闇翼ブログ 2011

第4回 IBSAブラインドサッカー アジア選手権大会 in 仙台
The 4th IBSA Asia Five A Side Football Championships - B1




 2012年1月23日(月)
 あとがき

 韓国戦の勝利から1ヵ月が経った。大会については10日ほど前、サッカーキングに「断たれた道、待ち受ける岐路 〜アジア選手権 2011・ブラインドサッカー日本代表の真実」という総括的な記事を書いたけれど、まだ自分の中で決着がついた気はしない。しかし世間的には、たった1ヵ月ですっかり過去のことになってしまった感がある。もちろん、舞台裏ではいろいろな反省や議論が続いているのだろうとは思うが、ネット上などの表側を見ているかぎり、14日に放送されたNEWS ZEROの特番が終わったところで、「最後まで諦めない姿に感動した」「4年後を目指して頑張ってほしい」的な紋切り型がひととおり出尽くし、「感動コンテンツ」としての役割を終えた印象。こういうのを「消費される」というんだろうな、と思ったりしますけど違いますかね。

 良くも悪くも、今回のアジア選手権は世間的にはNEWS ZEROの中にあった。このところ会う人会う人に「ZEROでブラインドサッカー見たよ!」と言われ、心中では「おれの記事も読めよ」と毒づいているわけだが、唯一「公式カメラ」として独占的な密着取材を許されたいわば「公式番組」なのだから、そうなるのも当然である。選手団の宿舎に入ったり、試合中の風祭監督にマイクをつけさせて音声を拾ったりできたのは、ZEROのスタッフだけだった。私は代表チームのストーカーみたいなモンなので、完全非公開練習にZEROのカメラが入っているのを知ったときは一瞬だけ東京に帰ろうかとも思ったが、大会主催者に問い合わせたところ、あの番組を公式カメラに選定したのは、「テレビメディアである」「協力関係が築けていた」「日本テレビと利害が一致していた」の3つが理由とのこと。私はアンフェアな取材環境だったと思っているが、そう思わない人がいてもいいです。それによって日本のブラインドサッカー界にメリットがもたらされたのであれば、私の個人的な感情なんかどうでもよろしい。

 ただ、現場の代表チームと日本テレビの「利害が一致」していたかどうかは疑問が残る。宿舎での取材に何らかのストレスを感じていた選手がいたのは事実だ。「見えなくてわからないのでカメラを回すときは声をかけて」と事前に頼んだにもかかわらず、食事中などに黙って撮られたこともあったらしい。部屋で選手が取材を受けていれば、同室の選手はくつろげなかっただろう。私の個人的な嫉妬や怨嗟とは別に、事実は事実として伝えておきたい。

■ ■ ■

 ところで私は1年ほど前から、「海外遠征への帯同取材はロンドンパラが最後だろうな」と考えていた。取材旅行は、家計への負担が大きい。この5年間、家族には迷惑をかけっぱなしだった。これからわが家は、セガレが(たぶん)高校、大学に進むので学費もかかる。収入を生まない仕事に金を使うゆとりはない。とはいえパラを見に行かないなんて選択肢があるわけもないので、それを最後のわがままにしようと思っていた。

 でも、ロンドンには行けなかった。「行けるだろう」とタカをくくっていたわけではまったくない。4年前はどこかでタカをくくっていたことを正直に認めるが、今回は違う。むしろ、相当に難しいことだと思っていた。ブログにも、「イランとはホームで戦ってやっと五分五分の勝負」だと書いたと思う。ホーム・アドバンテージを最大限に使い、勝利の確率を高めることをすべてやって、ようやく五分の勝負を挑めるという意味だった。サッカーキングの記事に「パラリンピック出場を果たすためには、なりふり構っていられない」と書いたのも、そういう意味だった。無論、たとえば相手が環境に慣れる前にイランと初戦で当たる対戦順にするとか、新ボールを日本選手に有利な仕様になるよう工夫するといった手段で勝ったところで、パラ本番での「実力」には結びつかないかもしれない。「そんなことで勝っても嬉しくない」という選手がいるのも事実だ。でもパラに出場すること自体のインパクトを考えれば、そういう選択もあり得るだろう。けれども私は、「なりふり構わない」の中身を具体的に書くようなことをしなかった。選手たちに「力になれず、すまない」と謝ったのも、その点だった。

 それをしなかった理由は、書くのがなかなか難しい。簡単に言えば、さまざまな場面で「日本のブラインドサッカー界全体にとって、パラ出場は最優先事項ではないのだな」と感じたからだ。それを示す例をひとつだけ挙げておくと、昨年の4月と5月は、「日本選手権があるから」という理由で、月例の代表合宿が行われなかった(ほかにも理由はあるのかもしれないが、少なくとも私はそう聞いている)。もしパラ出場がブラインドサッカー界全体の最優先事項であり、本当の意味で「悲願」であるなら、この選択はあり得ない。中国やイランの急成長を見れば、ただでさえ練習量に大差があるのは4年前から明らかだった。どちらかを犠牲にしなければならないとすれば、代表合宿より日本選手権だろうと思う。しかし物事の優先順位は当事者が決めることで、私のような「外の人」が口出しする問題ではない。福岡で開催された日本選手権は、好ゲームの相次ぐすばらしい大会だった。得たものは大きかっただろう。一方で、代表チームは練習時間を失った。つまり、アジア選手権で勝つ確率を下げた。そして、日本選手権は毎年あるが、パラ予選は4年に1度しかない――そんなことも思ったりする。

 代表選手たちは、信じられないほどの努力をした。とくに9月以降は、私が「イランとはホームで戦ってやっと五分五分の勝負」と書いたことを後悔するほどの驚異的なレベルアップを果たした。また、本番であそこまで見事な戦いができたのは、この10年間の経験があったからでもあった。たとえばオッチー(落合)さんは、滑るボールへの対応に苦慮した末、以前やっていたスタイルのドリブルが雨の日に使えることに気づいた。トモ(黒田)さんは、両足の故障で得意の切り返しができなくなったが、さまざまな技を身につける前のプレイスタイルに戻してすごいゴールを決めた。ヤス(佐々木)さんは、長い人工芝でドリブルがうまくいかなかったので、大会途中からボールを蹴り出して走り込むやり方に切り換えた。それぞれの選手に技術的な「引き出し」が増えたからこそ、さまざまな逆境を乗り越えて見応えのある試合ができたわけだ。その意味でも、あの韓国戦における逆転勝利は、この10年間の集大成だったと言えると思う。

 でも、パラリンピックには手が届かなかった。われわれ取材陣も含めて、ブラインドサッカーに関わる者すべてが、パラリンピックの厳しさをわかっていなかったのだと思う。サッカーキング用の取材をする中で印象的だったのは、パラで何度もメダルを獲ったヨッシーさんから聞いた話だ。日本の選手は怖がってあまり手を出さないが、パラで活躍する世界の選手たちの多くは、ドーピング検査にはギリギリで引っかからないレベルの合法的なサプリメントを当たり前に使用している。9割のアスリートが使っているものを使わなければ、勝つのは難しい。それ自体は小さなことだが、そういったことの積み重ねが大きな差になる。勝つために必要なことをすべてやって、やっと勝負になるのがパラリンピックだ――とのことだった。オリンピックと何も変わらない。ヨッシーさんは、9月に書いたサッカーキングの記事でも〈正々堂々と真っ向勝負を挑むだけでは、命懸けの相手には勝てません〉と語っていた。私も、そういう言葉を引き出したかったから、あのタイミングでヨッシーさんにインタビューをしたのだった。

 たぶん、パラに「チャレンジする」とは、そういうことなのだろう。選手のみならず、その競技に関わる者すべてが「ドーピングに引っかからないギリギリのサプリメント」のような小さな努力や工夫を積み重ねて、勝つ確率を最大限に高めるための準備をする。単なる紋切り型の挨拶としてではなく、本気で「4年後に向けて挑戦しよう」「パラ出場は悲願」といった言葉を口にできるのは、そういう覚悟を持った人間だけなのだ。サッカーキングの記事の最後に〈もし本当の意味でパラリンピックに「チャレンジ」するなら、代表チームの強化を最優先にしたサポート体制の構築が不可欠だ〉と書いたのは、そういう意味である。それをしない道を選択するならば、軽々しく「悲願」などという言葉を使うべきではない。覚悟の伴わない軽い言葉は、選手たちの背中に重くのしかかる。

■ ■ ■

 サッカーキングの記事と、このブログで、いろんなことを書いた。まあ、単なる私見である。間違っていたら教えてほしいけれど、これで言いたいことを全部言ったわけでもない。選手に「書く」と約束したことを全部書いたわけでもない。すまん。私は肩が痛いのだ。体が弱ると気持ちも弱るのだ。ともあれ今は、ふだんから現場に足を運び、選手たちの声にじっくりと耳を傾け、それを世の中に発信する人間がもっと大勢いればいいなぁ、なんて思っています。それが、もしかしたら最後になるかもしれないアジア選手権取材を終えた私の結論かな。誰よりも紋切り型を垂れ流すのが好きで、いちばん言葉が軽いのは、障害者スポーツを取り巻くメディアだからね。それだけは、間違いない。



 2011年12月25日(日)
 大会最終日

 今朝、元気フィールド仙台に着いて強化部の黒田さん(黒田トモさんの奥さん)に挨拶したら、「ちゃんとブログに試合のこと書いてくださいよ〜。あんなにいい試合をしたんだから」と叱られてしまった。ほんと、そうですね。敗北についてどう書くか悩む前に、試合について書かなきゃダメだよ。深く反省した。イラン戦については、サッカーキングの記事で詳しく書くことにする。あと、NEWS ZEROのスタッフからは今日、詫びを入れられたので、一応ご報告。ちなみに私はそのとき、スタンドの選手団席でオッチーと話をしていた。椅子に「IRAN」と書いた紙が貼ってあったから、私がいちゃいけない場所だったんだろうけどね。迷惑がかかるといけないので誰とは言わないが、見て見ぬふりをしてくれた人、どうもありがとう。やっと選手とじっくり話ができて嬉しかった。

■日本 vs 韓国(3位決定戦)
 試合前の選手たちは、元気フィールドの名を汚さぬ快活さでシュート練習をしていた。彼らの切り替えの早さには、いつも感心させられる。つまり、いつも切り替えが必要な状況になるということで、それはそれで困ったことだったりもするのだが、いつも負けた翌日に選手たちの顔を見るまで気持ちが切り替わらない私も困ったものだよまったく。彼らの強さと明るさに救われるから、私はこの競技の取材を続けていられるのかもしれない。

 どちらもグループリーグで出番のなかった選手を出場させようということで、日本はキャプテンの三原、韓国は「おにぎり君」と「こむすび君」が先発。なぜか写真のアップロードがうまくいかないので困っていたが、ここで前に用意したexciteブログを活用すればいいことに気づいた。写真はこちらでどうぞ。おにぎり君はおにぎりみたいな黒い三角帽子、こむすび君は小結ぐらいまではイケそうな体型が特徴的な選手である。まあ、おにぎり君のほうも関脇を狙えそうな体型なんだけどね。念のため言っておくが、命名は私ではありません。開幕前の公式練習で初登場して以来、いつの間にか日本選手団のあいだでそう呼ばれるようになっていた。ということは、まあ、目の見える誰かが命名したってことですけども。ていうか、本当は命名者を知っているがそれはナイショ。ともかく私としては、おにぎり君が帽子を脱いだときの頭が三角なのかどうかが最大の関心事だったのだが、あろうことか帽子をかぶったままプレイしたので、真相は不明である。あれは帽子ではなく、ヘッドギアだったのか! こむすび君(初心者)のほうは、サイドフェンス際のガブリ寄りプレスが衝撃的な迫力でした。あの圧力についての感想を日本の選手に聞くのを忘れたのが残念。

 このメンバーの韓国から得点できなきゃ話にならんと思って見ていたが、ラグビーみたいな密集ディフェンスに苦しみ、なかなかゴールに迫れない。ラグビーみたいなディフェンスなのでPKもひとつもらったが佐々木が決められず、先制するまで15分ぐらいかかってしまった。決めたのは佐々木。直前合宿でも好調だったのでゴール量産を期待していたのだが、ここでようやく左足の強烈なシュートが炸裂した。ところが佐々木はその後、その左足を捻挫。担架で運び出されるときは「たぶん大丈夫〜」と軽い調子でベンチに伝えていたが、試合後には松葉杖をついて会場に戻ってきた。「アンプティサッカーやろうかな」とか無茶なことを言ってましたけども。大事にしてください。

 さらに前半21分、その2分前に投入された葭原に名誉挽回のチャンスが訪れる。前日のイラン戦、残り15秒に失敗した第2PKである。その試合ではそれまで出番がなく、第2PKを得てから今大会初登場したのだから、難しかっただろう。高校野球の9回裏にノーアウト・ランナーなしで代打起用された選手が初球でキャッチャーフライに打ち取られたようなキック。チームで唯一パラの舞台を知る男が、パラを逃す試合の「最後の打者」になってしまった。ゴール裏からカメラのファインダー越しにその第2PKを見ていた私は、シャッターボタンを押しながら、涙が止まらなかった。脳内では、ユーミンの「ノーサイド」が流れてましたね。

 今日のキックも、本人が試合後の記者会見で「当たり損ない」と言ったとおり、決して彼本来のPKではなかった。それでも地を這うボールがゴール隅に転がり込むあたりは、さすがの勝負強さ。記者会見で質問したら、前にサッカーキングのインタビューで書いたとおり、頭の中では「ぶっ殺す、ぶっ殺す」と呟いていたことを正直に答えてくれた。私の記事を読んだお母さんに「そんな物騒なことを言う子に育てた覚えはない」と叱られたそうだが、また叱られちゃったらごめんなさい。「子」ったって、もう49歳なんだからお母さんの教育のせいじゃないと思いますけども。

 後半は韓国がレギュラー陣総出演になったこともあり得点できなかったが、日本は奔放な攻撃を見せてくれた。田中の最後方からの攻め上がりが何度も見られたのが嬉しい。風祭監督はこういうサッカーらしいプレイが大好きなのだが、私もアキさんの攻撃参加は大好物なのだ。思わず天を仰ぐような惜しいシュートもあった。

 というわけで、2-0で快勝した日本が3位。日本のブラインドサッカーは、10年前に韓国から教わってスタートした。2002年に行われた最初の親善試合以来、勝ったり負けたりをくり返してきたが、今回は2戦2勝だ。去年は3戦3分け(うちひとつはPK負け)で、力量は日本のほうが上だと思われるのになぜか勝てない相手だった。こうして韓国にはっきりと引導を渡すような結果を出せたことは、日本チームの成長の証だと思う。中国もイランも、今回、韓国には勝てなかった。過去すべてのパラリンピックと世界選手権に出場してきた韓国をその地位から引きずり下ろしたのは、日本なのだ。

■中国 vs イラン(決勝戦)
 中国は前日のレッドカードでエースの10番が出場停止。中国には本来、体格の面でイランに負けない大型ストライカーが1人いるのだが、監督は彼を連れてこなかったことをちょっと悔やんだかもしれない。しかし中国が攻撃のカードを1枚欠いていたことが絶妙なハンデとなって、見ている分にはお互いが激しく撃ち合う面白い試合になった。現地やUst配信で初めてこのサッカーを見た人たちには、この決勝がいちばんインパクトが大きかったのではないだろうか。すごいでしょ? ブラインドサッカー。

 と言いながら、私は途中からスタンドに現れた日本選手たちとくっちゃべっていたのであまり真面目に取材していなかったりするわけだが、10番不在で孤軍奮闘となった11番が前半に決めた1点が決勝点となり、中国が1-0で優勝。アジア選手権3連覇である。だが中国は、08年の北京パラから09年のアジア選手権までがピークで、その後は徐々に当初の輝きが色褪せてきた印象。私があのドリブルを見飽きたせいもあると思うけど、選手自身もちょっと飽きてるんじゃないかと邪推する。同じパターンでドリブルして攻撃し、守備になったらみんなで敵を包囲するだけの単調なサッカーだからね。あんなに技術レベルが高いのだから、そろそろワンツーリターンぐらい完成させてもよさそうなものだが、そういう向上心は持ち合わせていないのだろうか。

 とはいえ、日本は中国からまたしてもゴールを奪うことができなかった。韓国はイラン戦で得点したが、日本はこちらもまた無得点。私は今回(勝ち負けは別にして)日本が中国とイランから点を取るシーンを見られるだろうと信じていたが、その壁は想像以上に高かった。

 でも、外国チームとの交流の壁はめっぽう低いのが日本チームのいいところだ。閉会式前に整列して出待ちしているあいだ、日本の選手たちは隣のイランチームと何やらワイワイ話をしていた。想像するに、おそらく夜のレセプションでも、パラ出場を逃した連中とは思えぬハイテンションで、超攻撃的な国際交流をぶちかましていたに違いない。今回はレセプションも取材陣には非公開のため、その様子を見ることができなかったのが残念だ。報道陣が大会の取材を通じて世に伝えるべきことは、ピッチの中だけにあるわけではない。


 2011年12月24日(土)
 大会3日目

 第1試合では、レフェリーが前半に韓国に第2PKを与え、後半には中国の10番を退場させた。頭に血を上らせた日本の応援者から見れば、「ふざけんな!」と怒鳴りつけたくなるジャッジだった。しかし、なんとかスコアレスドローで終わってくれた。イラン戦は予定どおり「引き分けでOK」になった。

 第2試合のキックオフ前、私は入場を控えた日本選手たちにいちばん近い取材エリアで彼らの表情にレンズを向けていた。そのとき、目の前にビデオカメラをかついだ者が立ちはだかり、私の視界を遮った。今大会の公式記録係として、われわれ取材陣が入れないエリアにも自由に出入りすることを許されている「NEWS ZERO」のカメラマンだった。頭に血を上らせた取材歴5年のブラサカ記者から見れば、「ふざけんな!」と怒鳴りつけたくなる行動だった。「そこは勘弁してくださいよ。スタッフなら、取材の邪魔をしてもいいのか?」とクレームをつけたら、どいた。詫びの言葉は耳にしていない。

 いまいましいことの多い大会だ。

 痛ましい敗北から一夜が明けたが、まだ選手たちにかける言葉は見つからない。人は簡単に「残念な結果」だったと言う。クリスマスプレゼントをねだるように勝利を見たがっていた者にとっては、その程度の話かもしれない。しかし選手たちにとっては、あまりにも残酷な結果だった。「もう悔しい思いはしたくない」――大会前、多くの選手がそんな言葉を口にしたことを覚えている者はそう多くないだろう。その悔しさを、彼らはまたしても味わってしまった。切り替わるはずのない気持ちを無理やり切り替えて3位決定戦に臨もうとしている選手たちに向かって、「3位を目指そう」とか「勝って終わろう」とか「最後まで頑張る姿を見せてくれ」とか、おれにはそんなこと言えないよ。彼らの勇敢な挑戦は、イランに0-2で敗れたところで終わった。魂のこもった立派な闘いを見せてくれた選手たちを、私は心の底から尊敬している。いまはまだそんなことしか言えない。

 2011年12月23日(金) 23:50
 大会2日目

 2年ぶりにプレスエリアで雄叫びを上げた。大会が始まってから、ややもすると「陰気フィールド仙台」になりかけていた元気フィールド仙台が、たった6分間で本当に元気フィールドになったんだよ、今日の午後4時前ぐらいに。いやマジでマジで。

■イラン vs 中国
 正直いまはこの試合のこととかどうでもいい気もするんだが、昨日は韓国をボコボコにするかと思いきや対等に渡り合われ、今日は中国にボコボコにされるかと思いきや対等に渡り合うんだから、イランはわからない。あろうことか、あの中国が前半はシュート0本。しかしまあ、あの4枚ディフェンスをドリブルで抜けと言われたら、アイマスク無しのメッシでもちょっと苦笑いするだろうとは思う。スタンドから見た印象では、イランは手足が長い分、いわゆる「守備の三角形」をほかのチームより間隔を広げて作れるので、ドリブラーを網にかけやすい感じ。攻撃のほうも、6番や9番の選手がしばしばノラ〜リクラ〜リとジャイアント馬場テイストの緩慢な動きでドリブルするのだが、懐が深いので意外にボールキープできてしまう。それでジリジリとゴールに近づき、重量級のシュートが飛んでくるのだから厄介だ。後半の中国は10番と11番がかなりの本数のシュートを放ったが、決まったのは5番が蹴ったPKのみ。0-1で勝った中国が2連勝で決勝進出を決めました。

■韓国 vs 日本
 日本の先発は、山口、落合、加藤、田中、GK佐藤。黒田と佐々木のアタッカー2枚を外したスタメンは、過去に記憶がない。あったかもしれないが、きわめて珍しいのはたしかだろう(あと、この顔ぶれでトップが加藤ではないあたりが、このチームの戦い方の幅が広がったことを示していますね)。しかし今から思えば、この先発メンバーと、キックオフ直後のプレイが、日本チームのゲームプランを暗示していた。落合が、まるで時間稼ぎでもするかのような緩いスピードで自陣に向かってドリブルで戻り、敵を引きつけてから、左サイドに開いたトップの山口にロングパス。私は(どこぞのテレビ番組スタッフと違って)宿舎でのミーティングに入れないのでこれは想像にすぎないが、風祭監督からはこんな指示が出ていたのではないだろうか。「ゆっくりやれ」――試合後の記者会見でも、監督は「後半勝負」を狙っていたことを明かしていた。ひとり初心者がいることからも明らかなとおり、韓国は選手層が薄い。ほぼレギュラーの4人だけで戦わざるを得ないので、スタミナの点で難がある。前日のイラン戦で終盤にPKで追いつかれたのも、直接にはGKのミスが原因だが、足が止まって前に出られなくなったことが根本要因だろう。だからこその「後半勝負」だ。

 前半を0-0で終えたのは、その意味ではプランどおりだったのかもしれない。しかし、決して楽観できる内容ではなかった。ファウルを重ねて21分に第2PKを与えたのは、逆に韓国のゲームプランに嵌ったともいえる。PKに関しては無類の高打率を誇る14番のキムがミスしてくれたからよかったものの、それ一発で沈められた4年前を知る者としては、まあ生きた心地がしなかったっすよ。カメラではなく、背中を向けようかと思ったほどだ。でも「おれは見てる」と宣言した以上、目を逸らすわけにもいかないじゃないか。ほんとにもう。

 しかし後半5分、ほんとうに目を背けてしまう事態が起こった。とはいえ何が起きたのか実際はよく覚えていないのだが、日本ゴールにドリブルで迫った韓国4番とそれを追った山口が何かヘンな感じに交錯してぐちゃっとなり、倒れた4番の足にボールが何かヘンな具合に当たって、何かヘンな入り方をしてしまったのだった。風祭監督も記者会見で語っていたとおり、ああいう局面でのスライディングは禁止されているはずで、あれがゴールなら5年前のフランス戦で黒田(当時は田中姓)が放ったシュートもゴールが認められるはずだから、あのとき日本はフランスに2-1で勝ったことにしてくれないでしょうか。してくれないよな。ちくしょう。何のことだかわからない人は、今からでも遅くないから『闇の中の翼たち』を読むといいかも。

 ともかく、そんなわけだから、陰気フィールドにもなるというものである。なにしろ私は5年間、延べ10万キロぐらいこのチームと一緒に移動してきたけれど、逆転勝ちなんて見たことがないのだ。追いついて引き分けに持ち込んだことだって、さっき書いたフランス戦の一度しかない。だから私としては、このあいだ自分でサッカーキングの記事に書いた言葉を自分に言い聞かせるしかなかった。「タフなチームになった」――11月27日に味の素スタジアムで行われた関東選抜との壮行試合を見て、私はそう書いたのである。いま私が何を言いたいかというと、要するに「な? 俺の言ったとおりだろ?」ってことだけどね。

 タフな野郎どもは、1点を追いかけて走った。走って走って、走りまくった。黒田が、佐々木が、スリリングなシュートを次々と放つ。でも、走れば走るほど、時間経過も加速するようにも思えた。負けたらおしまいなのだ。明日からの2日間、何をすればいいのかよくわからなくなってしまうじゃないか。

 後半12分、日本ベンチは山口に代えて落合を投入し、トップの位置に据えた。これまでも何度か試みられた布陣だが、あまり良い結果は出ていない。でも、こんなときに何とかしてくれるのが落合啓士という男でもある。チームが苦しいときの落合は、ムードメーカーなんかじゃない。彼がチームにもたらすのは、ムードではなく、スピリットだ。日本語では「心意気」とでも言おうか。背筋のピンと張った彼の特徴的な後ろ姿は、ほんとうに頼もしい。できれば私も自分のセガレにあんな背中を見せてみたいものだ。

 その5分後、日本はさらに佐々木に代えて加藤を投入。その加藤が最初のプレイでゴールライン際のボールを執念深く追いかけ、コーナーキックを得た。大人のプレイだった。落合が足下にボールをセットし、コーラー魚住の指示が飛ぶ。ちなみにあのとき魚住が「オッチー、4秒使え」と言ったのは、敵のファウルを誘う頭脳プレイだ。審判の笛が鳴ってからも、攻撃側は4秒までボールを止めていてよい。だが守備側の選手は、笛が鳴った瞬間に「ボイ!」と発声して前に出る習性がある。このプレイでは審判が反則を取らなかったが、その次のコーナーキックでは早く動いた韓国の11番にイエローカードが出された。

 しばし間を置いてからドリブルをスタートした落合は、スルスルとゴールほぼ正面まで侵入した。そのとき彼の耳には、「ボールの音と魚住さんの声しか聞こえていなかった」という。今日のスタンドは、ブラインドサッカーにあるまじきレベルの声援が飛び交っており、私はいささか心配していたのだが、落合の集中力はそれを完全にシャットアウトしていた。強く振られた右足から発射されたボールが、ゴール左に吸い込まれる。右腕が突き上げられた。誰のって、私の右腕だ。1-1。残り7分を切ったところで同点。

 でも、サッカーの神様に感謝するのはまだ早かった。

 その5分後、きょう会場入りするときにIDカードを宿舎に忘れてきた男が自陣からドリブルを始める。黒田だった。慌ててIDカードを宿舎まで取りに行ったのは、強化部のスタッフ福永克己である。もし福永が車の運転に失敗していたりなんかしていたら、ここで黒田がドリブルを始めていたかどうかわからない。大会の主催者は、IDカードによる立ち入り区域の制限にとても厳しいからだ。私なんか、今日、第1試合を観客席で見ようと思って座っていたら、ボランティアの女の子に「そこで見るならプレスの腕章を隠してください」と言われたほどだ。「だったら無料チケットがないとダメって話にもなるよね」と言ったら、「上に確認します」と言い、しばらくして「すみません、かまわないそうです」ってことでしたけども。

 そんなことは、本当にどーでもいいのである。故障のせいで得意の切り返しができない黒田のドリブルは、さまざまなテクニックを身につける前に得意にしていた直線高速ドリブルだった。「敵をぶっ倒してでも前に出る」――試合前にそう言って臨んだ5年前のフランス戦でノーゴールと判定されたときのドリブルがそれだった。ビュンビュン加速してあっという間にペナルティエリアに突入した黒田が、倒れながら故障した右足でボールを叩く。日本がパラリンピック出場に王手をかけるゴールが決まったとき、時計は残り1分8秒を表示していた。それから自分がプレスエリアで何を叫び何をしたのか記憶がない。初めての逆転勝利。日本ブラインドサッカー史に残る劇的な一戦は、新しい歴史を作る一戦にもなるはずである。というわけで、今日のヒーローはオッチーとトモさんと福永さんということでお願いします。明日があるって、すばらしい。

 2011年12月22日(木) 32:25
 大会初日

 10時半に私が会場に到着したとき、すでに前夜の雪はスタッフによってきれいに取り除かれていた。もちろん、取材エリアまで除雪を求めるのは無理な相談である。ブーツを履いていかなかったことを、ちょっと後悔した。好天で、厚着をしているとちょっと汗ばむほどの陽気。開会式まで、日本チームは1塁側のブルペンでボールの感触をたしかめるような軽い練習をしていた。ブルペンで人がサッカーをするのを見られるのは、とても貴重な機会だ。できればマウンドからシュートを撃ってみてほしかった。私が行く前に誰かやったかもしれないけど。平日の昼間なので心配していたが、10月の合宿で選手たちと交流した地元の小学生約150人を含めて、スタンドにはかなりの観客。数はわからないが、選手を鼓舞するには十分なボリュームの声援だったと思う。

■日本 vs 中国
 2007年と2009年のアジア選手権、2010年のアジアパラ、そして今回と、4大会連続で初戦での対戦である。アジアでは頭ひとつ抜け出た優勝候補なので、腕試しをするには好都合な対戦順だ。ブラインドサッカーにキリンチャレンジカップみたいなものはない。国際試合は常に勝負のかかった「本番」である。その中で調整していくしかない。いきなりパラ争いのライバルと対戦しなければならない韓国とイランのほうが、初戦の戦い方は難しいだろう。


サッカーのスコアボードとしてはかなりの希少価値。ちなみに「安倍」は「安部」が正解だと思います。

 前日の夜に来日したばかりの中国だが、初めてのボール、初めてのピッチにもかかわらず、試合前の練習ではさすがのテクニックを見せた。ただし1年前のアジアパラからフィールドプレイヤー8人のうち4人を入れ替えており、新しく代表入りした4、6、13、14はレギュラー陣と比べるとやや見劣りするなぁ……と思っていたら、その4人が先発。どうやら、新しい選手に経験を積ませながら勝負するつもりのようだ。ならば、そいつらがピッチにいるうちに先制点を!

 日本の先発は、GK安部、田中、落合、加藤、佐々木。実力の拮抗したGKは「そのとき調子のいいほうを使う」が風祭監督の基本方針である。これまでの大会では初戦に佐藤を起用するケースが多かったが、前日の公式練習では安部が厳しいコースへのシュートにシャープな反応を見せていたから、納得のいく判断だといえるだろう。エース黒田の先発回避は、もし私が監督でも同じことをしたと思う。右膝を痛めているので大事に使わなければいけないし、黒田抜きでどこまで戦えるのかも初戦で見極めなければいけない。

 キックオフは12時。開会式ではやや堅い表情の選手が多かった日本だが、試合前のセレモニーの出待ちをするあいだは、落合がいつものようにどーでもいい冗談を飛ばすなど、リラックスした雰囲気だった。国歌斉唱は、例によってなぜかルールで時間制限があり、演奏が途中でストップしたが、そんなことは意に介さずに君が代を堂々と最後まで歌いきったサポーター諸君に敬意を表したい。それにしても、あのルールはどうにかならないものでしょうかカンポスさん。どうせ最後まで歌うんだから、中途半端なことはやめませんか。

 試合は、いきなり6番にドリブルで突破されて危険なシーンを作られ、「やはり中国侮りがたし」と緊迫感が高まった。ああ、もう、これがアジア選手権なんだよなぁ。シビれちゃうぜまったく。しかし日本は勇敢に高い位置からのプレスを敢行した。自由にドリブルをさせると止めにくいので、相手がやりたいことをやり始める前に潰す。それが今回の日本の基本プランだ。

 中国のボールホルダーが敵陣にいるうちにサイドフェンスに追い込み、2〜3人で包囲してボールを奪う。序盤はそれがうまくいっていた。いつもはミズスマシのようにスイスイとフィールドをドリブルで駆け回る中国が、あんなふうに中盤でゴチャゴチャしたプレイを強いられるのを見たのは、たぶん私にとって初めてのことだと思う。

 もちろん、この戦い方にはリスクもある。実際、何度か肝を冷やすようなカウンターを食らった。とくに6番をどフリーにしてシュートを撃たれたときは悶絶しそうになったが、左腕を伸ばした安部がファインセーブ。ホレてまうやろレベルの好プレイだった。

 攻撃のほうでは、ラインを下げてゴール前を固める中国の守備をなかなか崩せなかったが、10分には佐々木が左足で惜しいシュート。このあたりまでは、日本が敵陣でプレイする時間が長かった。中国は経験不足もあってか、不用意なファウルが多い。その数は前半の中頃までに3つとなり、日本が第2PKを得るのも時間の問題かと思われた。落合に代えて黒田を投入してからも、敵を引きつけた加藤が落ち着いて効果的なサイドチェンジのボールを出し、黒田が敵の失ったボールをかっさらって速攻を見せるなど、日本ペース。センターライン付近からペナルティエリアにいる佐々木に出した黒田のスルーパスは、観客のどよめきを誘う見事なものだった。見えないのにスルーパスて。まあ、私に言わせりゃ、トモさんにとっては、あんなの朝飯前だけどね。ふふん。私が威張ってどうする。

 しかし中国は数分おきに選手交代を行い、レギュラーの5番、10番、11番を投入。ふつう「戦力の逐次投入」はあまり賢明なやり方ではないが、これが日本を徐々に苦しめていった。日本は序盤は果敢にプレッシングを行い、途中からはややラインを下げる「ノーマルモード」に切り替えていたが、スピードのある中国のドリブラーにとってはこれも好都合だっただろう。左右に振り回されて隙を与える場面が増え、20分頃には11番がフリーで強烈なシュート。これはGK安部が右足で弾き出す好守でしのいだが、その後、再び11番に突破を許す。完全に守備陣形を崩されて失点。ハーフタイムまで耐えきることができなかった。



 後半の日本はGKを佐藤にチェンジ。中国は5、6、10、14。キックオフから早々に佐々木が鋭いシュートを放ち、スタンドを勇気づける。後半4分には、中国ゴール前左30度で得たFKから、加藤が右に持ち出してシュート。やや強引かとも思えたが、これが中国守備陣の狭い隙間を縫って右ポストをかすめる。お、惜しい。惜しいよカトケン。世界選手権のコロンビア戦の終了間際に同じような位置から放ったシュートと甲乙つけがたいぐらい惜しかった。この日の加藤は、オフ・ザ・ボールでも味方を献身的にフォローし、敵のスペースを消す効果的なポジショニングを見せ、機を見て前線にも果敢に飛び出すなど、好調さをうかがわせていた。

 日本はそれ以外にも、黒田が故障の影響を感じさせぬシャープな出足でゴールに迫り、最後方の田中が再三にわたって敵陣まで攻め上がり、落合が重戦車のような突進を見せ、山口がボールへの鋭い嗅覚でピンチを未然に防ぐなど、それぞれが自分の持ち味を出して前回王者と渡り合った。相手に撃たせたシュートは、過去のどの中国戦よりも少なかったはずだ。だが、どうしてもゴールを割れない。中国の密集ディフェンスは、やはり堅牢だった。

 やがて、序盤からのプレッシングによる疲労蓄積のためか、運動量が落ちる。中国の蛇行ドリブルについていけないシーンが目立つようになり、18分、10番の独走を許して再び失点。そのまま0-2でタイムアップを迎えた。やはり中国の攻撃を止めるには、相手がドリブルを始める前に潰すプレッシング以外にないのかもしれない。だとすれば、運動量の維持が課題だろう。選手交代、プレッシングモードとノーマルモードのこまめな切り替えなど、打つ手はあるに違いない。敗戦という結果はネガティブだが、想定外のことは何も起きていないともいえる。「腕試し」としては、ポジティブな要素の多い内容だった。この日の出来を見るかぎり、中国が25日の決勝に進出するのはほぼ間違いない。24日にパラ出場を決めた状態で再戦し、日本が大会中にさらなる成長を遂げた姿を見せるのを楽しみに待ちたいと思う。絶対にもういちど、中国と戦うぞ。ああそうとも、絶対にだ。

■韓国 vs イラン
 前日の公式練習を見るかぎり、イランが韓国をボコボコにするイメージしかなかったのだが、こちらは明らかに想定外の展開。韓国は思ったとおりの出来だったものの、イランが良くない。公式練習では対人接触プレイを見せなかったのでドリブルが上手くなった印象だったが、実戦になると、ちょっとした相手のプレスでわりと簡単にボールをこぼしたりする。

 とくにダメだったのが、これまで私があちこちで「こいつが脅威」と言ったり書いたりしてきた7番だ。そもそもスタメンから外れていたし、交代で投入されても、なんだかサエないプレイばかり。きのうまでの7番とは、まるで別人である。そんなことじゃ、私のブラサカ記者としての見識が疑われてしまうじゃないか! どうして7番がそんなことになってしまったのかは、よくわからない。ほんとうはその理由にまったく見当がついていないわけではないが、確証が得られるまで書けないことも世の中にはある。

 試合はどちらも動きが緩慢で、見ていて点が入るような気がしなかったが、後半5分、韓国の14番がなぜかスルスルとドリブルで中央を突破し、スコーンと天井シュートを決めて、まさかの韓国先制。それまであまり目立つプレイがなかったが、この選手は「ここぞ」というところで何かをしでかす、わけのわからない勝負勘のようなものを持っている。まったくもって油断のならない不気味な存在だ。

 それ以降は韓国が完全に自陣に引きこもり、イランが攻めても攻めても入らないストレスフルな展開となった。21分にはイランが第2PKを得たが、6番が失敗。そのまま韓国が勝ってくれれば、2日目で中国に負けるであろうイランが「終了」となり、3日目に戦う日本にとって好都合だと思えた。

 ところがタイムアップまで残り1分35秒の時点で、韓国GKが痛恨のミス。GKエリア外のボールを(そんなに慌てる場面でもないのに)足でクリアしてしまい、イランのPKである。それを6番が決めて1-1のドロー。「戦術はPK」といえるほどPKの大好きな韓国がPKで勝ち点3を逃したのだから皮肉だ。しかし、あれはキーパー、ヘコむだろうなぁ。ともあれ、この試合を見ると、韓国にもイランにもまったく負ける気はしない。1対1や2対1の接触プレイをさんざん鍛えてきた日本の選手たちが、フィールド全体を圧倒的に支配する様子が目に浮かぶようだ。


タイムアップ後、倒れる韓国選手、慰めるイランのコーラー。

 

 2011年12月21日(水) 26:00
 開幕前夜

 きょう取材した公式練習については、サッカーキングの連載第6回「アジア選手権公式練習で見えた各国の戦力」を読んでいただきたい。今夜は個人的なことを書かせてもらう。個人のブログだから当たり前だけど。

■ ■ ■


 5年間、ブラインドサッカーの取材を続けてきた。42歳のおじさんが47歳のおじさんになっただけだから何ということもないが、そのあいだに小3のセガレが中2になったのかと思うと、けっこうな時間だ。そう思ったら、ふと5年前の明日12月22日に何をしていたのか知りたくなり、自分の古いブログを開いてみた。こういうのも、「虫の知らせ」というのだろうか。

 それは、私の書いたブラインドサッカーの記事が初めて一般メディアに掲載された日だった。スポーツナビの第4回世界選手権・アルゼンチン大会リポートである。先日、授業で話をした慶應義塾大学の学生に「ブラサカ記者をやっていて、成果が出たと感じるときはいつですか」という質問を受けて「すごい職業名だね」と笑ったが、ある意味ではこの12月22日が、私の「ブラサカ記者」としての誕生日と言えるかもしれない。

 それから今日まで、たくさん取材し、たくさん原稿を書いた。仕事の「質」はともかく、ブラインドサッカーの取材に費やした時間、移動距離、経費、書いた文字数などの「量」に関しては、世界のどの物書きにも負けない自信がある。当初は「本を書いたら俺はその後どうするつもりなんだろう」と思ったこともあったが、あまりに楽しすぎて、本を出した後もやめようなんて少しも思わなかった。それに、これはもともと日本代表が北京パラリンピックに出場することを当て込んで始めた仕事だ。パラに出るまでやめられるわけがない。

 ところで私の書くブラインドサッカー記事は、ときどき関係者から「マニアック」と評される。今日もこのブログについて某事務局長からそんなお言葉を頂戴した。長く取材をしているので、初心者向きの内容ではないのはたしかだ。しかもブラインドサッカーについて「初心者じゃない読者」なんてほんのひと握りしかいないから、そんな書き方で商売になるわけがない。商売になるのは、選手の囲み取材で「大会への意気込みを聞かせてください」とか「応援している皆さんへのメッセージを」とかいった質問のできる人たちや、選手の職場や自宅に上がり込んだりスーパーに同行してカボチャの買い方を教わったりできる人たちだろう。いきなり「昨日と今日でボールの感触は違った?」とか「会場の音の聞こえ方はどう?」とか質問してほかの取材者をポカンとさせる記者は、たしかにマニアックとしか言いようがない。しょうがねえだろ、おれはそれが知りたいんだから。

 でも、自分自身が「初心者」だった5年前の記事をあらためて読んでみると、その時点ですでにわりかし「マニアック」だったという気もする。なぜそうなるのかと考えるに、おそらく私は無意識のうちに、読者の理解を促すことよりも、自分自身の理解度をたしかめることを優先して記事を書いてきたのではないだろうか。ライターの仕事がそんなことでいいのかどうかは知らないが、振り返ってみると、私はこの5年間いつも「オレ、わかってる? こういう見方で大丈夫?」と問いかけながら原稿を書いていたような気がする。記事を通じてそれを確認する相手は、もちろん選手たちだ。

 だから私は、自分の書いたものを選手や現場の指導者などに読んでもらうのがいちばん嬉しい。今日、会場のスタンドで立ち話をしているとき、代表のコーラー魚住さんが過去に私の書いた記事をひととおりPDFファイルにしてパソコンに保存していると知らされたときも、本当に嬉しかった。授業のときは思いつかなかったので慶應の学生には別のキレイゴトを答えたような気がするが、「ブラサカ記者をやっていて成果が出たと感じる」のは、記事を読んだ選手からコメントをもらい、自分の理解が間違っていないと確認できたときなのだ本当は。

 明日からまた、元気フィールド仙台のピッチでは、私の理解力が試されることが次々と起こるだろう。選手たちが「ここを見てくれよ」と自慢したくなるプレイを、ひとつでも多くこの目で見届け、ちゃんと理解するように努めたい。見てるよ。おれは、見てる。

■ ■ ■


 最後に、魚住さんをして「これは深川サンじゃなきゃ絶対に撮れない」と言わしめた写真を1枚。10月の仙台合宿で、アキさんが味方のために敵の2人をまとめてブロックしたプレイだ。ボールはトモさんとヤンマーさんが顔を向けている方向にあったが、私はこのときの練習目的を察していたので、ボールホルダーは放置して迷わずこちらにカメラを向けた。練習後、「あのアキのプレイはファウルか否か」という話になった際、「これでしょ?」とカメラのモニターを魚住さんに見せ、「そうそうこれこれ!」と喜ばれたときは、シテヤッタリだったぜ。ふふん。これ撮るのに、5年かかるんだよ。ナメんじゃねえぞ。

 

 2011年12月20日(火) 17:25
 直前合宿4日目

 今日も代表の練習は「完全非公開」、つまりメディア関係者は完全に排除されているわけですが、じっとしてもいられなかったので、観戦のため仙台駅周辺に宿泊される方のお役に少しでも立てればと思い、大会会場周辺の情報収集をしてきました。元気フィールド仙台の最寄り駅は、JR仙石線の小鶴新田。「仙石線」は「せんごくせん」ではなく、驚くべきことに「せんせきせん」と読みます。いままで書くことはあっても口にしたことがなかったのを幸運だと思いました。仙台駅から行く人は、10番線ホームから乗ったほうがいいでしょう。9番ホームから乗ると、ひと駅で終点のあおば通駅についてしまいます。ちなみに私が行ったとき、9番線に石ノ森章太郎さんの漫画をあしらった車両が入ってきたので乗ってみたくなりましたが、たぶん乗ると漫画が見えないと思ったのでやめておきました。方向も行きたいところと逆だし。

 

 仙石線は陸前原ノ町駅まで地面の下を走りますが、苦竹(にがたけ)駅から突如として地上に出ますので、ビックリしないでください。苦竹の次が小鶴新田なので、窓外が明るくなるまでは「いつ降りるんだ、いつ降りるんだ」といたずらに緊張しなくていいです。油断は禁物だけどね。小鶴新田に着いたら、電車を降りましょう。ここは緊張すべきところです。電車のドアは、黙って待っていても開きません。ドアが開かないと、降りることもできないわけです。今日の私の場合、親切な女性が(自分は降りないのに)秘密の呪文を唱えてくれたおかげで降りることができました。嘘です。呪文ではなく、ボタンを押すのです。これは本当に重要な情報だ。ものすごく人の役に立ってしまったぞ。ちなみに仙台から小鶴新田までの乗車時間は、11分程度です。

 

 小鶴新田で降りて改札を通るときは、PASMOではなく仙台駅で買った切符を機械に挿入してください。私は間一髪でした。どうやらSuicaは使えるみたいですね。改札を出たら、ぜったいに左へ向かえ。右に行くと何があるかわからないので、どうなっても責任は持たん。でも、怖がらなくて大丈夫。左を見ると「コタエルサッカー」のポスターがあり、右を見てもそれはないので、私は迷わず左に行くことができました。階段を下りて地上に出ると、右の写真のような無駄に美しい青いビルが正面に見えるでしょう。そのビルと左の白いビルのあいだを通っているのが、元気フィールド仙台へ向かう道路です。嘘じゃありません。

 

 その道路の左側に、蕎麦屋さんがあります。ちょうど空腹だったので入ってみました。たぶん25年ぐらい前まではやる気満々だったに違いないおじさんに海老天うどんを注文したのは、私は海老が大好きだからです。でも、おじさんに「うどん?」と怪訝な顔で聞き返されたので、ちょっぴり不安になりました。「おまえほんとにこの店でうどんとか食うの? それでいいの?」と念を押されたような気がしたからです。注文をくり返すと、おじさんは「海老天うどんね」と言ったように聞こえました。「聞こえました」というのは、しばし待ってから私の前に出てきたのが海老天丼セット(小さい天丼&たぬきうどん)だったからです。おじさんの聞き間違いでした。「うどん」と「丼」なら、まあ聞き違えることもあるかなぁと思いますが、どこでどうやったら「セット」を幻聴できるんだおまえは。

 でも、私は心の広い人間です。「ああ、じゃあ、これでいいですよ。私が頼んだのは海老天うどんですけど。セットとか言ってないし」と、まったく厭味のない表情で言ってのけたのは、決しておじさんが怖かったからじゃありません。味は、すばらしくフツーでした。ちなみに、海老天うどんは750円、海老天丼セットは780円です。私が「ごちそうさまでした」と言って立ち上がると、女性の従業員がおじさんの耳元で「ゴニョゴニョ…でいいんですか?」と囁き、おじさんが「ああ」と頷きました。うんうん、まあ、たった30円の差とはいえ、やっぱり、この場合、そうなるよなぁ。私が財布を取り出すと、彼女は「780円になります」とキッパリ言い放ちました。二度と行かないと思います。蕎麦屋の先にはセブンイレブンというお店があり、酒やたばこや銀行ATMなどを売っているようでした。またちょっと嘘をつきましたが、どうぞ常識で判断してください。

 

 元気フィールド仙台に行くためには、どこかで必ず道路の右側に渡りましょう。右側ってのは、駅を背にした反ニュートリノが回転する方向のことだ。セブンイレブンのあたりで信号を渡って先に進むと、ヨークタウンという謎めいた町があります。ひょっとしたら町じゃないかもしれません。その先の信号機の向こうに見える巨大なタンポポみたいなやつが、元気フィールド仙台の照明設備です。いよいよアレですぜ奥さん。ただし、ここで「おお!」とコーフンすると真っ直ぐ進んでしまいそうですが、どうか慎重に。横断歩道を渡ったら、右に曲がってください。すると左側に、いかにも入り口っぽいものが見えてきます。しかもありがたいことに、それは入り口っぽいだけではありません。入り口です。

 

 入り口の付近には、左の写真のような案内図があります。右下にはボタンを押すと音声で行き方を教えてくれるチョー便利なハイテク装置もあるんだぜ。ちなみに案内図では、どこにも「元気フィールド」とは書いてありません。「仙台市民球場」です。パニックに陥りやすい人は「違うじゃない! どうすんのよ!」と慌てて引き返しがちな状況ですが、落ち着け。いっぺん深呼吸でもして、おれの話をよく聞くんだベイビー。その仙台市民球場が、元気フィールド仙台なんだよ。ほんとだって。おれを信用しろ。バックスクリーンの裏手に回ると右のような貼り紙があり、そこにはちゃんと「元気フィールド仙台」と書いてあります。誰も巡回しているようには見えませんでしたが、なにしろ今日は完全非公開なのでコソコソしていると捕まりかねないと思い、その貼り紙の近くにあった喫煙所で一服して引き上げました。と、日記には書いておこう。私が駅に向かって引き上げる頃、小鶴新田は雪が舞っていましたとさ。ブルブル。

 2011年12月19日(月) 23:40
 直前合宿3日目

 仙台駅周辺は、昼間、空が明るいのに雪がちらほらと舞っていた。しかし風さえなければ、寒さはそれほどでもない。私が慣れてきただけかもしれんけど。

 で、上に「直前合宿3日目」と書いたものの、今日と明日は「完全非公開」とのことで、プレスに何の情報も与えられていないため、ほとんど書くことがない。選手もツイッターでほとんど情報発信をしていないから、練習が行われたのかどうかもわかりません。ひとつだけわかったのは、ボールのこと。選手が少し前から練習に使っている初の国内メーカー製ボールは「Voyager(ボイジャー)」という名称だそうだが、これは来年1月上旬の発売(12月20日に予約開始)が予定されている市販用のもので、大会使用球はそれとは名称もデザインも別だそうだ。ちなみに「Voyager」は白、先月の壮行試合で使用したボールは銀色(下の写真)だった。本番の使用球がどんなデザインになるのか、楽しみに待とう。というわけで、2日間ホテルでカンヅメ仕事の私は、引き続きブラインドサッカーとまったく関係のない原稿を書くのだった。



 2011年12月18日(日) 22:10
 直前合宿2日目

 ものすごーく久しぶりのブログは、仙台からである。もうHTMLの手打ちは面倒だからブログサービスを利用しようかとも思ったが、何をどう選べばいいのかよくわからないので、2年前のアジア選手権のレイアウトをそのまんま流用してここで書くことにした。で、ブログってどうやって書くんだっけ。すっかりわからなくなっている。

 ともかく私は、今朝9時過ぎに仙台にやって来た。何しに来たのかわからない人は読んでいないと思うので、いちいち説明しません。今日は代表の練習に先立って、10時半から小学生を集めたブラインドサッカーの体験会がスポパーク松森で行われた。代表からは落合啓士選手と加藤健人選手、さらにベガルタ仙台アンバサダーの平瀬智行氏も参加。落合選手と加藤選手のトークは、いつの間にあんなに巧みになったのかと感心しちゃったよまったく。プレイのデモンストレーションでは、いきなりトラップミスはするわドリブルで軽く衝突するわでヒヤヒヤしましたけども。



 練習は14時から。昨日も同じ場所で行われ、残念ながら私は見ていないが、シュート練習中心の軽めの調整だったようだ。今日は風祭監督らも合流して、選手&スタッフが全員集合。サイドフェンス際での2対1のプレッシング、ドリブルシュート、4対2によるフォーメーションの確認などが行われた。下の写真、ボールが映っていないので何のことかわからなくなってしまったが、加藤選手が佐々木選手からボールを奪ってヒールで前に出したところです。



 感想を言おう。端的に言って、見ていてものすごく楽しかった。感激したと言ってもよい。みんな、やや扱いにくい新ボールに見事に適応し、コンディションを上げ、11月の合宿よりもプレイの質が向上していたからだ。シュート練習は、パワフルなキックが厳しいコースにビシビシと飛び、私がこれまで見た中で最高の迫力だった。実戦形式の練習でも、ゴールが次々と決まった。葭原滋男選手は、サッカーがまた上手くなっていた。49歳でまだあんなに伸びしろがあったとは、47歳の私には本当に驚きだ。聞けば、フットプロム(1 on 1のサッカー)を練習に取り入れたところ、1対1で相手の動きがよく「見える」ようになり、余裕を持ってボールキープできるようになったという。すばらしい。



 ほかにも書くべきことはいろいろあるが、仕事をドカッと持ってきているので、今日はこんな感じ。選手たちの気力・体力が充実しており、チームは今とても良い状態だと思う。アジア選手権の開幕が待ち遠しくてたまらない。ちなみに上の写真は、たぶん初戦のスタメンを相談していたんじゃないかなぁとおぼしき首脳陣。私は私で予想する布陣はあるが、まあ、それはいいだろう。誰が出たって、いまの日本なら戦える。ほんとうに、全員で戦えるチームが出来上がった。それが日本の強みだと私は思う。

Blind Soccer ASIA 2011 special
Text by Hitoshi Okada a.k.a. Shuntaro Fukagawa
BGV : Last Train To London / Electric Light Orchestra




■大会日程&試合結果

12月21日(水)
公式練習

12月22日(木)
11:00 開会式
12:00 日本 0-2 中国
14:00 韓国 1-1 イラン

12月23日(金)
12:00 イラン 0-1 中国
14:00 韓国 1-2 日本

12月24日(土)
12:00 中国 0-0 韓国
14:00 日本 0-2 イラン

12月25日(日)
11:00 日本 2-0 韓国(3決)
14:00 中国 1-0 イラン(決勝)

■順位(全日程終了)

1. 中国  勝ち点7 得点3 失点0
2. イラン 勝ち点4 得点3 失点2
3. 日本  勝ち点3 得点2 失点5
4. 韓国  勝ち点2 得点2 失点3





闇の中の翼たち
ブラインドサッカー日本代表の苦闘
(岡田仁志/幻冬舎/1500円+税)









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