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No8 アメリカ建築かけある記・1986 1987年4月 明大昭和会建設不動産部会会報 掲載
 2005
年9月一部改定Bulletin 掲載

“インテリジェントビル”の概念がアメリカから導入されて以来、たまたまオフィスビルの設計の多い私は、NTT、電気メーカー等によるセミナー、メーカー見学、展示会、又建設省後援によるAEC技術展等と知識を吸収するのに急で、頭の中が少々コンガラがっていた。
 そして、それ等に関する本を読みあさると、PBXやLANとかいったものの他に、アトリウムに代表されるような“エルゴノミクス”のコンセプトによるオフィスビルがアメリカにはいくつも建てられており、ポストモダンもどうやら単に流行ばかりではなさそうだ!思うようになった。ということで “ポストモダンとインテリジェントビル視察”のツアーに参加するために成田を飛びたったのは、昨年の11月だった。
  9日間で、“シカゴ”“ニューヨーク”“ヒューストン”“ダラス”“サンフランシスコ”の五都市のオフィスビルを中心に、建築を見て歩くという大変ハードなスケジュールで、とうとうルイス・カーンのキンベル美術館に行った時は、バスの中でハンバーガーの昼食、最後のサンフランシスコでは昼食抜きになってしまった。

<シカゴ>

シカゴは、とても湖とは思えないしかも冬は凍結してしまうという、大きなミシガン湖に面した大変美しい街である。
 SOMの設計による世界最高の高さを誇る“シアーズタワー”が、ニューヨークのエンパイヤステートビルのように、一種のモニュメントとして街のどこからでも望める。我々は早速お上りさんっぽく、展望室までのぼりシカゴの街を一望したが、日頃新宿の超高層ビル群をながめているせいか、それほど高いとは感じられない。廻りのビルが皆高いせいかもしれない。
  ビルの外観は端正で、暗色のコントロールがよく、とてもきれいにおさまっているが、内部のインテリアのつめがあまく、カルダーの動く彫刻の置いてあるメインロビーなど、狭くてスケール感が少しおかしい。これはインテリアが別の組織でなされた事と無関係ではないと思う。
  アメリカは、設計に於ても分業が徹底しており、一つの建築の設計が意匠設計、インテリア等別々の組織の組み合せによって行なわれる事が多く、ディベロッパーの成功の秘決は、どの建築家と、どのインテリアデザイナーを組み合せるかにかかっているのだということだった。
 そういえば、ヒューストンのトランスコタワーは、フイリップ・ジョンソンの設計によるが、インテリアは、このシアーズタワーの設計事務所SOMのインテリア部門によって行なわれたそうで面白い現象だと思う。
 シカゴ最大の観ものは、ヘルムート・ヤーンによる、イリノイ州立センターであるが、あいにく日曜日なので中に入れない。ヤーンの代表作でもあり、インテリジェントビルとしての成功例、又ポストモダン?の建物としても知られている。円錐をナナメにカットした様なアルミカーテンウォールによる、オカシナ!建築である。私の目には、ディテールの荒さと、思いつきによる形態のみによる建物の様な気がして仕方がない。
 しかし、この建物が公立によるオフィスビルであり、この様なものが建ってしまうというアメリカの底力のようなものが、妙な圧迫感となってせまってきたのも確かであった。 大吹抜によるアトリウムの空調等のコントロールがうまくいっている例として、ものの本には紹介されていたが、実際は熱は階上に行ってしまうし、音が全て上階に集ってしまって使いにくくて仕方がないのだという、コーディネーターによる話もあり、ナルホド!と納得した。

<ニューヨーク>

ニューヨークは都会に生活している私にとって大変懐しさのある街である。ソーホーあり、ブロードウェイあり、五番街あり、おまけにハーレムまであり、何度も来てみたいところである。
 シーザペリが素晴らしい仕事をしている。ワールドフイナンシセルセンターは、彼の代表作にもなると思われる大プロジェクトであり、又、ジョンソンのやった近代美術館の増築を設計担当したが、その住居棟には、ジョンソン御大が入居しているというオマケまである。
 この近代美術館の増築は、運営費の念出に困っていた市が、いわゆる空中権をディベロッバーに売却し、その費用で増築と、運転資金を作り、買取ったディベロッパーは、オフィスと超高級マンションを、シーザペリに設計させるという形態で成立した。空中権はニューヨーク市独自のシステムのようであるが、その土地に規定された容積率があり、その権利を放棄して隣接地の権利者が取得すると、その土地にはその分の容積が上積み出来るという制度である。これには市の認可が必要とされるが、例の低層のブロードウェイのミュージカルの劇場群にその話が持ち上っており、市が認可すべきか否か、文化人をまき込んで、大変な騒動が起っている。
  ニューヨークでは、コンベンションセンターの事も記しておかなくてはいけない。IMペイ設計による途方もなく大きなスーパーフレームとガラス貼りの建物はともかく、20年先きまで予約でうまっており、アメリカにはこういう企画を成功させ得る力を持った組織が存在する。コンベンションセンターが成功するという事は、大勢の人が来るという事であり、街が生きのびるという事でもあるようだ。
 夜ジャズの宝庸、ヴィレッジヴァンガードでビッグバンド、メル・ルイスを聞いた事も、ちょっと自慢のたねとして書かせて下さい。

 <ヒューストン>

ヒューストンでは、色ガラスを使い分けたカーテンウォールによる、シーザペリの大変美しいフオーリーフタワー、フオーオクスと、ジョンソン設計のトランスコタワーが素晴らしい。何故このテキサスの大平原!の中に超高層かという命題と、モノトーンによるガラスのカーテンウォールにこめられたジョンソンの想念に思いをはせる

アメリカでは建築家の地位は大変高く、ちなみに医師は命を司どり、弁護士は社会を司どり、そして建築家は文化を司どると云われているそうで、日本から建築家のグループが視察に来たと云うことで、大変親切に内部の全てをマネージャーに案内していただいた。
 室内はSOMの設計だということだが、石と木と金色を使ったインテリアに今までのオフィスの概念と違うものを感じた。
 トランスコタワーの近くにある、アメリカでも大手の設計事務所であるCRSS(シアレス)を訪問した。ここでは、オフィシングという言葉を使ってオフィスのコンセプトを追求している。最も印象に深かったのは、何よりも人間が大切であり(特にシンクタンクであるアメリカの設計事務所では)優秀な人材を集め、人の能力を発揮させるためにオフィスのデザインがなされるべきであり、ここにエルゴノミクスの概念が集約されているということである。このCRSSでの数時間は、今後の私の設計活動にとっても大きな影響を受けそうだ。
 ヒューストンにしろ、ダラスにしろ、ダウンタウンは、アルミとハーフミラーのカーテンウォール及び石のカーテンウォールのいわゆるポストモダン調(必ずしもそうとは云えないのかもしれないが)のインテリジェントビルが、今までの旧いビルとは一繰を画して建っているが、全体的には、いかに他人とは違うデザインをして目立とうとしているかに集約されているようで、あまり気持のいいものではない。いくつも見ていくうちに、又かという感じになり、くたびれてしまう。ただ、オフィスが単にいわゆる仕事をする場というだけではなく、企業にとってもオフィスワーカーにとってもある種のステイタスを要求しているのだという事は感じられる。

<カーンのキンベル美術館>

 グラスから足を延ばしてフオートワース郊外にあるカーンのキンベル美術館や、サンフランシスコのはずれの、ライトによるマリン郡庁舎を見た時は、本物の建築に出合ったという気がしてホッとした。特に、キンベル美術館は私の今まで体験した建築空間では最高であり、いつまでもその暖かさとか、やさしさとか、厳しさとかが忘れられない。中で働いている人達が誇りを持って、写真を撮りまくっている私達を見守っていてくれたその笑顔が忘れられない。

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