灰皿へのレクイエム(1996.11.13)

灰皿へのレクイエム(1996.11.13)





 もう10年ぐらい前の世田谷ボロ市で買った灰皿(煙草とセットで売っていた)を愛用していた。それが左側のものである。幸徳秋水の「世田ケ谷の襤褸市」(中川清編『明治東京下層生活誌』所収、岩波文庫)を読んで、さすがに秋水は名文家だなと思ったことがあったが、年末年始にそれぞれある世田谷ボロ市は毎年の楽しみである。愛用していたといっても、煙草の宣伝用に作られたものでJTとかロゴが入っている。
 僕はヘビースモーカーなので、ふつうの平たい灰皿だと灰が飛ぶ。それで、水も入れておけて火の始末もいい箱形の灰皿がいい。しかし、10年も使って上の金属がぼろぼろに壊れてきた。そのうえ、灰皿の底には灰が固まって石みたいになってきている。こうして岩が作られるのだな、と洗うときに爪でひっかいてみることがあった。
 三軒茶屋の100円ショップを歩いていたら、やはり煙草の宣伝用の丸い灰皿が売っていた。息子のと2つ買って新調することにした。それが右の灰皿である。古い灰皿を捨てるに当たってビデオ撮影した。それからキャプチャしたものである。
 もともとゴミのようなものは不思議に好きである。固まって石みたいになったといえば、一人暮らしでだらしなかった時期には、流しの三角ゴミ箱にキノコが生えたこともあった(茶殻で森の地面のようになったのだろう)し、押入の壁にキクラゲ様のキノコも生えた。まあ、サルマタケの類である。
 そういうわけで古い灰皿を燃えないゴミに出す直前、この文章を書くことにした。

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