PCでは、パソコンと不可分で,パソコンの能力そのものであるものも多かった。例えば 16bit 時代には多くの「マルチメディア・パソコン」と称するものが出現したが、ビデオ出力はその目玉機能であったりした。
 ここ日本の16bit 時代には PC-9800シリーズが威勢を振るっていたわけだが、このときもビデオ出力機能は基本的にパソコンと一体であった。その機能は PC-9800シリーズの進歩の過程で、GDC(Graphic Display Controler),GRCG(Graphic Charger),EGC(Enhanced Graphic Charger)と進歩し、CPUに代わってビデオメモリ上に絵を描く能力を付与されたりした。
 この時代の他のパソコンも目玉機能としてビデオ出力機能を謳っており、その能力はキューハチに対して優れたものが殆どで、ゲームやマルチメディアで大変な威力をもっていたのだが、時代の主流にはならなかった。その理由は色々あるとは思うが、筆者はその第一に98が有していたテキストVRAMの機構を挙げたい思う。これは、VRAM上に直接文字コードを書き込むだけで漢字を表示でき,グラフィックVRAMの絵と重ねられるというものだ。
 当時のパソコンはマルチメディアをこなすには貧弱であり、ワープロ・表計算などのキャラクタベースの作業を楽にこなせることがビジネスの道具として MUST だったわけだ。当時の非力なPCにおいて、テキストVRAMの機構は、求められた能力にマッチしたものだったことが,98シリーズの繁栄を支えた理由の一つではなかったかと思う。

 さて、現在の PC/AT 互換機はどうだろうか。IBM-PC はビデオ出力機能がパソコン本体とは分離されており、拡張可能な使用になっていた。但しその祖は IBM-PC であり、CGA による 640x200(2色)の貧弱な表示ができるのみだった。 PC/AT の世代も EGA だったのであり、640x200の16色と、日本のPCと比較すると頗る貧弱で、漢字を表示させるのに足りなかった。
 日本では PC/AT の EGA を拡張して日本語表示を可能にした JEGA という規格のビデオカードを挿した AXパソコンなどというものもあったのだが、テキストVRAM機構を利用した軽快な動作ができる98との差は依然としてあったようで,シェアはあまり伸びなかった。(当時は DELL や SONY や その他各社も AXパソコンを作っていた。)

 さて、そのテキストの時代は DOS/V(というOS)やWindowsの登場で終焉を迎える。この頃には、いかに高い解像度を表示できるかということ共に,それをいかに素早く表示できるかということに主眼が置かれるようになるわけだ。
 ビデオカードは VGA(640x480)からそれ以上の解像度を表示できるようにするために、ビデオメモリ増大路線を行くことになる。「ビデオメモリの容量=表示可能解像度」という時代だ。当然、扱うメモリの容量が増えて解像度が増すので、メモリアクセスのスピードとRAMDACの性能がビデオカードの優劣を決めた時代でもある。
 その後,Windows が提供する画面表示ファンクション(例えば GDIや DirectX など)を高速で実行する機能を、ビデオカードが持つようになり、その流れは現在にまで続くのである。

 その過程で、パソコンは Windows のような重たい GUI を表示するのに充分な能力を獲得し、ビデオ再生までも楽にこなせるようになった。これらは グラフィック・アクセラレータの持つ能力もさることながら、搭載されるメモリの帯域と、ビデオカードの I/Fが進歩(ISA>(VL)>PCI>AGP)してきたことがその性能の進歩に大きく貢献している。
 2004年現在では、非常に高速なアクセラレータの用途は主にゲーム等に向いていて、特にゲームを必要としない筆者にとっては、今のところビデオカードの進歩と縁遠い状態が続いている(勿論、ゲームをされる方には重大関心事だろう)。次に多くのパソコンユーザーにとってビデオカードの性能が必要になるのは、恐らくHD-TV再生が楽に可能な程度の帯域と能力を備えたビデオカード普及の時代が到来する頃なのではないだろうか。この頃には、恐らく現在のAGPも駆逐されて次なる I/F の時代に突入しているのではないかと思う。
 時代遅れな筆者は、その時代までビデオカードについては安いが枯れて安定したものを使用しつづけることになりそうだ。(9.Nov, 2004)

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