複雑系――その3(1997.2.28)

複雑系――その3(1997.2.28)



 昨日、地下鉄に乗っていたら、ある駅で1メートル以上もある乳牛のぬいぐるみを抱えた男の人が乗ってきた。1メートル以上ある牛のぬいぐるみを持った人に、地下鉄の車内で会う確率はとても低い。2年ほど前、「アルプスの少女ハイジ」のような白いワンピースに可愛いリボンを着けた「中年のおじさん」が地下鉄車内で踊った。と、ここまでは関係ない話です。しかし、ルーレットの目をぴったり当てるのは、地下鉄で動物のぬいぐるみでもなく、牛のぬいぐるみでもなく、乳牛のぬいぐるみに出会う車両を時間的にも空間的にも当てるのに似ている。見ている僕からいえば「瞬間の豊かさ」において、予測不能という点で詩に似た体験であるかもしれない。
 生命が、カオスと秩序の臨界である複雑系、個体と流体の臨界である相転移、にアナロジーされるとするとして、『複雑系』では少し進化論についても触れている。古生代の大絶滅、中生代の大型爬虫類の大絶滅は大彗星の地球衝突が原因だった、というような推測もされて、ある程度信じられる。だが、生命が常に複雑系の静と動への臨界へ近づくということからいえば、そこで行われる遺伝子の創発の爆発的変化が進化というものを説明する有力な手がかりになる。
 こういった議論を少し延長して考えてみる。ルーサー・バーバンクは南米のジャガイモから、現在の八百屋さんに並ぶジャガイモの基本形を作りだした。それは、食用という「人間の目的」に合致する遺伝子を実地に探す、という「改良」である。しかし、それは「人間の目的」に沿った選良であり、生体からみれば創発の系からほんの少しずれた方向にほんの少し向かっただけのことだ。「精子バンク」をあほらしいと感じる人も多いだろうが、これはジャガイモの改良と比べて天と地ほどに馬鹿げている。IQという基準は徴兵検査だけには役にたつだろうが、たとえば「サンタフェ研究所」のいわば科学研究の臨界に集まる人たちは、いわば総体的個人史をもった人の必然としてここに来たのだろう。「精子バンク」は生命と種が複雑系にあることを無視する、いわば「錬金術の中世」へと思想は逆戻りしている。バーバンクに戻ると、バーバンクは深い農思想を持った人だと思う。棘のないサボテンをつくり飼料にする、ということは強固な農業思想において行われている。この限りにおいて錬金術ではないのである。
 話は逸れるが三木成夫の中公新書『胎児の世界』に書いてあったことで、とても印象に残っていることがある。受精鶏卵は受精してから一定の時期に最大の壁を迎える。ヘッケル博士の「個体発生は系統発生を繰り返す」なのだが、生命は海から一度あがり、また少し海に戻り、また陸に上がった形跡があるというのである。この時期が妊婦の場合、妊娠初期の「つわり」時期に当たるという。このいくつかの変転は、臨界においての遺伝子の戦いを暗示していないだろうか。複雑系のなかの創発的変化は生命に記録されているのではないだろうか。

 サンタフェ研究所のURLは
http://www.sanafe.eduです。

|清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(ゴミ系、電波系(1997.3.6))| 次頁(虫メガネで煙草に火をつける(1997.2.19))|
ホームページへ