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No1 暖炉の火 1992年
Bulletin〈JIA機関誌)のための原稿(未発表)

 ライカをくれるという親しい友人がいる。聞いてみるとパルナック型のVFのようだがよくわからない。それでも、手に取ったときの金属感を思うととてもたまらず、夢に出てきてしまう。
 僕はニコンのF3やF4と共にライカのM6を使っているが、だんだんM6で撮ることが多くなった。いうまでもなく、手にぴったりくる大きさと重さ、撮影に必要なものしかついてない簡潔さと、本物だけが持っているあのシャッターの感触。
  僕はJIA神奈川の今井俊一さんのようにコレクターではないし、ライカウイルスにも感染してないからパルナック型は買わない。でもくれるのならもう本当に欲しい。車が速ければ速いほどいいように、レンズはシャープでなくてはいけない。だからエルマー135ミリF4(classic cameras price guide `95`によると1960年ライツウエッツラー製・・えへへへちゃんとこんなカタログ持っている)を除いて現行品。でもVFなら40年代のズミターで女を・・いや建築家を撮りたい。  
  保存問題委員の松嶋さんもVFらしきものをもっているらしい。見せて;と言っても見せてくれない。盗られちゃうと思っているのかしらん;でもカメラも使わなくちゃあ、建築と同じように。「のこしていこう・いかしていこう」ですよ;
 ここは保存問題の頁。ライカのことを言おうと思って書き始めたのではない。藤原新也という気になり、魅力的な写真家の“藤原悪魔”という本の中のアイルランドの暖炉の事を書いておきたいのだ。藤原新也がライカ使いだからというわけではない。
 四百年も燃え続けてきた暖炉の火が、ガスによる偽物に変わりつつある。その暖炉では体は暖まるが心は暖まらない。暖炉に暖まりながら寒い、という奇妙な感覚。
 保存要望書を提出した丸の内の「日本興業倶楽部会館」は、歴史検討委員会が設置され審議されているが、どうやらレプリカによる一部再生の上改築されることになりそうだ。それではうそ寒さだけが残るのではないだろうか。(京都の第一勧銀も同様)
同じ横河工務所設計の銀座交詢社ビルも改築の計画があるとか;昨秋JIA神奈川と保存問題委員会が後援して行われた交詢社での“松風荘友の会”集会の折り、歴史を経てきたもののみが持つ質感と暗さの魅力を(すぐに谷崎潤一郎の陰影礼賛を思い浮かべてしまう)体感した。
 理論合宿と秩父の夜祭りのことは埼玉の浅川さんが書いてくれるので簡単に記することにするが、軽井沢に行く途中、文化庁の後藤治さんから連絡をいただいた、区画整理のために取り壊されそうな渋川市の渋川公民館に立ち寄った。
 1931年(S6年)渋川信用組合の事務所として建てられ、現在は公民館として使われている中之条へ抜ける街道のランドマークになっている、RC3階建てで正面にレリーフを施された典型的な近代洋風建築、前橋でNPO設立を目指しながら活動している建築家中村武さんに案内してもらった。
  渋川市は、町の活性化のため区画整理を推進しているが、必ずしも成功しているとはいえず、見直しの声も一部にあるもののいったん決まったものはそう簡単に変えられず、計画の末端にあるこの建物も2-3年後には取り壊される。しかし、ほんの少し計画を変えれば区画から外れるし、安易な間仕切りで台無しにしている室内空間を元に戻すことにより、この建物の魅力が浮かび上がるはずだ。
 街道の向かい側にある商家を案内してもらって驚いた。見事ななまこ壁の蔵が連なっている。(幸いな事に区画外)こういう先達の残してくれた凄い文化遺産を壊して本当の街づくりができるものだろうか?こういう建物の本物の持つ面白さと大切さを、市民にもっと衆知させなくてはいけないねと、中村さん、担当委員の群馬の松本さん達と話し合った。
秩父夜祭りの翌日見学した谷口吉郎の秩父セメント第二工場には感動した。案内してくれた方もこの工場群を誇りに思っているようだが、何と3本の中で一番魅力的な外階段付煙突の取り壊し中、企業のトップに、僕たちの想いをどうやって伝えようか?  VFはまだこない。本当にくれるのかなあ;
  

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