三島文学散歩(1996.8.14)

三島文学散歩(1996.8.14)



 幼いころから三島の街には親しんでいた。なんとなく三島を歩くと懐かしさがある。しかし、どうも僕は土地を愛するという質ではないらしい。故郷を愛惜する心情を書いた文章を読むとなにかしら、嘘くさいものを感じてしまう。
 もともと風景というのは一回性をもって受け止めるもので、長い持続した時間がそこに溶け込んだ印象になるというのは嘘くさい。故郷を綴る文章というのは虚構として受け止め、一種の紀行として読んでいくという距離感をいつも持つのである。
 僕の故郷は三島ではなく、そこから10キロほど南下した韮山である。まあ、今なら空気はいいし、植物は生き生きしているし、そういうところはいいのだが、吐き気がする部分もある。ろくな思い出がないためだろう。
 三島も同様だが、日曜日、大場川の鯉を見たり、三島の街の通りの文学碑を妻と次々に見たりする機会があった。義兄に連れていってもらったのだが、もやもやした気分に一服の清涼剤という感じだった。ひまわりが元気に堤防に植わっていて、清澄な流れには緋鯉がたくさんいた。姉が用意したパンをちぎって鯉にやった。
 それから街に出て、通りを歩いた。一つの通りに井上靖、窪田空穂、穂積忠、太宰治の碑が間隔を置いて立っている。だいたいの文章や短歌は三島の風景の頌歌というところだろうか。さすがに太宰のは自分の思想と印象と生き様がぐちゃぐちゃになっていて面白い。窪田空穂の歌は歌集で探してみたが、僕の本ではまだ見つかっていない。まあ、「水のきれいな街でよろしいですね」というところだ。でも、仕事場が近いなら世田谷よりよほどいいところなのは確かだ。
 僕がもしいまみたいに優秀な妻(^^)と結婚していなかったら、バガボンドの傾向はあるかもしれない。だから30年も住んでいる東京にもいっこうに馴染めないといっていい。でもいい思い出は東京のほうがある。それは東京の風景とは結びつかない。

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