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No9 既存建築物の持続的活用に向けた懇談会 公開円卓会議041016
30年前の建築の存在

官民11団体から有志が集まって、「既存建築物の持続的活用に向けた懇談会」を2003年より行っている。
参加者は、国土交通省住宅局建築指導課、官庁営繕部整備課、文化庁建造物参事、建築保全センター、建築学会歴史意匠委員会、建築士会連合会、東京建築士会、建築士事務所協会連合会、神奈川建築士事務所協会、BCS設計専門部会、それにJIAである。
下記論考は、2004年国立オリンピック青少年記念総合センターにてJIA東京大会のおいて行った、行った公開円卓会議に配付した資料に添付したもの。兼松がコーディネーターを担当した。
国土交通省を訪ね、住宅局建築指導課の当時の課長補佐淡野さんと、懇談会設立の相談をしたときに、
「既存建築物というと国交省ではほぼ30年前の建築をイメージする・・・」といわれ、これは面白いと俄然興味を持った。そのあたりの建築の存在と存続を考えることが、国交省でも課題の一つになっているということなのだと思ったからだ。
まだ1年半ほどしかたっていないのに、既に過去の出来事(そうではないのだが)のようになってしまったが、そのころ豊郷小の改築や、正田邸解体の問題が事件のような形でマスコミに取り上げられていた。建築界の各組織が社会に対してこの種の問題がおきたときに、何らかの見解表明をすべきではないか、それに対する共通認識を持ちたいということが、この懇談会発足の思惑だった。同時に私は、有名建築家の作品や、歴史的に価値のある文化財といわれる建築だけでなく、圧倒的な比率で建っているいわば普通の建築の存在について検証していくことが、都市を考えるときに欠かせないものだと考えていた。淡野さんのこの言葉によって正にこの懇談会の存在意義を確認することになったのである。

登録文化財であっても50年を経た建築という選定基準があり、その程度時を経れば価値が定まってくると考えられている。こういう制度によってその存在を社会に広く伝えていくことは大切だが、全ての建築が、建てられ使われていく過程の物語を持ち、そこに当時の社会状況や、技術の存在がありそれぞれに多様な価値があると私は思っている。 私の関わっている「DOCOMOMO100選」選定時にもこの問題の検討をしたことがある。

DOCOMOMO選定の意義は、モダニズム建築(選定では1920年から60年代のモダンムーブメントの建築を対象とした)の存在やその魅力を伝え保存を呼びかけていくことにあるのだが、建築の可能性を開いてきたという観点を考えると、著名建築家の作品や有名建築に偏らざるを得ない。しかし都市や街の在りかたを考えたときに、それらの建築によって都市や街の全てを語れるとは思えず、ラージファームといわれる大手建築事務所、あるいはデザインビルド(例えば建築会社の設計施工)による建築のリストアップを試みたが、意に反してあがってこなかった。一つには過去の建築雑誌にほとんど取り上げられていないこと、もう一つは(したがって)それらの建築の存在を、私たち自身が知らないことである。

例えば都心のオフィス街は上記によるクオーリティの高い建築によって構成されているが、どこかでそれを検証しておかないと、日本では耐震問題も格好の壊す材料にしながら経済上の理由によっていとも簡単に建て替えられてしまう。そして残念ながら誰もそれを不思議だと思わない。人間は過去の記憶の蓄積によって今を見つめ、自分が存在することを確認しながら生きてゆく。ことに建築家はそれを受け止めながらどう創るかを模索し、未来を見つめて建築を創っていく。(創ってほしい!)それこそ文化の継承であり、都市を豊かにしていく大きな要因である。たとえオフィス街であろうと同じことだろう。

では、さてどうすればいいのだろうか。 念願だった登録文化財の相続税軽減がなされ、築年数制限撤廃による住宅減税も施行されることになり、既存建築物の持続的活用が、様々な形で試み始められているとも言えるだろう。私たちの懇談会には建築家界の様々な分野の方が参加している。建築に関わってきた経緯もおかれている立場も違うが、何回もこの会合を積み重ねてきて、見えてきたものがある。立場によって受け留め方が違うことよりも、総じて同じ問題認識を持っていることが判ったことで、私にとってそれ自体が興味深いことだ。まだ成果が目に見える形で現れてこないが、日本の社会に於いて、30年前に建てられた建築の存在やその在り方を、総括的に考えていく仕組みや組織はこの懇談会を置いてないかもしれない。私はこの懇談会に大きな期待をしたいのである。  

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