[近況報告]

大橋晃太は現在、東京大学医学部付属病院
血液・腫瘍内科(北病棟7F703)に入院しています。
今回の入院は前回と同様に現状維持のための治療です。
おそらく1ヶ月半〜2ヶ月の入院となります。
お騒がせしています。



1999年7月1日(木)

今日、正真正銘退院しました。
毎度のことながらプラスの出来事もマイナスの出来事も
両方思いっきり背負い込んで帰ります。
おそらく今週中は自宅でリハビリに専念し(てていいんでしょうか?)、
来週から満員電車に乗っかって通学することになるでしょう。
みなさまご心配おかけしました。

病院の先生方、看護婦さん、看護助手さん、掃除のおばさま、
レントゲンの受付の方、レントゲン技師の方、呼吸器検査の方、
その他大勢のみなさん、お世話になりました。

なんか毎度のことながら退院の時は感慨深いものがありますね。
「うれしい!やった!外に出れる!」だけじゃなくて。


1999年6月30日(水)

昨日のCTの結果、大丈夫だったようです。
(別に治ってるわけでもないらしい)
そして今日の採決の結果も白血球が増えていて、
退院の基準を満たしています、ぎりぎりで。
(もう一回採血したらダメかもしれないくらい)

ということで、今日の午後退院しました....
というふうに行くほど世の中甘くありません!
なんと、平井久丸教授(血液内科のBoss)が出張中なのです
(やはりNatureに論文出すような先生は忙しい)。
ということはつまり平井先生が俺のCTをまだ見てない、
ということは退院OKは出ない、ということになります。
大学病院ではよくあることのようです。
不幸中の幸いにも、今日の晩戻られるとのことで、
そこでOKが出て明日退院になります。きっと。おそらく。たぶん。
平井先生の乗った飛行機がエンジントラブルで引き返したりしない限り。


1999年6月29日(火)

今日肺のCTを撮りました。
これで問題がなくて、明日の採血で白血球が
上がっていたら即日退院でいいそうです。
明日の午後、結果が出ます。
この間期待しすぎて失敗したので、
今回はあまり期待しないでいきます。

ちなみに今日撮ったCTはGE横河のものすごい高そうな
新しいヘリカルCT(アキシャルにも普通より全然速い)でした。
あっという間に撮り終わりました。
逆に新しく病変が見つかちゃうんじゃないかと
かえって不安だったりしました。


1999年6月28日(月)

今日の採血でもやや白血球が回復したぐらいでした。
今日は大丈夫かと思ったんだけど...。
CTとかいろいろな日程から考慮して、おそらく
退院は7月1日,2日,3日のどれかです。
これより遅くなることは、肺の陰が大きくなってるか
もしくは白血球が全然上がってこないか、どっちにしても
大問題だから、まずないでしょう。
結局7月にずれ込んでしまいそうです。
7月からは気持ちを切り替えていこうと思っていたので、
ちょっと呆然としてしまいます。


1999年6月26日(土)

土日は何にもないので、ボケーッとしがちです。
ボケーッとしてると逆にあれこれ考えてしまってよくないです。
しっかりしろ!という感じです。

考えてしまうのは、もちろん白血球が増えないこともだけど、
今のうちなら移植しても拒絶反応に十分耐えられるんじゃないか、
とか、精子バンクを利用してるけどどうすべきなんだろう、
とか、個室にいるはずの知ってる患者さんが急にいなくなったけど
どうしたんだろうとか...考えることはいくらでも思いつきます。
でも要するに考えても仕方がないことをうじうじ考えているのです。


1999年6月25日(金)

今日も全然白血球が増えてませんでした。
何で増えないんでしょう??
昨日退院がいつだのって書いちゃったけど、どうなるか
なおさら分からなくなってきました。
俺の骨髄はかなりアブノーマルな動きをします。
次は来週の月曜に上がってるかどうかです。


1999年6月24日(木)

今日教授回診で、本格的にはカビキラー(ファンギゾンといいます)を
始めないで、もう一度X線CTを撮ってから決めようということに。
CTは10日後ぐらいに撮れるんですが、それまで病院にいる必要はなく
白血球が増え次第外泊して、10日後CTを撮って、それで問題なければ
そのまま退院ということになりました。白血球が増えるのはいつになるのか
分からないけど、おそらく明日か来週開けの月曜日になるでしょう。
(それでも増えてこなかったら、それもまた新たな問題です)

要するに26日(土)か30(火)あたりに退院する可能性が高い
ということです(扱いは外泊)。とりあえずよかった。
なんかここ数日間もやもやしていたので、やっと気が晴れました。
若い先生たちが退院できるように頑張ってくれたようで、
感謝感謝です。


1999年6月23日(水)

結局、CTの陰は以前の肺炎の名残じゃなくて、
New Comerだということになり、カビキラー再開です。
まだ本格的にドカンドカン点滴するかは決まってませんが。

というわけで、まだ入院生活は続きます...。
なんかふりだしに戻ったような感じだけど。
ちょっと7月はじめからの復帰は難しくなってきました。
ない頭で対策を考えているところです。

でも体調的には良好です。ご心配なく。よくあることです。


1999年6月22日(火)

おかげさまで無事退院....と書きたかったのですが、
実はまだ白血球が上がってなくて、病院にいます。
しかもX線CTで肺に陰があるとかで、もしかしたら
七夕の夜も病院で、という可能性も出てきました。
今日の夜あたりに結論が出るようですが。

明日退院が一転、何週間も延びるかもしれないのに
何故か妙に落ち着いています。
ほんとは落ちついてるんじゃなくて現実逃避なのです。きっと。


1999年6月18日(金)

一昨日ぐらいに目がしょぼしょぼするとか
余計なことを言ったので、髄注(ルンバール)されちゃいました。
まさに「やぶをつついてルンバール」って感じです。

髄注というのは髄液(骨髄液とは違います)をとって抗ガン剤を
代わりに入れる注射のことです。今回は薬は入れないで、髄液をとっただけです。
えび反りになって腰に針を刺します。ちなみに髄液は全くの無色透明です。
1年ぐらい前にやった以来ひさびさでしたが、全然痛くなくて逆にびっくりです。
前回の時はえび反りになること自体が痛かったので当然といえば当然ですが。

白血球数がかなり増えました。週明けには一応外に出ても
大丈夫なレベルになりそうです。ということはつまり
来週の前半ぐらいに退院になりそうということです。めでたしめでたし。
今回は骨髄が最後の最後でけっこう頑張ってくれました。


1999年6月17日(木)

だいぶ気持ち悪い時間が限られてきて、もう食事もとれるように
なってきました。おなかすいた、と久々に感じました。
焼きそばパンなんか食べてしまいました(自販機の)。
せめてコロッケパンにすればよかった。
目の疲れも目薬等でだいぶよくなりました。
初めて「退院」の二文字が先生のほうから出てきました。
それにしても、かなり浮き沈みの激しい入院終盤戦です。


1999年6月16日(水)

白血球も増えてきて、もう客観的にみてつらいことなんて
ないと思うんだけど、まともなものを食べていないせいか、貧血のせいか、
目にきています。あまりパソコンの画面もじっと見ていられないし、
本も読めなくてイラついています。こんなで7月から復帰できるんでしょうか。


1999年6月15日(火)

昨日は完全グロッキーで、homepage更新どころではなく、
ねたきりでした。何故そんな気持ち悪かったのか不明です。
今日は昨日と同じ薬を飲んでいますが、体調はいいです。
ほんとに不思議です。

今日の検査で「偽膜性腸炎」陰性だったので、気持ち悪いバンコマイシンとも
おさらばです。いつもコーヒーに混ぜて飲んでたから、しばらくコーヒーは
飲みたくない、というより見たくない、近づきたくないです。

こういう小さなビンに入っています。
見た目はいいんだけどなあ...。


1999年6月13日(日)

昨日、吐き方のコツを覚えて、ちょっと気持ち悪いと
調子乗って吐いてたら、今度は止まらなくなって
今日一日ゲロゲロの日でした(自業自得)。
明日ひとつ気持ち悪くなる薬が減るので、それに期待大です。


1999年6月12日(土)

今日も気持ち悪いです。
やっぱり蓄積されてくるものみたいですね。
吐き方のこつ(??)をつかんだので、それが救いです。


1999年6月11日(金)

白血球もずいぶん増えてきて、熱の方はもうOKです。
まだ血小板と貧血の方が改善してこないんだけど、
それも時間とともに解決してくることでしょう。

今日も昨日に引き続きまずーい薬を飲んでます。
看護婦さんの血のにじむような努力でだいぶ飲みやすくなりました...
でもやっぱり飲んだ後2時間はずっと気持ち悪いです。

筋力がガタッと落ちちゃって、またリハビリに時間がかかりそうです。
(空き缶を握ったときに痛感します)


1999年6月10日(木)

今日も熱は落ち着いています。
まだ輸血したりしていますが、少なくとも白血球は増加傾向。
しかもいい白血球(白血病細胞でないやつ)だけです。

ただ「偽膜性腸炎」とかいうのになったらしく(全然大したことじゃないらしい)、
バンコマイシンを朝晩飲むことになりました。
点滴で入れるものとばっかり思ってたら、飲むなんてありなんですね。冗談かと思いました。
お味のほうはというと、めちゃまずいです。薬品を間違えて飲んじゃったって感じの味です。
コーヒーに混ぜて鼻つまんで飲んでます。それでなくとも気持ち悪くてめし食えないのに。
(でも移植するともっとまずい薬をいくつか飲むことになるし、文句も言えません)
こういうのって下手にすぐ吐いちゃうとアゲインを食らうことがあるから、可能な限り長く
堪え忍んで、そのあと威勢良く....ということになります。お食事中の方ごめんなさい。


1999年6月9日(水)

今日でほぼ平熱に戻りました。ご心配おかけしました。
それと、白血球がほんのちょっとではあるけど増えてきました!
きっと熱が下がったのもこの白血球の力が大でしょう。
これでやっと退院もなんとなく視野に入ってきました。
ほっと一安心です。
また熱が出ちゃったら元の木阿弥だけど。

首に入れているカテーテルを止めてある糸が切れてしまったので
今日縫ったんだけど、たったの3針ぐらいしか縫ってないのに
けっこう血だらけになりました。
(注:おおはしが血だらけになってるのは血小板が少ないせいです)


1999年6月8日(火)

熱の方はやっと37℃台に治まってきました。
今、バンコマイシンを点滴しました。発疹がでないといいけど。

左からバンコマイシン・メロペン・アミカシンという抗生剤。
全部無色透明で、変わりばえしないんですが、
抗生剤「三役揃い踏み」みたいなものです。
こんなに強いの使っちゃって、あと大丈夫かいな?と
やや不安でもあります。

...って書いてたら、なんかかゆくなってきました。あーあ。


1999年6月7日(月)

血球の方は全然回復の兆しなしですが、
熱のほうは何故か今日はそれ程上がらす、なんとか
38℃台で抑えられました。

ただ、熱が高くてラリってたせいで分からなくなってた
ファンギゾンの気持ち悪さが感じられるようになってきてしまったし、
逆に疲れがどっと出たような気もします。
でもとにかく回復基調です。
明日からバンコマイシンという一時話題になった抗生剤を
2〜3日使うことになりますが。
(要するにバンコマイシンは一応抗生剤界の横綱で、それに耐性のある菌が
出てきちゃうとやばいっていう話でした、新聞をにぎわしたのは)←かなりウソあり

なんか花粉症みたいな感じになっています、鼻水でまくり。せきも出るし。
ただのかぜみたいなんだけどなあ...こういうのが一番危ないそうです。脅かされました。


1999年6月6日(日)

今日もあいかわらずです。
ソルコーテフをばんばん使ったので、一応夜も寝られました。
ただ熱も一時的には下がるんだけど、またすぐ上がってきます。
一日中ぼけーっとしてます。頭がはたらかなくて。
鼻のかみすぎで赤っ鼻です。

今日ちょうど熱が40℃ぐらい出てるときに、研究室の同期が会いにきてくれて
なんか全然話ができなくて残念でした。ほんと久々だったのに。失敗しました。
(その友人が成分献血の時使う、成分採血装置の開発に携わっていたことが判明、
またしても俺の方がユーザー側の立場になってしまいました...)

明日からの1週間を乗り切れば万事うまい方向に行くと思います。
広島カープも大変調子いいですし。


1999年6月5日(土)

またまた熱大爆発!
今日も40℃オーバーでした。
なんだけど、ソルコーテフっていう、いかにもロシアっぽい
薬を入れると、一時的ではありますが最低37.5℃ぐらいまで下がります。
今がその状態で、びっくりするぐらい楽です。
また夜になると熱が上がり始めて、朝起きる頃には39℃ぐらいでしょう。
白血球も、もともとちょびっとしかいないのに、そいつらが討ち死にしてしまって
さらに減っちゃいました。増えるどころではないですね。

この治療に入る前に、できるだけ体力をつけといたのが、功を奏してる感じです。
精神的にも全然なえてないし、まだまだ全然OKっぽいです。
1週間後にはぴんぴんしてるでしょう。


1999年6月4日(金)

今日は熱が大爆発でした。
40.5℃までいきました。ひさしぶりです、こんなこと。
かなりグロッキーです。

いつもひざの上にパソコン載せてキー打ってると、CPUクーラーからの
熱風が熱くてしょうがないんだけど、今日はなんと涼しく感じます


1999年6月3日(木)

今日は昨日にもまして熱が出ました(39℃近く)。
でも抗生剤と解熱剤で何とかごまかしています。
たたりかも、髪の毛の。
(抜いた毛集めたら、ちょうどアフロのカツラみたくなりました)

もう少しすると白血球が増えてくるので、そしたら万事解決です。


相部屋はどうしても他の患者さんの容態とか、先生からの
説明がまる聞こえだから、それがストレスの全てです。
そういう意味では8Fの無菌室に閉じこめられていた時の方が
楽だったような気がしてしまいます。
おそらく最善の方法は「聞かない」ことだと思います。
すぐに首を突っ込みたくなるのは悪い癖です。
自分にそれだけの力があるならば別だけど...。

全然話変わりますが、今日外科に研修で入った友達にばったり会いました。
なんか全身から、戦争から帰ってきたような緊迫感(?)がにじみ出てました。
もう寝られないくらい忙しいらしいです、
外科で寝られないのも手術のとき危ないと思うけどなあ。

あれこれ些細なことにうじうじするのは、ひまなせいですね、きっと。


1999年6月2日(水)

昨日1440人分の血小板を入れたようなことを書いてしまいましたが、
実は我々が輸血している血小板は全部成分献血からのものだそうです。
(よく見たら輸血血小板の袋にちっちゃい字で書いてありました)

今日も熱が出ています。ファンギゾンを増量されないといいけど。
熱で熱いのか単に病室が暑いのかわからなくなってきてます。

元気なんだけど相変わらず食欲がなくて、
今日のメニューは朝、昼、晩ぜんぶ人形焼でした。
こんなもんばっか食ってるから痩せないのかな。
(ここだけの話ですが人形焼はいいですよ)



1999年6月1日(火)

今日はすこし熱が出てきました。
なんででしょう。
でも元気です。
また血小板輸血(160cc)のお世話になりました。
病院ではこの160ccを「10単位」と言っているようです。
輸血用赤血球のことをマップ(MAP,Mannitol Adenine Phosphate)、
輸血用血小板のことをプレート(PC,Platelet Concentrate)と言っています。

血小板は実はものすごく貴重です。
400cc献血しても、血小板は4ccぐらいしかないのです。
ちなみに赤血球は170ccぐらいです。ということは今日だけで40人分!の
血小板を入れたことになります。今回の入院で輸血は合計6回目ですから
つまり40×6=240人!の方々に献血のお世話になったことになります。
今回の治療が6回目の治療だから、少なめに見積もっても
240×6=1440人分!の輸血を使ったことになります。
もちろん成分献血してくれた人がいると、1人で160ccぐらい血小板を
採らせてもらえるから、そうなると今回の入院で6人、今まで通算でも36人の方の
お世話になったことになります。
そう考えると、成分献血っていうのはすごいですね。
俺も成分献血しときゃよかった、元気なときに。

とにかく自分を生かすために関わった人の数には愕然としてしまいます。


1999年5月31日(月)

今日で今年医者生活地獄の(?)1年目を終えた研修医の先生たちが
無事東大での研修期間を終えて、外の病院に旅立たれます。
今度戻ってくるときはそれぞれの専門分野の先生として、
ひとまわりふたまわり大きくなって戻ってこられます。
先生たちは自分では気づいてないかもしれないけど、
患者からみると、ほんと1年でこんなにいろいろなことを吸収できるんだ!
びっくりするくらいみなさん頼もしくなっています。
ほんとにいいお手本です。
自分が病気であることを仮定して話すのもなんだけど、
1〜2年後、また東大病院でお会いするのが楽しみです。
とにかくお世話になりました、そしてこれからもよろしく。

同期の連中も1年後にはめちゃ頼もしく変身してるんだろうなあ,,,。
俺のほうは変身してるのは髪型だけ。

今日、一気にスキンヘッドにしちゃいました。
手でさくさく抜けるから。衣替えの季節です

(またうちわネタでごめんなさい)


1999年5月30日(日)

体調のほうは食欲がない以外はまあまあいいです。
明日の採血データで血球が増えてるといいんだけど、たぶん減ってるでしょう。

ところで、昨日「怪しい笛の音色」と書いたのは、実は外で患者さんが
オカリナ吹いてるんだと判明しました。なかなかかっこいいです。
(昨日あれだけ怪しいとか書いときながら、なんだけど...)


1999年5月29日(土)

今日は5月祭だったんですね。
なんだか怪しい笛の音色がかすかに聞こえてくるなあと、
警戒感をあらわにしていたんだけど、なんかのライブだったようです。

相変わらず食欲はないですが、節々の痛みの方は
鎮痛剤のおかげでだいぶ楽になりました。
今まで肩に力が入らなくて、握力が全然なくなった感じがしてたんだけど
やっと腕と肩がつながった感じです。
もっと早く飲んじゃえばよかったです、あほでした。

もうそろそろ退院したくなってきました、運動不足です。
バッティングセンターに行って血まめだらけになるまで打ちたい気分です。
(↑こういうことしてるから病気になる)

ちなみにこれを見てバッティングセンターに行ってみようかなと思ったあなた、
最寄りのバッティングセンターを
http://www.alles.or.jp/~piroki/batframe.html
で探してみましょう!
ちなみにわたくしは地元の「世田谷スポーツプラザ」によく行きます、
新宿「オスローバッティングセンター」もいいです、周辺環境は最悪だけど。
(変な勧誘に引っかかったらもうこっちの世界に戻ってこれなくなるので注意!)

すいません、うちわネタで...。


1999年5月28日(金)

3,4日前からずっと体がだるくて肩とか関節が痛く、
これは絶対何かに感染したんだ!と自分で思いこみ、
けっこうダラダラしていたんですが、
今日の採血の結果なーんにも感染してないことが分かり、
ただの根性なしだということが判明しました。

ちょっとどっかが痛かったりするとすぐ病気のせいにして
さぼりぐせがついています。

(まだ血球は底を打った状態です)


1999年5月26日(水)

昨日の晩からなんとなくだるいです、何故だか不明。
ただの睡眠不足(9時間も寝といて!)かもしれないし、
また新たに何か感染したのかもしれません。

徐々に抜け毛週間に入ってきました。
またまた粘着ローラ、大活躍です!
くせになるくらいよく取れます。

同期の連中はもう研修医として立派に活躍してるようです。
こっちもぐうたらしてる場合じゃないな、と気合いを入れ直しています。


1999年5月24日(月)

血球は順調に減っていて、血小板輸血のお世話に
二日おきになっています。
くすりのせいか、ややイライラしてきたような...。
気のせいかもしれません。
(症状例:自分の今やってることが非常にくだらなくて効率の悪いことの
ような気がしてくる...まあ、くすり云々でなくとも、よくあることかな)


1999年5月23日(日)

JuneBrideってのはよく聞くけど、5月に結婚式するのが
流行なんでしょうか、(やっぱり日本だと6月は梅雨だからか?)
予想するに昨日今日で友人が3組以上結婚式してます
大変天気も良くて、きっといい結婚式になったんだろうなあ、と
人知れず思ってみたりしています。

が、いい天気も病院においては戦争です!あからさまにです!
まさに灼熱地獄!ベッドに座ってるとその周りに水たまりが
できるぐらい汗かきます(やや大げさ)。それでもって今白血球が少ないので
風呂も入れず、....あとはご想像にお任せします。
(こんな事書くともう誰も見舞いに来てくれなくなりそうだけど)

体調の方は相変わらす食欲がない以外は極めて良好です。

p.s.まだなんとなくPCカードの調子が悪いです。
また音信不通になるかも。ご勘弁を。


1999年5月22日(土)

実は数日前から通信用のPCカードがおかしくなって、
homepageの更新はおろか、メールも見られませんでした。
ほんと、Eメールできないと病院は「陸の孤島」です。
あちこち設定をいじってもダメで、今日やけくそでカードをスロットに
差したり抜いたりしまくってたら、突然調子よくなりました。
ほんとに精密機器ほど機嫌の善し悪しがあるものはないですね。
でもつながってよかったよかった。ご心配おかけしました。

ところで、
体調の方はというと、発熱についてはよく効く抗生剤が見つかったので
完全に下がりました。血球の方は順調に減ってきて、毎度のことながら
「クリーン」状態という、感染要注意期間に入りました。
ひとつイヤなことと言えば、カビキラーこと「ファンギゾン」がスタートになった
ことですね。まだ気分は全然悪くないけど、おそらく気持ち悪くなってくると
思われます、経験上。


首にカテーテルが入り、ちょっと痩せました
(おそらく毛がある写真はこれでお別れ)
↑なんか楽しそうですが特別楽しいわけではありません


1999年5月18日(火)

今日はよく熱の出る日です。
だるいです。
一応今日で抗ガン剤投与は一休みです。
(明々後日くらいからまたちょこっとありますが)

今日は今度新しく同室になった患者さんに
「えっらい老けてるなあ、おい」と言われて
ちょっとむかついてしまいました。
大人にならねば。
励ましのメール募集しています。


1999年5月17日(月)

今日あたりから徐々に血球が減ってきました、順調です。
が、今熱計ったら、ややUPしてしまいました。
もう数日前から抗生剤を入れているので、それでも熱が下がらないと
いきなり大嫌いな「ファンギゾン」(←対人用カビキラーみたいな薬)を
入れられてしまう可能性が...。それだけは避けたい最悪の事態です。
別に大したことじゃないとお医者さんには笑われるでしょうが。
その薬は、他の患者さんはそんなにつらそうじゃないのが不思議です。
(注:大橋晃太が軟弱者であるという部分を差し引いても)


1999年5月16日(日)

今日で抗ガン剤が1種類減ったので、少し楽になってきました。
ここ5日間近く口から栄養をとらず、下の写真のようなハイカロリーの
点滴を入れています。これで平気なんだから簡単なもんですね。

やっと寝たきりから復活しつつあります。
でも寝たきり期間中に結構読書ができたので
まあよかったです。岩波新書の「日本の高齢者福祉」と
「世界の高齢者福祉」とかいう本です。
この著者は自分で「寝たきり体験」と称して
おむつをしておもらししてみたり、かなり気合い入ってます。
この著者も京大工学部出身だから、自分も近い将来何を
してることになるやら、予測不能ですね。


1999年5月15日(土)

まだ白血球も減ってきてないうちからもう何かに感染して
しまったようです。どうやら熱の原因は薬ではなかったようです。
(今日から抗生剤を始めたので心配はありません)

ここ数日間、点滴で栄養を入れて口から食べ物をとらなくしてから
吐き気の方はだいぶよくなりました。
が、食事の時間になると、においでダメです。
食事搬送車の乗った後のエレベータに乗っても気持ち悪くなります。
しかもたまたま自分のいる3号室の前が食事搬送車の定位置だから
かなりきびしいです。口で息をするようにしています。
外面的にはいつも口を開けていてただの阿呆です。
でも人の食べてる音が聞こえてきて、そこからいろいろと
想像してしまうのがまたよろしくないです。
人間の想像力も場面によっては邪魔になります。

まだ自分が病人であることに馴染めていない感じがしています。


1999年5月13日(木)

今日は熱が出てきました。
大したことはないですが。相変わらずです。


1999年5月12日(水)

投薬二日目。やっぱり気持ち悪いですね。
相当に。この薬と相性悪いのかな。
24時間点滴につながれています。


病院の窓の向こうでは巨大ロボットが...。
(ちなみに左から「しのばず」「あかもん」「さんしろう」と言います)
新病棟の工事、派手に進んでいます。


1999年5月11日(火)

今日から薬が入り始めました。
いきなりちょっと気持ち悪いです、予想外に。
相性のいい吐き気止めを使ってはいるんですが。
やっぱり頭が働かないです。

まだ近況報告書き始めて4日目ですが早くも
もしかしたら明日からしばらく更新しないかもしれません。
そしたら気持ち悪くてダウンしてると思ってください。


1999年5月10日(月)

今日から本格的に病院生活がスタートしました。
午前中に抗ガン剤を入れるためのカテーテルを首に入れて、
やっと病人らしくなってきました。
明日から治療がスタートします。
結局今回は心臓との兼ね合いで予定に反し
やや弱めの治療をすることに。
でも気持ち悪さと薬の強さは関係ないんです、悲しいかな。
ただし眉毛は抜けずにすむかもしれないです。

しばらく退院してるとすっかり健常者のような気分になってしまうので
看護婦さんに「今日はお通じ何回ありましたか?」なんて聞かれると
たいへんはずかしく且つがっくりしてしまいます。当たり前なのに。

あと今日諸事情により701から703へ引っ越しました
(看護婦室に近い701に入りたい!という方がいたためです)


1999年5月7日(金)

今日から北病棟7F 701に入院しました。
ただし今日骨髄検査が終わったら月曜までフリーになって
しまうので、週末は外泊していて、病院にはいません。
(治療は来週から始まる予定です)

今回入院した7Fは、以前自分が入院してたときに比べて
俄然きれいになっているようです。ベッドも電動だし。
研究室に一台もらって帰りたいぐらいです。




前々回(1998.9.〜10.)の入院記録

前回(1998.12.〜1999.2.)の入院記録