村上春樹(1996.9.18)

村上春樹(1996.9.18)



 村上春樹の小説は、どうも評価が2つに分かれるところがある。どちらかといえば、僕は熱烈なファンで、ほとんどの本を読んでいる。富山で田中勲さんという詩を書く人が「えきまえ」という雑誌をやっていたのに、何回か連載して百数十枚の村上論も書いたことがある。これもいずれ公開したいな、と思っている。評価しない人は、あの「白熊のような」とかの独特の比喩が甘ったるいという文体から難癖をつける。たしかに村上の比喩には子供らしいぐらいのやり方があって、村上方言に標準語をコンバートするジョークのプログラムを書いた人がいるくらいである(この人はファンなのかもしれないが)。
 僕としては、内容的に凄いものが村上にはあって、それが届いてくる感じがして、ファンなのである。ただし、どんな文学作品でも同じだと思うのだが、いくぶん陰鬱な気分を読後に感じることはあると思う。これは、また僕の大好きな漱石にもいえることだ。漱石の場合は『坑夫』や『彼岸過ぎ迄』や『草枕』にはそれほど陰鬱な感情の引きずりは読後になかったような記憶がある。もちろん、村上にもそういう作品もあるし、エッセイはおおむね軽く読み飛ばせるようなところがある。しかし、漱石も村上もどうも中心的なのはこちらに陰鬱な印象を残す作品であるようだ。『それから』『道』『明暗』などは、漱石の小説の代表作であると思うのだが、これらは深刻な問題をこちらに投げかけてくるようである。
 まあ、村上のポップなところを取り出して語るのも、深淵なところを取り出して語るのも村上ファンにとっては楽しいことだ。ロラン・バルトの研究家で、詩も書いている鈴村和成氏の村上論はフランス文学の批評の文体で書かれていて、フランス文学を研究している人はどうしてもこういう書き方になるのだろうな、と思ったことがある。それでも、ファンにとっては細部がよくわかるので、楽しい本だった。村上の小説での料理や電話の重要性は語れば語るほどおもしろくなってくるから不思議だ。一文をものさなければという気持ちになってくる。というわけで、「えきまえ」に連載させてもらった。あのころから、村上の小説から出る光を受け止めるこちら側のプリズムはどういう具合に角度を変えたのだろう。『ねじまき鳥クロニクル』をじっくり読んでから、過去の小説にさかのぼってみるのがいちばんたやすく変えた角度がわかる方法だろう。では、過去の村上の小説が懐かしさの中に入って、切実なところがいくぶん薄れたかといえば、どうもそんなことはないようだ。僕はまだ村上の小説を必要としている、というところだ。

|
清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(植物、動物 その1(1996.9.25))| 次頁(アンドレイ・タルコフスキー 「ストーカー」その2(1996.9.11))|
ホームページへ