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作者とともに「旅」する批評



高橋敏夫

藤沢周平
―― 負を生きる物語 ――

集英社新書


 高橋敏夫『藤沢周平』という本でいちばん心に残った表現は、じつは藤沢周平のものではなく、著者本人の文章だ。

 カーン、カーン、カーン。読み終えた『老人と海』がもたらすおそろしい空虚感に、造船所からきこえる鉄板をうつ音が痛いほどにつきささってきた午後。雲ひとつない真っ青な空は、空虚をいれる巨大なうつわのように思えた。こんなに光りがあふれているのに、こんなにからっぽで、こんなにかなしいのがふしぎだった。
(「あとがき」227頁)

 藤沢周平の「原典」の持つ魅力を伝えることを目標にしている著者は、私がこう感じたことを知って落胆されるだろうか? それとも「読みが足りない」とのお叱りを私が受けることになるだろうか?

 だが、私は、著者が、読書を終えて世界がこんなにも変わって見える、そんな感受性の持ち主であることにまず感動した。そして、だからこそ、藤沢周平作品に対するこの人の批評を信頼する気もちにもなったのだ。


 この3月、仕事がめちゃくちゃに忙しかったのからいちおう解放されて、ふと立ち寄った書店で、藤沢周平の小説を衝動まとめ買いしてしまった。

 「衝動まとめ買い」というのは私の悪い性癖である。書店で、ある本を買おうとすると、「その本を買うんだったらこっちの本も……」というぐあいに「買いたい本」が増殖していく。その結果、帰りの電車のなかで読む本だけ買うつもりだったのが、かばんのなかがいま買った本でいっぱいになってしまったりする。そして、それが自室に大量に堆積している「積ん読層」の元凶になっているのだ。まぁそんなことはどうでもいい。


 私はそんなに時代小説に思い入れのあるほうではないから、藤沢周平の名を知ったのも遅かったし、名は知ってもあまり読もうとは思わなかった。藤沢周平がすでに亡くなっていたことも、じつは、このとき買った『漆の実のみのる国』(文春文庫)のあとがきではじめて知った。

 藤沢周平の名まえを辛うじて知っていたのは、NHKの時代劇『腕におぼえあり』(原作は『用心棒日月抄』)と『清左衛門残日録』(原作は『三屋清左衛門残日録』)でである。でも、『清左衛門残日録』は、主役の仲代達矢さんの演技はさすがだと思ったことぐらいしか印象に残っていない。『腕におぼえあり』のほうは、たしか続編のほうにかないみかが出ていたからという理由だけで見ていたのである。当時、アニメの『ヤダモン』が放映中で、ヤダモン役がかないみかだったのは覚えているが、『腕におぼえあり』のほうがどんな話だったのかぜんぜん覚えていない。ようするにストーリーはなんにもあたまに残っていないのである。

 そんな程度で藤沢周平についての本の評を書こうというのだからなんというひどい人だ。少しはヴァニラさんを見ならってください。あ〜ヴァニラさんあなたは天使だ〜。

 ネタのわかんない人は無視するか、よかったらアニメの『ギャラクシーエンジェル』見てください。

 で、そんなわけだから、たいした理由もなく藤沢周平の小説を買った。そして、読んでみた第一印象も、あまり深いものではなかった。高飛車なお説教調の時代小説のように露骨な反発も感じなかったが、かといって深く心に残る文章でもないように感じた。


 「おやっ?」と思ったのは『漆の実のみのる国』を読み終わったときだった。

 この本を手に取ったとき、上杉鷹山の改革を「漆の実」で表現する著者のセンスをじつは私は疑っていた。

 上杉鷹山(治憲)というと、日本史上有数の「改革」の成功者としてもてはやされる江戸時代の殿様である。上杉謙信以来の名家でありながら、慢性的な財政危機に直面しつづける米沢藩の財政改革に果敢に挑んで、それを成功させた殿様だ。

 だが「漆」はその改革を成功を導いたものではないことを私は知っていた。

 鷹山は、漆から蝋を採り、ろうそくを生産することで、商品経済化の流れに乗ろうとした。その売り上げによって経済的苦境を脱することをめざしたのだ。しかし漆から採った蝋はあまり質がよくなく、市場での競争に勝てなかった。鷹山の「漆」の試みはけっきょく失敗に終わったのだ。だから、「漆」は、むしろ鷹山改革にとっては苦い失敗の果実だったはずだ。

 それを鷹山改革の物語の表題にするとは、なんという無知な著者だ――と、私は勝手に思っていた。

 が、最後まで読んでみて、やっとわかったのである。

 これは、改革の英雄としての上杉鷹山の物語ではない。げんに、この小説を読んでも、鷹山の改革がなんで成功したのか、まったくわからない。改革の成功の前にこの物語は終わっているからだ。それは、執筆時にすでに病重かった著者が、最初に予定した終わりまで物語を書き続けられなかったことによるのかもしれない(このあたりの経緯は文春文庫版の関川夏央による解説に書いてある)。けれども、予定されていた枚数も現行版の結末から四百字詰め原稿用紙数十枚だったというから、現行版の終わりの場面からさらに大きな物語が展開するというわけでもなかったようである(ちなみに私の書いているこの文章の長さが原稿用紙換算15枚よりちょっと多いくらいである)。

 これは改革の成功の物語ではない。これは、改革をめざしつつ、いつもいつも挫折に直面する殿様「上杉治憲」とその側近たちの物語なのだ。その側近も、途中まで改革の先頭に立ちながら挫折した竹俣当綱(たけのまたまさつな)が中心で、改革の成功者の莅戸善政(のぞきよしまさ)はずっと脇役のままである。そして、私は、自分がそういう物語にこそ共感していることに気づいた。

 「漆」が改革の成功要因ではなかったことをもちろん作者は知っていたのだ。

 この表題には何かすれ違いのようなものがあることを私は感じる。漆は10年のときをかけて実りをむすぶ。しかし、当初は改革の期待を背負って植えられたこの漆は、実りを結んだからといって、挫折しつつある改革を救うものにはなってくれない。要するに壮大なむだなのである。それを知っていながら、漆の「こまかな実」に共感を寄せるのだとすれば、上杉治憲、つまり上杉鷹山というのは、どういう殿様だったのだろう? 「改革の偉大な先人」などでないのは確かだ。

 そうやって思い返せば、途中まで改革のトップランナーを務めながら、とつぜん失脚した竹俣当綱の描写にも思い当たる点があった。

 当綱は、財政改革の中心人物であり、倹約を求める立場にありながら、大乱痴気騒ぎをやって非難され、失脚したのである。どうしてそんなことをしたのか。藩主の覚えめでたい側近であるという奢りからか、それとも、他のだれかにハメられてスキャンダルを流されたのか。

 しかし、この小説では、治憲はそうは考えない。当綱は破滅願望ともいうべきものを持っていた。藩主さえ軽んじてしまうような自分の「傲慢さ」を自分で抑えきれないことを悟った当綱が、隠退を願い出、何度も願い出て、それでも許されなかったとき、事件は起きた。つまり、「改革の先頭」から身を退くためのやむにやまれぬ行動だったのか、それとも、隠退を認められなかったために、当綱自身がおそれていた傲慢さの爆発を迎えざるを得なかったのか、どちらかではないのか。いや、「どちらか」というより、その両方は同じことを意味するのではないか。

 改革の実績が上がらない状態で、その改革の中心人物から出された隠退願いを却下する。それは藩主として改革への意思を示すことにもなるし、「改革の失敗に責任を感じる立派な部下」と「それでもその部下を信任しつづける寛大な上司」という、上司と部下の双方の「美徳」を示す恰好の「儀式」ともなる。だが、部下のほうがほんとうに自分の限界を感じて隠退を願っていたのだとしたら、これほど残酷な「儀式」はない。作者が描こうとしたのは、その「美徳」に隠れた残酷さのほうであり、それに直面した人間のほうなのである。「美徳」に隠れた残酷さに直面した人間は、まさに理解しがたいほどの醜さをさらして脱落していくしかない。


 そういえば、『三屋清左衛門残日録』にもその種の脱落者が出てきた。「零落」の金井奥之助、「立会い人」の納谷甚之丞といった登場人物だ。そして、その脱落者たちを描く藤沢周平の筆致に共感しながらも、それが何なのか、私はわからないでいた。脱落者をばかにしているのではもちろんないし、かといって脱落者への共感でもない。「脱落者のほうがじつは人生について多くのものを得ている」という単純な脱落礼賛でもないように思えた。脱落者が多くのものを得ているようには読めないからだ。

 この世のなかにはそういう脱落者がいるということ、成功者は脱落者と一度は激しく衝突しなければならないかも知れないが、衝突したからといって脱落者と和解できるというわけでは決してないこと、つまりはこの世にはそういう脱落者がいて、その脱落者とは理解しあえなくても共存していかなければならないこと――そういったことを作者はたんたんと描いている。けれども、そのことが明らかにされたからといって、この世の「生きにくさ」が痛感させられるかというと、そうでもない。少なくとも、『漆の実のみのる国』と『三屋清左衛門残日録』については、読後感はけっして暗くなかった。

 まあ、そんなことを考えていたとき、雑誌の新刊紹介欄にこの『藤沢周平』という本が載っていたのだ。それで、私は、例によって「衝動まとめ買い」をしたとき、その一環としてこの本を買ってしまったのだ。


 この『藤沢周平』の著者の高橋敏夫氏は、私の感じていたそういう「感じ」を、「負を生きる物語」として定式化し、「これで、しばらく生きていける」ということばを鍵として解きほぐしていく。

 どう解きほぐしていくかは、私がここで解説したところで、何もおもしろくないだろうから、これ以上は書かない。というより、私には、それを簡潔に表現しなおすことなどできない。

 ただ、この本は、私が『漆の実のみのる国』や『三屋清左衛門残日録』を読んで感じた、「なんかわけのわからない感じ」にみごとに答えてくれる批評だったということは確かである。

 私は、私がたまたま読んだ『漆の実のみのる国』や『三屋清左衛門残日録』が藤沢周平の「代表作」だということは知らなかった。そして、これらの作品への言及は、この批評では「かぎりなくすくな」い(「あとがき」233頁)。けれども、私にはそれだけに自分の感覚とつきあわせながら批評を読み進めて行くことができた。かえってありがたかった。


 もうひとつ、著者の高橋氏の方法で私が共感を感じたのは、この批評が「結論」ではなく、まさに「旅」の過程を記したものだという点だ。

 著者は、藤沢周平と同年生まれの作家 司馬遼太郎との対比で、司馬遼太郎の時代小説が、あらかじめ先の「見通し」のついているもの、結論のわかっているものであるのに対して、藤沢周平の小説は行き先の「見通し」のついていない「旅」のようなものだとしている。司馬遼太郎の作品がそんなにいつも「見通し」がきいているものなのかどうかは、私にはよくわからない。一時期の私の愛読書だった『新選組血風録』など読むと、必ずしもそうではないのではないかという気もする。

 ただ、藤沢周平の小説が、明快な歴史的意義づけのもとに書かれていないことはよくわかる。

 というより、そういう歴史的意義づけを藤沢周平は拒否しているようだ。たとえば、上杉鷹山を「改革の先達」と位置づける歴史観に藤沢周平は抵抗している。あるいは、領主家の危機に立ち上がった荘内藩の「義民」たちを描いた『義民が駆ける』では、その「義民」たちを英雄扱いすることに藤沢周平は常に抵抗しつづけている。それだけ懐疑的になって書いたところで、この「義民」となった農民たちの動きが読者にずっしりとした感銘を残すのも確かなのだ。ついでながら、この作品では、時代小説読者ならばだれでも知っている遠山左衛門尉景元(つまり「遠山の金さん」)の名まえをほんのちょっとだけ思わせぶりに使うことで、けっこう読者の気もちをくすぐるようなサービスも見せている。

 では、どんな歴史観を藤沢周平は提示しているのか? それは不明なままである。それは私の読解力が乏しいせいかもしれない。でも、この高橋敏夫氏の『藤沢周平』を読んだあとに考えてみれば、あるいは、藤沢周平にとっては「結論としての歴史観」は不要で、歴史の過程をたどること自体に意味があったのではないかとも思える。

 著者の高橋氏の方法も同じであるようだ。著者が提示するキーワード「これでしばらく生きていける」は、しかし、著者の藤沢周平作品についての「結論」ではない。自分でふと思いついたその「いささかおおげさにきこえるかもしれない」評を道連れに藤沢周平作品を探索していく過程がこの本なのだ。

 藤沢周平が描きつづけた「負を生きる物語」が、どうして私たちの支えになるのか――その問いに対する最終的な回答は、本書には示されていない。あえていえば、それを明快なことばで回答として示すことは、この批評の目的ではないし、著者のように藤沢周平を論じるものにとってはそんな明快な答が提示できてはいけないのだ。

 あとは、私たち読者が、それぞれの「旅」のなかで獲得していくことなのだ。

 そうなのだろうと、私は思う。

―― おわり ――




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