「攻殻機動隊」と「インデペンデンス・デイ」(1997.1.8)

「攻殻機動隊」と「インデペンデンス・デイ」(1997.1.8)



『中央公論』1月号の筒井康隆と風間賢二の対談は「世紀末に読む 幻想文学講義」と銘打ってある。幻想文学、SF、ホラーのジャンルはとても好きなのだが、読む暇と体力がない。簡単にいえば、自分から幻想を生み出さなければならない。でも、ずらーっと並べられた書目は明らかに良質の暇つぶしを暗示している。題名だけ読むだけでも面白い。問題は、初めてお目にかかるアイデアがあるかどうかである。たとえばフランツ・カフカの小説には、たしかに想像力を線形的な範型からがくんとずらせてくれるようなところがある。このような範型を現代詩でのアイデアでは小出しにしているような詩人も見受けられる。たとえば天沢退二郎の詩と『アメリカ』のアイデアを比べてみるとおもしろい。
「攻殻機動隊」(Ghost in the Shell)はアメリカで評判になったジャパニメーションで、見る気になった。「インデペンデンス・デイ」は巨大UFOを大画面で見る娯楽を楽しみに映画館に行った。この二つのSFの結構はそんなに新しいアイデアを含んでいるわけではない。コンピュータがらみの「有機的生成」の範型は「2001年宇宙の旅」からあったし、コンピュータ・ウィルスをメインシステムに注入することで、地球を救うという話は地球の生物さえ知悉しているはずのエイリアンに通用するのだろうか、という通俗的なことも考えたりする。もちろん、娯楽なのは承知のうえなのだから、楽しみはそんなところに厳密さを求めたりする野暮な発想に少しも侵されるものではない。
 この二つのSFには、コンピュータが関与していて、前者にはネットワーク、後者では触れたようにコンピュータ・ウィルスが使われている。時宜にかなったアイデアだ。ウィルスはネットワーク上の悪者だが、物語では救済の手だてとなる倫理の反転がある。ウィルスを集めている人もいるようだが、怖くなくなっている技術者の力量にはおそれいる。
 ところで、M・ミッチェル・ワールドロップの『複雑系』という本を読みはじめたら、初めのほうに「収穫逓増」(近代経済学の「収穫逓減」の逆の概念)の例としてキーボードの配列が出てきた。QWERTY(クワーティ)、つまり欧文文字のキーボード配列である。ここに、QWERTY配列は1873年、タイピストの手を遅くするために、この配列をクリストファー・スコールズという技師が考案したとある。当時のタイプライターがあまり速く打つと動かなくなったからだという。そして、その後、レミントン・ソーイング・マシン・カンパニーがこのQWERTY配列のキーボードを大量生産し、やがてほかの配列のマシンを作ることは考えられなくなる。つまり、「ロック・イン」されているという。この本には集団の自己組織化や、カオスなど複雑系について研究するアメリカのサンタフェ研究所の歴史が面白く書かれているのだが、このQWERTY配列の話などには想像力はいままであまりなかった方向から刺激される。コンピュータによるシミュレーションが、科学を新しい視点に導いてくれることは間違いなさそうだ。
 巨大なUFOの残骸が大きな映写幕に映される快感を味わった後、帰りの電車のなかで、今度は別の方向からの快感を本から味わう。煩悩や雑事が頭をかすめるが、まあ、平凡な正月休みの快楽だったということだろう。

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