宮沢賢治生誕100年(1996.8.28)

宮沢賢治生誕100年(1996.8.28)



 昨日が宮沢賢治生誕100年に当たる。最近テレビで何回も「星めぐりの歌」を聞いた。高校生のころ、ギターでメロディを奏でて歌ってみたことがあるし、教育者の生活をしていた賢治の花巻農学校時分の作品にも、作曲した歌にも、戯曲にも凄い感性があって何か恍惚とした気分になったのを覚えている。校本賢治全集によると、21の歌曲があるが、すべての詩がいいし、メロディも親しみやすい。アニメ映画のオルゴールの音での「星めぐりの歌」もよかった。細野晴臣のアイデアなのだろう。あとは僕が親しんだのは「ポランの広場」「イギリス海岸の歌」「種山ケ原の歌」(これはドボルザークの交響曲第9番の第2楽章冒頭のメロディに賢治が詩をつけたもの)だろうか。
「イギリス海岸の歌」は詩もとくに好きだ。

Tertiary the younger tertiary the younger
Tertiary the younger mud-stone
あをじろ日破れ あをじろ日破れ
あをじろ日破れにおれのかげ

Tertiary the younger tertiary the younger
Tertiary the younger mud-stone
なみはあをざめ支流はそそぎ
たしかにここは修羅のなぎさ

 Tertiary the younger というのは童話「イギリス海岸」によれば、「それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終りごろ、たしかにたびたび海の渚だったからでした。」というところからきている。童話でいえば「台川」や「イーハトーボ農学校の春」やこの「イギリス海岸」は孤独感が薄まっているという印象がある。おそらく賢治はずいぶん元気にこの歌を歌ったような気がする。
 泥岩の罅に自分の影が映っている。それだけを何度も確認し、川を眺める歌なのだが、喜びに満ちあふれている感じもする歌だ。
「なんでもない人は菩薩に値する」という思想は、賢治から吉本隆明が抽出してうまく言い当てている思想だと思うが、この無垢な感性はその存在だけで相当だよ、という感じである。
 一度僕は花巻を訪ねたことがある。大学生のころ花巻駅に着いたとき、僕は涙が出そうになった。イギリス海岸で僕は財布を落とした。友達には迷惑をかけてしまったがそれもいまはいい思い出である。

|
清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(アンドレイ・タルコフスキー 「ストーカー」その1(1996.9.4))| 次頁(カオス(1996.8.21))|
ホームページへ