角川ミニ文庫(1996.12.11)

角川ミニ文庫(1996.12.11)



 たまたま寄った渋谷の書店の前で、角川ミニ文庫創刊の24冊を並べて売っていた。ほとんど、僕には興味のない書目だったが、ここはプリクラを経験して女子高生のやることを身を持って体験してみるように、買ってみようという気になった。さっそく話は逸れるが、プリクラはおもしろい機械だと思う。先日、アメリカの女性が来て、妻と一緒に撮って土産にしていった。じつはまだ体験していない。一緒に撮る人がいないし、おじさんが一人で撮るのも恥ずかしい。
 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を買った。最終稿であろうために、何回か異稿を読んでいる印象では、なにか印象がすっきりしていた。しかし、やはりここにある言葉は不思議である。これは、普通の言葉の出方じゃない、というところがある。
 ジョバンニの切符は次のように書かれている。
《ところがそれはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中に吸い込まれてしまうような気がするのでした》
 Booby Trapにもたまに寄稿していただいている、木嶋孝法さんに優れた、『銀河鉄道の夜』論がある(1979.1、『試行』収載)。ジョバンニの切符についても、これ以上ない解析がなされている。ちなみにミニ文庫の大塚常樹の註を引用すれば、《様々な読みが可能。そのひとつは仏教の生命分類を表す十界(如来、菩薩、縁覚、声聞、天人、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の頭文字。日本仏教のルーツである天台宗では十界はそれぞれが他の九界の意識を持ち合うとする(十界互具)。これを幻想の空間に置き換えると、あらゆる世界へ行くことができる夢の中の切符の意味になる。》とある。木嶋さんの分析ではもっとくわしく、《《おかしな十ばかりの字を印刷したもの》という表現から、ジョバンニの持っている切符が、一念三千の思想であると考えてまちがいないように思う。十界、あるいは十如是という主題がなんどもくりかえされるのである。それでも、唐草模様、この同一の絵柄がなんどもくりかえされる模様に疑念をはさむ人のためには、ガストン・バシュラールをまねて、ポナパルト夫人の言葉をあげておくのも無駄ではないだろう。(改行)《これらのヴァリエーションの唐草模様の下に同一の主題がつねに再現するのであれば、どうして驚くことがあろうか?》「水と夢」》となっている。一念三千の思想とは、《十界互具、十如是に、三世界が加えられる。(略)十界がそれぞれ十界を具して百界、百界に十如是を乗じて千界、それに三世間を乗じて三千界になる。この三千の世界が、一念中に存するというのが、一念三千という思想である。》仏教辞典にも似たような解説がのっているが、ここでは木嶋さんの記述を引用してみた。
 木嶋さんの分析はさらに深みに届いているのだが、またいずれ木嶋さんのこの文章は参照することがあると思っている。
 自分がたえず言葉でなにかを考えているときに、賢治の本を読むと不思議な感覚で洗われるような気がする。というわけで、野次馬的に買ったこの角川ミニ文庫の一冊が、聖なる言葉の渦に再会させてくれたという経験だった。

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