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No15 建物には生きる権利がある
「プロフェッショナルワークショップ「建築と文化の継承
1998年1月15日号
Bulletin〈JIA機関誌)

 林昌二さんは、私の最も敬愛する建築家である。‘敬愛’という言い方はどうも巨匠を前にして少々ためらうのだが、親しく話を伺っていると,辛□の語り□の中に滋味があふれていて魅力がつきない。そして著作を拝読すると少し小言幸兵衛的なところもあって、これには何とも親しみを覚え、敬愛するとついつい言いたくなってしまう。しかし、その存在感は大変なもので、どこに居ても目立ってしまう。
 展覧会場へ行くと、ささ波の様に“林昌二”が居るよと、それも若い女性の間に波紋が拡がっていく。御洒落なスタイルもそうだが、何よりも男っぽいからだろう。いいなあ!と思う。どうやら私はミーハー的な林昌ニファンの様だ。
 残念ながらと言うか恥かしながらと言うか、私はイギリスヘ行ったことがない。でもケンブリッヂ郊外のボストン夫人のマナハウス。りんぼう(林望)先生が概歎する、夫人が亡くなって手入れする人が居なくなった薔薇園の有様まで目に浮ぶ。
 りんぼう先生は言うまでもなくイギリスを描いて数々のエッセイ賞を獲ったが、私がのめり込んだのはそれだけでなく、たとえば“遠い日・夏の日”や“東京珍景録”の後半に表われてくる青春時代へのオマージュに共感を覚えるからだ。(勿論私よりお若いのだが)それに御家人の末裔とはいいながら庶民的な風貌で、こよなく下町のお寿司屋さんを愛する(もっとも格別に旨いことが必須条件)お人柄。お互いに髭もはやしていることだし・・・。何のことはない、私は又りんぼう先生のミー八一的なファンでもあるのだ。
 JIAIO周年はやっぱりお祭り、お二人の話を聞きたいと思った。しかし今ウィーンのセセッションで個展を開き、ヨーロッパの美術界に衝撃を与えている写真家荒木経惟と親交があり、文筆界のアラーキになると宣言する超多忙りんぼう先生のこと、コンタクトをお願いした東京芸大の前野まさる先生から“兼松さんOKよ”と言われた時、思わず電話□で”やったあ”と声をあげてしまった。
 さて当日、丸の内はよく知らないというお二人を前にして鼎談をどうスタートしていこうかと心配している私をよそに、東京駅を出た途端にあっという間にイギリスに飛び、あれよあれよという間にお二人の話が進行して行った。少しうろたえた私はいつ丸の内に戻ってきてもらおうかとそんなことばっかし考えていたが,話しは保存問題の序論というか,総論と言ってもいい問題の本質と今の課題を鋭くついた内容だったと思う。
 “有名建築だけが問題なのではない"というりんぼう先生の冒頭でのコメントは,都市の記憶装置として市民に愛され、使い続けられてきた建物を大切にしたいと考えている私にとって我が意を得たりという思いだったが、これは林昌二さんが夢の中に出てくる旧い家の思いに託して話して下さった、人間のアイデンティティについての考察と重なってくる。
 また若き日、心をこめて創った掛川市庁舎が解体される時、酒を持ってお別れに行った建物を目の前にして、肉離れをおこして動けなくなったエピソードは、りんぼう先生の「建物は生きる権利がある」との指摘と相まって感動的だった。旧都庁舎をホテルにすればよかったとユーモアたっぷりに、そして相続税が文化を壊す、ヨーロッパをはじめ外国には相続税がないというりんぼう先生、そう言われれば、よく私も相続税対策だといってクライアントに建てることを推めるなあ! 
 会場は狭いながらも満席、若き女子大生から老学者!!までそして何より日本各地の支部の方々の参加者が多かったこと。各支部に保存問題委員会を設置して欲しいと願う私達委員として、喜しいことだった。                               

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