複雑系――その2(1997.2.14)

複雑系――その2(1997.2.14)



 複雑系の簡単な物理プログラムの実例画像は、まだ引用できない。たとえば、メダカの集団行動である。川のメダカを見ていると、群れをなしている。渡り鳥の先端が尖った群れの形でもいいが、これを複雑系の簡単なプログラムで作れば視覚的にシミュレーションできる。メダカの群れの真ん中に石をぽとんと落とす、するとメダカはぱっと散り、おもむろに集団をまた形づくる。何かの本で、鴨の群の飛形を「群能」と呼んでいたが、高速なコンピュータがなければこういった自然現象のシミュレーションが再現できなかった。
 ガストン・バシュラールは反デカルト的コギト、あるいはマッハや実在普遍還元主義に対する反実在論を持った科学哲学者・詩学者(?)である。と、ここに偉そうに書いたが、深く読んでいるわけではない。ただ、バシュラールは、「実在から普遍へ」というのは眉唾で、そもそもの単純化された量子論や一般相対性理論などに戻って、実在を考えるのはおかしいのであって、複雑なさまざまな系を考え、そこから「理性的なものから実在的なものへ」というベクトルの認識論である反実在論的認識論、を持っている。「複雑系」の探究はバシュラールの認識論と不可知領域を冷静に処理するところで一致している。つまり自然の豊かさの下に科学はある、というごく当たり前な冷静さのもとにある。構成的合理主義的科学は、世界をひっかく傷のようなものでしかないのかもしれないが、だが量子論や相対性理論は巨大な視野を切り開いた。熱力学の第二法則に対応する「創発」の法則が発見されるかもしれない。シミュレーションのパラメータはあくまで、構成的合理主義的科学理論に一致していなけれらばならない。これらの系を高速に計算できるコンピュータでシミュレーションしたら、創発(生成)、物の自己組織化がみられるのである。ジェイムズ・グリックはファーマーが大学院性だったころ、ルーレットの目は予測できないか、というとんでもないことをやるために小型の機械をもってルーレット場に行った、というようなことを『カオス』で書いていたように思う(そんなことは系がごまんとあり、初期値によって変わるからできるわけはないのだけれど)。そのファーマーが言っている言葉が『複雑系』に出てくる。「ぼくは生命や組織化が、ちょうどエントロピーの増大が避けがたいのと同じ程度に避けがたいものだという考え方に立っている」。しかし、この言葉にはあの「実在から普遍へ」というベクトルをもっていると、一見すれば感じられる。またしかし、これは科学者の夢の位相にあり、あのルーレットに向かうときのような好奇心に満ちた言葉である。いずれにせよ、複雑系のシミュレーションはそのバラエティによって、万華鏡のような感性への快楽を与えてくれる。これはたぶん「詩」に近い。

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