虫メガネで煙草に火をつける(1997.2.19)

虫メガネで煙草に火をつける(1997.2.19)



 階段を下りて居間に入っていくと、妻が南の窓際で虫メガネを片手にじっと座っている。そばに寄って見ていると、左手に煙草を一本持っている。右手の虫メガネからは太陽の光が円錐状にまとまって、煙草の先端に当たっている。しばらくすると、煙が立ちはじめた。「下手だなあ」と息子が言った。「もっと早くできるよ」。
 どうも、昨日から煙草に虫メガネで火をつけるのをやっているようだ。さっそく僕もやることにして、先端に光を集中させた。「ちょっと角度がまずいよ」とか「もっと先のほう」とか外野がうるさい。でも、めでたく火がついて初めの一服を吐き出した。暇な家族ですね。
 煙草の量は僕の半分が息子、3分の1が妻ぐらいで、全員煙草を吸う。犬も煙は吸っているだろう。ヒトラーは人の話によると絶対禁煙主義だったらしい。ヒトラーの前では煙草を吸えないのは粛清されちゃうから。ヒトラーが自殺した後、周りで禁煙していた人がいっせいに煙草を吸ったというけど、本当でしょうか、それはわからない。
 小さいころ、川に釣りに行ったときとか、学校に向かう田んぼの道で太陽を見つめる癖がついたことがあった。これは危険な癖だ。太陽を見ると強い火の玉だ。次に黒い残像が残って風景を目の動きに沿って行き来する。やはり目に悪かった気がする。
 僕は虫メガネで火をつけるのにたちまち上達した。もともとこの家ではいちばん器用なのだ。ラップの境がわからなくなったときとか、すぐ呼ばれる。だいたい好きなのである。グレープフルーツの食べた後を見ればいい。僕のは完璧に身をすくってある。長年の修練があるから。ねぎを刻むのは、妻はさすがに年季が入っている。しかし、ここ数年つけ蕎麦を盛んに作るようになって、かなり上達した。でも僕は味付けはいいかげんであれは舌がよくないと駄目なので、妻は料理がうまいという定評がある。人間いろいろ特徴があるから面白い。話が逸れた。
 いったん太陽の光で煙草に火をつけると、なんだか消したくなくなる。オリンピックの聖火と同じだ。昨日買った「日録20世紀1945年」には「しけモク」という言葉が載っている。コンサイス英和辞典の紙なんかで、しけモクから紙巻きを作ったとのこと。僕はまだ生まれていなかった。僕はしけモクができないくらいに短く吸って、灰皿に煙草を押しつけた。

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