宮沢賢治の歌稿 その2(1996.7.31)

宮沢賢治の歌稿 その2(1996.7.31)



 前回で引用した歌稿

うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり

 は、賢治14歳(1910・明治43年)のとき(盛岡中学2年)の岩手山に先生に引率されて登ったときのことを書いているものである。これは5首あるが、西火口原の「みづうみ」(池?)が、具体的には「青きもの」である。この前の一首は、

泡つぶやく声こそかなしいざ逃げんみづうみの碧の見るにたえねば

 である。この歌からすれば、うしろに「青きもの」=みづうみ、をにらむもの、つまり目と比喩していることがわかる。前の歌は子どもらしい、諧謔といえばいえるが「にらむ」と比喩したとき一定の賢治らしい比喩の原形が出ている。あくまで風景は鮮明で、人事の混濁は入る余地はない。あるいはのちには分離しながらも、賢治の方法の独特な基盤を確立していく。
「春と修羅」の基盤が何であるかをみるとき、歌稿における賢治の独特の方法の基盤は「写生」の方法をより純化したものであることがいえると思う。
 先に出してしまうが、賢治の歌の頂点は「雨ニモマケズ手帳」(この題の手帳があるわけではない。「雨ニモマケズ」の詩が記されていた手帳のこと)の鉛筆を挿す部分に細く丸めてあった洋紙に書かれたものである、次の歌だと思う。

塵点の
 劫をし
  過ぎて
 いましこの
妙のみ法に
  あひまつ
   りしを

 この歌はものすごい。
 歌稿を見ていく意味を賢治の歌の達成点を求めていく、というやり方にすればその佳作を選んでいけばいいということになるが、このノートの目的はあくまで賢治の詩の方法の原点を探すことである。

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