喜納昌吉(1996.7.17)

喜納昌吉(1996.7.17)



 ハイサイおじさん、という曲がふと電車のなかなどで思い出されてくることがある。まあ、これが「べんきょうしまっせ、引越しのサカイ」とか、時分時分によって違ってくることはあるのだが、ついにCDを買ってしまった。
 南島の民俗は懐かしいものがある。ヤシの実が流れ着いたり、海にいけば南島からの便りがそこここに転がっていて、そのために海に行きたくなるようなものだ。

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ
    (「花」より、作詞:喜納昌吉)

 という詩のある「花」も、のどかで哀愁があっていい曲だ。
 南島の民俗がなぜ懐かしいかといえば、大和朝廷が習合することのできなかった、民間信仰の残滓があるからだ。これはまた、日本の無意識の根源にさかのぼっていけば、必ずたどり着くひとつの場所であることから、思想的にもさまざまな遡行がなされているといっていいだろう。
 CDには北方のアイヌの民俗主題の歌として「アイヌ・プリ」(アイヌの生き方)という曲も収められている。
 民間信仰のいま身近に触れられる中心的な部分、たとえば神社から溯れる地蔵や、産土神などと同重度で周縁的な民間信仰に触れることは、現在大きな意味をもつと思う。そういう意味でも喜納昌吉の歌が熱風のなかに紛れて聞こえてくるのも、精神衛生上もいいように思われた梅雨明けだった。

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