PC処世術 - パソコンの寿命/買い時/買い替え時を考える

タラレバ論に学ぶビットの境い目 - その1

 過去を振り返ってみると、「あのPCは買い損だった」「このパソコンは長生きした」と、色々考えさせられるところがある。特に 16bit時代から32bit時代にかけて演じられた悲喜劇から学ぶところは多い。
 「CPUの“bitの境界”を考える」で書いたように、2004年現在は64bit 時代への入り口に差し掛かり、64bit 時代の幕開けを待つ段階にある。そこで、16bit/32bitへの転換期を回想しながら、「あの時あのPCを買っていたら」あるいは「買っていれば」というシミュレーションを行ってみたい。以下のシミュレーションはフィクションである。

ケース (イ): 1987年、PC-9801VX(286, 10MHz搭載)を購入していたら
 いよいよ16bit時代が到来し、PCはビジネスシーンにおける道具として浸透しつつあった1987年。そこへ従来の V30より倍くらい速いという Intel 80286を搭載した PC-9801VXが発売となった。日本では、PC-9801シリーズは既に磐石のシェアを誇っていて、利用できるソフトも多かったし、なんといっても一太郎の最新版が動いたこともあって導入した。
 2〜3年後、特に不満も無く使用していたが、世間では32bitの386搭載のパソコンが相次いで発売されていた。そして一太郎がバージョンアップされてEMSメモリを要求されるようになり、ハードウェアEMSボードを購入した。32bit機では仮想86モードとかいう32bitならではの機能が使えるらしいが、特に買い替えの必要までは感じない。286は少々見劣りしたが「十分使える」と自信を持ちながら、買い替えを見送ってハードディスクを買った。
 更に1〜2年が過ぎると、PC-98VXも黄ばんできて古さが目立つようになってきた。世間ではDOS/VだとかWindows3.0だとかが盛んに宣伝されているようだ。PC好きの友人は、率先して更新に励み、486, 33MHzというハイパワーマシンを購入したようだ。しかし自分の周りではまだWindowsアプリを使用している人も無く、買い替えを見送った。  事件がおきたのは1993年のWindows3.1のリリースだ。程なくして一太郎もWindows版が出る。周囲でもパソコン好きは「窓はイイ」と叫んでいる。なんでも286はほぼ切り捨て状態らしく、本来のエンハンストモードでは動かないのだと脅された
 1年ほど悩んだ挙句、サイリックスのCx486DLCとかを搭載したCPUアクセラレータというものを導入し、Windows3.1の導入に踏み切った。Win3.1は確かに動き、PC98もWindows時代の夢を見た。が、狭い画面、重いレスポンスは絶望的で、とても仕事に使用する気にはならない。そしてCx486のキャッシュドライバの不具合のためにHDDのクラッシュも経験した。
 更に1年ほど経過すると、時代はWindows95とインターネットに移っていた。Win95はWin3.1より更に重いという。そこで意を決してPCの更新を行うことにした。PC-9801VXは、実に8年を生き延びた。Win3.1が一体なんだったのか最後まで分からず、「Cx486なんて導入しなければ・・・」との思いはあったが、ひとまず重要な仕事はDOSアプリが引き受けてくれて、実に良く働いてくれた。
 そして、更新時(1995年末)に導入したPCは Pentium, 133MHzのAT互換機であった。

ケース (ロ): 1987年、PC-9801VM(V30, 10MHz搭載)を購入していたら
 16bit時代に対応してビジネスツールとしてのパソコンが必要になり、パソコンショップへ行って店員の話を聞いてみた。すると「286は確かに速いですけど、V30もまだまだ主流ですよ。これなんかお薦めです。」といって薦められたのはPC-9801VMだ。V30と286とでは処理能力に倍近い差があるとは聞かされていたが、店員の薦めにしたがって安めのPC-9801VMを導入した。
 2〜3年の間はゲームもこなし、多少遅いがワープロ・表計算を動かすことが出来たPC-98VMはいい機械だった。しかし、世の中ではメモリの容量増大やHDDが要求され出し、職場のパソコンの標準ワープロソフトは「一太郎4」になるのだという。EMSボードを導入し、なんとか一太郎を動かせる環境にはなったものの、その重さには閉口した
 それから2年後の1992年、いよいよ自分のパソコンの能力に対する不満が募り、もはやPC98VMではいかんともし難く、買い替えを決意した。「ああ、あの時286を買っていれば・・・」という思いが頭をよぎる。世間をみると、32ビットマシンはまだ多少高かったが、続々登場していた。286は未だ現役で値段も安かったが、前の経験に鑑みて最速 486,16MHz機 PC-9801FAを導入することにした。
 486 は本当に速かった。あの重かった一太郎を軽々と動かすことが出来る。パソコンショップを見渡すと、時代はWindowsであるという。世間の評では「重い」とのことだが、最速32ビット486機なら動かせるに違いない。仕事には特に必要なかったが、Windows3.0 を導入してみた。Windows3.0 は DOSとは異なる先進的世界であり、自慢の486マシンはこのOSをそれなりに動かしてくれたが、動かすべきソフトが無かったので付録のゲームなどで遊んだ。
 やがて一年ほどするとWindowsは3.1になった。32ビットならではのエンハンストモードで動かせるのが、486機の自慢だ。しかし DOS アプリしか持っていなかったので、窓の中で DOSアプリを動かすと、結局遅いDOSマシンと同じことになっていた。このためWin3.1対応の一太郎を導入したのだが、信じたくないことだが、その遅さと画面の狭さには愕然とした
 依然として仕事で使う限りはDOSアプリが主体だったが、世の中の流れは確かにOS/2やWindowsに向いているように見えた。そして世間で売られているPCに目を向けると、486DX2, 50MHz, ハイレゾなどというのがあたりまえになりつつある。「なんてことだ、パソコンの進化は速くなっている!」と驚愕する。しかも巷ではDOS/V勢力の勃興によって高速マシンが廉売されている。自分のパソコンは、既に雑誌の棒グラフの左端の外側だ。
 1994年,PC-9801FA導入から僅か2年ではあったが、「最新のパソコンでないと、ウィンドウズ時代に乗り遅れる」という強迫観念から、再びパソコンの更新を行うことに決意した。仕事のDOSアプリはPC-9801FAに担当させることにして、FM/Vの486, 100MHzを導入した。
 そして、その一年後には Win95の洗礼を浴びる・・・。

 同じ時代を駆け抜けた二人のパソコンライフだが、その遍歴には随分な差があるし、出したおカネも相当違う。その上真の32bit時代における満足度も相当違うだろう。上記はフィクションではあるが、ありがちな話のようにも見える。
 1987〜1995年の間のうち、前半の16bit 時代は PC-9801VX(i286)もVM(V30)も、その寿命は片や8年、片や5年と、導入当時の能力差に見合った程度の差しかみられない。これに対して1992〜1995年の僅か3年の間には大差がついている。
 パソコンには(損をしない)買い時/買い替え時があり、そのときの選択によって後のパソコンライフは大きく変わるようだ。詳細は後に考察したいが、ここではCPUのデータ幅拡張に伴うパソコンのアーキテクチャ変革期に際して最新を追って見ることの虚しさが垣間見られるように思う。歴史がそのまま繰り返されることは無いとは思うが、64bitへの扉が開かれようとしている現在、十分に注意したい。(28. Feb, 2004)

タラレバ論に学ぶビットの境い目 - その2

 前稿におけるケース(イ)とケース(ロ)では一体何が決定的な差なのであろうか。最初に購入したPCだろうか?それとも買い替えの時期?あるいは買い替え時期における選択? パソコンの買い時問題は非常に難しい。人によっては買いたい時が買い時とおっしゃる方もいる。筆者にとってもハッキリと結論が見えているわけではないが、ここでは順を追って相違を解説しながら結論に接近してみたい。
 まず、最初のパソコンの選択である。PC-9801VM(V30, 10MHz)で良かったのか、それとも奮発してVX(286, 10MHz)が良かったのか。これは多少の差こそあれ、どちらでも大差なかった。前稿にも書いたが、それぞれのPCは当初の性能の差のに見合った程度の差があっただけである。強いて言えば、筆者なら速い方を選択しただろう。理由は後述する。
 問題はやはり 16ビットから32ビットへの転換期にある。(イ)のケースでは32bit機が登場した当初や、Win3.0/3.1の時代に勇気をもって買い替えを見送っている。32bit機が登場した当初を思い起こしてみると、実は32bit CPU のメリットを生かす方法がなかった。業界としては商売の都合上 32bit へのシフトを進めなければならないので仮想86モードなどを宣伝していたが、事実上16bit機に拡張メモリを挿したのと変わらなかった
 Windows/386 は32bit CPUの使い道を示したOSであり、その血を継いだWin3.0/3.1 は Windows というOSの新しいカタチを示し, CPUが386(32bit)であることのメリットを示したが、残念ながら多くの人にとっては動かすべきアプリがなかった。Windowsのメリットは DOS資産を継承できる点であるとも宣伝されたが、裏を返すとDOSアプリを使う限りそれはDOSで動かせば用が足りたのである。
 Win3.1を含むそれまでのWindowsは、32bit OSとしては中途半端なDOS用のシェルという色合いが濃く、率先して導入しPCをこれに併せてアップグレードしていくべきものであったかどうかは疑問が残るところである(勿論GUIをDOS社会に導入したという役割は認めるが)。

 ここで重要なのは、パソコンを購入もしくは買い替えしようとしているその時点が、パソコンの進化の過程でどのフェーズにあるかを認識できるかどうかということである。(ロ)のケースは、丁度ビット幅の転換期に買い替え時が重なったことが悲劇であった。決してCPUその他の進歩が早くなったわけではなく、機器の進歩は淡々としていたけれどもタイミングが悪かった、というのが悲劇のもとであった。「パソコンは買いたくなったときが買い時」などというが,その買い時がどういうフェーズでやってきたかを勘案の上「どんなPCを導入するか」を決定することが肝要である。
 パソコンがどのようなフェーズにあるのかを知るのは容易ではない。過去と比較すれば性能が向上しているのは当たり前なので、「昔と比べれば良くなった」と思って納得してしまいがちである。雑誌記事などは「現時点でどれが速いか」というドングリの背比べ情報を与えてくれるのが関の山であり、今後に対して示唆を与えてくれることは稀である。

 筆者の私見ではあるが、パソコンの時代フェーズは、1.試行フェーズ,2.革命フェーズ,3.躍進フェーズ,4.終焉フェーズの4つに大別できると思っている。これはメモリの増設期の区分ともリンクしている。また4つのフェーズを合わせた期間は、CPUのビット幅の続く期間であり、こちらに書いたように16bitでは約8年、32bitでは15年、64bitでは30年である。なお、各フェーズの夫々の期間は単純に四等分ではない。
 試行フェーズは、業界にとってCPUの新機能の使い道を模索する時期であり、登場するOS,ソフト,ハードは習作であって、ユーザーはモルモットである。32bit時代で言うと、386の登場からWin95のリリースまでの間が試行フェーズであったと考えられる。仮想86モードやWin3.xはこの時期の産物である。この段階ではハードウェアの基本となる構成も固まっておらず、したがって試行フェーズに購入したハードウェアはそれ以降のフェーズで著しく「買い替え感」を醸すことになる。個人的にはPC購入を避けたいフェーズである。
 革命フェーズは試行フェーズを経てユーザーにウケる機能が何であるかがはっきりし、その時代の中核をなす機能が固まり、それを提供できるOSやアプリが出現するフェーズである。32bit時代においては、Windows95の出現がまさしくこの革命フェーズの開始に相当する。このフェーズの開始時のPCには、その時代を象徴する機能などが盛り込まれているので、パソコン進化の歩みの中では一区切りである。この時代に買ったPCは、それなりの高速機であれば, CPUやHDD,メモリといったデバイス類の性能は十分ではないものの、アップグレードの幅も広く、パソコンを楽しむことができる。前稿(ロ)におけるPC-9801VMの選択は、16bit時代におけるまさにこの時期に該当するが、低速機を導入したために16bit終焉フェーズと次の32bit試行フェーズが交錯する中で買い替え時を迎える結果と相成った。筆者なら高速機を選ぶと言った理由は、ここにある。パソコンの買い時は、次の買い替えがどのフェーズに来るかということも、ポイントの一つだと思う
 躍進フェーズは、革命フェーズで固まりつつあるPCの仕様をベースとして速さと容量が増大していくフェーズである。どのPCを導入しても価格差に見合った性能差が得られる時期であり、「欲しいときが買い時」理論はこの時期にあてはまる。32bit時代ではNT4.0やWindows98の登場時期がこのフェーズに該当する。この時期のPCはCPUやHDDの寿命に伴って順当に買い替え時を迎えることになるが、重要な新I/Fなど新機能の装備が進むこともあるので、あまり低級機は選択したくない。また、試行フェーズのPCが激安中古として出回るが、手を出しても使い道が限られる。
 終焉フェーズは次の時代の試行フェーズとオーバーラップして判断に迷う時期である。ここでも依然「欲しいときが買い時」理論は通用するのだが、終焉フェーズが完全に終結するまでの時間をカウントしておかないと、あっという間に次のフェーズがやってきて大損することがある 。しかしながらこの段階のPCはその時代の円熟期でもあり、時代の終焉時期の予測さえできていればそれまでの期間は買い替えの必要に迫られる可能性の低いお買い得期でもある。32bit時代においては、Windows2000が出た頃から32bitの終焉フェーズは始まっている。つまり2000年代初頭が32bitPCのお買い得期であったことになる。この時期のPCは32bit時代の終わりまで駆け抜けることができるだろう。更にこのフェーズの後半には躍進フェーズのPCが激安中古になっており、これらは決して速くはないがそれなりに使えるPCとしてお買い得だったりもする。

 xx bit時代は革命フェーズを経て黄金時代を迎える。試行フェーズには xx bit時代を謳うハード/ソフトが大挙してやってくるが、淘汰されるものも少なくない。32bit時代試行フェーズには NESA, MCA, EISA, VLといったバス規格や Socket4バグ付きペンティアム といった大物も、革命フェーズに出会って淘汰された。
 2004年現在は、32bit終焉フェーズの後期に入りつつあり、64bit試行フェーズが始まった段階にある。来るべき64bit 時代はどんなものになるだろうか。試行フェーズの花となるOSの準備も着々と進んでいるようだ。しかし、おそらく64bit時代にもやはり革命フェーズはやってくる。できれば試行フェーズの習作に大枚はたくことは避けたいものだ。(2. Apr, 2004)

筆者のモバイルPC遍歴に見る時代の変遷 1

 筆者は必要に迫られてモバイルPCを購入してきたが、生粋のモバイラーではない。そのためか、筆者が購入してきたモバイルPCを思い返してみると、全て賞味期限切れの半ばジャンクのパソコンであった。筆者が扱ってきたそれらのモバイルPCは、賞味期限が切れているだけに,時代の移り変わりには敏感であったように思う。つまり、時代の変化に伴ってPCへの要求負荷が増すと、賞味期限切れPCはたちまち使いものにならなくなってしまうのだ。
 ここでは、それらの賞味期限切れモバイルPCを回想しながら、前稿で書いた時代の変遷で何が起きていたかを検証してみたいと思う。ここに書く内容は、フィクションではなく筆者の実体験である。

 筆者が最初にモバイルPCを手にしたのは、1991年頃のことである。それは知人から譲ってもらった PC-98LT であった。これは NEC初の16bitラップトップ・パソコンであり、“キューハチ”の名を冠していたが、ディスプレイ表示周りが PC-9801シリーズとは非互換であり、殆どの98用ソフトは動かなかった。そのため筆者が入手したときには 超不人気PC のレッテルを貼られ、当時としては破格の3万円以下の中古価格がつけられていた。
 このパソコンは、CPUに V50(V30 の 186チック版), 8MHz を使用し、メモリは640KB、漢字ROM搭載、2DDフロッピー1基内蔵という16bit時代のギリギリ スペックである。画面表示は 640×400とそれなりの広さはあったが、文字通りのモノクロ2値表示でった。
 またモバイルPCとして見ると、重量は 3kgジャストと当時のラップトップPC(4〜5kg)より軽く、当時のノートPC(2.8〜3.2kg)と同等のかなり軽い部類である。そして消費電力に目を移すと、低消費電力化のために総SRAMメインメモリやバックライトなし液晶などが効を奏したのかPC一式で定格3W(フロッピー動作時最大6W)という極限レベルの低消費電力ぶりを発揮し,単二型ニカド電池を8つ繋げただけのプアなバッテリでもカタログ上では8時間連続使用が可能であった。(筆者が手に入れた段階でも、4hr以上連続使用できた。)

 このPC-98LTを筆者が使用した時代は16bit 終焉フェーズであり、同時に32bit試行フェーズが始まった頃でもある。そして、筆者がこのパソコンに課したミッションは「テキスト(文書)作成」だった。16bit時代には、パソコンでビジネスアプリを操ることが実用的となり、その終焉フェーズにおいては常識的ともなっていた時代だ。
 当時のビジネスアプリといえば、ワープロ,表計算が主たるものであった。筆者はこのうちの文書作成という機能を、このジャンク・モバイルPCに課した訳だ。こちらにも書いたように、当時のパソコンは清書作成機という色合いが濃く、「テキストデータを打ち込むことができる」という機能に絞ってもその存在価値はあると見たわけだ。

 このPCはCPUこそ当時としても十分に遅かったが、MS-DOS 3.1をROMに内蔵していたために起動は極めて早かった。ブートストラップとconfig何某などだけ一瞬フロッピーから読み取り、あとは音も無く素早く(数秒で)起動するのである。そしてこの ROM には漢字変換辞書も内蔵されていた。漢字変換辞書は、当時はあらゆるファイルの中で最大級であり、フロッピーベースでパソコンを使用すると動作速度(変換速度)を著しく低下させるものであったが、ROM辞書のおかげでフロッピーにアクセスするのはユーザー辞書を読み書きするときだけとなり、変換速度はかなり高速(で静か)だった。
 使用していたソフトはジャストシステムのサスケVz Editorである。サスケは三太郎相当のワープロソフトだったが、ATOK6R という ROM辞書専用FEP(現在で言うIME)が付属していた。画面は諧調なしのニ値表示だったが、どうせ当時はまともなカラープリンタもなかったので特に不自由はしなかった。Vz Editor は本来 PC-9801とPC/AT用 であったが、ソースが付属していたので PC-98LT用に表示部分だけをすげ替えるパッチが出回っていた。
 この ATOK6R と Vz を利用することで、 PC-98LTは快適テキスト打ち込みマシンに成り得たわけだ。少なくとも、テキスト打ち込みに関しては32bitパワー全開のはずのDOSマシンと伍することが出来たし、当時の最強マシンで使うWin 3.x(のエディタやDOS窓で使うVz)よりずっと快適であった。

 このように機能を限定することで、ジャンク同然であった PC-98LTは32bit試行フェーズを無視して16bit終焉フェーズを駆け抜けることが確かに出来た。そして 32bit革命フェーズの到来と共にその使命を1996年に終える。こうして回想してみても、確かに時代の境い目は、1995年頃の32bit革命と共にやってきたように思う。

[追伸] なお、当時筆者が導入を検討したPCは,他に EPSONの“PC-286 note executive”や、Sharp の “All-in-note”,東芝の初代Dynabook“J3100SS”があった。これらは 2.0〜2.3kgの軽量機であり、筆者にとって魅力的だった。特にJ3100SSは1.5MBのハードRAM(フラッシュメモリ)を内蔵し、友人が開発中であった「BeanTerm(BT)」なるサイズ512バイト(キロバイトではない)のマルチタスク(バックグラウンド動作)通信ソフトや,Vz Editorなどが動作してかなり魅力的であったのだが、筆者が求める機能にしては少し高めだったので断念した。
32bit時代へと続く…(7. Aug, 2004)

筆者のモバイルPC遍歴に見る時代の変遷 2

 時代は移って32bit 革命フェーズを迎えた 1995年以降、筆者のモバイルPCに対する要求にも変化が現れた。16bit時代のPCにとっては「文字データさえ打ち込めれば良かった」というのがパソコンのもっともコアな課題であったのに対し、32bit時代では求める機能が多様化した。

 まず第一に,モバイルPCでもデスクトップPCと同様のデータが読み書きできるということを求めたくなった。具体的にそれは、表計算のワークシートであったり、プレゼンテーションシートであったり、描画した図形であったりしたわけだ。このため、モバイルPCでも同じOSが動き、同じアプリが動作することが求められたわけである。こうした欲求は32bit革命を待つまでも無く存在していたのだが、試行フェーズにあっては遅くて不安定なOSとアプリの所為で、更に動作が重くなること必至なモバイルPCには手が出なかった。これが32bit革命の頃から漸く手が出るようになってきたのである。

 第二の欲求はモバイル・ストレージとしてのモバイルPCが欲しいというものだ。筆者は1995年頃からデジカメを使用していたが、モバイルPCにはその母艦としての役割を求めたのである。
 当時のデジカメはメモリの容量が少なかっただけでなく、PCへの転送にUSBも使えなかった。19kbps程度の RS-232C だったのである。PCMCIAカードは使えたが、デスクトップPCでこれを利用するのは難があった時代だ(ISA接続のカードスロットなどがあったが、何かとシステムを不安定にさせるシロモノだったりした)。
 それがノートパソコンならカードスロットは必ず付いている。それだけでもお買い得感があったわけだ。かくして、デジカメ母艦としてのモバイル・ストレージという役割が、筆者にとっては急浮上したのである。

 第三の欲求は、モバイル通信端末としてのノートPCである。インターネットの浸透に伴って、電子メールを読み書きする人間が急増し、メールを頻繁にチェックできることが要求されたわけである。インターネットの浸透は、確かに32bit革命フェーズを代表する出来事であり、筆者のPC環境にも影響を与えたことは間違いない。

 当然のことながら16bit時代のPCはこのような欲求には応えることができないので、筆者はモバイルPCを新調することにしたわけである。ただ、購入しようとした時期が32bit革命フェーズであったため、中古・激安で出回っているノートパソコンは試行フェーズの使い物にならない習作PCばかりであり、結局のところ賞味期限ギリギリの新品型落ちノートパソコンを10万円ほどの費用を投じて購入することになった。
 機種の選定には頭を悩ませたが、選んだのはマニュアルやドライバ類のディスクロージャが最も進んでいた 日本IBM製の ThinkPad530Csであった。i486DX4, 100MHz, メモリ20MB というスペックではあったが、Win95 をなんとか動かして実用に供することが出来た。特に晩年はPCMCIAスロットとして活躍してもらったが、残念なことに革命フェーズ前後の型落ちPCは寿命も短めであった。
 このPCの軽量コンパクトさとデザインはかなり気に入っていたし、何より筆者のモバイルPC歴の中では最も高価だったが、如何せん革命フェーズにおけるギリギリスペック(つまり試行フェーズ仕様)は常用するには厳しかったようだ。何分にも、試行フェーズは最強・最速マシンですら最凶・催促パソコンに化けることもある時期である。パソコンの寿命が短くなりがちなのも致し方ないことだ。このPCは1996年に新品で買ったにも関わらず、躍進フェーズ真っ只中の1999年に ThinkPad 535(Pentium 133MHz, 48MB) を格安で手に入れて僅か3年で第一線から退くことになる。思えば、PC−98LTより短い寿命であった。

 さて、1999年に入手した ThinkPad 535 は つい最近(2004年)までのおよそ5年間にわたり第一線で生きた。現在も一線を退きながらも、実用に供している。やはり革命フェーズの最低スペックを満たしていることが後の寿命に大きく影響するようだ。
 そしてつい最近,2004年春には ThinkPad 240(Celeron 400MHz, 192MB)を2.7万円程で入手した。こちらは最新のスペックには程遠いが、動画記録云々と言わなければ筆者が要求する機能は実に高速・快適に実行してくれる。所謂オフィスアプリの使用やWebブラウジング,そしてプレゼンテーションで稀に使用する程度の動画の再生にも、特に不自由は無い。
 32bit時代も既に終焉フェーズに差し掛かっており、激安パソコンであっても大抵のことが不自由しない時期を迎えているのは間違いないことなのだ、との想いを、時代遅れなはずの ThinkPad 240を眺めながら強くしたのであった。

[追伸] 筆者のモバイルPC遍歴は、結果的にかなり偏ってジャンク方面を向いている。そのため、多くの方にとっては参考にはならない場合も多いかと思うので注意されたい。特に、中古で入手したノートパソコンは、どれもバッテリ寿命が厳しかった。中古ノート購入を考える際には、バッテリが激しい消耗品であることを念頭におく必要があるだろう。
(9. Aug, 2004))

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