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「建築探偵」のラジカルな「犯罪」



藤森照信

タンポポ・ハウスのできるまで

朝日文庫


 建築史学者の藤森照信さんが、自宅として屋根や壁にタンポポを植えた奇妙な家「タンポポ・ハウス」を建てるまでの実録である(1999年刊、2001年文庫版刊)。


 藤森さんは「建築探偵」として知られている。知られているというより、自分で自分のことをそう言っている。日本やアジアの奇妙な建物を探し、それがどうしてそうなっているのか、その建物のなかはどうなっているのかを、実地に調べながら突き止めていくというのが、「建築探偵」という仕事の本領である。

 それが自分で奇妙な建物を造ってしまったのだから、探偵が犯人になったようなものである。


 だが、探偵小説の歴史のなかでは、探偵というのは、犯人と同様に、うさんくさい、「謎」の部分を持った存在だったようだ。

 ポーのデュパンなどたしかに怪しい人物である。シャーロック・ホームズだって、麻薬常習者だし、部屋の中で鉄砲は撃つし、へんな経歴をでっち上げて某国のスパイ網にもぐりこむし、兄マイクロフトともどもけっこう素姓の知れないところのある人物だ。

 現実の犯罪者はともかく、古典的な探偵小説に出てくる犯人は、非常に奇妙な、それでも本人にとっては合理性のあるやり方で犯罪を犯す。それを読み解いていくのが探偵の仕事である。

 「建築探偵」のやっていることも同じである。

 少しでも奇妙なところのある建物を見つけ出しては、なぜそんなものを造ったのかという背景を明るみに出していく。そして、犯人がどうしてそんな奇妙な犯罪を犯すにいたったのか、つまり、建築家や注文主がどうしてそんな建物を造るにいたったのかを跡づけるのである。


 探偵は様々な犯人の「手口」を知り抜いている。多くの犯人に接触するだけ、探偵は犯人以上にさまざまな「手口」に通じていると言ってもいい。

 だから、そういう探偵が犯罪を犯せば、それぞれの独創的な犯人が犯したののさらに上を行く、すばらしい(?)犯罪を成し遂げるに違いない。そういう妄想は、どうも探偵小説の作者たちをとらえて来たらしい。

 それを地でやってしまったのが、この「建築探偵」である。

 藤森さんは、この本で紹介されている「神長官(じんちょうかん)守矢(もりや)史料館」と「タンポポ・ハウス」とを建てた以後は、赤瀬川原平氏邸の「ニラ・ハウス」をはじめとして、さまざまな建物を設計し、建築に参加している。だから、現在では、「探偵が犯罪に手を染めた」というよりは、すでに「建築」という「犯罪」の常習者になってしまったようなところもある。

 その「探偵」が犯人になったとき、どんな芸術的な「犯罪」を成し遂げるか。その犯人の告白録がこの『タンポポ・ハウスのできるまで』である。


 この「犯人になってしまった建築探偵」が背負っている背景は何か。

 それは、信州茅野の扇状地の原風景である。いや、「風景」というより、幼いころにそこで生活した経験と、その記憶と、つまり「自分が生きた風景」が、建築家としての藤森さんの背景にあるのではないだろうかと思う。

 神長官守矢史料館はまさにその風景のなかに自ら建てた建物である。祠があり、古塚があり、たくさんの神話を蔵する山やまが背後にそびえ、神霊がそこここに息づいている。そんな土地のなかに、神話時代から地方の神祀りの統括者として生きてきた家の史料館を建てる。それが神長官守矢史料館の建築だった。


 また、自分の家の屋根や壁にタンポポを生やすという発想にも、この扇状地の原体験・原風景が息づいている。

 藤森さんは「自然と人間の共生」ということばを信じていない。

 子どものころ、その神霊に満ちあふれた土地で暮らした藤森さんにとっては、その神霊に満ちた「自然」は、人間を「共生」させてくれるほど生やさしいものではないのだ。このことはNHKの『美と出会う』に出演されたときにも語っておられた。

 また、藤森さんは、数多くの現代建築家との交流のなかで、現代建築に現れた人間の知性や思想性が「自然」を許容するような生やさしいものではないことも強く感じていたに違いない。

 「自然」が支配する場には、人間が「共生」を言い出す余地などどこにもない。逆に、人間の支配する場には、自然を真に「共生」させることなどできはしない。できもしない「自然との共生」を語るのはウソっぽい。それが藤森さんの信念のようである。

 だから、人間の生活する都市のなかで何かの「自然」と共存するのであれば、それは自然を「寄生」させるしかない。そこでの「自然」は、人間に管理され、そのかわり人間に養育された「自然」である。しかし、人間は、都市のなかで「自然」と共存するには、そういうイヤな関係でつきあっていくしかないのだ。そのかわり、「自然」のなかに身を投じたときには、人間は「自然」に寄生させてもらうしかない。「自然」と「人工」とはそういう厳しい緊張関係のなかに生きている。「共生」という中途半端な妥協が許されるほど生やさしい関係ではない。

 そういう思いが、自分の家にタンポポを生やした背景にある。それがこの「犯罪者」の「犯行」の背景である。それは、神霊に満ちた土地での子どものころの体験と、東京で建築家仲間のなかで生きてきた体験と、その両方が生み出したものだったのだ。


 藤森さんが「探偵」能力の確かさは、たとえば、安易な「伝統」をより根源的なところから再考し、位置づけなおすというところにも生きている。

 藤森さんは、木について、節のない木がいいとか、柾目がいいとか、どこの産地の何という木がいいとかいう「伝統」的な格づけに「イヤ気がさしている」と書いている。

 だいいち、「探偵」兼「犯罪者」の藤森さんは、「木」というだけで自然素材だという、「使い古されたトリック」に騙されてはいない。藤森さんの主張によると、建築材料としての「木」は、すでに自然のものではなく、市場で流通した後、製材所で加工された工業製品だというのである。

 藤森さんが木の「伝統」的な格づけに反発するのは、それが、「木」そのものへの評価ではなく、「工業製品としての木」の評価だからだろう。もっといえば、「工業製品としての木」がいかにも「伝統」的な「自然」素材のように錯覚されていることへの反発があるのだろう。

 どうして藤森さんはそんなに反発するのか。もちろん、藤森さんにとっての木が、子どものころのあの神霊に満ちた山やまに生い茂っていたものだからにちがいない。


 だから、藤森さんは、「伝統」に寄りかかるのではなく、たんに「伝統」を否定するのでもなく、自分自身で「伝統」に対抗しうるものを生み出そうとして、「始原」へと遡っていく。

 神長官守矢史料館では、藤森さんは、製材せずに板を作っている。製材所で機械式ののこぎりで挽くのはもちろん、江戸時代や室町時代の「大鋸(おおが)」で挽いて製材することも拒否した。それ以前の製材の方法、つまり、木を割って板にするという方法を採用しているのだ。

 藤森さんは、神長官守矢史料館での「自然素材路線」を「イデオロギー」だと認めている。その「イデオロギー」に忠実に、外壁はその割り板、ガラスは手吹きガラス、屋根は自然の石材、金具は手でトンカチたたいて作った鍛造品という念の入れようで「工業製品」を拒否した。この「イデオロギー」はタンポポ・ハウスにも受け継がれている。タンポポ・ハウスでも自然石材で屋根と壁面を覆っているし、飾り棚も曲がった木材をそのまま使うという「自然素材」路線である。


 だからといって、藤森さんは「原理主義」者なのではない。

 ここまで工業製品を拒否していながら、神長官守矢史料館もタンポポ・ハウスも、じつは鉄筋コンクリート冷暖房完備なのだ。人間の工業文明の極点の一つである。しかも、あんまり「地球に優しく」はなさそうだ。

 こういう藤森さんの姿勢に「偽善だ」と反応する人もいるかも知れない。外面だけ「自然素材」でも、内側が冷暖房完備では「自然」にはならない。

 けれども、子どものころから神霊に満ちた土地に生きてきた藤森さんはそれぐらいのことは知っているはずだ。

 「自然素材路線」は現代建築をどう造るかということに関する「イデオロギー」なのだ。藤森さんは自分のイデオロギーの射程をよく知り抜いている。

 冷戦時代に「イデオロギー」が語られすぎたためか、現在では、「イデオロギーを持つ」のはあんまりよくないことのように捉えられているようだ。「何のイデオロギーも持っていない」ということが善良な生活者の要件のように思われているようにも感じる。

 けれども、必要なのは、自分がどんな「イデオロギー」を持っているかをきちんと把握して生活することではないかと思う。自分はどんな「イデオロギー」を持っているのかという問い返しの結果として、「自分はイデオロギーを持っていない」という結論が出たのならまだいい。でも、じつは「イデオロギー」を持っているのに、それを持っていないかのように錯覚することは、非常に危険である。それがイデオロギーであることに気づかれないときに、イデオロギーは極端に凶暴な力を発揮する。それこそじつは「冷戦」時代の世界起こったさまざまなできごとの教訓ではないだろうか。


 建築は、人間が、日々、接するものである。だから、実用的でなければいけない。けれども、まさに、日々、接するものであるからこそ、実用的なだけでは十分ではない。それは、人間に見られたり、人間に触れられたりして、人間とコミュニケーションをとりつつ、ばあいによっては、人間といっしょに育っていくものでもある。

 タンポポ・ハウスのばあい、住み始めて、その家がかなりの「やんちゃ」ものであることがわかったようだ。原因は床のナラ材である。ちゃんと乾燥していないままで使ったので、どんどん縮んでいくのだ。家主は、そのナラ材をビスで留め、すき間ができたところには漆喰を詰めていく。こんなのは他人の家ならば設計者に苦情が出るのは当然だし、ばあいによっては損害賠償ものだが、「建築探偵」の「犯罪」の成果であれば、ご本人の「好きでやった苦労」の範囲内である。タンポポの水やりの苦労もそうだ。たぶん、この家は、そうやって「探偵」やその家族とともに育っていくのだ。

 建築とは、そうやって人間とかかわりを持ちつづけるものである。だから、建築にとって、その「見える部分」・「触れる部分」が、何で、どう造られているかということが重要なのだ。藤森さんは、その部分にこそ「自然素材」というイデオロギーを持ちこんだ。それは、「自然に帰りましょう」とか「地球に優しく」とかいう通り一遍のメッセージを伝えたいからではない。

 「建築とは何か」という、根源的な問い返しがそこにあると私は考えたい。さらに言えば、人間が「住む」とは何なのかという問いである。

 人間はただ「住宅」だけに住むわけではない。住宅のまわりには「環境」が取り巻いている。住宅が「環境」とどういう関係を持つかということがまず重要だ。「環境」に適合した住宅を造るのか、それとも、「環境」に対して何かを主張する住宅を造るのか。そこから考えていかなければならない。

 藤森さんは、その結果、神霊の宿る信州の扇状地には、割り板と「土壁風モルタル」で覆った民俗資料館を建てた。東京近郊の住宅地には、同じ自然素材でも、木よりも石を主に使い、そこに花を植えるという家を建てた。これは、藤森さんとしては環境に合わせたつもりだったようだ。

 藤森さんの東大の同僚となった(ただし学部は違う)安藤忠雄氏などは、環境にわざと合わない建築をぶつけて、環境を活性化させるような働きかけもするべきだと考えている。けれども、藤森さんは、「環境に対する建築の自己主張」よりも「環境に合う建築」のほうを重要視しているようだ。ところが、このタンポポ・ハウスでは、コト、ココロザシとは違い、見事な「異物」感を実現してしまったとご自身も認めておられる。

 けれども、それがその「環境」をどうたがいに作用しあっていくのか。いつまでも多摩地域中央線沿線の住宅地に出現した「異物」のままでいるのか。住宅地のあり方に何か変化を呼び起こすのだろうか。それとも、いつしか住宅地の景観に溶けこんで行くのだろうか。


 藤森さんは「生えたような」建築を理想の一つにしているという。それは、壁に藁を生やそうとしたり、石の壁と屋根からタンポポや雑草を生やしたり、屋根にニラを生やしたりという「好み」にも表れている。それだけではない。藤森さんの建築の理想は、地べたから生えたような建築だというのだ。

 建築は思想と深い関連を持つ。藤森さんの「地べたから生えた」建築は、具体的な地べたであり、同時に、思想の地べた、人間の「始原」でもあるのだ。自然に寄生して生きるしかできなかった時代の人間のあり方から建築を発想し、現代の時代の地べたに根づかせる。だから、その過程のどこか途中で作られた「伝統」に依拠することを潔しとしない。建築が生まれた時代の「始原」に根を生やし、現代の地べたにしっかりと立つ建築を造る。それが藤森さんの目指す「完全犯罪」なのではないだろうか。

 藤森さんは「原理主義」者ではない。けれども、ひょっとするとだれよりもラジカルな現代建築家なのかも知れない。「ラジカル」とは、「根本」、つまり「根もと」から考える人という意味なのだから。

―― おわり ――




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