PC処世術>>雑感>>

PC処世術 - 雑感:MSの壁に挑む廉売ソフトに見るデジャブー


 当サイトではパソコンの進化の過程について考察し、そこには時代のフェーズがあるのではないか、と書いてきた。そして、各フェーズでは前の時代の同じフェーズで起きた現象と似た現象が見られたりするものだ。2004年現在は 32bit時代 の終焉フェーズも後半に差し掛かっているところだが、やはり16bit 時代の終焉フェーズと似た現象がみられることがあり、筆者はデジャブー体験中である。

 そのデジャブー体験の一つに、廉価ソフトの出現とメジャーソフトへの挑戦の構図がある。例えば、現在メジャーなオフィスアプリとして君臨している“MS-Office”に対抗して 1/10程度の価格で同等の機能を有する “StarSuite”などに代表される「廉価Office」の勢いが,ここのところ増していることなどがある。
 オフィスアプリの戦いは、32bit革命〜躍進フェーズにかけても MS vs JS という構図が存在したのだが、大幅な値引き攻勢による戦いではなかった。それが、終焉フェーズに達して急激に低価格戦略が目に付くようになってきたのだ。

 実は、これと非常に似た構図が16bit 時代にも存在した。16bit 時代のメジャーオフィスアプリの代表格は、表計算の「Lotus 1-2-3」(当時定価 98,000円),ワープロの「一太郎」(同 58,000円)であり、そのシェアは絶大なるものだった。この類のソフトウェアのシェア(と価格)が守られるカラクリの基本は独自のファイル形式にある。当然、パソコンユーザーとしてはこれらのソフトウェアで作成されたデータを受け取る機会もあったわけで、例え同機能の別のソフトが売られていたとしても、大シェアのソフトを揃える必要に迫られるという場面は決して珍しくなかった。
 16bit 時代から、既にオフィスアプリは大きな市場であったわけで、当然競合するソフトも存在した。ところが、16bit 時代の終焉フェーズが訪れるまでは競合ソフトは価格対決ではなく機能対決で伍していたようだ。例えば、前出の一太郎に競合するソフトとしては「松」などがあったわけだが、その価格は一太郎と同格だったのである。
 その均衡は、16bit時代の終焉フェーズを迎えた頃アシスト社によって打ち崩されることになる。当時のソフトウェアの価格水準からすると 1/5 〜 1/10 の価格である 9,700円という値段の「アシストシリーズ」の登場は、まさしくソフトウェアの価格破壊だったと言ってよい。

 パソコンの時代のフェーズの中で、終焉フェーズというのは『ハードの方がソフトよりややリッチになり、廉価パソコンでも大抵のことに苦労しない』時期である。16bit の終焉フェーズもそのような時期に差し掛かっており、ハードに対するソフトウェア価格の重みが増していたという、廉価ソフト登場の素地が出来上がっていたとも考えられる。
 このことを別の切り口で捉えると、終焉フェーズは『“xx bit”のパソコンで可能な機能を現実的に実現できる範囲が見えてくる』時期でもあり、ソフトウェアは重くして価格を維持するか重さを維持して価格を下げるか、という路線の二者択一を迫られる時期であるとも考えられる。

 いずれにせよ、16bit, 32bit の両終焉フェーズに廉価ソフトが勢いづいてメジャーソフトに対抗する構図が出現した。そして 2004年現在は、32bit時代の中でその構図が体現されている真っ最中だ。
 では、16bit 時代に出現した廉価ソフトのその後はどうだったろうか。前出のアシストシリーズは,確かにその低価格と充分な機能故に、結構な数が売れた。筆者の周囲でも使っていた人間は居たし、筆者自身も「アシストカルク」を購入し,使用していたことがある。
 だが残念なことに,このアシストシリーズはメジャーソフトの牙城を崩すには至らなかった。その理由としては、メジャーソフトの独自ファイル形式への対応がなかったことなどの機能面の理由もあったのだが、もう一つは時代の切り替わりで淘汰されたことがあったように思う。終焉フェーズでは次の時代がすぐにやってくるため、そこで築いたシェアは次時代の試行フェーズで淘汰される運命にあるのかも知れない。
 これは、MS社が32bitの試行フェーズで積極的なオフィスアプリ廉売を行ってJSやL社のシェアを奪い、フェーズの進行に伴って価格を上昇させたのと対照的である。既得権益であるシェアを有するベンダは、次時代の土俵で廉価ソフトをふるい落としているのかもしれない。メジャーアプリのシェア奪回のチャンスがあるとすると、それは終焉フェーズではなく試行フェーズにあるのではないか、と筆者は思うのである。

 現在、大シェアソフトに席巻されたパソコンのオフィスアプリ市場では、大した機能向上もないバージョンアップの為にユーザーはコスト負担を強いられている状態にある。その中にあって、廉価オフィスアプリの勢いが我々小市民の味方であろうことは間違いないことだ。機能的にも廉価オフィスアプリが著しく劣ることはなく,独自ファイル形式の障壁も乗り越えつつある。
 新規にPC一式をそろえなければならない状況にあったなら、わざわざ高価な大シェアソフトに大枚を投じる理由もあまりなく、廉価オフィスソフトで事足りる場合は多いだろう。しかしながら、多くのパソコンユーザーがPC一式を買い替えなければならない状況が訪れるのはもう少し先の話だ。その時(次時代の試行フェーズ)に,今のオフィスアプリより1歩先の機能を搭載して廉価なまま供給できるかどうかが、大シェアの牙城を切り崩せるかどうかの天王山になるのではないか、と過去の経緯を回想した筆者は思うのである。(12. Dec, 2004)

雑感へ

PC処世術トップページへ