辞書 その1(1996.7.10)

辞書 その1(1996.7.10)



 用字用語辞典、小型の辞書、大型の辞書、の3冊が机の周辺に置いてある。実は大型の辞書の先に「超」大型の辞書も図書館などで見ることもあるが、ほとんどはこの3冊で済ませられる。あとは各種辞典。詳細な地図、地名辞典、仏教辞典、情報科学辞典、日本近代文学大事典、日本文化総合年表、imidas、など各種事典を参照することもある。
 最近「ゲットする」「超――みたいな」などの言い方が流通してきている。ほかにも目立つ言い方はあるが、とりあえずこの2つを取り上げるとして、まず「超――みたいな」であるが『大辞林第2版』にはすでに「動詞、形容詞、形容動詞などにつけて、程度がはなはだしいさまを強調する現代の若者言葉。すごく。とても。」という説明があり、「―むかつく」「―うまい」の用例が出ている。女子高生などがそれに「みたいな」という辞を入れ子でつけると、もうひとつ雰囲気が出るということなのだろう。実は僕はこの言い方が好きである。「みたいな」という言葉は吉本隆明が批評で盛んに使いはじめた時期があった。「ような」と同等な言葉であるから、別に意味が変わるわけではないが、初めは面白いなと思った。
『大辞林』や『新明解国語辞典』などの三省堂の辞書が生成されつつある言葉を、タイミングよく取り上げていくことでは、いちばん役にたつ。これは故・見坊豪紀などがカードに雑誌などから採集した言葉を丹念に分類、整理し、頻度まで考えた伝統が生きているのである。近頃なら、パソコンでもっと整理はやりやすくなっているだろうし、実際やっているだろう。『大辞林』はほかにもよい部分がたくさんある。『広辞苑第4版』は、新語の場合は積み木のように積み上げて、格調ある第1版の説明とちょっと乖離した印象をうけるところがある点で、価値のある辞書ではあるが、現在生成しつつある言葉という視点では少し弱い。かといって、『大辞林』にない言葉が『広辞苑』にある場合はある。引く人によって違うのだろうが、僕の場合はその逆が多いということである。
「ゲットする」であるが、たとえば「ナンバーズ4(フォー)で12万円ゲット!」という感じである。初め、僕は「ゲ」という濁音が「下痢、ゲロ、ゲップ」を思い出し、汚いと思ってあまり好きではなかったが、釣りのテレビ番組などで流通してくると、違和感はなくなる。これは単なる類推であるが、「チキンナゲット」という食べやすい食べ物の音感との響和になにか「かわいい」ものも感じる。そんな理由ではないだろうが、新しい言葉はどんどん生成されていくわけである。
 用字用語辞典はいろいろあるが、たとえば朝日新聞のはあくまで朝日新聞の発行部数、岩波のはそれとはちょっと趣が違うがあくまで岩波の国語思想、というような「カイシャ」の枠があることは確かだろう。もっと拡張した言い方をすれば、どれだけその用字用語辞典に則った「人口」がいるかである。
 新聞でいえば、共同通信配信の記事が全国津々浦々に流通する確率が高い。つまり、大筋からいえば共同通信の『記者ハンドブック』が、用字の最大縄張りということになるのではないだろうか。時事通信社のも加えてもいいが、つまり、これらを使うべきだと僕は思う。国語審議会や官報の取り決めは、たかが個人の教養で実際に流通する生きた言葉を統制することなどできないということはあるが、これをたたき台にしたり、否定したりすることでできるもうひとつの大きな「縄張り」もある。
 昨年、うちの犬にホットスポットという皮膚がかゆくなるできものができた。獣医にわたされた、自分の体を噛まないようにするためのプラスチックでできた襟巻きみたいなものを貸してもらった。名前があるのだろうが、うちではこれを「ザビエル」と決めた。歴史の教科書に出てくるザビエルの襟巻きみたいなものに似ているからである。その命名が「うける」ところから始まるわけであるけれども。
 というわけで、自由に言葉を生成しちゃおうという感じ、みたいな。

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