村上春樹『アンダーグラウンド』その1(1997.4.4)

村上春樹『アンダーグラウンド』その1(1997.4.4)



「週刊読書人」(1997.4.11)の1面に宮台信司の村上春樹『アンダーグラウンド』の書評が出ている。結論的には《かつて湾岸戦争に際し「いつまでも戯れてちゃダメだ」と集った「新人類文学者」たちがいて、「そういうことは折り込み済みで戯れている」ものと思っていた私は仰天した。それで言えば、オウム事件に面し「逃げちゃダメだ」と『エヴァ』の主人公シンジばりに「エヴァ=自分(たち)の物語」に「乗る」ことを村上は選択したのだろうか。とすれば、そんな分かり切ったことのために才能が空費されることを、残念に思わずにいられない。》と否定的である。
 風邪でろくに本も読めなかった日が終わり、気分的にも回復してきたので、この本を読むことにして途中まで読んだ。スタッズ・ターケルのやり方に有益なヒントを得た、とあとがきにも書かれているように、この本はテロに遭遇した普通の人々をその生活から見直そうという意図があり、向こう側(オウム真理教の人々)と、こちら側(サラリーマン)と実は境界があいまいであることを言おうとしている。
 宮台は「テレクラ」を主題とした大きな著書を企画しているというが、このテロの核には「テレクラ」に通じる、反「エヴァ」の部分もあるのだと思う。じつはシステムに乗って、営々と生活を築いている「普通の人々」こそあの危機に接触する機会をもった人たちなのだ。おおよそ、システムを批判するときに、こちらの心身に直接降りかかるものを主題にするということを、批判者は避ける。法的対立、白黒どちらについても関係が鮮明な対立に、批判者は身を置きやすいのだ(かといって僕はそれがよくないと思っているのではない。念のため)。
 僕は前にオウム真理教の吉本隆明の考えについて書いたとき、「唇寒し」という感じになるというようなことを書いたが、それはそれこそおばあちゃんが「あんた、それは違うよ」というようなコンセンサスがオウム真理教についてのマスコミ報道でできあがっていたからだ。この点において、村上のこの本における試みは、現在重要なのではないかと思った。
『複雑系』を読んでいて、科学はそれを推進する多数の研究者に都合のよいシステムを構築できる国家(それはつまりこの本ではアメリカだ)しか、ダイナミックな発展はないのではないかと思った。これはシステムが要々に現実的に対応するという、複雑系をもっとも力動的なところにもっていくという、創発へのシステムの柔軟性でもある。とすれば、基礎科学のダイナミックな発展に日本は寄与できにくいシステムなのではないか、という疑問を抱くし、では根本的にはどういうふうにしていくべきなのか、というような余計な想像もした。
 たまたまアメリカの高校に息子が交換留学で行ったことがあるのだが、いくつか印象に残ったことがある。3カ月の短い期間にアメリカの大学入学のための単位の一部を何の問題もなく、彼は与えられたのだ。また、翌年その高校では日本語講座ができ、当然、普通の単位取得につながる。翌年来たアメリカ人は日本語が書けた。たいていの高校生が留学すると、そうなるのだが、日本人は数学ができる。通信簿(?)には、彼は上の講座にいくべきだと書かれていた。それに対して日本に来たアメリカ人は、外部の日本語学校で日本語を勉強した。教育システムにとつぜん来た外国人を、「内部」に融合させることができないための苦肉の策というところだろう。
 官僚がやたらに批判されているが、では官僚のすべきことの倫理、日本の現実にどう行政をすりあわせていくか、というたった一点を誰も批判の軸も力量ももってはいない。いつだったか、官僚と政治家の養成についての歴史の論文を「中央公論」で読んだのだが、ある時点で貧しい優秀な学生を東大法学部に集めるシステムが確立している。これはとてもいいことだ。政治家の場合はどうか、見ればわかるように世襲議員が多いのは金の問題である。硬直しているのに対応できないのは、たんにシステムにフレキシビリティがないのである。官僚はシステム環境を見渡し、最良の選択を倫理的にしているのに違いないのであって、この環境ががらっと変われば、彼らもがらっと有効性が変わるのは目に見えている。
『複雑系』の最後のほうに日本システムに対応するにはどうしたらいいか、という議論がちらっと出てくる。もちろんこれはジャパンパッシングの前だ。フェアとか経済的均衡とかの議論はいらない。かなめに、現実的手段をぱっとやることが重要だ、というようなことが書かれていた。日本人のシステムに対する考え方全般がまずいとしたらどうか。そこに本当は「普通の人々」が登場しなければならない。とても長い時間がかかるだろうけれど。

|
清水鱗造 連続コラム 目次| 前頁(お絵描きソフトの楽しみ その1(1997.4.10))| 次頁(熱のなかの夢(1997.3.22))|
ホームページへ