デジタルカメラ(1996.12.18)

デジタルカメラ(1996.12.18)




 粉川哲夫さんの『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(晶文社、96.10.15)の書評を鈴木志郎康さんが書いていたが、実は僕もあるところに書いた(雑誌の売る時期が過ぎたら公開する予定です)。3枚ほどの短い書評だから、粉川さんの批評のスタンスを考えるところまでは書けないが、粉川さんの批評の中心は書評を書きつつ考えていたことはいた。粉川さんは文章がうまいな、と思う。その批評のラインは岩波文庫の『花田清輝評論集』の解説を書いているくらいだから、わかろうというものだが、この文庫が93年以来重版していないのに驚いた。  それはそれとして、粉川さんの本に「日常のインターフェース」という章があって、面白いエピソードを集めているのだが、デジタルカメラについて書いた「カメラはメディア」という項がある。要約すれば、フェリーボートの上でデジタルカメラを使い、マンハッタン最南端の映像を撮っていたら、カメラに興味を持った黒人の夫婦が興味をもち、あとでプレイバックしてみたら、マンハッタンの映像は3枚だけで、説明のために接写してみせた新聞の紙面ばかりだった、という話である。粉川さんは、これはメディアとしては素晴らしいことである、と書いている。カメラがその場で人との媒介になるのが稀少なことであるから。鈴木さんもホームページで、日常に限りなく近いデジタルカメラの映像を使っていて、鈴木さんの詩の持ち味にも近づいている。
 この年末の楽しみとして、僕もQV-10という新製品が出て安くなったデジタルカメラを買った。これを使った記念として、上の写真を載せてみる。僕は髭が濃い。さらにいえば毛深い。夏、蚊が足を刺すのに苦労するほどである。足の毛に蚊が絡まってもがいていたこともある。学生のころ銭湯に行って、自分ほど毛深い人がいないのが恥ずかしかった。このごろは髭をのばさなくなった、その毛穴をお目にかける次第である。


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