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PC処世術 - 雑感:“ネットとテレビの融合”を再考する


 先般の放送会社を巡る株式取得合戦劇の一件は、ひとまず落ち着いたようだ。事件(?)の発生から、一段落までの間のおよそ2ヶ月の間には、世間に様々な議論が展開されたようだ。議論の中身についてはここで書くまでも無いが、株式取得に関するやたらテクニカルな事柄に始まり、最後には「どっちを応援するか」などという,およそ本質から遠いことがどの局でも似たように大きく報道されたりもした。この辺りにも、テレビ・新聞を始めとする頽廃マスメディアの根の深さの片鱗を感じるところだ。
 ともあれ、この件は結局のところライブドアがいくらか儲けるカタチで決着した。これについても、「どちらが得したか/損したか」という議論や、「証券会社が…/株主が…/毒薬が…云々」という議論は筆者にとってどうでも良い。ただ、一つだけ気に懸かったのは,多くの報道において利害関係者としての“消費者(視聴者)”の存在が忘れ去られていたことである。
 各種金融テクノロジーの発展によって巧みに隠蔽されてはいるが、株主にしても,経営者(会社)にしても,また証券会社や銀行にしても造幣局ではないから、誰かがトクするとその分は別の誰かが何らかの形で支払わなければならないのが社会の仕組みだ。最終的にこれを(間接的にでも)支払うのは消費者なのであり、万一消費者からの吸い取りに失敗した場合には株主が投じたお金を失うことになっている。勿論、株主は慈善家とも限らないから、普通は損しそうになると経営者に「消費者からの吸い上げ圧力」をかけるのが通例である。
 テレビの場合、消費者は購入した物品の価格に含まれる広告費を支払い、その対価として映像コンテンツを受け取っている。放送会社がお金を消費者から吸い上げて儲ける方法は幾つかあるが、一つは良いサービス(放送)の提供によって多くの消費者の賛同を得ることだ。あるいは、別の商売をするという方法もあるかもしれない。そしてもう一つ、手抜きサービスの提供によって経費を節減するという方法もあるだろう。いずれにせよ、その戦略の如何によって消費者が享受できるものは大きく変化する。
 このため、今回のライブドアの一件で,筆者のような小市民がただ一点注目したのは、こちらに書いた通り提供されるサービスがどうなるかということだったわけだ。それは、ラ社の社長によればネットと放送の融合なのだというオハナシだった。「ネットとテレビ(放送)の融合」というのは、しばらくコンピュータの進歩に伴ってついてまわるお題目だと筆者も思う。また、それがどんな形で実現されるものかは筆者にも良く分からない。ただ、ラ社の言う“ネットとテレビの融合”が、“ポータルサイトへのアクセス誘導”だ、というのはあまりにもチンケ堅実な内容であり、残念なことに今回の件で高論を聞けることは無かった。もっとも、ラ社にとってネット事業は本業ではないから、致し方の無いことかもしれない。

 さて、前置きが長くなってしまったが、「ネットとテレビ(放送)の融合」ということ自体は、実はさほど新しいお題目でもなく、その枠組みは ネットvsテレビの広告収入源の綱引き問題である。そして、その綱引きは「ネット」が「テレビ」に挑戦する形で、ここ10年間様々なところでトライされてきた歴史がある。
 ところが、インターネットはテレビに対して完全上位互換ではないために多くの試みが失敗に終わっている。ここでは、ネットとテレビとの差異に注目しながら過去の失敗事例について少し考えてみたいと思う。

 まず、ネットとテレビの決定的な違いは2つある。一つは双方向性であり、もう一つはオンデマンド性である。このうち、「双方向性」についてはネットはテレビに対して上位互換と考えられる。それは、別に自分が情報を発信しないからと言って,閲覧できないことにはならないからだ。「見るだけ(単方向)」のアクセスというのはありうる。
 しかしながら、「オンデマンド性」に関してネットはテレビに対して互換性が無い。「オンデマンドで(必要なときに必要な)情報を入手できるネットは、テレビより上位」だと誤解し易いところだが、そうではない。オンデマンド性がもたらすメリットは勿論あるが、その一方でデマンドが無ければアクセスも発生しないという制約も生じるからだ。ユーザーにとって「ON/OFF」とチャンネル以外に選択肢が無く、常に何らかの情報が送りつけられ表示されるテレビとは、この点について決定的に異なる。したがって、現在のネットはテレビをそっくり肩代わりできるようにはなっていない。

 このため、過去の試みの多くは,この「オンデマンドの壁の打破」,すなわち“ユーザーの意思に関係なく情報を送り込む”ことに努力が向けられていたわけだ。とりわけ印象に残る失敗作は、インターネットがブレイクして間もない頃にマイクロソフトからリリースされたアクティブ・デスクトップだろうか(今でも実装されているし、最近のPCなら普通に動くので,使っている方もおられるだろう)。
 「デスクトップとインターネットをシームレスに結合」するというこの機能は、まさに広告を含む情報をPCの画面上に流し込むための,OSシェル・レベルの壮大な変革ではあった。ご丁寧にも“チャンネル・バー”と称する広告セットまで用意してあったり、どのパソコン雑誌も前評判で大変なもて囃しようだったりと、大変な周到さで開発・準備されたものだった。
 だが残念なことに,当時のPCとネット環境には荷が重たかった上に、ベータ版(出来損ない)OSとの境界までシームレスに結合されてしまっていて事故を多発させてしまったこともあり、ずいぶん悪名を轟かせて支持者を減らしてしまったようだ。そうこうしている間に、ネット上の広告自体もオンデマンド,すなわち広告を表示しただけではお金をもらえず、クリック(デマンド)が必要になってしまった。

 このようにOSレベルの改変まで行ったとしてもなお、ネットが有する「オンデマンド性の壁」を打破するのは容易ではない。また、その難しさを意識してかどうかは分からないが、先般のラ社が言う「アクセス誘導」は“デマンドを発生させる”方法の一つだったのかもしれない。
 だが、ことネットの世界にあっては,ゴリ押し的に発生させたデマンドは避けられる傾向がある。例えば,スパムメールは「露出度」こそ極めて高いのだが,誰もそれを喜んでクリックしたりはしないだろうし、無理矢理表示されるポップアップウィンドウ広告の類は通常 消したくなる。

 そう考えてみると、ネットに存在している“オンデマンドの壁”はそもそも打破できず、“ネットとテレビの融合”は言うほど簡単ではないように思える。これから数年の間に、似たようなスローガンを目にする機会はまたあると思うが、オンデマンドの壁をゴリ押しで打破するタイプのビジネスモデルは、成功しない公算が大きそうだ。
 現状のマスメディア(特にテレビ)の頽廃ぶりには辟易している筆者としては、2011年までの間にある「マスメディア構造変革のチャンス」を是非無駄にはして欲しくないと願うところだ。そのためにも,「無理なくアクセスしたくなるようなコンテンツなりサービス」なりを用意するタイプのビジネスモデルの出現を期待したい。(あるいは、WWWには一切拘らずに,インターネットを単なる通信インフラと捉えて、全く異なるプロトコルで勝負するというのはアリかもしれないが…例えばIP電話みたいに。)(24. Apr, 2005)

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