98/MAR/2   OLたちの<レジスタンス>」を読んで−バレンタインデー


 

「OLたちの<レジスタンス>」(小笠原祐子著:中央公論社刊)を読んでいる。この本の中でバレンタインデーについての考察が載っている(同書第三章)。

私が小学生の時には既にバレンタインデーというのは習慣としてあった。3、4年生頃だろうか、同級生の男の子に渡した記憶があるし、ホワイトデーのお返しをもらった記憶もある。何故だか、自分がチョコレートを渡した場面の映像的な記憶は無いのだが、同級生の男の子が夕方だったか夜だったか、わざわざ私の家までやってきてマシュマロだかキャンディーだかを、もそもそっと差し出し、それを困惑の表情で受け取った自分を含めて鮮明な画像的記憶が残っている。なぜ私が困惑の表情だったのか、と言えば、それは家族の無言の視線を背中に感じていたから。嬉しくないはずはなかっただろうに、恐らく非常に不機嫌な態度で受け取ったのだろうと思う。・・ちょっとほろ苦い思い出なのだ。

その当時は、義理チョコなんつーものは存在していなかった。好きな男の子にだけあげていたんだと思う。中学生か高校生か、そのぐらいになると、何だかたくさん買っていたように覚えてるから、もう義理チョコが存在していたんだろう。

本書は職場でのOLがテーマだから、当然義理チョコの話に終始する訳だが、「チョコレートをあげる行為が、相手に愉快な思いをさせてあげることであるならば、あげないことは、単に愉快な思いをさせてあげないことに過ぎないはずである。」「しかし、実際には、あげないという行為は、マイナスの意味を持ちうる。チョコレートをもらえなかったことが、ニュートラルではなくマイナスの意味を持ちうるにあたり重要なのは、他の男性と比較されるという点である。」というくだりが妙におもしろかった。

ある私の上司はこんなことを言っていた。チョコレートを持って帰らないと妻が心配すると。私はずっとこの言葉を素直に解釈していたが、もしかすると、それは正しくないのかも知れない。他の男性に負けたくないだけ??だったのかも。

「職場の男性をからかう機会としてバレンタインデーを楽しんでいるOLも少なからずいるらしい」そうだから、少し見習わないといけない。私にとっての義理チョコとは、お歳暮とお中元をまとめてしまって、日頃お世話になっている方への感謝の気持ちを示す良い機会という感覚だったが、それは余りにも単純で安易な発想だったのだ。

戦略的義理チョコの贈りかた−贈られる側の心理を超えて・・なんて本、誰か書いてみませんか?これは上手く展開させると組織の力学まで踏まえた議論ができそうな、そんな気が?義理チョコにも効果と効率という概念を導入すると、投資対効果が数値化できたりして。経済学のテキストにできそうだ。

 

 

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