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PC処世術 - 雑感:パソコンは“道具”か


 「パソコンは日用品化した」もしくは「家電化した」と言われて久しい。確かに、特に計算機に興味がない人の多くがPCに触れるようになり、そして既に世帯普及率は65%に達しているという。このパソコンの日用化の過程で、世間一般では「パソコンは、道具である」ということがコモンセンスになっているようだ。
 このことは、次に示すページの比較が如実に物語る(こちらおよびこちら と こちらまたはこちら)。確かに、捉え方によってはパソコンは「何かの作業を行わせる」ための“計算機”なのであり、広義の“道具”に当てはまることは間違いないと思う。筆者はそのことを否定するつもりは全くない。これはかなり昔から言い伝えられてきたことであり,「パソコンは道具なのだから、使うことが目的ではなく,目的の作業のために使えれば良い」というような弁もよく聞かれたものだ。

 しかしながら、いつもこの類の弁を聞いたり呼んだりする度に、筆者は何か非常に微妙な点において納得できないものを感じていた。その理由の一つとして,前記のような弁が、パソコンを使用することを拒む方々に対して何か気休め的に発せられた感触が常に付きまとっていたことがあったからかもしれない(例えば、「パソコンは道具なのだから,パソコンに使われてはいけない」などという言い訳は少し前まで良く見掛けた)。あるいは、前記のような弁には得てして「目的を持てばパソコンが上達できる」とかなどというヌルい日本語が付け加えられていたせいであったかもしれない。
 あるいは“道具”という言葉の範囲はけっこう広いのに、パソコンに対して使われる場合には“アプライアンス(appliance:特定作業のための道具;家電)”という意味合いが強かったり、あるいは「パソコンは文房具だ」などというニュアンスがあったあたりに違和感を覚えたのかもしれない。

 “道具”とひと口に言っても、その指し示す範囲は広い。もちろん、前出の家電品や文房具のように「用途が特定され、使い方も単純なもの」は道具の代表選手だろう。その一方で、「車」や「楽器」のように,たしかに用途はある程度限定されているが、その使い途や使い方がユーザーの意思によって変わり、そのことに楽しみを見出せる種類のものもまた道具と呼ばれる。
 いわゆるパソコンは、その黎明期から32ビット時代にかけては、道具だとは叫ばれながらも間違いなく後者の部類に属するものだったと思う。少なくとも、家電品に代表される「アプライアンス」としては、パソコンは不完全に過ぎた。何かとPCは冷蔵庫や電子レンジ,テレビに代表される家電になぞらえて“道具”・“文房具”なのだと語られることが多かったように思うが、しかしそれは実態を表してはいなかった。むしろ「扱いが簡単になった」ようなことを強調するための販促宣伝トークの意味合いが強かったのではないだろうか。

 さて、PCが不完全だった過去から現在に目を向けてみよう。やっぱり今でも「家電化した(簡単)パソコン」は宣伝文句として健在だ。しかし、実際のところ,やっぱりパソコンは不完全であり,アプライアンスとしては不完全なままのように思うのは筆者だけだろうか。
 むしろ特定の機能に対しては,たとえばHDDレコーダーのように専用機が台頭して本当の家電になってしまうのであり、パソコンは特定用途目的の家電,つまり“単なる道具”を目指す性質のものなのかどうか、少々疑問だ。“単なる道具”になると、それは専用機なのであって、PCではないものになってしまう。パソコンを「単なる道具だ」とする論や「簡単便利」ばかりを強調するトークは、確かにPC業界に一時の利益をもたらすのだろうが、長い目で見るとそれは必ずしもご利益ばかりではないかもしれない。(30. Jun, 2005)

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