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PC処世術 - 雑感:パソコンの能力は充分か - 解像度編


 最近、64bit時代のコンピュータを勝手に想像するにつけ、「現代のパソコンの能力は充分なのだろうか」ということが気になっている。一方では「もはや性能的には充分」という意見も見受けられるし、「HD-TVコンテンツの録再にはまだ不十分」というような意見も見られる。現代のパソコンの能力が本当に充分であるのなら、64bit時代などは不要なものになるだろうし、不十分であるならその部分が64bitコンピュータにおけるキラー機能になるかもしれない。
 パソコンはこれまで進歩の過程で、相当な性能アップを果たして来たことは間違いない。かつては“不可能”と思われたことが現在では“常識”になっている。それは当サイトの随所で回想してきた通りだ。
 その一方で、筆者の目には未だ全く不十分と見える部分も無いわけではない。その一つにモニタの解像度がある。意外に思われる方もおられるかもしれないが、筆者の目には、現在のモニタの解像度は全く不十分なもののように映るのである。
 モニタの解像度の移り変わりについては、こちら(右図はここからの転用)に書いた通りで、PC用のモニタはTVとは異なって,高解像度化の歴史を歩んできた。そして昨今ではTVのような大画面化が進んでいるようにも見えるのだが、筆者としては大画面化と同時に高解像度化(多画素化)の歩みの余地もまだまだあり得るのではないかという気がするのである。

 そう思う最大の理由は、電子メディアと紙メディアの間の溝は今尚深いことにある。いや、より厳密には電子メディア(媒体)というよりは、表示装置(モニタ)と言った方が正確かもしれない。
 確かに最近のデジカメやスキャナに代表される画像入力装置の類は、その解像度は充分に紙に迫っているように思う。百万画素超のデジカメが携帯電話に内蔵される時代である。勿論、それを記録するメディア(HDDやフラッシュメモリ)の方も、それなりに追従していると言えよう。
 だが、それを“電子データとして表示”するモニタの方はどうだろうか。なんと驚くなかれ、UXGA(1600×1200)の解像度を以ってしても、ちょっとしたデジカメの画像を全て表示しきらない程度なのである(もっと高解像度のモニタも無いわけではないが)。デジカメ画像を最大解像度で保存して、PCで表示させるとやたらアップの左隅だけが表示されるということを経験した方もおられるだろう。数百万画素のデジカメ画像をまともに楽しむには、もはや紙に印刷する以外にないのである。「ダイレクトプリント」が流行るのも納得だ。

 昔から、「OA化が進むと紙使用量を減らせる」と謳われて久しいのだが、現実には「印刷しないとどうしようもない」場面が少なくなく、結局紙使用量は減るどころか増えたという現実もある。
 それもその筈だ。PDF文書などを眺めればすぐ分かるが、一画面にA4サイズの文書を収めると、文字が判読不能になる程度の解像度しか、現在のモニタは持ち合わせていないのである。仕方がないので画面上では拡大して眺めるわけだが、当然全体を俯瞰できないので印刷したくなる。「紙はパラパラめくれるのが特長で、PCの画面はそれができないのが短所だ」とも言われるが、それ以前に根本的なモニタの解像度が不足しているというのが筆者の見解である。
 左の図は、モニタの画面に映したとあるPDF文書(A4全体表示)と,ある文庫本の1ページをモニタにあてがって同時に撮影したもの(合成ではない)だが、紙と画面の解像度差は歴然であろう。図の左下“鮑”は文庫本文字のデジカメ画像の拡大であり、図下中央“報”はPDF文書の文字のデジカメ画像の拡大である。モニタの文字はピンボケのように見えるが,そうではない。PDF文書の画面からキャプチャした同じ文字も図右下に掲載してある。(注:写真の文庫本の文字は、通常の文庫本の文字より小さい。)PDF文書をキャプチャした“報”の文字は特に小さいわけではない(恐らく印刷すると11pt程度)のだが、A4全体表示にするとなんとも9×9ドットの文字にしかならないのである。これでは、この文書を真面目に読もうと思ったら印刷するか,我慢してズーム&スクロールで読むしかないのである。このように、未だ簡単な文書すら「完全な電子化」には未だ隔たりがあり、それはモニタの解像度が律しているように思われる。

 その昔、PC−98時代のハイレゾ機能は、表示できる情報量よりも「文字が24ドットで美しい」ことなどが特長として挙げられたりした。この“ハイレゾ”は現在のXGAに少し欠ける程度の解像度であったためか、結局「多くの情報量を表示できる」ことの方が優先され、美しい(高精細な)文字の表示などは後回しにされた。それから大分年月が経過したのだが、モニタの解像度は未だ当時(198x年)のハイレゾと50歩100歩なのである。今でも、普通に画面上で読んでいる文字は所謂16ドット程度の文字なのではないだろうか。

 このように、一見,既に充分なようにも見える2005年現在のパソコンの能力ではあるのだが、モニタの解像度一つ取っても必ずしもまだ充分とは言えない。筆者の漠然とした感覚ではあるのだが、パソコンは再び“広大(高精細)な画面”を求める旅に出る可能性が大なように思う。当然、(情報量として)広い画面はより大きなビデオメモリを要求するだろうし、表示させる内容はより大きいメインメモリを求めることになるだろう。また、その入力装置からの転送量も当然増える。モニタ高解像度化のニーズが発生するとすると、それは 64bit コンピュータの能力に頼るものになる可能性は充分にある、と思う。それは筆者が 16bit から 32bit への転換期に体験したものからくる考えなのかもしれないのだが,現在のモニタの情報量に不満を持つ筆者としては、次の時代に期待してしまうのである。(25. Mar, 2005)

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